★★★★風見鶏

2007年1月1日〜12月15日

 公務員がいないと住民は困るか(2007・12・15)

 何の冒険もせず目立って創意工夫もせず、無難に日々の仕事をこなしてさえいれば、年功序列で着実に給与が増えたり昇進していくのが公務員の世界である▼しかも彼らは公務員法で身分保証されているから、簡単には首にはできない。社会保険庁の職員のように、いい加減な仕事しかできず、国民の信頼を損ねたにもかかわらず、責任をとらない職員が大勢いるのだから、仕事をやらない、やるのを怠ってきたという不作為の罪ぐらいでは、ほとんどの公務員はおとがめなしだ▼減点主義の排除、業績評価システムの導入、天下りの廃止などさまざまな公務員改革が指摘されるが、いつになっても変わらないのが公務員の世界といってもいいだろう。だから「公務員は不要だ」という議論が出てくる▼ところが「公務員がいなくなると、困るのは住民だ」という反論があって、そうした議論が改革のスピードを鈍くしている。公務員がいなくなると住民は本当に困るのだろうか。仕事は住民自らやるからまったく困ることはない。それぞれのサービスを住民や企業、NPOなどが行政と委託契約を結んでやればいいのである▼仕事に見合った報酬だけで済むから、賞与や退職金は不要だし、仕事をしない人にまでただ飯を食わせることもなくなる。実は「地方分権」というのは、公務員を減らして住民のためのサービスを、住民自らの創意工夫でいかにしてやるかということを考えることなのである。

 市長の多選を自粛する条例(2007・12・1)

 厚木市の小林市長が、「市長の多選を自粛する条例案」を12月議会に提出した。自らを縛る現職市長だけに限定せず、今後の厚木市長すべてに適用させるというのが特徴で、議会がどのような判断を下すか注目される▼首長の多選禁止については10月12日、神奈川県で恒久的に連続3期までとする「県知事の期数に関する条例」が、県議会において可決成立した。知事の多選を禁止した全国初の条例だが、条例の施行日は地方自治法や公職選挙法など関係する法の改正を踏まえ「別途条例で定める」となっている▼首長の多選禁止条例は、海外ではそれほど珍しいことではない。最も有名な多選禁止は米国大統領の3選禁止だろう。米国では50州のうち、36州で知事の多選制限があり、15州で州議会議員の多選を制限している▼また、自治体により市長や市議会議員の多選制限があり、ニューヨーク市は市長、市議会議員、護民官、会計検査官、区長は3選を禁止、ロサンゼルス市も市長、法務官、会計検査官の3選禁止、市議会議員の4選を禁止している▼日本も首長の多選禁止は時代の流れだが、議員についても何とかならないかという声も聞く。自治体が首長だけでなく、議員の任期も制限するような条例が制定できるよう国の早急な法改正が望まれる。

 自己評価型の行政評価(2007.11.01)

 厚木市が事業の仕分け結果の総合評価を発表した。8月に他市職員を含めて公開で行った仕分け結果を踏まえ、7人の委員からなる行政評価委員会が総合評価を下したもので、37事業のうち不要7件、民間1件.要改善26件、現行通り3件の結果となった▼行政評価とは行政が納税者の税金を正しく効率的に使っているかどうかを評価するものである。だがその実態は、すべてが行政主体で行われ、第三者機関や住民の声が反映されたものではないというのが実状だ▼要するに自分で作成した問題を自分で解いて、自己採点しているわけで、これでは説明責任を果たしたことにはならないだろう。これまでの行政評価は歳出削減、事業の見直しなどに視点が置かれ、事業を実施した結果、住民にどのような成果がもたらされたかという「住民満足度評価」には至っていない▼今後は自己評価型から住民志向型に改める必要があろう。プロセスを踏まえた公表、客観的データにもとづいた評価、そして住民満足度を指標化していくなど住民による評価、第3者機関の導入などを踏まえた評価が望まれる▼厚木市の行政評価も住民の視点が欠落している。小林市長は「評価の結果を尊重する」とコメントしたが、住民の目線という判断をどのように考えているのであろうか。

 パフォーマンスだけでは勝てない(2007.10.15)

 試合前の武蔵坊弁慶の出で立ち、15歳も年上の王者を「ゴキブリ」と口汚くののしった亀田大毅。リング上で披露したのはボクシングではなく、プロレス風の抱え技やタックルなどルールを無視した最低なマナーであった▼前WBAスーパーフライ級王者名城信男が「ボクシングをなめてはいけない」と指摘していたが、亀田大毅のルールを無視した行動は、ボクサーとしての資格や品格さえも疑わせるものであった▼内藤大介の勝利が痛快だったのは、数々の屈辱に耐えながらも王者の座についた苦労人が、血気盛んで派手なパフォーマンスに生きる大毅に頭を垂れさせたからではなく、ボクシングの真摯な姿勢が結果に出たからであろう▼世の中、そんなに甘くはない。若さや技量、パフォーマンスだけでは社会を乗り切ってはいけないし、朝青龍のようにただ強いだけでも駄目なのである。これはホリエモンの挫折や安倍政権の崩壊に見られるように政治やビジネスの世界でも同様であった▼それぞれの分野に共通しているのは、リアリティに欠けるということだろう。世襲議員や官僚、促成栽培型のスポーツマンには、技術や理念のみが先行し、社会の常識や場末の人々の嘆きなどは分からない▼世の中は、やはり社会の中でもまれ蓄積されてきた経験や判断力が大きくものをいう。それはリアリティーに裏打ちされているからである。知識や技量、パフォーマンスだけではトップに立てないのである。

 辞める決断(2007.10.01)

 福田康夫氏は総裁就任時の会見で、「政治家にとって何が一番重要か」と聞かれ、「決断です。しかも辞めるときの決断が一番重要だ」と語った。辞め時を間違えた安倍総理を批判した形だが、福田氏のいうように物事にはやはり辞めるタイミングというものがある▼政治家は選挙で当落が決まるが、世の中にはそうでなくてポストにしがみついている人が大勢いる。茶坊主ばかりに囲まれて下々の声が届かず裸の王様になっている人、代わりがいないとポストにあぐらをかいている人、政権が変わったのに任命権者からクビにされないのをいいことに居座り続ける前政権の重役などさまざまだ▼彼らは、ポストと己の立場が著しく乖離していることに自分では気がつかないでいる。ポストに固執する人たちを見ると、物事の道理が入り込む余地がまったくないことに驚かされるが、辞めどきを間違えると、組織は混乱するし周囲も大変迷惑する。批判を受けてから辞めるのは苦渋であろうが、それを無視して居座ると安倍氏のようにもなろう。やはり少しでも迷ったり自ら判断できなくなったら辞めるのが賢明だ。福田総裁はそう言っているようにも思える▼人は代わりはいくらでもいるのである。「いつまでやっているんだ」といわれるようでは、すでに判断を誤っているとしか言いようがない。

 内規の改正(2007.09.15)

 厚木市立病院では、救急患者を他の病院へ転院させる場合、病院が救急車を依頼できるのは、医師と看護師が同乗する場合に限っている。患者が重篤な場合を除いては、患者の病状など診療内容の決定に重要な個人情報を含むため、本人または家族が電話をかけて要請するのが原則だという▼8月に直接、市立病院を訪れて救急受付を行った患者が、直後に心肺停止の患者が救急車で搬送されてきたため診察してもらえず、他の病院への転院を勧められた。患者は病院到着後約40分後に他の病院に転院したが、この時、市立病院側では救急車の出動要請をしてくれなかったという▼それは前記の内規があるからで、患者の家族は「病院で救急車を呼ぶべきだ」と申し入れたが、聞き入れてもらえず、たまたま急患を搬送してきた救急隊員の手配で他の病院に転送された。しかし、間もなく患者は心筋梗塞で亡くなった▼市立病院の内規にどんな意味があるのか分からないが、こんなことで押し問答になったら一刻を争う患者はたまらない。救急患者を診察できないのであれば、内規を理由に患者側に任せるのではなく、病院が率先して救急車を手配するのが筋のように思う▼市立病院では、院内に近く119番専用電話を設置するというが、これも患者自身に任せるのであれば同じだろう。それよりも内規を改正したほうがいい。

 特殊勤務手当(2007.09.01) 

 産婦人科医師の引き揚げで分娩診療が出来なくなっている厚木市立病院の医師確保のため、市は今後新たに採用する医師・看護師に対して11月から特殊勤務手当(病院業務手当・分べん介護手当)を支給する方針を決めた▼周知のように産婦人科は、長時間の拘束や当直、緊急時のための自宅待機という過酷な労働環境にあるほか、リスク医療度も高いため、最近はなり手がいなくなってきている。これは小児科医も同様であろう。とはいえ産婦人科の診療を一日も早く再開することは、市民の願いであり市の優先課題でもあろう▼だが医師確保のためには勤務環境や待遇改善をいかに行うかということしか有効な手だてがないのが実状だ。大学病院の系列化を越えた医師探しや退職した医師や看護師にも、再当番をお願いするというやり方も考えなければならない。国は医師を増やしても病院経営が成り立つような診療報酬の改善や医科大学の定員増で、不足している医師の養成をしなければなるまい▼奈良県の例を持ち出すまでもなく、救急患者である妊産婦の受け入れや転院を断ったため、流産したり妊婦が死亡するというのでは困るのだ。厚木市立病院は公立病院である。税金がかかっても公立病院でなければなしえない病院経営を打ち出すことができれば、市民も納得するのである。

 6勝23敗(2007.08.01) 

 6勝23敗。かつては自民党の金城湯地だった参院1人区で自民党が惨敗した。「地方の反乱が全国的に広がったのではないか。地方の政策も考えなければ、次の衆院選でも意外な結果になりかねない」加藤紘一元幹事長の認識は正しい▼地方の疲弊に象徴される格差への地方の不満、将来への不安は、都市住民や若い世代にも共通する問題である。景気が回復しているとはいえ、地方では働き口が増えず、高齢者ばかりの町や村が増える。商店街も相変わらずシャッターを閉めたままだ。子ども医療費を無料にしても、人口はちっとも増えない。一方では介護保険と住民税が値上げされ、住民の負担が増した。これが地方の実態だろう▼そうした不安の象徴が、政府のずさんな年金管理問題であった。その年金問題を不作為にしてきた安倍首相は、およそ国民の関心事からかけ離れた国民投票法案や教育基本法の改正、防衛庁の昇格など「戦後レジームからの脱却」と「美しい国」づくりに奔走した。その結果が6勝23敗だ。国民は首相へ不信任をつきつけたのである▼都市と地方の格差をどう是正し、弱者の暮らしと安定をどう支えるのか、次の衆院選でもこれが最大の政治課題となろう。23勝6敗とはいえ、野党の勝利もまだ「ワザあり」程度だ。政権に近づいた民主党が衆院選で「1本勝ち」をおさめるには、実現可能な「地域格差対策」をいかに打ち出すかにある。

 財政再建と夜議会(2007.07.15) 

 青森県今別町は津軽半島の北端に位置する人口4300人の町だ。町の財政状況を見ると、平成17年度の一般会計の歳入は23億8千2百万円。町税は約9%、66%を地方交付税と借金に依存している▼地方債残高は31億9千5百万円。公債費比率は17・6と危機的状況にある。町民1人あたりの税負担より借金を返す額の方が大きいのである。いつ財政再建団体に転落してもおかしくない▼今別町では財政再建のため、思い切った公共料金の値上げと人件費の抑制策を打ち出した。まず水道料金を27%値上げ、町長報酬は65%減、職員給与も10〜16%減。議員報酬についても40%以内の削減を行うとしたところ、「これほど多くの削減は納得できない」として半数の議員が反対を言い出した▼これには小鹿正義町長も怒り出して、「だったら、議会の外で働いて下さい。議会も休みの日にやりましょう。夜でも結構です」と反論している。どちらの言い分が正しいかは言うまでもない▼この「夜議会」は米国の自治体ではとうの昔にやっている方法である。こちらは財政再建ではなく、昼間働いている住民のために実施しているやり方だ。米国の自治体では市長や役所の職員が説明に出向く「夜会合」も当たり前だという。夜はほとんどの住民が仕事から解放されて時間が空いているので、夜会合だと仕事が早く進むし住民参加の意識も高まるからある▼今別町の場合は、財政再建策の一環として町長が言っているのだが、仕事に見合った報酬ということを考えてみると、小鹿町長の言っていることは理にかなっている。議員は議会の会期日数から判断して、年間70日ほどしか働かないのに、報酬は1人前にもらっている。70日程度なら日曜日や夜に議会を開いても十分に対応できるだろう▼収入が少なければ給料が少なくなるのは当たり前。ボーナスに回す金があるなら借金返済に当てよ。こんなことは民間では当たり前の話だ。行政は解雇や倒産がないだけまだましなのである。そういう行政にしたのも議員の責任であろう。小鹿町長が言うように、議員報酬が減っても昼間働けるではないか。「夜議会」大いにけっこう。

 議員の通信簿をつくろう(2007.07.01) 

 先日、ある会合に出席したところ選挙の話になったが、出席者の1人が「ある人に投票したけれど、この4年間、何も変わらなかった」と述べていた▼議員が何を公約に掲げ、この4年間に何をしてきたのか。議案に対する態度はどうだったのか、また何を一般質問したか、その成果はどうだったのか。行政と住民が対立している場面で自分はどんな態度をとったのかを、きちんと報告している議員は少ない▼議会あるいは議員の役割は、1つは自治体の主要な政策、予算についての決定者であること、2つめは執行機関の活動を統制・監視する監視者の役割、3つめが問題をどう解決すべきか、その争点を有権者に明示する争点提起者としての役割にあることはいうまでもない▼地方分権の時代を迎えて、地方議会に期待されるのはチェック機関以上のものがある。立法議会である政策議会としての役割である。理事者が提案する予算や条例を鵜呑みにするような議会、執行機関の活動をチェックするだけの議会では本来の政治の役割を果たしたことにはならない▼有権者は議会の3つの役割を踏まえ、自分が選んだ議員の4年間の行動を監視し、公約の実現度をチェックするという議員の「通信簿」を作る必要があろう。議員活動の報告や説明責任のない議員、公約実現のない議員は当然落第となる。落第点を押された議員は選挙で落とせばいいのだ。 

 市議にもアカウンタビリティ(2007.06.15) 

 地方自治では行政の対応に市民が納得しない場合がしばしばある。その場合、住民が行政に対し、「なぜそんな結果になってしまうのか」「なぜ住民の意思が反映されないのか」を問責する場合が出てくる。その問責に答えるのがアカウンタビリティ(説明責任)である▼多くの場合はその矛先は執行機関に向けられる。だが、夕張市の例を持ち出すまでもなく、議会での審議と決定があって初めて市長に執行権が生まれるのであるから、議員にもアカウンタビリティがないわけではない▼議員は選挙でいろいろな公約を並べて当選してくるが、公約に対する責任感や自分の採決態度に対する責任感は驚くほど希薄である。多くの議員は会派に属しているため、会派の意思に従っていれば、自分の採決態度の説明責任は問われないと考えているのであろうか▼しかし、地方自治では議員は直接選挙で選ばれるのだから、会派とか集団の意志というものは全く想定していない。従って議員は選挙公約にも、議案に対して自分が取った態度にも、質問した内容にも、説明責任を負わなければならないのである。これがちぐはぐな議員がなんと多いことだろうか▼7月1日に行われる市議選では説明責任や「答責能力」のある候補者をしっかりと選びたい。

 非上昇志向(2007.06.01) 

 「市議を辞めて県議選に出たのに、落選したのでまた市議選に出るという人がいるが、けしからん」厚木では市議選が近づいてくると、いつもこういうご意見をいただく。過去にも「市長選に出た人がなんでまた市議選に出るの」、新人では「県議選で名前を売って市議選に乗り換えるのは、制度を悪用しているとしか思えない」など、さまざまなご意見をいただいたことがある▼世間ではこうした人たちを「敗者復活組」と言っているが、よく考えてみるとこれは敗者復活組でも何でもない。敗者復活というのは同じ土俵で一生懸命に相撲をとって敗れた人に、その努力を惜しんで再挑戦の機会を与えるというものだ。同じ土俵でないから「有権者を馬鹿にしている」「節操がない」と批判を受けるのである▼統一地方選挙の年、厚木市は市長選、県議選、市議選の順で選挙が行われる。これが同一選挙か順番が逆になっていればこうした現象は起きないだろう。この制度を皮肉って「厚木のセーフティネット」と指摘する人もいるほどだ。昔はこのセーフティネットを行使するような人はいなかった。政治は上昇志向の世界だから、古巣に戻ることは恥と受け止めていたし、プライドが許さなかったのである▼ところが今はそんなことはお構いなしだ。これを変えるには、市長または議会自らによる解散、市町村合併、住民投票(直接請求)による議会解散しかない。だがこれも現実的には不可能だろう。無節操な候補者や議員としてのレベルダウンに注文をつけるのは、やはり有権者の判断しかないのである。

 選挙運動は候補者の就職活動のお手伝いか(2007.05.15) 

 最近、選挙を手伝う人たちが減ってきたという話を耳にする。これは従来型の後援会型選挙から、パフォーマンス型選挙へと変わってきたことにも由来するが、現実は必ずしもそうばかりではない▼かつては、地域住民や労働組合員が選挙運動や後援会活動に駆り出され、後援会加入への勧誘やビラ配り、選挙のポスター貼りなどを担ってきた。そして事務所へ出入りする人数や、集会にはどの程度の支持者を集めたかというのが、選挙の優劣をはかるバロメーターの役割を果たしてきたのである▼ところが昨今は、そうした活動を行う人が少なくなってきた。格差社会が進行する中、日々の生活に追われて選挙どころではないと言う人もいるし、個人情報保護法が施行されてから、後援会名簿に名前を出すことを嫌がる人たちも増えた。中には選挙で候補者を応援しても、自分たちの暮らしはちっともよくならないではないかという不満もある▼地方議会では4年に1度選挙があるとはいえ、当選者は年間70日ほど出席するだけで、特別公務員としての身分と報酬が保障されるし、3期勤めると議員年金という老後の生活保障もある。しかし、議員が議会で住民のために何をしてきたのかという説明や報告はほとんどない▼議員の生活は保障されたが、住民の生活は果たして保障されたのか。向上したのか。年金は増えるどころか逆に少なくなるではないかという疑問である。だから投票には行かない、選挙運動なんかご免であるというのも理屈なのである。議会は住民参加の広場であるが、それが機能しないから、選挙運動が候補者の就職活動のお手伝いになってしまう。

 見直しが必要な公立病院の機能と役割(2007.05.01) 

 厚木市立病院に医師派遣などの協力を行っている東京慈恵会医科大学が7月までに産婦人科の医師全員を引き揚げるという。医師不足がその理由だ▼産科は長時間の拘束や当直、自宅待機という過酷な労働環境にあり、医療過誤訴訟のうち約13%が産科であるため、最近はなり手がいなくなってきた。加えて04年度からスタートした新臨床研修制度は、研修先に都会の一般病院を選ぶ新卒医が増加したため、大学病院が人出不足に陥り、地方の関連病院に派遣していた医師を引き揚げる傾向にあるという▼日本の産科医療や小児医療は、「労働基準法違反とは知りつつも文句をいわぬ頑張りやの医師」で辛うじて保持されてきたのが実態だ。医療ミスが過労と大きな相関関係にあることはこれまでにも指摘されてきたが、過酷な労働環境を知れば、若い医者が拒否反応を示すのも無理はない▼不足している産科や小児科の医師確保には、医科大学の新設や定員増はもちろん、卒後研修、診療報酬の引き上げ、勤務条件の改善などが指摘されよう。さらにはリスク治療を個人の刑事責任としてだけとらえるのではなく、システムの問題としてとらえることも必要だ▼大学病院の系列下における医師派遣のあり方や、公立病院と民間病院との連携、自治体が医療政策をどう打ち出すかも重要なポイントになる。厚木市立病院の場合、公立病院としての機能と役割をどうしていくのかという見直しも必要ではないか。

 リスク治療医師(2007.04.15) 

 全国の公立病院で医師不足が深刻な問題だ。厚木市立病院でも医師を派遣している慈恵会医科大学が、医師不足を理由にこのほど産婦人科の常勤医師全員の引き揚げを市に伝えてきた。今後、同科は停止・縮小を余儀なくされる可能性が強まっている▼昨今、病院は医療費抑制と安全要求という矛盾する考えを医師に求めているため、労働環境が悪化する医療現場から医師が離れ始める傾向にある▼『医療崩壊』の著者・虎の門病院の小松秀樹先生は、「これを立ち去り型サボタージュ」と説明している。つまり、不満や抗議の意味を込め、医師が勤務のきつい大病院から小病院、開業へ黙って静かに退場しているのだそうだ▼心臓外科手術で著名な大和成和病院の南淵明宏先生も、今日、若い医師がリスク治療のある現場から逃げ出し、リスクもなく労働過重も低い現場につく傾向があると指摘、これを「コンビニ医療」と名づけている▼こうした背景には、患者側に医者は万能だという見方があり、患者が亡くなれば過誤を疑い、訴訟に走られるというリスクがあるからである。社会が医療を憎む状況を放っておくと、リスクのある治療を行う医者がいなくなってしまう▼手術や治療に絶対の安全はないが、患者は不可能なことを医師に求めたがる。1つの命を救うには何十人もの医療スタッフの努力と連携が必要だ。社会は人を簡単に殺してしまうが、人の命を救う医師たちの努力は並大抵ではない。そういう医師が報われる社会にしないと、リスク治療を担う医師は増えてこない。

 情報公開(2007.04.01)

 小林市長が公約の1つである重要会議の情報公開を行う。特に月2回行われる政策会議の結果報告、会議資料について原則として2週間以内に公開するという▼ただし、個人に関する情報や公にすることにより市民の間に混乱を生じさせるる恐れがある情報は除くとある。だが、混乱の予測を判断するのは行政であり、しかもそれが行政側に「拡大解釈」されるならば、この公開も形だけになりかねない危険性をはらんでいる▼われわれは情報公開が不十分だと、行政が間違った方向に進むということを知っている。西山の市道廃止は情報の非公開はもとより、都合の悪い情報を隠蔽し虚偽の情報を知らせることで、自治会や議会に誤った判断を選択させることにつながったし、棚沢のごみ中間処理施設の建設候補地問題も、選定の経過に関する情報を公開せずに、突然候補地を発表するというやり方が住民の反発を招いたのである▼市民にとって大事なのは、(1)行政が直面する課題を整理し、争点として公開する「争点情報」(2)政策争点を解決に結びつけるための統計、地図、法務、財務などの「基礎情報」(3)個別の課題を解決するための「技術情報」であり、(4)以上の情報をもとに形成された「政策の評価情報」である▼小林市長が、こうした内実のある情報公開を徹底させ、政策会議ばかりでなく、住民と行政が協議した結果にも適用させ、幅広い情報公開を行うことが、行政の透明性を高めることにつながるのである。

 辞職勧告決議案(2007.03.15)

 自治法では、首長が汚職事件を起こしたり独断専行や横暴があった場合に、議会は首長に対して不信任決議案や辞職勧告決議案を出すことができる。首長は不信任決議に対しては議会解散権で対抗できるが、辞職勧告決議には対抗手段はないかわりに法的拘束力はない▼ところが、議会が首長の足を引っ張ることに熱心であったり、イメージダウンを目的とした場合にも、この種の決議が出される場合がある。厚木市の場合は小林市長が就任して間もないため、行政運営上の独断専行や横暴があったというものではない。支援者が選挙違反を起こしたというのがその理由だ。事件は略式起訴され、小林市長の関与や連座制はなかった。にもかかわらずの辞職勧告である▼決議には「市民の信頼を裏切り、市のイメージを大きく失墜させた。この失ったイメージと市民の選挙や行政に対する不信感は、小林市長が行政運営を進める上で、大変困難と予測される」とある▼「市民の信頼を裏切り選挙に対する不信感」までは理解できる。だが、選挙違反がどうして行政不信につながるのか、小林市長が「行政運営を進める上で困難と予測される」というが何が困難なのだろうか。選挙で選ばれた市長に仕事もさせないで、能力や姿勢に問題があるから辞めろというのは議会こそ横暴だろう▼首長に対する「嫌がらせ」といわれないためにも、議会には成熟した民主政治の感覚とルール感が求められる。

 庁内大改革(2007.03.01)

 厚木市長に当選した小林常良氏は、自派の選挙違反事件や就任当初から政治団体の街宣車が押し掛けるなど、多難な船出となった。2日から始まる議会、退職者に伴う人事、6月議会への政策提案など、今後、待ったなしの日程が用意されている▼選挙では6人の議員しか支援が得られなかった議会との関係をどう築いていくかも課題だ。しこりをいたずらに持ち込むという対立関係を避けなければならないのは当然だが、市長提出議案のほとんどが可決され、議会の監視機能が低下しているという昨今の議会の在り方を考えると、議員も市長も対立と緊張を恐れず、どうどうと論戦を交えるという関係が構築されなければならない▼新市長が今後、早急に取り組まなければならないのは、公約実現に向けての組織体制の改革であろう。公約に掲げた「庁内大改革」の断行である。山口市政時代に続発した職員の不祥事を根絶し、尸位素餐(しいそさん)や不作為(ふさくい)の罪を大量生産する傾向がある公務員のやる気を引き出し、意識改革をどう進めていくのか、大鉈を振るわなければなるまい▼庁内大改革の要となる事務方のトップ・特別職については、市民をなるほどと思わせる人事が期待されよう。一般職員についても事務方がまとめた案を鵜呑みにするのではなく、年功によらず適正な昇進試験を導入すること、人材の流動化に向け職員がFA宣言できる制度を導入できるかなど、かけ声だけでない新市長の力量が試される。

 繰り上げ当選?(2007.02.15)

 投票依頼のために酒食を提供して3人が逮捕された小林常良派の選挙違反事件は、1人が元県会議長という大物の逮捕だけに衝撃が走った。逮捕された小沢金男氏は総括責任者の肩書きをつけていたため、警察は「連座制」が適用されるかどうかを慎重に調べている▼記者会見した小林氏は「市民や支援者に迷惑をかけて、申し訳ない気持ちでいっぱい」と謝罪した。同氏も出席していただけに、ショックを隠しきれなかったろう。当選後、小沢氏は「手弁当で公明正大な選挙ができた」と胸を張ったが、裏でこうした時代的な違法行為が行われていたとは、呆れて物も言えない▼「小林氏は登庁できない」「繰り上げ当選だ」巷では、まったく根拠のないデマが乱れ飛んだ。小沢氏が起訴された場合、裁判で「連座制」が確定すると当選は無効になる。その場合は公選法にもとづく再選挙になろう▼小林陣営では「選対総本部長」という小沢氏の肩書は、名前だけの形式的なもので、実質的な選対組織には入っていないと釈明しているが、検察は小沢氏の役割、行動などを総合的に判断して連座制に持ち込めるかどうかを判断するので予断は許さない▼小林氏の初登庁は23日である。3月2日からは議会も始まる。野党多数の議会対策や特別職を含めた人事も待ったなしだ。予算は骨格だから本格的な論戦は小林色の出る6月議会になるが、選挙違反についての釈明は避けられない。多難なスタートとなった。

 マニフェストと将来都市像(2007.02.01)

 政策論争が低調だった厚木市長選は、多選阻止を訴えた小林氏が圧勝したが、両者ともに政策がなかったわけではない▼山口氏は、県央のターミナル都市や斎場の建設など「新生厚木の創造」を掲げたが、多選批判が逆風となり有権者の心を引きつけるに至らなかった。一方、小林氏は情報公開、体感治安対策、庁内大改革など11の提言を政策に掲げ、「多選の弊害」から出てきた改革を「多選阻止」にうまく結びつけた▼山口氏は3期12年の実績を訴えたものの、厚木テレコム問題を負の遺産と逃げるだけで責任を回避し、行政として何もしなかった「不作為の罪」や、一部の取り巻きによる側近政治、住民を無視したごみ中間処理施設の候補地選定問題、年金未納全国一など政治家としての資質なども問われ、「市民が主役」「清潔・公平・公正」のスローガンも、空虚な言葉として響いた▼残念なのは両者から「将来の厚木をどうするのか」というまちづくりの具体的な基本構想がいま1つ聞こえて来なかったことである。短期はあるが、中長期の構想が示されていないのである。今後、小林氏には選挙戦では示し得なかった政策の数値目標や達成期限を明確にしたマニフェストの作成、市の将来像をどう描くのかという「あつぎハートプラン」に代わる「総合計画」の策定などが求められよう▼特別職や庁内大改革などの組織改革や人事構想も気になるところだ。3月2日、本会議で行われる新市長の施政方針演説に注目したい。(3月2日の本会議では市長の市政方針演説は行われませんでした。6月議会の予定です)

 政策論争(2007.01.15)

 厚木市長選の告示まであとわずかだというのに、山口、小林両氏の間では政策論争が低調だ。2人とも保守で政策にそれほど大きな違いがあるわけではないが、政策論争を低調にさせているのは、小林氏の出遅れもあるが、2人ともまちづくりの目標とそれを科学化するマニフェスト(選挙公約)に乏しいからだ▼山口氏が掲げる「ターミナル都市」「新生あつぎ、もっとあつく、たくましく」や、小林氏の「元気なあつぎ」「責任ある改革」というフレーズは果たして骨太の設計といえるだろうか? この言葉からは都市のイメージが湧いてこないし、どんなまちづくりをしたいのかも伝わってこない▼山口氏の「ターミナル都市あつぎ」は、羽田や成田、横浜や高速道路などへのアクセスを便利にするというだけの話で、本来の意味でのターミナル都市(終着駅。多くの交通機関や路線が集中する所)とは異なるものだろう。小林氏の「元気なあつぎ」は、状態を指すものでとても政策目標とはいえない▼政策目標に抽象的、情念的な言葉を並べるだけでは、市民に期待感を抱かせることは出来ないし、個々の施策をただ羅列するだけで、達成期限や数値目標が書き込まれていないのでは、「マニフェスト」とは言えないのである▼小林氏が多選の是非だけを争点にするようでは、政治家としての力量が問われかねない。今回の市長選で、山口市長には2つの敵が立ちはだかった。1つは小林常良氏という見える敵、もう1つは「多選阻止」という見えない敵である。自己の存在をアピールし多選阻止の受け皿を示すためにも、小林氏はもっと政策論争を仕掛けるべきだろう。

 めぐりあわせ(2007.01.01)

 厚木市長選の最大の争点は「多選の是非」である。権力(人事権・予算編成権・執行権)が集中して長期化すると、独裁的になり、特定の人や業者と結びつき行政の停滞化を招くというのが多選反対論だ▼しかし、選挙で4年ごとに審判を受けている、首長の不祥事は資質の問題で、多選のせいにするのはおかしい。多選を法的に禁止しようというのは、職業選択や立候補の自由を保障する憲法や公選法に抵触するので認められないという反論もある▼多選禁止のレベルをどこにおくかは、議論の別れるところであるが、3選までというのが1つの目安になっている。一般的に当選回数の少ない首長は多選禁止を、多い首長はこれに反論するのが常であるようだ▼かつて兵庫県知事をつとめた阪本勝氏は、自らの任期を2期と定めて8年後に退陣した。阪本氏は退陣にあたって 「水がよどめばボウフラがわく。行政の良識と妙諦は常に清く、激しい流れの中に身をおくことである」と述べている▼阪本氏が残した名言がある。「種子をまいて去る人もある、花の咲きにおう宴を楽しむ人もある、またその結実を祝う果報者もいる。みな、それぞれのめぐり合わせだ。自分のまいた種子を実るのを見たいのが人情だが」(『明日の都市』7自治体と首長・中央法規)▼実に味わい深い言葉である。要は政治家としての判断であり、潔さであろう。多選問題は政治家の清潔さと節度に尽きる。清潔さと節度がなくなったら辞めたほうがいい。

2007年賀状