風見鶏

1980(昭和55年).1.1〜1980.12.15

  元年(1980・1・1)
                                              
 「元年」という言葉がある。辞書を引くと、「年号の最初の年」だそうだ。ことしは昭和55年だから、元年ではないが、西暦1980年でキリもいい、いろんな意味で元年にしたいと考えている人はいるだろう▼大平総理は1980年を「財政再建元年」の年にしようと張り切っているし、長洲知事は「地方の時代元年」にしたいだろう。そしてまた「教育文化都市元年」は足立原市長の希望ではあるまいか。いずれにしても目標を掲げることはいいことに違いない▼もっとも財政再建元年だけは追い詰められた挙句の元年で、ただ単に財政の帳尻合わせなどと考えるようでは国民の共感は得られない。何故予算の四割を国債で賄わなければならなくなったのか、その原因を徹底的に解明し、そこから従来の高度成長の財政政策を、歳入・歳出の両面から根本的に改革することが求められている。内容が伴わない元年は、掛け声だけに終わるだろう▼そうした意味では「地方の時代元年」「教育文化都市元年」も同じといえる。なぜ「地方の時代」なのか、「教育文化都市」なのか、そのことの解明なくして新しい展望は切り開けない。既存の地方や文化の構造が根底から問いなおされるような思い切った発想必要だろう▼いわば「元年」とは、これから世紀末に向かって、世の中がどう動いていくかを予測する力を内包していなければならないのだ。

  減量経営(1980・2・1)

 80年代は自治体の「減量経営」の時代といわれる。自治体でも民間企業と同じように少ない予算で、いかに最大の効果を上げるかが追求される時代になってきた。職員のヤミ給与や空出張は論外として、減量経営には大体3つの基本があるように思える▼第1は行政の守備範囲の見直しである。高度経済成長期に芽生えた住民の要求は何でも聞くという考えは終わりにしなければならない。そうしなければ役所の人員や組織が肥大化する一方になる。行政はどこからどこまで、そしてここからは地域や住民の責任において行なうという考えに切り替える必要がある。逆にいえば、サービスを市民自らが負担することによって、税負担を軽減させることも可能なのである▼第2は事業予算の見直しである。こう書くと市民サービスが低下すると危惧する人がいるかも知れないが、「予算が削減されるとサービスが低下する」という短絡的な発想は誤った考えである。減量経営とは行政の原価、コストを下げることで、サービスを低下させることではない。民間委託などによって10のコストが5でできれば、残りの5は浮く。その財源を新しいサービスに振り向けるわけである▼第3は行政の無駄の見直しである。役所の予算は一度つくと、既得権によってどんどんふくれあがる。しかも、その予算をきれいに使い切ってしまう芸当は、見事なお手並みというほかはない。こうした考えを改め、時代の変化によって必要性の薄いものは徹底的に見直すことが肝要だ▼いま、自治体は55年度の予算編成の時期である。財政構造が際立っているといわれる厚木市も減量経営を真剣に考えてみてはどうだろう。

  市役所連絡所(1980・2・15)

 遠距離地域や人口密度の高い地区住民の市民サービスを検討してきた厚木市では、二月二日より依知と荻野に「市役所連絡所」を設置して、戸籍謄抄本などの交付業務をスタートさせた。市民の評判はまずまずのようだが、何となくスッキリしない点もある▼心配なのは公民館業務と連絡所業務とが一緒になって、どちらかの職員に一方的に荷重がかかりはしないかということである。同じ屋根の下で同じ電話を使って仕事をしているのだから、公民館はこちら、連絡所はそちらというように割り切って考えるわけにもいかないだろう。どちらかが休んだり都合の悪い時は、所属が違っても助け合うのが人情だし、しかも同じ市の職員である。特に公民館といえば、市の出先機関ていどにしか考えていない市民も多いのである▼しかし、過剰な仕事によって本来の業務に支障が出てくるようでは困る。それでなくても自分の領域外の仕事をやるのは面白くない。これまでにも公民館主事は市長部局の仕事をあれこれとやらされてきた。確かに公民館は地域との接点が大事である。従って自治会、婦人会、青年団などあらゆる層の市民と接触する。だから市長部局の仕事もやむをえないという考えもあるが、これは本来筋論ではない▼主事の仕事は社会教育法にもとづいて地域住民の生涯教育の振興にあたり、地域のコミュニティーづくりのお手伝いをすることにあるのである。連絡所の設置は歓迎だ。しかし、仕事の領域をうまく考えないと不満が出てくるだろう。

  調査費とまちづくり(1980・3・1)

 厚木市の新年度予算案が発表された。足立原市長はその中で、設計などの委託調査費に5億4,500万円を当て、56年度から始まる「新総合計画」策定の足がかりにする考えでいる▼委託調査の主なものは、行政診断、保健センター設計、総合運動公園基本設計、仮称中央図書館建設調査など市民にとって待ち望まれるものが多い▼なかでも行政診断は、自治体の減量経営が叫ばれる今日、役所内部の合理化を図って効率的な組織と、職員定数の適正配置を進めようというもので、その取り組み方に注目したい。また、市民の健康管理を図る保健センターは、福祉会館隣に建設が予定されているが、子どもの予防接種が市役所に集中している現在、最も緊急に取り組まなければならない課題だろう▼このほか、市民のスポーツ施設と憩いの場を含めた総合運動公園をどこにつくるのか、そして県央一の蔵書を誇り、ゆったりとしたスペースでミーティングルームなども完備した図書館をいつつくるのかなど、その一つ一つの計画に期待が寄せられている▼行政には将来を考えた施策が必要なことはいうまでもない。その裏づけとなる予算措置は大事だし調査は具体化への第一歩。1年先はこうなる、2年先は、そして5年後はこうなるんだという現実的な期待感があってからこそ、市民の納税意識も高まる。こうした一連の調査と合わせて、9月には新総合計画が提示される。

  情報公開(1980・3・15)

 「情報公開法は市民の手で」と消費者、市民団体などが大同団結して、全国的な市民運動を盛り上げることに決め、3月29日、東京で結成集会が開かれるという。いうまでもなく、「情報公開法」とは、行政の秘密を監視し、国民の知る権利を制度化することにある▼ところで、自治体が提供する情報には、行政側から提供されるものと、市民の側からの要求にもとづいて提供されるものとがある。前者は広報やマスコミを通じて提供されるが、後者についてはまだ決して十分とはいえない。これまで資料を内容に応じて公開するかどうかを決定するのは、常に行政側の判断によるものだった。いわば「市民の知る権利」は、行政によって管理されているといっても過言ではないのだ▼もちろん、資料の中には市民間の秩序維持の面から、公開の時期が難しいものや、プライバシーにかかわるものもある。しかし、これを盾にすべてを非公開にされるのは困る。たとえば、印刷・製本された資料は原則としてすべて公開するという基準を設けてみてはどうだろう。時期を要するものについては可能となった時点でやればいい▼しかも公開に当たっては個々バラバラに行なうのではなく、役所の中に「市民資料室」を設けてそこで行なう。各部局でいちいち行なう必要もなく、時間も省けるであろう。厚木市の市民相談室に若干の資料が置かれているが、まさか、これが資料室だとは言うまい。情報公開法の制定に先立って、厚木市もこれぐらいのことを考えてみてはどうか。

  無名氏へ感謝(1980・4・1)

 3月24日、厚木市農協本所で「厚木市社会福祉大会」が開かれ、社会福祉に貢献のあった市民や団体に表彰状と感謝状が贈られたが、このなかには多額の金品を善意銀行や社会福祉基金に寄せられた人々も含まれている▼54年度は3月15日現在で、570万40,33円が善意銀行に寄せられた。このほか、2,000万円という多額の寄付が福祉基金として積み立てられており、これについては3月の補正で298万円、55年度の当初予算で一般会計から1,000万円繰り入れられる見込みで、福祉基金は合わせて3,298万円になる▼先頃、社会福祉協議会事務局で、善意銀行に毎月欠かさず3万円を送ってくる奇特な人の話を聞いた。53年8月から続いているというから、この3月で90万円になる。今後、どこまで続くのか知らないが、この世知辛い世の中で、こうした人の善意の行為には頭の下がる思いだ▼ところで、この方は名前も住所も不明である。最初は送ってきた封筒の中に「恵まれない人に役立ててください」という手紙が添えられていた。社協で住所と名前を調べたが、実際には存在していなかった。匿名だったのである。その後も、毎月同じ名前で送金がある。先の福祉大会で、この人に感謝状を贈ろうと、職員が八方手を尽くして調べたが、ついに分からなかったという▼社会福祉はただ単に「お金がすべて」ではない。しかし、こうした巷のささやかな善意によって支えられていることも否定出来ない。奇特な無名氏に心より感謝を表したい。

  開発行為(1980・4・15)

 県内でも厚木市ほど開発が進んでいる都市はないそうだ。それも大規模開発が多い。現在、工事がが始まっているものは、住宅公団の「厚木パークシティ森の里」、日産自動車の技術研究所の進出が決まっている「三井インダストリアルパーク」、厚木市と清川村にまたがるゴルフ場「清川カントリークラブ」、そして最近になって東名高速厚木インターを中心とする流通基地計画が発表された▼このほか小規模なものでは宮ケ瀬ダム関連の「中荻野団地」から、再開発では厚木小学校跡地利用計画がある。開発はなにも今に始まったわけではない。厚木市の変容は昭和43年、東名厚木インターの開設以来、驚くほどのスピードである▼もちろん開発はすべてが悪ではないし、それによる恩恵は地域経済、地域社会の発展につながることも事実である。しかし、こうも開発が目白押しに出て来ると、開発そのものが目的であるような錯覚に陥ってくる。というのは、現下の開発が直接的に地域住民の健康や豊かな生活環境を保障するものではないように思えるからである▼開発は単なる経済行為ではない。教育、文化の生活意識、自然と社会の構造、そして人々の慣習などの文化的因子をも考えた社会開発でなければならない。開発によって車が増え、総合的な交通体系を考えずして交通安全を唱えるのは、何ともしらじらしい▼いま、市民にとって必要なのは心のやすらぎとスポーツ、文化の香り高いまちづくりなのだ。「鳴呼ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」か。

  ゴミは宝の山(1980・5・1)

 ゴミを焼却すると、10%から25%の灰が残るといわれている。その残灰はどうなるのであろうか。ほとんどが最終処分場である山間部や海面埋立地に捨てられる▼ところが捨てるばかりが能ではないという例がいくらでもある。新潟市ではゴミ焼却灰にアスファルトを混ぜて小さな粒に固形化し、道路にまく砂利の代用品として使っている。また、札幌市では焼却灰を利用した断熱材を開発することに成功した。これは焼却灰を1,400から1,500度の電気炉に入れて溶解し、それを滴下させて空気を吹きつけ細かい繊維にするというもので、グラスウールに仁多ものが出来る。札幌市民が建てる住宅の断熱材に十分賄えるというから驚きである▼外国の例を挙げると、ストックホルム市では焼却灰の中から金属類をふるい分け、屑鉄として得るほか、残りを土壌化と盛り土によるスキー場建設に生かしている。このプランは市民の支持を得、ものの見事に結実したという。このほか英国のバーミンガム市には残灰やゴミで出来た公園がある▼こうした例をみると、自治体の取り組み方がいかに違うか面白い。厚木市も捨てることばかり考えずに見習ってはどうか▼話は変わるが、江戸の豪商川村瑞賢は江戸町民の捨てたなすやきゅうりを塩漬けにして漬物をつくり、大もうけをしたそうだ。瑞賢のやったことは、まさに省資源とリサイクルである。ちなみにこれが「福神漬」のルーツであることは意外に知られていない。「ごみは宝の山だ」そう考えると、捨てるのがもったいなくなる。

  家庭の日(1980・5・15) 

 「家庭の日」というのがあるそうだ。今のところ国民の祝日としてあるわけではない。ただ、政府が国の新しい祝日として制定しようと躍起になっている▼当然、賛否両論がある。ところが、すでに今年の四月から「毎月第3日曜日を家庭の日」として定め、国の祝日制とは関係なしに取り組んでいる自治体がある。神奈川県の南足柄市で、今年で4年目を迎えた「豊かな心を育てる市民運動」の一環として位置づけている。この日をどう過ごすかは、各家庭で考えるわけだが、家族全員でスポーツやゲームを楽しむのもよし、老人をいたわるのもよし、母親の仕事をみんなで分担するもよし、とにかくどんな日にしてもよいわけで、そのためには「家族全員」でなければならないのが原則だ▼核家族化によって親、兄弟姉妹が一同にそろう機会が少ない今日、なかなか面白いアイディアである。この日は「父親を家庭に戻す日」だともいう。残念ながら父親はこの日ばかりは好きなゴルフにも行けない▼もともと同市の「家庭の日」は青少年の健全育成を願って生まれたという。家族全員で「家庭を見直そう」というわけだが、こうしうた制定について、国や自治体が入り込むのはおかしいという議論もある。あまり神経質にならなくてもいいのかも知れないが、「子どもの日」「母の日」「父の日」「老人の日」は国民の祝日としてある。「家庭の日」があってもおかしくはない。ただ、押しつけや重荷になっては困るが、家庭や家族を考える日があってもいい。

  開かれた大学(1980・6・1)

 厚木の「市民大学教養講座」が5月22日から始まった。これは幾徳工業大学の協力を得て市が企画したもので、開かれた大学が求められている今日、実に嬉しい限りだ▼定員100人のところ、300人を越える申し込みが殺到したため、結局241人までワクを広げたというから、市民の生涯教育にに対する熱意がいかに高いかを物語っている。講座は文化、生活、郷土の歴史にいたるまで幅広く、講師はすべて同大学の教授陣が担当する▼開かれた大学のあり方はいろいろな形態が考えられる。厚木の市民大学教養講座のように、行政と大学機関が協力して、市民に知的教養を提供するやり方から、さらに一歩前めて市民と学内研究者の共同研究の場としてゼミを設ける方法などさまざまだ。前者は今日、比較的多く見られるケースだが、後者になるとなかなか例がない▼中でも横浜市立大学の文理学部付属市民文化研究センターが行なっている公開ゼミ「市民文化共同研究セミナー」は注目に値する。3年前、都市問題を解決するためには、市民文化の問題を根底から掘り起こし、とらえなおす必要があることから発足した。市民が専門の学者にまじって「市民文化」に関する研究活動の主体として参加することに意義があるわけだ▼今回、始まった厚木市の市民大学教養講座は、幾徳工大の開かれた大学をめざす姿勢としての第一歩だろう。今後、講師と受講者の間が一方通行的な関係から、市民も研究の主体となる幅広いあり方を期待したい。

  カラスの勝手でしょう(1980・6・15)

 「カラス、なぜ鳴くの、カラスの勝手でしょう」という替え歌が、子どもたちの間で流行っている。「8時だよ、全員集合」のTVで、ドリフターズの志村憲が、観客に向かって手指揮棒を振り上げると、会場はこの歌の大合唱になるのだ。飛鳥田一郎さんは選挙が始まってから「この歌が流行だしたのも、今の社会や政治に問題がある」と檄を飛ばしたそうだ▼衆参ダブル選挙たけなわである。朝日新聞の地方版に、「候補者ざっくばらん」が載っており、このカラスの歌についてコメントを求めているが、百人百様で面白い▼「無責任、無関心の世代を皮肉るほほえましさがある」「ユーモアがある」「生きがいの空虚さを感ずる」「ふざけた替え歌だが、目くじらを立てる問題でもない」とまあ、こんな調子だが、「言わせるようにした政治家に責任がある」というピント外れなものまである▼評論化風にいうならば、この歌のユーモア、風刺性、ばかばかしさと無責任さがうけているように思える。カラスが鳴くのはなぜか? 本来の童謡ならカラスの棲む山に可愛い7つの子がいて、可愛い可愛いと鳴くという風になるのだが、志村憲はそうした理屈をこねないで、「勝手」ということばを使った。この「勝手」という言葉ははカラスとゴロ合わせがよくこれが子どもたちに大いにうけたのである。もちろん、子どもたちはそうした理屈を承知で歌っているわけではない。ただ面白いから歌っているのである。

  丹沢ホーム(1980・7・1)

 丹沢ホームの中村芳男さんが、このほど『丹沢・山暮らし』という本を出版した。戦後、丹沢の山中に孤児たちを引き取って育て、炭を焼き、自然保護を訴えつづけることに邁進した男の、波瀾万丈に富んだ人生記録である▼「戦災孤児のために働く場所と住む家が欲しい」昭和22年の冬、中村さんは厚木かた徒歩で愛甲郡宮ケ瀬村の貯木所にたどりつき、丹沢の札掛に入った。以来、33年間にわたる山暮らしが始まる。厳しい環境の中で、このホームを巣立っていった孤児たちは300人を越えた。「峠を越えてきた人は家族と同じだ」中村さんの愛情に復員青年、引き揚げ者、家出人かでが頼ってきて家族になったという▼尼寺から来た丸坊主の女の子、盗癖があり「手を切り落としてくれ」と泣いた子、2メートル近い大男になった子、そして10年間も通信教育を受け続けた頑張り屋など「父と子」のあたたかい人間ドラがつづられている。生活の中から自然の美しさを学び、丹沢のシカの観察やマスの養殖、さらには自然保護運動にも取り組んだ。これは「みんなの山、みんなで育てよう」という中村さんの、自然を愛する魂にもとづいている。巣箱づくりや梅の木の植樹も行なった▼子どもたちには「いつでも社会に要り用な存在であるように」と教えた。自らを「余り者」と呼ぶが、こうした中村さんの生き方はわれわれの人生にも深い示唆を与えてくれる。「誇りある父」に感謝を表したい。

  市会人事(1980・7・15)

 厚木市会の臨時議会が8月9日に開かれる。当局側から提出される議案は、これといったものがないから、当然、議案の中心は人事問題に絞られる。このうち、特に問題になるのが正副議長の人事である。というのは、昨年の市議改選後結成された研政会が、数に物を言わせ「今後、正副議長は一年交代でいく」という申し合わせを行なっているからだ▼自治法によると、正副議長の任期は4年で、タライ回しを進めているわけではない。しかし、出来るだけ多くの人にこのポストを配分させるため、一年交代が不文律になっているケースが多い。このため議会内部では、しばしば正副議長のポストをめぐって盛んに舞台裏工作が行なわれ、実力者のかけ引きや会派の年功によって人事が決定される▼議会人事の選考や各会派の話し合いが慎重に行なわなければならないことは言うまでもない。その場合、大切なことは。第1に議長は議会を公平にスムースに進行させる能力があること。第2に住民の要求が行政に正当に反映されるような議会づくりに邁進できる人。第3に議長は議会の顔であり、議員としての人格、識見に優れた人。この3つの観点から選出されるべきであろう▼1年交代でいたずらに正副議長の経験者を増やすことが、議会の本文ではない。人事の一新は文字通り議会に新しい風と活力を生み出すことにある。綾瀬市のようでは困るし、この際、慣例や政治的なかけ引きを抜きにして考えてみてはどうか。

  ふだん記(1980・9 ・6)

 橋本義夫氏が提唱している「ふだん記運動」は、庶民が書く「自分史」である。自分史とは自分の生活や習慣、そしてそれを取り巻く社会や風俗、時代を書き記した記録であり、いわば「民衆史」でもある▼歴史というものは、いつの時代でも「庶民の歴史」であるにもかかわらず、人類・国家の歴史を見ると、そのほとんどが権力者や知識人によって作られたものである。「正史」と呼ばれるものがこれで、この中には庶民の生活や底辺の人々の生きざまなどは、少しも出てきはしない。開拓史などは正にこれの典型で、歴史の裏舞台を故意に打ち消してきたとさえいえるのである▼これは書くことが、そして文章が中央や貴族文化人だけのものとされてきたことに原因がある。橋本義夫氏はこうした歴史にたいする考え方を、根底から突き崩したのである▼「文章は万人の道具である。万人が万人のための文章を書こう」という論理は、無名人を文章街道というヒノキ舞台に引きずり出すことにほかならない。ジャーナリストの荒井勉氏は、これを称して「庶民の側に立った逆転の論理」と形容した。この「ふだん記運動」は、八王子から愛川町の八菅へと飛び火し、そして現在では北海道の北見から北九州市まで全国23グループが活躍している。文友には年齢や性別、階級、身分、学歴などの差別は一切ない。庶民が大地を転がり、すべて丸腰である。だから会費も会則もない。あるのは喜捨(きしゃ)だけである▼「才能は誰もが持っている。社会が駄目にするから、自分で駄目と思っているに過ぎない」これは橋本義夫氏の口癖である。庶民の歴史が国や世界の歴史を形づくる時がきた。これは無名人がただひたすら「自分の言葉で自分史」を書きつづけることでこと足りる。百年後にわれわれは思うだろう。歴史とは何か。それは「ふだん記」であると。

  自分史年表(1980・9・15)

 厚木市文化行政懇話会が提唱した「第三の道」と題する報告書を拝見した。本号にもその要旨を紹介したが、「市民と行政の共同化」という基本的な発想は、新しい都市づくりを進める上で極めて注目に値する考えだ▼具体的な提案より、思想を打ち立てることに重点を置いたというが、これは文化の枠を越え、都市づくりの根幹をなす「哲学」にも相当するもので、今日における行政主導の「市民参加方式」を、一歩進めたものと評価できる▼報告書の中には10項目の具体的な提案が盛り込まれているが、それぞれに意義があり、厚木の特徴と今後の進むべき道をも示唆していて興味深い。筆者はこれに加えて市民の「自分史年表」の作成を提案したい▼これは橋本義夫氏が提唱する「ふだん記」運動を、行政レベルにまで高めたものである。各年代と月別に分かれた年表を作成し、これに世界、日本、県、市の主な出来事と自分の歴史を書き込む方法で、世界や日本、そして地域の動きと自分のかかわりが一目で分かる仕組みだ▼市民一人ひとりの歴史がそのまま後世に残るという意義もあり、北海道の士別市では、地元の「ふだん記」グループの提案を受け、年表を作成、市民に全戸配布しているという▼「市民と行政の共同化」という発想は、「自分たちのまちの歴史を行政と市民でともにつくる」という発想である。その記録としても意義のある「自分史年表」の作成をおすすめしたい。

  教育の原点(1980・10・1)

 聴覚や言葉に障害を持つ子どもたちへの教育には、さまざまな障壁がある。それは偏見や差別意識もさることながら、教師の無理解さに原因があることが多い。厚木市内で軽度の難聴児を持つ父親がこれについての手記を寄せてきた▼子どもは小学校低学年。東京から転校して一学期が過ぎ、環境の変化や耳の手術にも耐えながら、やっと学校生活にも慣れようとした矢先だった。唐突にも学校から「特殊学級はどうですか」と言われたのである。ただでさえ言葉の刺激が少ないのに、それよりもっと言葉に恵まれない特殊に行ったらどういうことになるか。父親は悲しみのあまり怒りさえ感じた。特殊に対して偏見をもっていたわけではない。学校がそして教師が、難聴児に対してあまりにも理解がないことを嘆いたのだ▼学校は1学期の間、子ども対してなんら特別な配慮すらしなかったという。「手に追えないから特殊に行け」という発想は、子どもを無視した完全な切り捨て主義である。難聴児は言葉が正確に聞き取れないから、板書きを増やすとか、顔を見ながら大きな声で話すとかいう細かい配慮が必要だ。これはちっとも難しいことではない▼だが、学校は「児童に対して特別扱いは出来ない」という答えのみだった。この「特別扱いはできない」という考えは一見もっともなように聞こえる。しかし、手記は言う。「本当はクラスに10人の児童がいれば、10人の個性があるのだから、10通りの教育技術を持って担任は子どもたちを教育すべきではないか」と。これは教育の「原点」である。

  猫も杓子も訪中(1980・10・15)

 教育文化都市として国際交流にも目を向けようと、厚木市が計画した「市民訪中団」が、10月27日出発する。一行は足立原市長を団長に文化協会、婦人会、母親クラブ、体育協会、商工会議所、など市内の各団体の代表26人で構成、上海、南京、揚州、北京などの都市を訪れる▼中国熱は1978年に「日中平和友好条約」が締結されて以来、空前のブームで、「猫も杓子も中国」といった具合で、自治体はもとより民間レベルの民際外交も華やかだ▼厚木市の訪中計画も、ブームに便乗したわけではあるまいが、どうもいま一つ目的がはっきりしない。今回の訪中は日本文化の源流である中国文化にじかにふれようというものだが、多分に物見遊山的な臭いもする▼足立原市長は日中友好の祖・鑑真和尚の故郷である揚州市と、姉妹都市を結びたい考えがあるという。しかし、1回や2回の訪中では実現しそうにもないし、何よりも姉妹都市としてどうかという問題がある。これは先方も同じで、のこのこ出かけて行って一方的にラブコールを送っても、愛は成就しないだろう。今回は多分に足立原市長の個人的な趣味が強いような気がする▼訪中団は四班に分かれて見聞録を書くというが、これも子どもの「修学旅行記」の域を抜けそうにもない。出発前にあれこれ厭味をいうのは、意地悪婆さんと思われるかも知れないが、1人10万円の補助金を使っていくからには、帰ってきてから「成果がありませんでした」では済まされないからである。

  獅子の時代(1980・11・1)

 NHKの大河ドラマ「獅子の時代」に、樺戸(かばと)集治監が出てくる。10月26日の放映では捕らわれの身になっている洗次(菅原文太)が、仲間とともに脱走に成功、追っ手から逃げ延びる過程を克明に描いていた▼北海道に集治監(監獄)が設けられたのは、遠く明治14年にさかのぼる。「激増する囚人を隔離すると共に、新開未墾の北辺の土地の労働力不足を、囚人労働によって補い、北海道の資本主義的開発を国家の手でする方策がとられたのである」(『日本残酷物語』)。集治監は樺戸に次いで空知、釧路にもつくられた▼戦後、釧路の標茶で太い鎖につながれた白骨や、手錠をかけられたままの死体が累々として発掘されたことがあり、悲惨な運命を担った徒刑囚がいたことを思わせる▼樺戸集治監に収容された顔ぶれは、2代目鼠小僧こと根谷新太郎、五寸釘寅吉こと西川寅吉、希代の脱獄犯稲妻強盗こと坂本慶次郎などがおり、後世にまで語り継がれた囚人が少なくない▼この樺戸監獄に愛甲郡中津村の熊坂長庵が収監されていたことを知る人は数少ない。彼は明治15年「内国弍円紙幣」を偽造して逮捕され、裁判の結果有罪となり、樺戸監獄に収監されたのである。しかし、その内実を知る資料はなく多くの謎に包まれている▼中津にある龍福寺の住職福井周道さんは、長庵の無実を信じつつ、謎解きに精魂傾ける数少ない研究者の一人だ。福井さんにとって中津と樺戸は、獅子の時代を越え、現在も太い一本の線で結ばれている。テレビを見てこんなことを感じた。。

  古瓦を追って(1980・12・1)

 このほど『古瓦を追って』を自費出版した大工の前場幸治さんは、18年前、京都へ旅した時一点の鐙(あぶみ)瓦を見つけ、その妖しいまでの美しさに息を呑んで立ちすくみ、身動きもならず酔いしれてしまったと自ら語っている▼以来、古瓦の魅力に取りつかれ、仕事の合間を見ては全国を飛び回り、国分寺、廃寺などを見て歩いた。瓦の収集、拓本、撮影が続き、これまでに集めた数は800点におよぶというから相当の収集家である。その前場さんが海老名の相模国分寺史を塗り替える実証的な研究を行った▼前場さんはただ単に古瓦への愛着と憧憬を書き、国分寺史の謎を解明したのではない。古瓦が時代を越えて生き続けるにもかかわらず、破壊され捨てられてしまっていることを嘆く文化遺産への鎮魂の歌でもあるのだ。作家の和田傳氏が前場さんの力作を称して「生活の叙事詩」と形容した。前場さんが古い経筒をのぞき込むと「平安が見える」そうだ。これは観念でも単なるロマンでもない。歴史とのかかわりを秘めた前場さんの人生観が、古美術に色濃く投影されているからでもある▼前場さんは言う。「古代瓦は時の悠遠、歴史の非情、人間の哀歓、時として朴訥剛毅な当時の工人たちの磊落な哄笑をともなった時代讃歌となって聞こえてくる」と▼それにしても、これだけの内容を持った本は専門家であっても容易に企てられるものではない。在野にありて、ただひたすら足で書いた前場さんの情熱とその力量に敬意を表したい。

      

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