原潜のVIPクルーズ         市民かわら版編集長 山本耀暉 

 平成9年(1997)10月5日、横須賀を母校とするアメリカ第七艦隊の原子力潜水艦に乗船し、体験航海する機会を得た。日本の政治家や自衛隊幹部などを乗せる「VIPクルーズ」の一員として招待されたもので、朝、横須賀港を出航して相模湾沖合を航行、夕方寄港するという1日クルーズである。
 当時、私は日本の厚木基地と座間キャンプに勤務していたコンピュータ技師ウイリアムスさんご夫妻と親交があった。ウィリアムスさんはベースに勤務していたが、軍人ではなくシビリアンである。彼には2男1女の3人のお子さんがいて、長男はアメリカ海軍第七艦隊に所属する潜水艦部隊の大尉であった。次男もアメリカ海軍のハワイ基地に軍人として勤めている。私は夫妻の主催するパーティに時々招待を受けた。その席で、長男のジェイムス・ウィリアムスさんを紹介された。
 ある時、夫人のミヨコさんから、
 「息子が原潜に招待する政治家を捜しているが、誰かお誘い出来る人はいないか」
 という電話をいただいた。もちろん、私も乗船できるのだという。
 〈アメリカの潜水艦に民間人が本当に乗れるのか? どうせ停泊中の艦に案内するだけの話だろう〉
 私はそう思った。実はその数ヶ月前、私は知人の誘いで、横須賀ベースに寄港している空母インディペンデンスの見学会に参加していた。見学会だから、実際に航行するわけではないが、原潜だとしても、日本の民間人を乗せて相模湾や東京湾を航行したなら、それこそ大問題になるだろう。そんなことを米軍がするわけはない。
 ところがミヨコさんの話は、丸1日の「VIPクルーズ」への招待で、正真正銘の体験航海だというのである。私は驚いてしまった。
 私は知り合いの県会議員にこの話をして、何人かの代議士をお誘いできないか打診してみた。すると選挙区内の代議士3人に声をかけてみるという返事がきた。大和、相模原選出の代議士が参加したいと言ってきたが、しばらくして、「残念だが、午前中公用が入って、どうしても都合がつかない」と参加を断ってきた。
 私は「県会議員でもいいですか」とウィリアムスさんに尋ねると、「本当は国会議員の方がいいが、県会議員でも構わない」と言う返事が帰ってきた。そこで、厚木選出のH議員に呼びかけを依頼し、平塚のF議員、横浜のA議員、S議員、H議員の5人の県会議員が参加することになった。これに私とウィリアスムさんご夫妻を加えて計8人である。もちろん日本のマスコミ関係者を原潜に招待するのは初めてであった。
 私たちが招待を受けたのは、アメリカ第七艦隊に所属する原子力潜水艦「ブレマートン」だった。VIPクルーズの一行には、事前に参加者の氏名、住所、電話番号、職業などのリストを、アメリカ海軍司令部に提出するよう申し入れがあった。
 リストを送るとしばらくしてから、司令官と乗船する原潜の艦長から正式な招待状が送られてきた。用意された資料の中には、原潜の解説資料や私たちの「ドライバーズライセンスカード」まで同封されていて驚いた。
 10月5日早朝、私とH議員はウィリアムスさんの運転する車で横須賀に向かった。車には奥さんのミヨコさんも同乗した。他の県会議員とは、横須賀ベースで落ち合うことになっている。
 7時45分、基地内のアメリカ第七艦隊潜水艦部隊司令部に集合した私たち一行は、アルバート・コネツニー司令官(少将)の出迎えを受け、簡単な朝食をいただいて記念撮影をした後、バスで原潜が接岸されているドックに向かった。招待を受けたのは私たちを含めて海上自衛隊の幕僚長など全部で15、6人ほどだった。その中には当日の朝、北海道から自家用ジェット機で飛んで来たという自衛隊後援者や浅草・浅草寺の住職もいた。
 原潜は8時30分、横須賀港を出航した。ブレマートンには原子力空母インディペンデンスを旗艦とする「第七艦隊」のタナー司令官も乗船した。最初に、ロナルド・コックス艦長のあいさつがあり、次に担当官より原潜の構造、機能などについてスライドやビデオを使ったレクチュアを受けた。
 その後ガイド付きで5人位の少人数に分かれて原潜内をくまなくを見学した。乗務員のベッドルーム、巡航ミサイルトマホークとその発射装置、ソナーとレーダー室、魚雷発射装置、潜望鏡室、そして原潜をコントロールするコックピットなど、すべてがハイテク技術を駆使した装備で、目を見張るものばかりだった。私たちは世界最高の軍事技術のもつ威力をまざまざと見せつけられた。
 原潜は横須賀港から相模湾に入ると、水深50メートルから60メートル位を潜水走行する。担当官の説明によると、ソナーやレーダーによって、原潜は走行する自分の位置を正確に知ることができるほか、クジラなどの大きな魚や海底の岩なども感知することができるという。海中走行はまったく揺れがなく音も静かだった。浮上走行では僅かに揺れを感じたが、それほど激しいものではなく、小刻みな揺れという感じだった。
 潜望鏡室からハシゴを伝って艦上のマストまで登ると、目の前に相模湾が一望のもとに広がり、付近には漁船や貨物船が走行している姿も見えた。紺碧の海を白い波しぶきを立てながら走る黒い巨体は、壮観である以上に不気味さを感ずるに十分なものだった。また、潜水艦の得意技である急速潜行、急速浮上なども体験、事前に日本語で艦内アナウンスがあって、私たちは艦が傾斜していく動きを直接体感することができた。
 巡航ミサイルトマホークは、艦の右舷と左舷に二基の発射口があった。係員がエアープッシャーによる模擬発射の様子を見せてくれた。魚雷発射装置の前では私たちに模擬の発射ボタンを押させるなどのサービスぶりで、発射後に「ガガガーン」という耳をつんざくような金属音が艦内にこだますると、まるで敵艦に命中したような錯覚を覚えた。このほかコックピットでは数人のクルーズが担当官のアドバイスで原潜の操縦を体験した。操縦したといっても実際には自動コントロールになっていたのだと思う。
 VIP待遇のせいか原潜乗務員のマナーはよく、教育も行き届いた感じがしてとても友好的だった。
 昼食はランチパーティと称してレストランで食するような肉料理をごちそうになり、何だか隣の家のパーティに招待されたような感じさえした。カメラも原子炉の撮影以外はどこを撮影してもOKで、しかも二名の米軍カメラマンが私たちに付き添って適時に写してくれるというサービスぶりだった。後日、撮影された写真はすべて本人に送られてきた。いったい軍事機密などはどこにあるのかと思われるほど、大らかで開放的な雰囲気であったことには驚かされた。
 ブレマートンは午後五時横須賀ベースに帰港。私たちはただちに基地内のレストランに案内され、コネツニー司令官が主催するディナーパーティに招待された。
 当時は日米ガイドラインの見直し以後、アメリカの艦船が次々と日本の港に寄港し、空母などの一般公開が行われていたが、この原潜のVIPクルーズもそうしたデモンストレーションの一環で、米軍に対する日本人の理解を深めることを目的としたものだった。
 クルーズ体験後、しばらくして、ウィリアムス大尉から連絡がきた。それは招待を受けた県会議員から司令官宛に感想を交えた礼状を出してもらえないかというものだった。日本語でよろしいというので、私は6人の県会議員に主旨を説明して礼状を書くようにお願いしたが、忙しいのか、手紙を書くのが苦手なのか結局礼状を出す者は1人もいなかった。
 誰も出さないのでは失礼に当たる。案の定、ウィリアムス大尉の母親から催促がきた。私は県会議員が出さないのを詫びると、自分で丁重な礼状を書き、ウィリアムス大尉に送った。しばらくして、ウィリアムス大尉から連絡があり、「この手紙はアメリカ海軍に永久に保管される」と言っていた。
 その後、ブレマートンは横須賀を離れ、コネツニー司令官、ウィリアムス大尉も異動のため1年後には横須賀を離れた。ウィリアムス大尉はハワイ勤務になり、その後、潜水艦を下りて陸上勤務になったと聞いた。
 それからしばらくして2001年の2月、ハワイ沖を航行中の愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」に米国の原潜グリーンビルが衝突、沈没させるという痛ましい事件が起きた。当時、原潜に民間人を乗せ、サービスのために急速潜行や急浮上などを体験してもらうというデモンストレーションが大きな問題となった。グリーンビルには、15人の民間人が乗っていた。
 事件後、米太平洋艦隊のファーゴ司令官は、会見で「(原潜に民間人を乗せるのは)われわれにとって日常業務。ビジネス界や地域、学界のリーダーに活動を説明している」と述べ、「(民間人を乗せても)コンピュータルームなどへ案内するだけである」と説明していたが、私がブレマートンに乗船した時とはかなりのへだたりがあったので、米軍側の説明はまるで信じがたかった。
 軍事評論家の藤木平八郎さんは、「急浮上訓練は民間人へのサービスだったのではないか」と朝日新聞紙上で指摘していたが、はからずも3年前に私たちが体験したVIPクルーズが、そのことを証明していた。恐らくグリーンビルもブレマートンと同じことをしていたのだと思う。
 私はそのことを市民かわら版のコラム「風見鶏」に書いたが、部数も少なく地域を限定して発行しているミニコミ紙であるため、日本のマスコミや米軍に影響をおよぼすにはいたらなかった。後日、それを読んだ知人が、「日刊紙に売り込めば、大きな問題になった」と言ってきたが、いろいろ世話をしてくれたウィリアムス大尉の立場を考えると、そうはできなかった。私が写真や資料を用意して全国紙やテレビでタイムリーに証言したなら、本当に大きな問題となったのではないかと思っている。
 もし、私たちが乗ったブレマートンが、相模湾でグリーンビルと同じような事故を起こしていたらと思うと、ゾーッとして背筋が寒くなった。
 「原潜ブレマートンがVIPクルーズ。議員乗せてデモンストレーション」「急浮上訓練中、練習船に衝突」「県議5人がコックピットで運転、トマホークの模擬発射も体験」
 私の脳裏に、次から次へと日刊新聞の一面を飾る見出しが躍った。日本国中が大騒ぎになる。そして米軍、日本政府、神奈川県議会がてんやわんやの大混乱に陥る様子が想像できた。その後の見出しは、「米国大使と県会議長が陳謝」「政府、世論に押されガイドラインの見直しを要請」「県議5人辞職」「横須賀市・原潜の寄港化拒否を表明」となるはずである。
 私の荒唐無稽な想像だが、まったくありえないことではない。ブレーマトンが浮上して私たちがマストに登った時には、相模湾を航行する漁船やタンカーの姿が間近に見えた。急浮上時に誤ってこれらの船と衝突する事故が起きたとしても何らおかしな話ではないのだ。
 原潜グリーンビルの事故は、日米安保条約とガイドラインは、戦争ばかりでなく、平常時においても一つ間違えば大きな事故になる、そうしたリスクを背負っているということをまざまざと教えてくれた。
 私が乗ったブレマートンは現在どこにいるのか、あるいは退役したかどうかは定かではない。(2005年8月23日)

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