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アラさんという女性ガイドとその友人3人、そして国営旅行社の副支配人シェーコフさんとその家族たちも一緒で、途中、広大な白樺の林や美しいカラマツ林を通ったが、車とはほとんどすれ違わない。
「広いなあ」思わず溜め息にも似た言葉が重昭の口からこぼれる。いまさらにソビエトという国の大きさに感嘆した。 目的地に着くと焚き火を囲み、お茶や軽食をとりながら「カチューシャ」や「トロイカ」、「知床旅情」などを皆で歌った。洋太郎たちの尺八や重昭のハーモニカの演奏も楽しんだ。音楽を仲立ちとしたなごやかで平和な光景だった。 ホテルへの帰り道、重昭は映画館を二つ見つけた。ここはいつも大入りなのだそうだ。なにしろテレビは国営放送で、たったひとつのチャンネルしかないのだから、映画は人々の貴重な娯楽だった。 夕食は宿泊するホテルでとった。別の日本人のにぎやかな一行にふと目をやると、なんと映画監督の黒澤明たちだった。 自殺未遂事件のあと、昨年からソビエトに招かれて「デルス・ウザーラ」を製作中だったのだ。厳しいシベリアの自然の中で、密林を探検中の軍人と、文明から切り離されて暮らす現地人デルスの友情を描くこの作品は2年がかりで完成、昭和50年に公開され、モスクワ映画祭で金賞を受賞したほか、アカデミー賞でも外国映画賞を受賞した。黒澤が唯一実現できた海外での製作映画の大作だった。 食事の終わる頃になるとホテル専属のバンドの演奏が聞こえてきた。こうしたバンドは外国人用のホテルにだけあって、演奏者もまたホテルの従業員同様に国家公務員だった。そばに行くとバンド演奏にあわせて大勢の男女がダンスを踊っている。夜ももう10時になるというのに、外はまだ明るかった。ここは日が長いのだ。重昭は興味深くバンド演奏に耳を傾けた。 翌日は午後、イルクーツクに向かった。ハバロフスクから空路約3時間。バイカル湖のほとりのまちだった。みんなオーバーコートを着ている。気温は3度で、外の水溜りは凍っている。ハバロフスクでは23度もあって温かかったのに、重昭たちは肌着一枚なのでふるえあがってしまった。 バスで案内されたホテルはアンガラホテルといって、一流だそうだが、部屋には風呂もなくシャワーがあるだけで、トイレも時々水が止まらなくて困った。 床には絨毯ではなく薄手のビニールが敷いてあるだけだった。窓は二重構造になっていて、温湯スチームがあったが調節がきかないらしく、室内は30度を越える暑さだった。 外に常緑樹の緑はほとんどなく、冬枯れの林ばかりが見える。水はさすがにバイカル湖の水だけあって、きれいでおいしく、それだけは助かった。 夕食に行って驚いたのは、100灯ほども電灯のついてる大食堂なのに、中央の一灯しか点けてない。節約のためだそうだが、食事が終わってだいぶ暗くなってもとうとう点かなかった。重昭は異国にいることをあらためて想った。 |
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