風見鶏

2002.01.01〜2002.12.15

 公共事業と新人事評価(2002.12.15)

 厚木市が総額41億円の大型補正予算を12月議会に上程した。地域経済活性化のために、これだけの補正予算を組んだのは市制施行後初めてだ▼補正予算の中身は道路整備や排水路整備など、いわゆる公共事業で22億円あまりが投入される。「ゼネコンを助けるだけ」、「市民の購買力上昇には結びつかない」という指摘もあり、一部には「選挙前のバラマキ」という批判さえある▼それはともかく、この「景気対策に公共事業」というやり方は、小泉内閣でさえ否定的だ。厚木市は繰越金が多いため、景気対策に回せという考えは理解できる。だが、土木中心の公共事業に支出するというやり方が果たして景気対策に結びつくのかどうか極めて疑問だ。厚木市は来年4月から市立病院がスタートする。土木への投資よりも、たとえばパソコンを各家庭に一台配置して、医療や福祉サービスに活用した方がよっぽど、市民の利益になると思うがどうだろうか。つまり公共事業の中味が問われているのである▼話は変わるが、厚木市は新年度から「平等主義から競争主義へ」という新人事評価制度を導入する。民間のように数量的評価が難しいお役所だが、加減の評価は上司が2段階で行うという▼その上司を評価する制度になっていないと指摘する反面、上司の評価を気にしてゴマスリ職員が増えるのではと懸念する声もある。職員にやる気が出て職場が活性化するのであればこのうえないのだが、果たして民間企業のようにうまくいくか。市民は意外に冷ややかに見ている▼ともあれ県下の自治体に先駆けての導入には大いに評価したい。公務員にはもともと、「不作為の罪」(積極的に仕事をしないこと。当然すべき仕事をしないこと)を大量生産する体質があるので、競争主義の導入によってこの「不作為の罪」を一掃する効果を期待したいところだ。

 三浦市の機構改革(2002.12.01)

 神奈川県の三浦市が、来年度からユニークで抜本的な機構改革に乗り出すという。三浦市の機構改革案は管理型から経営型へ移行するもので、縦割りだった市役所機構を2年計画で「政策立案」と「執行」の2部門に大別して再編成する▼まず企画と総務部を「経営管理部門」に集約して、ここで政策立案を行なう。従来の市民部や保健福祉部、経済部などの事業管理部門は、政策決定事項を実行に移していく「執行部門」となる▼同市では国の機構に沿った縦割りの組織では非効率な面が多い。これまでは各部長が立案と執行の両方にたずさわっているため、何事にも時間がかかるし施策を円滑に実施しにくい面があったという。改革の実施によって市民のたらい回しもなくなるだろう▼スリム化や効率をはかる試みは全国の自治体で盛んだが、政策立案と執行に分けて行う行政手法は極めて珍しい。先頃、埼玉県志木市では、2016年度までに、行政サービスのレベルを落とさないで、正規職員を半数に減らす「地方自立計画」をまとめた▼地方分権の進行と同時に、各自治体は生き残りをかけてさまざまな戦略を打ち出している。民間の発想や管理の導入は行政でも今や当たり前だ。21世紀はこうした自治体がパートナーとしての市民の支援を受けるし、勝ち残っていくのだと思う。

 厚木市長選と現代のリーダー(2002.11.15)

 若手評論家の宮崎哲弥氏が、現代のリーダーについて面白い解説をしている▼かつてのリーダーといえば、寡黙にして果断、黙したまま人柄で他者を引っ張っていく「家父長型」であったが、社会の情報伝達の経路や価値観が多様化した現代では、なかなかこのタイプは通用しにくくなった。そこで新たな指導者として現れたのが、多弁饒舌で情よりも理性に働きかけ、感服と信従よりも論議場の形成と合意をめざす「助産者」タイプである(『日本の論点2002』文藝春秋)▼「家父長型」の典型は石原慎太郎知事であるが、これまでの家父長型と異なるのは、寡黙ではなく多弁饒舌で改革に挑戦的であるということだ。一方「助産者型」の典型は田中康夫知事である。「脱ダム宣言」など明快な政策方針を提示し、車座集会で住民を議論に巻き込み、石原知事同様、改革に挑戦的である。なによりも両者ともはっきりと物を言い、わかりやすいという共通点がある。政策については石原氏はトップダウン型、田中氏は合意形成型である▼厚木のリーダーを選ぶ市長選が来年2月に行われる。すでに県議の又木京子氏と現職市長の山口巌雄氏が出馬を表明しているが、両者とも宮崎氏のいうリーダーを選択するという対象にはなっていない。いま市民が最も期待しているのは、「改革に挑戦的で、分かりやすく、はっきりと物を言うリーダー」である。だが残念ながら両者からはそうした声は聞こえてこない。両者とも政策や政治姿勢の違いをもっと大胆に打ち出すべきであろう。

 引き算の時代(2002.11.01)

 経営コンサルタント会社タナベ経営の田辺昇一会長が、自社発行の機関誌『実践着眼』で、「21世紀が足し算の時代だとすれば、21世紀はその逆で引き算の時代だ」と指摘している。物の足し算から心の引き算への時代である▼確かに現下のデフレ時代は足しても足しても一向に答えが出てこない。田辺氏はかつての日本経済を牽引していた「多角化・合併・統合・多店舗化」といった足し算の発想が危うい時代だと指摘しているのである▼量と規模を目指すと必ず精度を失う。スケールメリットからスモールメリットへの転換、すなわち小さい単位を追求する時代である。田辺氏はこれを足るを知る「知足の経営」と述べている▼この知足の経営は、小さく専門性を磨き、量を追わず、優れた顧客によって支えられる。その継続性、組み合わせが新しい大をなすのである。従って顧客が誰かを見失ってはお終いだ▼なぜそのビジネスを始めたのか、誰のために何をしようと思ったのか、本業は何だったか、初心は何だったか。引いても引いても消えないものこそ「本質」である▼スモールメリットと引き算の時代。これは企業ばかりでなく行政にも相通ずる。いま企業も国も自治体も、この方程式を解くことができず四苦八苦しているのだ。

 テレコム再建計画(2002.10.15)

 このほど第3セクター会社「厚木テレコムパーク」の株主や債権者が集まって今後の対応策が協議された。実質的な債権者会議といえるもので、そこで話し合われたのは資本金2分の1の減資、固定資産税2分の1の減免措置、貸付金80%の債権放棄である▼明治生命所有のフロアを、3セクが借りて転貸するという話も出た。今後は株主や多額の貸付をしている金融機関が持ち帰って検討するが、合意に至らない場合は役員総退陣を決意しているという▼同社は第11期決算で累積損失が約54億2千万円となり、資本金53億9900万円を上回る債務超過に陥った。金融機関からの借入金は約69億円で、返済期限を過ぎて債務不履行になっている額は約24億円。固定資産税などの滞納額は3億5千万円にのぼっている▼再建策は簡単にいえば株主、銀行、行政それぞれに損をしてもらって、再建にご協力を願うというものだ。だが、それだけでは借金と税金が減っただけで、今後の展望は開けない。不動産会社からの脱皮もできない▼同社の会社存続は、厚木インター周辺地区が業務核都市という位置づけの中で、テレコムタウン構想を具現化するための中核企業として、大胆で明確な経営戦略を打ち出せるか、あるいは方針転換を図って他の道を模索できるかにかかっている▼テレコムタウンは元々官民共同のプロジェクトである。にもかかわらず厚木市はこれまで有効な手を打って来なかった。再建に向け行政もしっかりした支援策を講じなければならないだろう。

 自治会長と市民が主役(2002.10.01)

 厚木市は「市民が主役の市政」を推進するため、「自治会長と市長との集い」を毎年実施している。今年度も9月18日から11月12日まで14地区すべての自治会長と対話が行われる。こうした集いは、市民の声を市政に生かす「広報広聴活動」の一環として、どこの市町村でも行われている▼集いや対話の相手がなぜ自治会長になるのかというと、自治会が住民の多様な要求の伝達手段であり、行政施策の受け皿として最も手短で効率的な組織であるからだ。しかも行政は、自治会長に「地域代表機能」「統合・調整機能」「地域管理機能」の3つ(「新住民と旧住民の反発と融合」津村修・『ハイテク化と東京圏』北川隆吉編・青木書店1989年)を期待しているから、「自治会長との集い」は行政にとって最も重要な広聴活動となるのである▼特に行政は住民要求の自治会長一本化をはかることによって、要求を選別調整できるため、自治会は行政にとって誠に都合のいい機関となっている。現に自治会長を通した要求は市への通りがいいし、自治会との合意は行政施策の受け皿となるから、行政もいかにして自治会長との合意を得るかが大きなカギとなるのである▼ところが、最近は自治会の加入率も低下し(平成14年8月現在で73.2%)、加入していても会費を払うだけで無関心、自治会活動への参加意欲も驚くほど低くなってきた。それにもともと自治会長に地域代表機能や調整機能、管理機能があるわけではない。そうした自治会活動に疑問を抱いている市民も多い▼IT、少子高齢社会の到来で、住民要求も個性化し多用化する社会である。市民が主役の市政を推進するためには、自治会長だけを重視した「ご用聞き」のような市長対話を進めるのではなく、市政の重要事項や地域の課題についてテーマを決め、情報開示と説明責任を果たしながら市民と市長との対話を進めていくという新しい手法が求められているのである。米国の地方自治体では何年も前からこうした手法が当たり前になっている。

 志木市の地方自立計画(2002.09.15)

 埼玉県志木市が市の正規職員を現在の619人から、2016年(平成28年)度までに約半数近くの373人に減らす計画をまとめた▼行政サービスのレベルを落とさないで、志木市の「地方自立計画」を実施しようというもので、職員を減らす代わりに有給の市民ボランティアである「行政パートナー」を採用する▼計画によると今年度から新規採用職員を凍結し、退職者分を行政パートナーで補充していく。行政パートナーは、公務員の守秘義務や政策判断が求められる部署にはつけないが、公民館や図書館など公共施設の業務、広報紙などの編集業務をやってもらうという▼行政パートナーは第1期69人、第2期155人、第3期182人の採用が可能だ。順調に進めば目標年次の2016年度には、正規職員は373人、行政パートナーは正規職員より多い406人になる。同市ではこれによって、人件費を現在の39億円から13億円減らして26億円に圧縮できると試算した▼また、専門的な知識や経験を持つ人を期限を区切って採用する「任期付き職員」の導入や、職員の兼業禁止を廃止すれば、もっと正職員を減らすことが可能だという。実現すれば将来、正規職員は30人から50人で足りるという数字をはじき出している▼小手先だけの改革が多い中で、自治体がここまで踏み込んで具体的な改革プログラムを示した例はかつてなかったろう。実現には法整備が必要だが、21世紀はこうした自治体がパートナーとしての市民の大きな支援を受けるし、勝ち残っていく。志木市の発想は市民サービスを推進する人材の手だてもまさに「市民が主役」なのである。

 ごみ処理広域化計画(2002.09.01)

 厚木・愛川・清川の3市町村が進めている「ごみ処理広域化計画」に疑問を投げかけている人たちに話を聞いた▼広域化はガス化溶融炉のような大規模な焼却炉を必要とする。だが、その安全性はまったく立証されておらずまだ実験段階だ。それにオペレーションが難しく原発並みのコントロールが必要とされる。コスト削減にはつながらない▼新型炉はあらゆるごみを分別せずに、800から900度以上の高温で燃やすことができるため、逆にごみの大幅増につながる。いずれは産業廃棄物も押し寄せてくる▼県下のごみ処理広域化に問題をなげかけているジャーナリストの山本節子さんは「市町村のゴミ行政が、何の根拠法も持たない厚生省の課長通達という文書によって進められているのは、地方自治法違反だ」(『ゴミ処理広域化計画―地方分権と行政の民営化』・築地書館)という。広域化により市町村が有するごみの自治権が失われ、市民の監視の目が届かなくなる。計画にはコストやリスクアセスメントがまったく見られない▼行政側に聞くと次のような答えが返ってきた。「3市町村は県の広域化計画が策定される以前から研究会を発足させ検討してきた。通達によるものではない。ごみ処理行政の一部(中間処理)を3市町村が共同で行うという認識で、法律に外れた行為ではない▼市町村が共同で行うことによって、資源化が推進しやすくなる。施設の選定や場所についてはまだ議論の俎上に上っていない。一部事務組合は構成団体と情報を共有できる部分が多い。一般廃棄物が対象で、産業廃棄物は対象外である」▼広域化には問題があり、まだまだ議論が必要だ。行政には「初めに広域化あり」という姿勢だけが先行しているように思える。市民が求めているのは、徹底したごみ減量と資源化、市民の声を生かした「脱焼却型の一般廃棄物処理計画」だろう。

 市立病院(2002.08.15)

 8月7日から3日間の会期で開かれた厚木市の臨時市議会で「病院事業の設置に関する条例」と「診療報酬に関する条例」が審議可決された▼このの条例をめぐっては、当初市は6月議会に提案する予定だったが、病院駐車場と官舎の土地・建物について「無償譲渡」を求める市と「無償貸与」でという県との間で話がまとまらず、市は提案を見送った▼その後、この問題についてはまだ市と県との間に合意はないが、病院開設に際して無償貸与で不都合なことは何もないはずのに、市はなぜ無償譲渡にこだわるのだろうか。後々の移転を考えた場合、譲渡されていないと売却できないため面倒だというのだろうが、そんな不動産屋的な発想にとらわれるべきではない▼そんなことよりも知恵を絞る分野がまだまだたくさんあるはずだ。市民は赤字はどの程度解消されるのか、来年4月から安心して診療が受けられるのだろうか、医師や看護スタッフはどうなるのかという危惧感を持っている▼今年の4月、厚生労働省は医師の技がものをいう難度の高い手術について「症例数」の基準を設け、年間症例数の実績が基準に満たない場合は、診療報酬をカットするという制度改革を導入した。「病院の格付け」ともいえるこの改革で、実力主義の病院選別時代がスタートしたのである▼これまでのように権威やベッド数に依存して、大学病院や公立病院だから優れた病院だという時代ではなくなってきた。患者が病院や医者を選ぶ時代である。病院開設後、厚木市立病院もまた診療行為においてどのような姿勢と特徴を打ち出していくかが間違いなく問われてくる。実はこれが一番大切なのである。

 3セク債務超過(2002.08.01)

 厚木市や県が出資している第3セクター会社「厚木テレコムパーク」の第11期決算で、累積損失が約54億2,000万円となり、資本金53億9,900万円を上回って2,100万円の債務超過に陥ったことが明らかになった。金融機関からの長短期借入金は約69億円で、返済期限を過ぎて債務不履行になっている額は利息を合わせると約24億円。固定資産税などの滞納額は3億5,000万円にのぼる▼また、融資の返済を猶予するなど、資金的な面で再建を支援してきた主要取引銀行で株主の日本政策投資銀行と東京三菱銀行の金融機関が、テレコム社に派遣していた取締役を7月25日付で引き揚げた▼市は債務超過に陥った要因として、「バブル崩壊後の厳しい経済状況のもと、賃貸収入が確保されず初年度から赤字補填のための資金調達が必要となり、これに伴う借入金の累増が経営状態を悪化させる結果になった」と説明した▼市側はあくまでも公金支出以外で出来る限りの対応をしたいとしているが、再建への道のりは極めて厳しい。かりに入居率100%を達成したとしても今日の経済状況から判断すると、同社が不動産賃貸業に終始している限り、借入金返済の目処は立たない▼同社は92年、郵政省が提唱する高度情報化社会のテレコムタウン構想の実現を図るため、その役割の一端を担う官民共同プロジェクトとして発足した。だが当初からこの構想を具現化するという戦略は希薄で、同社がその中核的役割を果たしてきたかは極めて疑問だ▼しかも、3セクという特異な経営形態が経営責任の所在を曖昧にし、再建策についても誰もが筆頭株主である市の顔色ばかり伺ってきた。そして市はアクセルもブレーキも踏まないできたのである。通常の民間企業ではおよそ考えられないことだが、この何もしないできたという責任は厳しく追求されなければならない。債務超過に陥ったという3セクは倒産も同然である。厚木市はここに至ってもなお何もしないのであろうか。

 わらべうたが根っこ(2002.07.15)

 社団法人長寿社会文化協会(一番ケ瀬康子会長)が主宰する「第12回長寿社会への提言」論文コンテストで、厚木市林に住む田村洋子さんの「わらべうたが根っこ」が「会長賞」を受賞した▼同協会は平成2年から「長寿社会への提言」事業として、一般を対象に、毎年テーマを変えて論文募集を行っている。平成13年度は「わたしの子育て、あなたの子育て、みんなで子育て」がテーマだった▼田村さんの「わらべうたが根っこ」は、厚木市内で懐かしいわらべうたを楽しむ同好会に親子で参加することで、ゆったりとした時を共有できるという喜びを描いたものだ▼同好会を指導しているのは、元教師で町田コダーイ合唱団指揮者の大熊進子さんである。「わらべうたは言葉の離乳食」という大熊さんは、母国語でわらべうたを歌い遊ぶことは子どもの脳を育て、語感を刺激し、社会性を学ばせるという▼ところが、この最も古くて最も新しい完璧な子育て術を、われわれ大人は博物館に置き、お年寄りを文化財にしてしまった。田村さんたちは、これに再び日の光を当て、13年前から生きた文化として復活させることに取り組んでいる▼学校現場では今年から、総合学習の時間で小学校にも英会話が導入された。京都大学の大島清名誉教授は、「母国語の日本語をおろそかにして何が英語だ」と嘆いている。教授は教育の原点は言葉磨きだという。わらべうたはまさに母国語の意味を教えてくれるのである▼このほど大島教授と大熊さん、神戸大学の岩井正浩教授の共著『わらべうたが子どもを救う』(健康ジャーナル社)が刊行された。ご一読をお勧めしたい。

 闘い済んで日が暮れて(2002.07.01)

 日韓共同主催のW杯は、さまざまなことを考えさせてくれた▼教科書問題や首相の靖国神社参拝問題で、それまで幾度となくギクシャクしてきた日韓両国が、W杯が始まった途端に親日的、親韓的になり、サッカー以外の音楽や文化の分野でも交流が広まっていった▼日韓両国民は、会場やテレビ中継を通じて、自国の選手に熱狂的な声援を送り、全国民に連帯の輪を広げていった。それまでサッカーとは無縁だった人たちも、赤や青のユニホームを着て、国歌を歌い国旗を振りかざしてサポーターに変身していった▼また、両国のチームが決勝リーグ進出を決めるに連れ、トルシェ、ヒディング両外人監督の指導と采配が高い評価を受け、日本ではカルロス・ゴーンさんまで引き合いに出されて、総理大臣も外人の方がいいなどという「外人指導者待望論」まで出てきた▼各国のナショナルチームを応援するより、イギリス、イタリア、ドイツ、韓国などに所属するスタープレーヤーに熱狂的声援を送る女性サポーターの姿が見られたのも特徴だ。W杯はナショナリズムを鼓舞するが、日韓共同主催は、相手の国を応援するというナショナリズムを超えた人々の連帯感をもたらした▼W杯を契機に日韓の新しい時代が始まったのだろうか。そして日本の国際化が1歩も2歩も前進したのだろうか。闘い済んで日が暮れて、今一度考えてみたいと思う。あなたはまだサッカーが好きですか。韓国に友好的ですか。キャンプ地に入った世界の国のチームにエールを送れますか。W杯は台風のようにやってきて、台風のように去っていく。

 第二東名(2002.06.15)

 第二東名高速道路は、国土交通省の試算によると、総事業費は6兆6千億円。利率を3%とすると年間の利払いは約2,000億円。これに対して交通量は2020年で1日約50,000台、年間収入は約1,800億円にすぎず、利払い分にも足りないことが6月4日開かれた参院内閣委員会の道路関係四公団民営化推進設置法案の審議でがわかった▼この日、共産党の吉川春子議員の質問に国土交通省の大石道路局長は、現在着工中の第二東名について、同省の試算でも「総支出が総収入を上回る」見込みで、単独では採算性の確保が困難であることを認めた(「赤旗」6月5日号)▼第二東名は本当に必要なのだろうか。神奈川県民や厚木市民にとってどれだけメリットがあるのだろうか。だが、国・県ばかりでなく、厚木市を含めた沿線自治体や地元経済界はこぞってこの第二東名の推進に積極的である▼民間ではこんな採算性が取れない事業はやらないのに、国や自治体は採算割れしようが、国債がいくら増えようが、ムーディーズの格付けがいかに下がろうがお構いなしである。小泉首相の構造改革は、借金を国民に押しつける手法を変えることではなかったのか。東京湾横断道路を例にとるまでもなく、第二東名の建設をこのまま進めれば、大変な国民負担を負わせることになる▼少子高齢化の道を進む日本は確実に車の保有台数が減ってくるのは疑いようがない。21世紀は50年かけて破壊してきた国土を総修復する時代なのに、日本はまだ旧来の思考から抜け出せないでいるのだ。50年後、第二東名は利用者がなくて閉鎖され、がれきのように横たわっているだろう。そして我々の子や孫が借金だけを払っている。

 投書と電話(2002.06.01)

 報道という仕事をやっていると読者からさまざまな投書や電話を頂く。行政に対する意見、読者に伝えたいこと、取り上げて欲しいことなど実にさまざまだ▼困ったことには差出人の名前や連絡先の記述のないものがかなりある。差出人不明の投書は、単なる不満や人の批判・中傷などを一方的に書いているものが多く、編集部としては内部告発以外は連絡の取りようがないので、捨て置くことにしている▼中には理路整然と自分の考え方を披露して関心させられるものもあり、このまま眠らせてしまうのは勿体ないと思うものもある。投書をする以上、独り言ではないから、メディアの力を借りてという意図があるのだろう。そんな時は掲載については匿名でもいいからせめて本人の連絡先ぐらいは書いて欲しいと思う▼以前、電話で意見を具申して来た人がいて、「なぜ名前を言わなければいけないのか。声なき声も声である」と妙な理屈を主張した人がいたが、こうした理屈を言う人は、自分は常に姿を見せない安全な場所にいて、外からいちゃもんをつけたりこずいているようにしか見えないのである▼確かに社会的弱者といわれる人の氏名や電話番号が公開されると、被害や不利益を受ける場合があるだろう。そうした気持を理解できないわけではない。しかし、われわれ報道機関が本人に無断でプライバシーを公開することはありえないし、本人の希望で匿名にすることだってできる▼それに電話や投書をしてきたからといって必ずしも報道に結びつくわけではない。残念ながら「記事になりません」という場合だってあるし、現実にはそうしたケースの方が圧倒的に多いのである。そうした時に名前や電話番号が分からなければ連絡のとりようさえない▼最近は、電話をかけても相手に電話番号を知られない「非通知」というシステムがあるそうだ。非通知だから名前を言わなければ相手が誰で、どこからかけてきたのかさえもまったく分からない▼フランスでは電話番号は事実上、公開が原則だ。プライバシーの配慮から「性別が知られる名前」「正確な住所」の掲載を拒むことは認められているが、公開を拒否するには書面での申告が求められるという。この原則を貫いている意味を、社会学者のエマニュエル・トッド氏は、「相手が自分の番号を知り、自分は知らない。これでは社会の均衡がなりたたないからだ」と考えている▼電話や投書で自分の意見を言う場合に、自分の名前を明らかにするということぐらいは最低限のルールであろう。われわれは幽霊と話しているわけではないし、読者の感情の吐け口として紙面を提供しているわけでもない。自分の意見を自分の名前で責任をもって言える、そういう電話や投書が増えることを願っている。

 助役廃止論(2002.05.15)

 大和市の土屋侯保市長が6月議会に、「助役廃止条例案」を提出するという。同市長は昨年8月、職員の意識改革と行政効率化を目的に助役廃止を打ち出し、この8ヶ月間助役不在の役所を難なく乗り切ってきた▼助役は長を補佐し、職員の事務を監督するとともに長に事故ある時は職務を代理するのが任務である。通常女房役といわれるが、これは長のお目付け役であると同時に、長に変わって舞台裏の根回しなどを行うことからそう呼ばれている。土屋市長はそのどちらも自分には必要ないと言っている▼必要ないどころか「助役を通さないので、情報伝達のスピードが格段に早くなった」とメリットを強調している。98年、群馬県太田市が全国の市で初めて助役を廃止したが、廃止後は市長と部課長の接触がふえ、決定のスピードが一段と早くなったという▼助役廃止は経費削減にも結びつく。不況の長期化で企業収益が減少、倒産が相次ぎ、企業は生き残りをかけてリストラや企業合併に取り組んでいる。労使の合意も賃上げよりも雇用確保のためのワークシェアリングにある。自治体の税収も減少続きである▼だが、行政には職員給与を引き下げ、職員数を大幅に減らし、地方税の税率を景気の変動に応じてスライドさせようという発想はない。こうした時代に、土屋市長の助役廃止論は、改革の時代にマッチしたものとして受け止められている。大和市の場合、助役廃止で1500万円の削減に結びつくそうだ▼厚木市の助役は山口市長が平成8年(1996)4月より2人制にした。だが、土屋市長の発想からすると、「何で2人もいるのか」ということになるだろう。土屋市長でなくともそう思っている厚木市民は多い。

 市民意識調査とまちづくり(2002.05.01)

 厚木市の市民意識調査でまちづくり全般の変化について興味深い結果が出た。5年間で良くなった項目は「ごみ処理及びリサイクル」「都市基盤の整備」「スポーツレクリェーション活動の場と機会」である。特にゴミ処理及びリサイクルは全地区で50%を超え、高い評価となった▼逆に5年間で悪くなった項目は「犯罪や非行の防止」「就業環境」「商店街活性化の状況」である。犯罪や非行の防止では、南毛利南地区を除くすべての地区で、「5年間で悪くなった」が4割から5割を超えた▼一方、「公園や自然環境など緑の空間」及び「環境保全と環境美化」「河川など水辺の空間づくり」については、良くなった、悪くなった共に高い比率を占めた。また「子どもを生み育てる環境」も、悪くなったが良くなったを上回っている▼将来どのようなまちになって欲しいかでは、「自然環境の豊かな都市」「保健福祉都市」「居住、生活都市」が群を抜いており、「高速道路を活かした流通機能都市」や「研究所・大学などのある研究学園都市」は共に8・4%。「高度情報都市」に至っては5%ほどしか期待していないことがわかる▼この市民意識調査から判断すると、山口市長が進める「ITのまち」、「ハイウェーのまち」づくりと市民意識はかなり乖離しているように思える。2年前に比べると市民の「定住意向」もかなり弱まった▼20年ほど前から厚木市は研究学園都市、ハイテク都市などともてはやされてきた。しかし、実際に住んでみるとスローガンや形容される言葉と生活意識とはかなり違うのではないか。市民の意識調査がそれを証明しているように思える。

 朝の読書運動(2002.04.15)

 学校で「朝の読書運動」が全国的に広まっている。始業前の15分間、子どもたちが好きな本を選んで読むもので、集中力や読解力が身につくと評判だ▼これを実施している学校では、子どもたちに「落ち着きが出て来た」「授業中の私語が少なくなった」「遅刻する子がいなくなった」などの効果が出ているという。また、子どもたちも「友達や家族との間で、本の話題が多くなった」「分厚い本でも平気で読める」「家でも本を読む習慣がついた」など、さまざまな効果があるようだ▼子どもたちが本を読まなくなってから久しい。今の子どもたちは昔と違って、遊び道具や情報を得る手段がたくさんあるから、活字が詰まっている本を読むよりは、漫画のほうがおもしろいしテレビを見たりパソコンでゲームをするほうがずっと楽しいのだ▼でも、本には出会いの喜びがある。視覚や聴覚から得る感動や興奮とは全く異なった、心の感動をともなった思考性や創造性の回路を活性化させる働きがある。この思考性は能動的でしかも集中力が伴わないとうまく機能しない▼「習うより慣れろ」という言葉があるが、確かに本がたくさんある環境で生活したり、本を読むことが習慣になれば、子どもが思考する回路も活発になる。厚木市でも荻野中、林中、玉川中、厚木中のほか、複数の小学校でこの「朝読書」を行っている。綾瀬市ではこの4月から全小中学校で、朝の読書運動に取り組む。全国的にも珍しいという。

 前市長足立原茂徳さん死す(2002.04.01)

 3月16日、前市長の足立原茂徳さんが亡くなった。81歳だった。厚木市の助役を一期つとめた後、昭和54年2月市長選に立候補、5期20年続いた石井忠重さんを破って初当選、平成7年まで4期16年市政の舵取りを行った▼教師出身だっただけに、教育文化行政に対する思い入れは人一倍強く、在職中は「教育文化都市」を掲げて、全小中学校にプールと体育館のほか、中央図書館、荻野運動公園、全国で初めての小中学生の宿泊体験施設「七沢自然教室」などを建設した▼現在、市役所前にある中央公園は、日本バルカーから土地を買収したもので、建物を建設せずに市民の憩いの広場である公園として整備した。また、揚州市やニューブリテン市、横手市と友好都市を締結、国際交流事業にも取り組んだ▼郵政省が指定したテレトピア構想、テレコムタウン構想などにも取り組んだが、アイネットや厚木テレコムパークは、バブル時の経営感覚と第3セクター主導のやり方が、解散や今日の累積赤字を招く結果となった▼一方、助役時代から因縁の対決といわれた元市長の石井忠重さんに「名誉市民」の称号を贈ったことは、政治的な配慮以上に、厚木市の基礎を築いた人に贈るという意味で、賢明なる判断であった。石井さんが種を蒔いて育てた後で、その果実を摘み取るという終始恵まれた市長でもあった▼引退後、回顧録の執筆を期待したが、果たせぬまま亡くなったことは残念でならない。心よりご冥福をお祈りする。

 市民活動推進補助金(2002.03.15)

 厚木市は新年度予算に「市民活動推進補助金」として200万円を計上した。公益活動を行なっている市民ボランティア団体に対して、活動費の2分の1もしくは20万円を限度に補助するもので、初めての試みだ▼阪神淡路大震災以降、市民のボランティア活動が注目され、98年3月には国会でNPO法案が成立したこともあって、各自治体でも市民の社会貢献活動を支援しようという動きが出てきた▼厚木市の場合、医療、福祉、環境、文化などの分野で公益活動を行なっている3人以上の団体が対象で、少なくとも1年以上の活動実績が必要。市では本年を皮切りに継続していきたいという▼地方分権の時代に入って、行政の守備範囲をNPOや市民の公益活動が担う領域がますます広がっている。佐倉市では83年、全国に先がけて市民の公益活動を助成する仕組みとして「まちづくり公益信託基金」を発足させた。その後、世田谷・函館、横浜市野毛など20を越える自治体がこうした公益信託を設置している▼特徴的なのは、市民活動への行政参加を積極的に仕掛けていることである。厚木市もわずか200万円という小手先の支援ではなく、市民活動推進条例や公益信託などを整備することによって、より積極的に市民の公益活動を支援するとともに、行政が担っている事業についても委託していくべきであろう▼地方分権とは行政と市民が本来持っている能力や長所を認め合い、短所を補う形でのパートナーシップをいかにして組むことができるかにかかっている。

 予算編成と財政運営(2002.03.01)

 厚木市は平成14年度の予算編成で、地域経済対策に重点を置いた予算を組んだ。山口市長が推進しているITのまち、ハイウエーのまち、ハーモニカのまちの3事業で32億円のほか、交通渋滞解消、防災対策、高齢者福祉施策の3大施策で68億円を投入する▼一般会計に占める投資的経費の割合は20%、義務的経費は40・7%で微増してはいるものの、財政の弾力度は依然全国のトップクラスにある。就任以来、債務減らしに取り組んできた市長は、今年度74億円の公債費を組み、残高を620億円とした▼このほか、産学共同研究やインキュベート施設整備支援事業、創業者サポート事業などの中小企業対策、また、不法投棄、放置自転車、コンピュータ教育サポートなどの雇用創出事業、さらには市民ボランティアに活動費を助成する市民活動推進補助金や市民農園にも取り組むなど新規事業も目白押しだ▼だが今後、毎年10億円を越える市立病院への投資や今年度9億円で取得する駅前土地の活用など投資効果が問われるものもある。また第三セクターの累積債務や職員の退職金問題、旭町の下水道対策、ゴミ焼却場の新設、市街地整備など財政支出をともなう課題も多い。今後、少子高齢化により義務的経費の増大に反比例して投資的経費が減るのは避けられないだろう。厚木市の歳出は依然として各方面に気を配ったばらまき型である。いまこそ市民ニーズと時代の要請を見据えた大胆でメリハリのある予算の使い方、そして中長期を見据えた財政運営の戦略が必要だ。

 市町村合併2(2002.02.15)

 厚木市と愛川町、清川村の3市町村が「まちづくり研究会」を発足させてから広域行政の取り組みが進んでいる▼防災体制については平成8年7月、秦野市や伊勢原市を含めた広域行政連絡会に移行して、「大規模災害時における相互応援に関する協定書」を締結、諸証明の交付・受付事務の共同化は、11年9月から事業を開始した▼宮ヶ瀬ダムを中心とした観光ネットワークづくりも、先の広域行政連絡会に移行して平成12年2月に広域観光マップを作成、ダイオキシン対策でも、13年4月に「厚木・愛甲ゴミ処理広域化準備室」を設置、平成24年度の稼働をめざして共同の焼却施設を建設する。そして、今回の公共施設の相互利用の締結である▼広域行政は時間と距離が短縮され、行政サービスの便益が行政区域外に及ぶ今日では、負担を公平化させるためにも時代の要請である。交通や医療・福祉、環境問題など住民生活に直接かかわる共通課題は今後もどんどん拡大していくだろう▼3市町村の広域行政もここまでくると思い切って「合併」してはどうかという話になる。だが、当局にとって合併はそう簡単ではない。合併は住民にとって利便性の向上やサービスの高度化、財政の効率化などのメリットがあるが、当局にとっては議員や首長、職員の削減など行政改革の断行を余儀なくされるというデメリットがあるからだ▼どこの自治体でもそうだが、これをクリアしないと合併論議は進まない。

 まちづくり条例と屋外広告物(2002.02.01)

 都市の景観の中でもひときわ目立つのが電柱や電線、看板の類である。日本ではこれがいたるところで乱立しているが、欧米ではこれが極めて少ない。日本でも電線や電柱については地中化が進められているものの、屋外広告物や看板についての規制は一向に進んでいない▼街中にあふれる広告、どぎつい色彩の看板や垂れ幕、性風俗関連の張り紙や捨て看などは目にあまるものがあり、文化レベルを疑うばかりでなく無計画・乱雑さの象徴であろう。中には壁面がそっくり広告板に化けたビルもある。また、選挙が近づくと、立候補予定者や政治活動用の看板が目につき、一晩で広範囲にポスターが貼られたり、選挙が終わっても撤去せずにそのまま放置されるなど、このような無秩序な過剰広告が、都市の景観を損ねているのである▼それに、日本の都市は看板では赤の色が多すぎる。一般に赤というのは赤十字とか消防とか、交通信号などに使われる救命や救急に関する色である。この赤は緑と合わない。赤と緑というのは補色関係にあるから、一緒にするとチンドン屋みたいなイメージになる。建築家の上田篤氏は「日本の街は色彩も形もメチャメチャで、おもちゃ箱をひっくり返して、蜘蛛の巣をかけたような街だ」と形容している(『ユーザーの都市』学陽書房・昭和54年)▼こうした都市の色彩空間をメチャメチャにしたのは、日本人の「色痴」感覚にもよるが、ただ「目立ちたい」というのがその理由で、一方では土地や建物に対する規制があまりにも緩やかすぎたせいにほかならない。上田氏は「日本人は個々の美に関しては優れた感覚を持っているが、全体の美や組み合わせの美、特に街全体の美に対する意識、価値観が欠如している。しかも日本人は美に対しては敏感だが、醜に対しては極めて鈍感である」と指摘している▼厚木市は4月より県から屋外広告物規制についての権限移譲を受ける。また、新年度には景観の保全や落書き防止について定めた市独自の「まちづくり条例」も制定する。屋外広告物のエリア規制や大きさばかりでなく、看板に対する色や形、選挙や政党活動などの看板についても検討を加えるものを期待したい。要は全体の美である。

 市町村合併(2002.01.15)

 平塚、藤沢、茅ヶ崎。寒川、大磯、二宮を含めた人口97万人の政令指定都市をつくるという「湘南市研究会」が発足した。来年中に合併協議会を設立させるという▼かつて建設大臣だった故河野一郎氏が「西湘百万都市構想」をぶちあげたことがあるが、この時はあまりの大言壮語にアドバルーンに終わってしまった。だが「湘南ブランド」を掲げた今度の合併論議は、各自治体とも本気のようで、他の県内市町村からも大きな注目を集めそうだ▼合併促進論の背景には、分権の受け皿論、広域行政、少子高齢化、財政問題などがある。合併することによって住民サービスの高度化や多様化に対応し、情報など都市の基盤整備を進めるとともに行政改革を断行し、財政の効率化と自治体の自主性・自立性を高めるという考えである▼一方、規模が大きくなると住民の参加意識が低くなり、住民の声が行政に反映されにくくなる。地方分権の要である「自主・民主・公開」の原則が失われる。独自文化が消えてしまうなどのデメリットを指摘する声もある▼厚木市では以前から厚木、愛川、清川の旧愛甲郡が合併論議の俎上に上るが、これまでに自治体間での具体的な動きはない。だが厚木にある民間のシンクタンク「アクアタウン研究会」では「湘南市」の対として、厚木市、座間市、海老名市、清川村の3市1村による「湘北市」構想の研究を始めた。分権の推進によって地方自治体は今後ますます不均等に発展する。都市間競争に抗して自立した自治体をつくっていくには、合併論議は分権の一つの切り札になるだろう。厚木でも大いなる論議を期待したい。

 分権と公務員の意識改革(2002.01.01)

 地方分権には大きく分けて3つの分権がある。1つは国から自治体へ、2つ目は都道府県から市町村へ、3つ目が自治体から市民への分権である▼第1と第2の分権は着実に進みつつあるが、3つ目の自治体から市民への分権(市民が権限を持ち公的事業やサービスの担い手となる)に関してはあまり進んでいない▼自治体から市民への分権というのは、行政主導の仕事を減らして、構想や計画・設計・入札・工事、委託・管理、運営などの業務の執行を市民が主体となって行なうことである。このように市民による直接執行の範囲を拡大していくことは、行政をスリム化させることにつながる▼学校給食やゴミ収集などの公的業務を、民間が行なうというアウトソーシングや、住民サービスをNPOやボランティア、行政協力団体が担うというやり方も分権と同時に行政のスリム化を促進させるだろう▼市民への分権で大切なことは、行政への仕事に参加してもらうという発想ではなく、行政が住民の活動に参加してみんなで地域を作っていくという協働の精神にある。そのためには、役所のスリム化と合わせて職員意識のリストラが不可欠だ▼公務員にはもともと、「不作為の罪」(積極的に仕事をしないこと。当然すべき仕事をしないこと)を大量生産する体質がある。「首長は消耗品、職員は備品」という言葉があるが、評論家の村野まさよし氏は「首長は任期があるからあと何年かで確実にいなくなるが、職員は定年までこの先何十年も自治体から給料をもらい続けることができる。身分が保障された備品感覚の職員たちは四六時中、文鎮状態だ。とにかく新しいことしたがらない」と指摘している(『日本の論点2002』文芸春秋)▼分権時代にこうした発想から抜けきれない地方自治体は、迷走する「痴呆自治体」として脱落していくに違いない。分権は公務員の意識のあり方も問うているのである。