第652号(2005.01.01)

北極に魅せられ5年続けて極地へ 愛川町の荻田泰永さん

写真は荻田泰永さん撮影・提供(上左・荻田泰永さん、北極圏の気温はマイナス40度以下になる。歩いていると吐いた息が髭に凍り付いてしまう。上右・レゾリュート全景・中左・レゾリュートを出発、450キロ離れたグリスフィヨルドに向かう荻田さん。中右・ホッキョクギツネ、歩いていると時々近寄ってくる。下左・夜中の1時だが地平線にうっすらと太陽の光が見える。下右・ビクトリア島でのジャコウウシ)

 北極に魅せられ、マイナス40度以上にもなる極寒の地に5年連続して出かけ、単独で氷の海の徒歩旅行に挑戦している青年がいる。愛川町田代に住む荻田泰永(やすなが)さん(27)だ。3年後は北極海2千キロ単独無補給横断に挑戦するという。
 荻田さんが北極に興味を持つようになったのは1999年、大学を中退して人生に迷っていたときだった。テレビで偶然、冒険家の大場満郎氏と出会った。「来年若い人を連れて北極へ行く」という大場さんの呼びかけに、漠然と「行ってみたいなあ」と思ったという荻田さんは、その2カ月後、新聞で大場さんの講演会があるのを見て、聞きに出かけた。
 大場さんから隊員募集の話があり、「これで行動を起こさないと3度目の偶然はない」と決断、2000年4月、大場満郎氏が主催した北極の旅「大場満郎と北磁極を目指す冒険ウォーク」に9人の仲間と一緒に参加した。カナダ極北の村レゾリュートから北磁極と呼ばれる地点まで700キロを歩く冒険だ。北極どころか飛行機も登山も海外も初めての経験だった。
 「日本から離れていく自分にワクワクした」という荻田さん。マイナス40度近い氷の世界をそりを引きながら仲間とともに35日間のテント生活を過ごした。
 しかし、1度行っただけで自分の人生観が変わるわけではなかった。大場さんとの北極行きは、彼がお膳立てしたもので仲間もいて、ただそれに乗っているに過ぎなかったからだ。
 「これではだめだ、自分で準備して一人で行ってみよう」荻田さんは再び北極行きを決めた。「自分の目的が果たされているわけではなかったので、何とかしてもう一度行かなければと思いました」
 2001年、単独で北極の旅を計画、再びレゾリュートに行ったが、準備不足だと分かり急遽トレーニングに変更、そこで同年5月に北極海の氷上で死亡した河野兵市さんら世界の冒険家と出会った。
 翌2002年3月、レゾリュートからグリスフィヨルドまでの450キロを24日間かけて単独歩行に成功した。テントと食糧、寝袋などを積み、重さ70キロのそりを引きながらの徒歩旅行だ。氷った海には海流で海が割れ、海の出ているオープンウォーターと呼ばれる場所があるかも知れない。その危険を避けながらマイナス40度のしびれる寒さの中を、凍傷や孤独、時にはブリザードと闘いながら1日20〜30キロぐらいをスローテンポで進む。海氷の陰からホッキョクグマに遭遇したこともある。
「北極には何もない。美しい風景があるわけでもない、毎日同じ光景の繰り返し。歩いている間は毎日クマに脅え、安心して熟睡も出来ない。しかしだからこそ本能に忠実になって、判断力、洞察力、行動力をフル活用する必要がある・脳幹に忠実になるんです」。
 氷の上をただ毎日歩き、テントを張って飯を食い、寝て起きてはまた歩く。単調な毎日の繰り返しだが、そこには確実に生きている、周囲に流されることで思考停止状態に陥った日本社会よりもはるかに生きている実感があるという。
 2003年はカナダのビクトリア島冬季単独徒歩旅行と真夏のツンドラトレッキングを行った。そして2004年は小嶋一男隊長のグリーンランド内陸氷床2000キロ犬ぞり縦断行にも参加した。
 最近は5年連続の北極行きで、少し考え方が変わってきた。自分を変えたいという当初の気持ちから、北極の動物やイヌイットとの出会いなど、人々や文化、歴史にも目が向くようになった。「ジャコウウシやライチョウと出会うと、あの動物は夏になるとどんな生活をしているんだろう。イヌイットの人たちはどんな狩りをするんだろうと思うと、行くたびに新たな発見があり好奇心がわいてくる。同じところに何度も行って飽きないのとよく聞かれるが、そういう発想は通りすがりの観光客が発する言葉じゃないかな」。
 3年後はロシアから極点を通過してカナダまで北極海2,000キロ単独無補給横断に挑戦する。物資の補給を受けずに北極海を1人で歩いて横断するわけで、荷物を積むそりの重量は200キロにもなる。歩き続ける日数は約100日。成功すれば世界初の快挙だ。
 現在、ガソリンスタンドで夜遅くまでバイトをしながら資金を稼ぐが、実行までには北極行きを重ねながらスポンサーを捜す。 自分の生き方を問われると、「変わってると思う。中学生のときの卒業文集に、25歳までに納得した人生を送っていなかったら、自分に革命を起こして人生の全てを変えると書いた。自分は元来あまのじゃくで同じことをするのが嫌い。右向け右だと俺は左だみたいなところがあるんですよ。自分の納得する人生、思考を停止するのではなく、日々成長していたいと思うからかな」と笑う。
 ホームページ(http://www.ogita-exp.com)で旅の記録を公開しているが、現在、5年にわたる北極体験を文章にまとめる作業に取り組んでいる。
「将来ですか? 冒険家というよりは、写真を撮ったりツアーを企画したり、モノを書いたりして北極の魅力を紹介していきたい」と今後の抱負を語ってくれた。

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 厚木なかちょう大通り商店街のエコマネーを利用した生ゴミリサイクル事業 

ゴミ持ち込み実証実験がスタート 

 厚木なかちょう大通り商店街振興組合(木村嘉宏会長)の「エコマネーを利用した有機性循環資源リサイクル事業」の生ゴミ持ち込み実証実験が、昨年12月21日からスタートした。
 同商店街では、平成15年度からエコマネー(APAカード)を活用して、家庭から出る生ゴミを回収、たい肥化し、このたい肥を利用した有機野菜を近郊農家で栽培するシステムづくりに取り組んでいる。
 生ゴミを持参した人に分量分のポイントを加算し、生ゴミ処理機を使って乾燥させた残渣(ざんさ)を東京農大厚木キャンパスに持ち込んで肥料化する。肥料は近郊農家の有機栽培に活用してもらい、収穫した有機野菜は商店街を通じて消費者に還元することで、商店街の活性化と地産地消の循環システムの構築を目目指すというものだ。
 同事業は環境省の「循環型社会の形成に向けたエコ・コミュニティ事業」に、平成15、16年度と2年連続採択され、同省の委託事業に指定された。
 システムのフローチャートを作成後、昨年4月14日、75名が参加して実証実験を行った。その後、ポイントカードユーザー500人を対象にモニター協力者を求め、中町、栄町、旭町、寿町、元町、泉町など旧市街地に住む45人がモニターを引き受けた。
 商店街の厚木サティ前エコステーション横に、50キログラム入りの生ゴミ処理機を設置、モニターが毎朝商店街が配布する専用のごみ袋かバケツに入れて生ゴミを持参する。生ゴミは100グラム1点で、重量に応じてポイントが加算される仕組みだ。土曜・日曜以外は毎日受け付ける。初日の21日は15人のモニターが生ゴミを持ち込んだ。商店街役員が交代で出勤して生ごみの量は計るなどの受付を行っている。専用袋は生分解性の材料で出来ているため、袋のまま処理機に投入できる。持ち込む量は1人平均1キログラム。モニターの中には八百屋を営んでいる人がいて、「毎日大量の野菜クズが出るので、ポイント関係なしに持ち込みたい」という人もいるほど。処理機で14時間かけて乾燥させると生ゴミは約8割減量になる。乾燥させた残渣を1週間に1度、東京農大厚木キャンパス価値総合研究所の協力を得て、たい肥センターに持ち込み、畜糞などと混ぜてたい肥化する。完熟したたい肥が出来上がるのは約3カ月後だ。たい肥は愛甲地区の専業農家が引き取り、有機野菜の栽培に活用する。出来上がった野菜はモニターなどに還元される。
 実証実験は2月18日まで行われ、終了後は、環境省に報告書を提出する。昨年はこうした取り組みに全国各地から見学者が訪れ、行政では帯広市農政課職員が視察に訪れた。
 同商店街では昨年、県と市に事業計画書を提出、補助申請を行った。平成16年度はシステムの試行を行い、各プロセスの課題を抽出、補助金が得られれば17年度以降は100キログラムタイプの生ゴミ処理機を3台導入、生ゴミを持参する協力者を増やして本格的な事業に取り組む方針だ。
 木村理事長は「エコ・コミュニティ事業は廃棄から生産という循環プロセスがすべて透明だ。すべての人に情報が開示され、しかも、健康でおいしい野菜を安心して食べることができる。出来た有機野菜をブランド化して、二七の市などで販売し消費者に還元したい」と話している。
 
二七(にひち)の市 同商店街が毎月27日に厚木地下道で行っている江戸時代から昭和初期にかけて開かれていた厚木村の二七の市を再現した催し。

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酉の絵手紙・置物・郷土玩具・切手展

 全国の郷土玩具8,000点のコレクションで知られる厚木市飯山のアツギミュージアムで、1月4日から30日まで「酉の絵手紙・置物、郷土玩具・切手展」が開かれる。
 絵手紙は、平塚市と伊勢原市で絵手紙教室を主宰している近松圭子、渡辺啓子、中村幸子、二宮圭子、伊東正子の5氏の作品展で、同旅館が所蔵している酉の郷土玩具をモデルに干支の福鳥を巧みに描いて羽子板、カレンダー、賀状形式にまとめた=写真。
 鳥の置物は厚木市長谷の尾島ヒデ子さんが製作した古布鶏、上荻野の岸孟さんの鳥の土鈴、中本武彦さんの鳥の置物、七沢の三橋美恵子さんの鶏の爪楊枝立て&箸立て、愛川町角田の川崎志津子さんの樹脂粘土を使って製作した鶏などが所狭しと並べられるほか、厚木市妻田東に住む版画家保田温良さんの手刷り木版画「酉」も出品される。
 このほか、同旅館が所蔵している昭和29年から64年までの年賀切手36枚と、昭和40年から平成16年までのお年玉の年賀切手40年間分を展示する。お年玉の年賀切手は干支の郷土玩具をデザインしたもので、昭和47年から50年までの4年間を国宝に変えたが、人気が出なかったため51年から再び干支の郷土玩具に戻したことがわかる。
 同旅館の吉川悦子さんは「昔は4枚で1セットだったが、47年から51年まで3枚、現在は2枚セットになっている。また昭和40年に5円だったハガキも平成16年は10倍の50円になっているなど、時代の移り変わりも楽しめます」と話している。TEL:241・4018番。

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厚木市写真クラブが設立20周年 記念の写真集を出版
 厚木市写真クラブ(佐藤達会長・会員43人)が設立20周年を迎え、このほど記念の写真集を出版した=写真。
 同クラブは昭和59年、厚木、座間、海老名市在住で写真の好きな仲間が集まって結成、60年に厚木市の文化協会に加盟した。
 年1回市民ギャラリーで写真展を開催するほか、撮影会や研修会を開いて、写真技術の向上につとめている。会員は現在43名。写真家の加藤芳明さんを顧問に迎え、テーマの決め方やアングル、ライティングなどの撮影技術に取り組んでいる。
 撮影会は年3回、厚木の行事や風景、東京近郊の催しや風景を撮影するほか、上高地、菅平、安曇野、嬬恋宿などの遠くの観光地へでかけることも。毎年6月1日の写真の日に合わせて行われる作品展は、専門家の間からも「県央地区のアマチュア写真展としてはかなりのレベル」と評価されるほどだ。最近は個々にテーマを決めて取り組む人、また、デジカメを駆使するなど個性的な作品が見られるようになってきた。
 20周年を記念して出版した写真集には、信濃の家、新宿御苑、妻田の桜と大山、足柄峠、サイエンスホール、柳沢峠、尾瀬、上高地、清里、奥日光、白川郷などの風景のほか、クメールの舞、浅草の世話人、ビルの谷間に、カタクリの花、無情の雨、山翡翠、春彩などをテーマにした力作28点が収録されている。
 佐藤会長は「年々私たちを取り巻く自然環境や社会情勢は厳しい変化が見られますが、その中で自分の主張したいもの、美しいもの、残したいものなどを求めて写真という一つの表現方法で皆様にご覧いただけることは大変意義あるもの」と話している。同クラブは会員も募集している。連絡は事務局の加藤さんへ。TEL:228・0787番。 

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