私の美術館(90・1・1)
将来、厚木市がどんな美術館をつくるのか分からないが、こんな美術館づくりもをやってみたいという筆者の夢をご披露しておきたい。
1つは厚木市だけに特徴的なものであること。つまり全国で厚木市だけにしかないものという意味である。2つめはハイテクやマルチメディアの技術を駆使した施設であること。3つめは生活に結びつき産業振興に役立つものであること。4つ目は市民の創作体験と文化的なイベントが演出できるもの。5つ目は障害者やお年寄りなど市民の生きがい対策に役立つもの。6つめは国際交流が出来るものである。
随分欲張りのような気がするが、決して欲張りではない。なぜなら美術館づくりはまちづくりであるからだ。山梨美術館のように一点豪華主義や維持管理費だけのかかる美術館ではなんとももったいない気がするのだ。
それに最適な美術館は何か。「ガラス工芸」である。筆者が提案したいのはアールヌーヴォーでも古代ガラスでもない、現代ガラス工芸である。この美術館は全国でも極めて少ない。
そのイメージは、緑豊かな自然とハイテクのまち厚木市に合致している。厚木にはガラス陶器の工場があるから、美術館の建設や創作体験の出きる工房の運営について企業と協力関係を結ぶことも可能だろう。
美術館はハイテクやマルチメディアの技術を駆使した展示や観賞システムで出来ている。工房では子どもからお年寄りまで食器や装飾品などの創作体験が出来るし、ガラス工芸品を厚木の観光土産品にして厚木のマークが入ったオリジナルブランドを製作、障害者やお年寄り、女性の生きがい対策事業に活かすことも可能だ。これを市民資本を主体とした第3セクター方式でやってもいい。
もちろんイベントは、市長がホスト役をつとめる国際ガラス工芸フェスティバルである。これには日本や世界各国から現代のガラス工芸作家が出展するだろう。これをサンレモ音楽祭やカンヌ映画祭のように、4年に1度の国際的イベントとして取り組むのである。そして最後は世界のガラスのまち(フランスのナンシーやイタリアのベネチア)と文化交流を図ることだろう。こんな美術館が出来たら楽しくて仕方がない。
内なる国際化(90・1・15)
厚木市内でもここ2、3年、外国人労働者を見かけることが多くなった。工事現場や市内の製造工場に相当な外国人が入っている。
現在、外国人労働者の大半は、不法就労者という形で屈折した生活を余儀なくされている。しかし外国人労働者の問題は、単なる不法入国や日本人との社会的摩擦といった狭い意味ではなく、大きな意味で日本の将来を左右する問題をはらんでいる。
戦後、日本経済は貿易の自由化が叫ばれた後、資本自由化の時代に入った。そう考えると、現在は労働力自由化の時代であろう。経済がグローバル化して国境がなくなっていく時に、労働力市場だけがモンロー主義であっていいはずがない。
しかも、日本人が職の好き嫌いやイメージによって、仕事を取捨選択するようになってしまった結果、深刻な人手不足が起きている。いまや求人広告に依存するだけでは人の確保が出来なくなってしまった。外国人労働者を受け入れることは、求人難を解消すると共に賃金コストを価格機構に正常に反映させることにもつながる。
国際化とは外へ出ていくことばかりではない。国内のさまざまな分野に外国人を招くことも国際化につながる。90年代は国はもとより自治体においても、内なる国際化の施策に真剣に取り組む必要に迫られるだろう。
体制選択論 (90・2・1)
今回の衆院選の最大の争点は与党の自民党が「体制選択論」、野党が「消費税廃止論」である。気になるのは「体制選択論」というやつだ。
これは1959年にアメリカの社会学者ダニエル・ベルが、『イデオロギーの終焉』(東京創元新社)を説いて以来、この二者択一的な論争は非現実的で不毛なものとして扱われてきたのだが、どうもこの論争を唱える人たちは体制の実態をよく判っていないらしい。
現代において、純粋な資本主義や社会主義というものはありえないことは誰の目にも明らかだ。資本主義は市場経済プラス計画化、社会主義も計画経済プラス分権化(市場化)というのが常識になっている。社会主義では自由がなくて経済発展が望めないことは誰もが承知しているし、資本主義も雇用や地球環境、人口問題、地価の高騰などを解決しえないことも判っている。福祉サービスや有限な資源の配分を市場だけに任せるのではなく、いかに公的にコントロールしていくかなどということは現代においてはもはや自明のことであろう。
そうした時代に社会主義が駄目で資本主義がいいとか、どちらが勝ったか負けたとかなどという論争はまったく不毛な議論でしかない。こうした議論は良心的でない政治屋がよく用いるトリックにほかならないし、体制の本質を見極めず、まさにためにする議論でしかない。問題は優れた効率を持つ市場経済と民主主義を国民のために、どのように活用しコントロールしていくのかということであり、そうした能力をどこの政党が持っているかということなのである。
21世紀がすぐそこに見えているという時に、消費税などの緊急課題と将来に対する政策論争を避け、とうの昔に陳腐化した体制選択論を持ち出すようでは、新たな展望は切り開けない。
視界360度(90・2・15)
ちょっと面白い話を紹介しよう。リモコン一つで360度回転する家が、この夏に売り出されるという話が新聞に出ていた。その名も「回転住宅」だ。視界360度で東西南北という固定的な部屋がなくなるし、陽当りや風通しも自由自在のため、非常に面白い。発想もここまでくると全く関心するばかりである。
衆院選の結果がどう出るか興味津々である。予測されるのは自民党単独政権、野党の連合政権、自民プラス野党連合政権の3通りである。
社・公・民・連4党の野党連合政権は、数の組合せからいうと共産党を含めないことには成立が不可能だ。自民党は過半数割れしても、現実的には比較第1党であるから常に政権を掌握するポジションにある。単独政権をとれなくても、政権の屋台骨は自民党が支えることになるだろう。従って自民プラス少数野党の部分連合は、実質的に自民党政権と変わりはない。
連合は一方の政策の補完ではなく、拮抗し合うことによってよりレベルアップした政策の遂行にある。数の上で自民党に対抗出来る政党は社会党だから、ここは部分連合などという茶地なことを考えずに、発想を大転換して「自社大連立」を試みてはどうだろう。安保と自衛隊をクリアすれば、自社大連立も決しておかしな話ではない。
自民党と社会党が互いに輸血し合えば、日本の政治は相当変わってくる。日本という住まいの陽当りや風通しをよくするためにも、視界360度という発想が必要だ。
まちづくりと持ち駒(90・3・15)
島根県布施村の元村長・山口貞美さんは「まちづくりは詰め将棋のようなものだ」と言っている。 与えられた持ち駒を使って王手をかけていくのが詰め将棋で、あと一枚、飛車があれば、金があれば詰むと思っても、それらが最初から持ち駒として与えられていなければ、使うことは出来ない。まちづくりもそれと同じで、自分の地域にないものを外から持ってきて、それで何とかしようなどと考えてはいけないというのである。
これには議論の余地があろうが、山口さんは「例えば外部から工場を誘致してテコにしたりするのはルール違反で、あくまで持ち駒である地域の人材、資源、特性を駒にしてうまく活用するよう知恵を絞るべきだ」という。
確かに、地域が自立しうるかどうかは、その地域が持っている資源や素材をどれだけ活用できるかにかかっている。それは持ち駒がどれだけあるかを確かめることでもあろう。実際、山口さんは村有林という持ち駒で「ふるさとの森づくり」を詰めて見せた。
4全総による中央政府がらみの政策課題が多い厚木市では、外部要因によるまちづくり(副次核都市、インテリジェントシテイ、ハイビジョンシティ、テレトピアモデル都市など)が年々増えている。市では今年度、平成3年度以降を定めた総合計画「21世紀プラン」を策定するが、いま一度「自前の持ち駒」を確認してはどうだろうか。
ワーカーズコレクティヴ(90・4・15)
「おしきせでない、ほどこしでない、金もうけでもない」という助け合い事業が誕生した。ワーカーズ・コレクティヴ「さち」である。
誰がどんなことをやっても1時間5点。しかもサービスを受ける側と提供する側とは常に対等な関係にあり、地域の新しいコミュニティー作りを目指すという。産業資本による効率主義とはひと味違ったやり方だ。
ワーカーズ・コレクティヴとは、働く人が自ら出資して運営を行い、人々の役に立つ仕事をする事業形態で「労働者協同組合」と呼ばれている。すなわち、出資=労働=運営の全体に、参加者全てがかかわることで、市民資本による草の根ビジネスとして注目されている。事業の対象も、生活用品の共同購入やリサイクルショップ、福祉サービス、第3世界ショップと幅広い(「特集=ワーカーズコレクティブ」現代の理論No241・1987.9)。
80年代の始め、ライブリーポリティックス(生活者政治)と呼ばれる政治運動が台頭した。それは市民政治と呼ばれ、エコロジーと生活にかかわる問題に積極的な関与を示したのである。以後、経済メカニズムの中にもライブリーな動きが出てきた。産業資本や金融資本とは異なった市民資本によるサービスの事業化である。
ワーカーズは効率や利益追求型の管理システムとは異なった新しい合理性を提示している。
北の玄関口(90・5・1)
厚木市は今後整備される「教育の森」の交通アクセスとして小田急線本厚木駅と愛甲石田駅間に新駅を設置する構想を打ち出した。
このほど出された「教育の森整備事業基本調査報告書」でも、本厚木駅を中心とする1点集中型の交通体系を分散化して都市の発展方向を計画的に誘導するために、新駅の必要性を説いている。
昭和40代以降の厚木市の発展は、一口に言うと東西型である。まちの発展の仕方が東から西へ移行しているのは周知の事実であろう。教育の森構想は、東西軸の中間に一大拠点を作ろうという構想で、新駅を設置してより高度に都市機能を高めようという考えだ。
ところで、厚木は南北にも市域が広いということを忘れてはいないだろうか。この南北軸が、21世紀の厚木の将来を決する重要な要素になる。そのカギとなるのが交通網の整備である。厚木の北部に北の玄関口を設けてみてはどうだろうか。業務核都市として都心と厚木を結ぶもう1本の鉄道新線を誘致するという構想だ。これには田園都市線、京王線、小田急多摩線が有力な候補になろう。
依知地区に広大に広がる調整区域は、21世紀の厚木のまちを創造するための最後の砦である。新線は計画されている相模縦貫道路と246バイパスのアクセスになることはもちろん、愛川町や内陸工業団地へのアクセス、市西北部への乗り入れによって住宅地とのアクセスや宮ヶ瀬ダムと関連した観光開発も夢ではない。そしてなによりも、本厚木駅1点集中型の交通体系を2つに大きく分散させことによって、交通渋滞の解消に役立つのである。厚木に北の玄関口を作ろう。
産業会館(90・5・15)
厚木市が進めている「教育の森」には、産業会館、生涯教育センター、博物館の3つが具体的施設として考えられている。「個性あるあつぎ文化の創造を目指す」という構想自体には異論はないが、施設の誘致については議会内でもかなり異論がありそうだ。
それは産業会館を組み入れるということに対する考え方の是非である。産業会館は、国際的な技術交流への対応、業務核都市としての情報交流の拠点、異業種、異分野の交流の場の必要性などから建設が要望されている。異論の大部分は、教育の森が産業会館の立地場所として相応しいかどうかという点にあるだろう。イメージはどうか、無理に押し込めるという感じはしないだろうか、など様々な疑問がある。
問題は教育、文化、産業という異なった分野の行政施策をどのように体系化してプログラムするかという点にある。「初めに産業会館ありき」という発想ではなく、教育や文化的な施策を進めることは、産業化にもつながるという大胆な構想を打ち出すことであろう。簡単に言うと教育や文化でめしが食えるというまちづくりである。
1つの事業の推進によって国際化、高齢化、文化化、情報化、産業化という要素を個別ではなく同一次元で進めるという行政のアイディアが求められているのである。
21世紀の財源プラン(90・6・1)
厚木市のテレコムタウン構想を研究している情報通信基盤開発推進協議会厚木分科会が、このほど東名厚木インター周辺50ヘクタールの地域に一大業務ゾーン建設の計画をまとめた報告書を郵政省に提出した。
大容量のデータや画像電送が出来る光ファイバー網を張り巡らせ、中核施設として高層のインテリジェントビルを建設、共同利用型の大型コンピューターを設置して情報の受発進機能を高めるという構想だ。注目されるのは、通信センターやサテライト・オフィスなど企業の本社機能の受皿となる貸しビル群を配置するという計画である。
厚木市はいま、21世紀プランの基本構想と計画(案)をまとめ、総合計画審議会に諮問している。教育の森や高度情報化など21世紀に向けての施策が目白押しに出てくるが、施策体系の裏付けとなる財源措置についてのプランは全く出てこない。いわば財政プランがないのである。
21世紀プランの財源をどこに求めるのか。法人税の伸びはどうなるのか、新たな財源を生みだすための施策をどう進めていくのか。本社機能を誘致する受皿やコンベンションによる財源の確保など、新たな税収の確保が並行して論じられるべきだろう。厚木市は21世紀の財源プランを早急に差し示すべきである。
自治体の産業政策(90・6・15)
法政大学の清成忠男教授によると、都市の経済的自立とは、 @移出入のバランスが取れていること A経済の地域内循環を拡大させ、自給度が高いことB他地域に本社を有する企業によって地域が支配されていないこと―の3点にあるそうだ。少なくとも地方都市の自立というからには、@とBの条件を満たすことが必要であるという。
ところで地域の自立には自治体の産業政策が不可欠である。自由主義経済だからといって市場任せだけでは能がないし、テレトピアやインテリジェント、ハイビジョンという国のマクロ的な産業政策を、ただ上からブレイク・ダウンすれば良いというものでもない。つまり地域の有利性を活用した選択的産業化が必要なのである。
国の産業政策というマクロのフレームと地域ビジョンの調整を図る必要もあろう。また、場合によっては自治体自らが産業振興の担い手になることも必要だ。ポイントは清成教授のいう本社を有する企業と既存や新たな地場産業の育成をどう展開していくかということにある。
自治体の財政プランとは、単に歳入と歳出の数字合わせだけをやることではない。地域の特性を生かした産業政策をどう描いて実現していくかを考えることでもある。厚木市の21世紀プラン(案)にはこれが欠けている。
モール化事業(90・7・1)
厚木一番街のモール化事業がこのほど完成した。電柱を地下に埋める、カラー歩道にする、車道は曲線にする、街路樹を植えるといういわゆるモール化事業は、横浜市の伊勢佐木モール、新宿歌舞伎町のセントラルロードに代表されるように、全国各地で取り組まれている。
わが国のモール化づくりの先駆をなすものは、いうまでもなく昭和45年に完成した旭川市の買い物公園である。今でこそ道路法が改正され、道路を24時間歩行者天国として使用することが可能となったが、当時は大変なアイディアだったという。
伊勢佐木モールは400mの区間を持つ4つの場―交歓・イベント・やすらぎ・交歓―に区分して路面の配色や樹木、ストリートフアニチュアーに工夫を凝らしている。 厚木一番街モールは無電柱化とカラータイル、緩やかに蛇行した車道、そして街路灯を設置しているのが特徴だ。
買物公園としては歩道が狭く、休憩ゾーンやイベント空間など今後の課題も多いが、大店法の規制緩和がスタートした今日、専門店や零細商店にとっては実にタイムリーな事業であったことはいうまでもない。今後はモール化によって、各商店の近代化や個性化、文化性が消費者から問われてくるだろう。つまり商店の本当の勝負はこれからなのである。
湘南ブランド(90・7・15)
サーフ90や湘南ナンバーなど「湘南」が再び脚光を浴びてきた。湘南といえば太陽と海が最もシンボリックなイメージだ。裕次郎と若大将、サザンオールスターズ、チューブなどは、それぞれの時代を演出する湘南の主役であった。
湘南という地名は温暖な気候と海、山の美しい自然に恵まれた相模国南部(相南)地方が、中国湖南省の洞庭湖に注ぐ風光明媚な「湘江」南岸を連想させると文人たちが考え、「相南」を「湘南」と言い変えたのが始まりである(『湘南の逆襲』みつはし貴義・かなしん出版)。
この湘南は地名ではあるが、位置が確定されずドンドン膨張して、ブランド化していった。神奈川県は21世紀の県土づくりの核は湘南にあるとして「湘南国際村」「湘南テクノピア」「湘南なぎさプラン」を唱えている。つまり湘南イメージで武装しようというのである。
三浦市では地元の海岸を「南湘南」と命名したら、行楽客が極端に増えたという。1994年には平塚市に自動車検査登録事務所が設けられ、「湘南」ナンバーの車が走る。
湘南願望から湘南回帰現象が起きている。これは東京に対する反発と個性化の現れであろう。21世紀に向けて湘南が逆襲を開始しそうな気配である。湘南は果たしてトレンドになりうるか。東京に侵略されっぱなしの厚木とはひと味違うようだ。
多選禁止論(90・8・1)
長洲知事の5選問題がマスコミで注目を集めている。県民の声も5選支持、反対だと賛否両論である。
かつて内山岩太郎知事は「いいものは長持ちする」という名言を吐いた。確かに首長の多選といっても4年に1度は選挙の洗礼を受けて当選するわけだから、単に長いという理由だけで批判するのはどうかとも思う。
多選批判の主な理由は、権力が長期間1ケ所に集中して行政がマンネリ化し、地方自治の活力が失われるといったものである。アメリカの大統領が3選以上やらないのも、こうした幣害を防止するという理由からである。足立原市長も11年前に多選禁止論で出馬した。
しかし、多選禁止のレベルをどこにおくかは、議論の別れるところである。かつて兵庫県知事をつとめた阪本勝氏は、自らの任期を2期と定めて8年後に退陣した。「水がよどめばボウフラがわく」とは阪本氏の名言である。阪本氏は「種をまいて去る人もある、花の咲き匂う宴を楽しむ人もある、またその結実を祝う果報者もいる。みなそれぞれのめぐり合わせだ。自分のまいた種を実るのを見たいのが人情だが」とも言う(「首長と選挙―あれこれ」神田禎之『明日の都市7―自治体と首長』中央法規)。
要は政治家としての判断であろう。清潔さと節度がなくなったらやめた方がいい。
瓢箪から駒(90・8・15)
脇嶋稔氏17票、徳間和男氏12票。厚木市会議長選の選挙結果である。これだけ見ると、社会党の脇嶋氏が対立候補である徳間氏を破って議長に選ばれたように見えるが、当の徳間氏は脇嶋氏を応援して、議長にさせるべく一役買っているのだから、良く説明を加えないとこの図式の真意が伝わらない。
12票は脇嶋氏の議長実現を阻止しようと民社、公明、無所属クラブの3会派が徳間氏に入れた票である。これには徳間氏も面食らったに違いない。あるいは迷惑至極といったところであろうか。この図式は市民に分かりにくい結果として映ってしまった。
議長は最大会派から出すべきだというのが今回、徳間氏を推した3会派の意見である。しかしこの論理に政友クラブは乗らなかった。いつもは党利党略を優先する会派が、今回は信義を重んじたのである。政友クラブとしては、昨年、社会党から受けた借りを返したということだろう。
だが、すべてが筋書き通りにいかないのが政治である。政友クラブは議長選で勝ったものの、副議長選で破れた。こちらは信義がないから揺さぶられると非常にもろい。詰めも甘かった。結果として小泉阿栗氏が金的を射たのである。まさに「瓢箪から駒」だった。
井戸水(90・9・1)
2,433。これは厚木市内にある井戸水の数である。このうち1,695ケ所が現在も飲料水として利用されている。
地震の被害で一番困るのは断水である。断水になると飲料水はもちろんのこと、消火栓もアウトになる。今の都市の水はほとんどどが隠蔽され、蓋をされて下水化されてしまっているから、水道に代わる水を求めるのは並大抵ではない。
日本の戦後の都市づくりの失敗は川を埋めてしまったことにある。井戸水もしかりで、市街地の中を川が流れていたり、井戸水があるという話は、もはや都会では聞かなくなった。
市の調査によると、厚木の旧市街地には井戸水が34ケ所あり、20ケ所が飲料水として利用されているという。市ではこうした井戸水を災害時の応急給水として活用するため、水質検査を行った後に、災害給水所に指定するという。大変結構な話である。
ただ、水をさすわけではないが、水質検査をして適マークを貼っても過信は出来ない。県の衛生研究所によると、地震時の地殻変動で水脈が代わる可能性があるからだという。検査時には飲める水でも、災害時には安心だという保証はない。
災害給水所に指定しても、煮沸するという指導を忘れないで欲しい。
もぐり橋を永久橋に(90・9・15)
厚木市が相模川のもぐり橋を永久橋にする計画を立て、海老名市と協議に入っている。10日に開かれた市議会の一般質問でも、篠崎一成議員がこの問題を取り上げ、地元説明が一度もなく計画だけが先行しているのは問題だと市側を追求していた。
この計画には道路の取り付けや幅員、県道とのアクセス、相模縦貫道路を抱えた海老名市の事情をどう考えるのかなどさまざまな問題点がある。もぐり橋は相模大橋と僅か150mも離れていない。これを永久橋にすると、本当に市内の交通渋滞が緩和されるのであろうか。
相模大橋に近接していても架けた方がいいという理屈は、道路や交通環境が整っている場合であって、道路事情が最悪で信号機による交通規制に頼らざるを得ない旧市街地の場合は、逆に混雑を誘発することにもなりかねない。
根本的には、海老名市方面へ行く車両が厚木の旧市街地を通過しないで渡る方法を考えることだろう。相模川の三川合流点上流に架かる相模縦貫道路の橋を二層式にして、上を高速道路、下を県道にするという発想はどうだろうか。
これだと厚木市内に流入してくる車両を、その直前で回避出来るというメリットがある。アドホック的に橋をかけるよりも長期的なプランが必要だ。
北の玄関口II(90・10・15)
厚木市の山際地区に南北に広がる広大な調整区域がある。これほどまとまった開発対象区域は他に見られないので、ここは21世紀の厚木のまちを創造する最後の砦になるであろう。
この地区全体を区画整理して鉄道新線を誘致、新駅やショッピングセンター、コンベンションセンター、ホテル、公園、バスセンター、高層マンションなどを誘致する。鉄道は田園都市線か京王線を厚木に乗り入れさせ、沿線開発も同時に進めるというビジョンである。
21世紀を展望し、交通網の抜本的対策が求められている今日、厚木の北に玄関口を作ることは二重の意味で市民生活に快適性と利便性をもたらす。1つは市内の交通が北と南に2極分化され、混雑が分散する。2つ目は都心とアクセスする2本の鉄道網を持つことで、業務核都市としての機能を一段と高められることである。
新線は相模縦貫道路と246バイパスのアクセスになることはもちろん、愛川町、市西北部、宮ケ瀬を含めたリゾート開発も夢ではない。ここを起点に民間の路線バスを走らせ、神奈川中央交通と競争させることも必要だ。いま小田急線は「きしむ大動脈」といわれる。21世紀は小田急や神奈中一辺倒という発想を変えてみてはどうだろうか。
サンデッキ(90・11・1)
厚木市中町の総合福祉センターを基点にしてサンパーク、老人ホーム寿荘、中町立体駐車場、保健センター・婦人会館とを結ぶペデストリアンデッキ(屋根つき空中歩道、但し立駐部分は屋根なし)が完成した。
これは、中町地区の公共施設を有機的に結ぶことで、歩行者の安全な動線を確保しようというもので、今回完成したのは第1期分。来年3月にはサンパークと地下道、ダックシティ厚木間の第2期工事が完成するので、雨の日でも本厚木駅東口から濡れずに各施設へ行くことが出来る。
この空中歩道は当初、ペデストリアンデッキとして事業が予算化された。しかし、名前が長くて呼びにくいということから、それぞれ固有名詞をつけている。サンパークから総合福祉センター間を 「サンデッキ」、総合福祉センターの2階広場部分を、「テラスさんあい」というのだそうだ。
市民に親しまれる名称は大変結構である。問題は利用度であろう。このペデストリアンデッキ計画は、当初、議会でも地下道の利用度を高めるための苦肉の策とか、どれほどの利用度が見込めるのか、投資効果が上がるのかなどの疑問が出されていた。
利用者の利便性を考えた事業であると思うが、地下道の二の舞にならなければよいが。
オール与党(90・11・15)
足立原市長が4選を目指して出馬表明を行った。前回同様、自・社・公・民・連の5党相乗りだ。目下のところ対立候補もなく、共産党が候補者の擁立を見送ると、同市長が3期連続無投票当選を果たす可能性が出てきた。
市長を直接市民が選ぶという民主主義の手続きが、12年間も行使されないとしたならば、そこの市民はやはり不幸であろう。端的にいって無投票はいい悪いの審判が下せない。これはやはり民主主義の空洞化の現れである。無投票によって民主主義は、自らの競争原理を放棄したことになるからである。
一般的に無投票というのは、現職の市長が人格・識見ともに秀れている場合か、他に対立候補になるだけの人材がいない場合である。問題は保守、中道、革新までが相乗りして対立候補の出現を封じ込めている点にある。オール与党化現象だ。
腹の中で批判していても、与党といううま味があるからそれに乗り遅れまいとするし、危険を侵してまで火中の栗を拾うようなこともしない。どこの政党も最後は楽な道しか選択しないのである。議会のチェツク機能が甘くなるのは、オール与党化のマイナス面であろう。
4選があれば5選もありうる。この信号もみんなで渡るのであろうか。
使い残し(90・12・1)
平成元年度の厚木市の決算議会が終わった。一般会計は50億8,000万円の歳入増で、このうち市民税は30億円も余分に入っている。
ところが歳出で18億4,000万円を使い残したため約69億円があまった。このうち7億円を平成2年度に引き継いだものの、差し引き62億円が残った計算になる。
注目されるのは、当初予算では不足だとして途中で補正増額したが、それでも補正額を上回る使い残しが出ている点だ。
例えば、民生費の補正額は1,400万円だが、使い残しは9,300万円。衛生費では補正額5,600万円に対して、使い残したのは1億7,000万円といった具合で、労働費、商工費、教育費なども補正額を上回る使い残しを出している。
歳入が余分に入ったというのは分かるが、使い残してしまうというのは一体どういうことであろうか。一部の事業執行が出来なかった、入札が残った、予算査定が甘いというのが主な理由として挙げられるが、それにしても大幅な使い残しだ。
自治体は単年度予算主義だから、やりずらい点もあろうが、歳入増が見通された時には財政判断を早めにして、年度内に新しい事業を起こすことが必要だろう。予算を大胆に使う計画を立てることも必要なのである。
議会の定数 (90・12・15)
来年7月の市議改選を控え、厚木市議会で定数問題が論議になりそうだ。自治法によると厚木市の議員定数は40。現在、議会では減数条例をひいて10議席少なくしているから実際は30だ。
厚木市の場合、定数増の問題は人口増に応じた議席数、行政需要の増大により委員会を3から4に増やすという考えからきている。ところが、定数は財政上の理由や少数精鋭主義、類似都市との比較、行政改革の面から減数される場合が多い。
しかし経費のみに限ってむやみに減ずることは、代議制度における「代表率」の低下をもたらす。財政が理由なら定数を減らさないで議員報酬を減らせという意見もあるだろう。また一方では、定数を減らした分報酬をふやし、専門職的に働いてもらおうという考えもある。
定数問題は国勢調査がその基準にされるが、夜間人口より昼間人口が多い都市もあって、法律や政令で一律に決めていいかという問題もあるだろう。英国は報酬少なく定数が多い、米国は逆に報酬多くて定数が少ない。日本は定数も報酬も両方の多い方を取ったようだ。
要は現在の議員が住民のためにその数と報酬にふさわしい活動をしているかどうかの問題であろう。市民は常に議員の質を問題にしている。
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