2003.08.15(NO33)  リード合奏隆盛の波に乗って

第1回県下学生器楽合奏大会(昭和30年)
 昭和28年の町村合併促進法の公布を受けて、昭和30年2月1日、厚木町、南毛利村、睦合村、小鮎村、玉川村が合併して厚木市として発足する。人口は31,295人。初代市長には波多野元正氏が当選、6月には重昭の店に近い相模大橋も開通して厚木の街も次第にその表情を変えつつあった。7月には相川村、依知村も厚木市に合併する。
 小学校や中学校でのリード合奏が盛んになりつつあったのもちょうどこの頃からで、重昭のバイクを駆ってのハーモニカの指導も麻溝小学校だけではなく、南大和小学校、座間第一小学校や津久井の串川小学校、中津村の中学校や荻野村の中学校などへと広がっていった。
 麻溝小でリード合奏団を立ちあげ、まもなく転任した神崎象三先生が南大和小の顧問と指導を受け持ち、一方、麻溝小の金井先生と同窓の野崎先生は座間第一小の顧問と指導を受け持つ。後にどちらの学校も全国的なコンテストで大活躍する合奏団に育つのだが、麻溝小も含めて切磋琢磨するよきライバル同士でもあった。
 麻溝小リード合奏団が全日本学生器楽コンクールで日本一になった昭和30年、そうした学校でのリード合奏の隆盛を背景に、そのコンクールの半月ほど前の11月20日には重昭の熱心な働きかけが実って、厚木東高校の体育館を会場に、全日本学生ハーモニカ器楽連盟協会神奈川支部が主催して「第1回県下学生器楽合奏大会」が開催された。金井先生らにも諮って、川口章吾や県教育委員会の指導主事松田桂栄、全日本学生ハーモニカ器楽連盟監事の近藤師家司、相模原市教委指導主事の榎本久などの諸氏に審査員を依頼した。
 10時の開会のセレモニーのあと午前中は独奏、午後は合奏の熱演が繰り広げられる。
 まずは厚木小学校の2年生田辺伸の「村の鍛冶屋」から独奏の部は始まり、「ト調のメヌエット」を吹いて最優秀賞を受賞した麻溝小の福田茂子など小学生は19名、同じく「コーカサス風景より」を吹いて最優秀賞を受賞した寒川中の竹内暉など中学生は6名、高校生はひとり、優秀賞を受賞した湘南高の甲賀一宏がみごとな演奏をして会場を沸かせた。
 合奏は「ロザムンデ序曲」で最優秀賞を受賞した麻溝小など6つの小学校と「ペルシャ風の行進」で最優秀賞を受賞した横須賀長井中など3つの中学校が参加、全体でおよそ350名の参加者があって盛り上がりをみせた。
 重昭らの尽力で開催にこぎつけ、無事終了した1回目の神奈川県の器楽合奏大会は、翌日の朝日新聞、読売新聞、神奈川新聞などで「名曲をみごとに演奏 県下器楽合奏大会開く」などと写真入りで大きく報じられハーモニカ熱をいっそうたかめることに貢献した。
 またこの年の12月4日には、神奈川に在住する内外の児童、生徒間で日頃の音楽修練を競うことにより、国際文化の交流と友好親善を図ることを目的として、神奈川県が主催して前年の開国100年祭の記念行事として始められた「国際音楽コンクール」の第2回目が横浜の県立音楽堂で開催され、アメリカンハイスクールなどの学生たちも多数出場するなか、ヴァイオリンやピアノ、合唱や吹奏楽などに混じって麻溝小リード合奏団や横浜訓盲学院ハーモニカバンドも出場、ハーモニカ合奏のすばらしさをアピールした。
 前日の東日本大会で優勝した麻溝小は残念ながらここでは入賞を果せなかったのだが、重昭がかつて金井先生と連れ立って訪問した訓盲学院のハーモニカバンドが「行進曲旧友」と「森の鍛冶屋」を演奏して合奏の部で2位入賞を果した。審査員にはアメリカ空軍の軍楽隊指揮者や海軍の聖歌隊指導者などに混じって、作曲家の高木東六も加わっていた。

.