2002.06.01(NO8) 動く車内コンサート |
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終戦後まもなく、宇都宮農林専門学校一年生の重昭は帰省列車に乗り込んだ。学校から連絡があるまで自宅待機を言いわたされたのだった。列車の中はよれよれの服や汗臭い服をまとった人たちで混み合っていてその異臭が重昭の鼻につく。 やがて上野駅に近づくと車窓の風景は一変した。むき出しの鉄筋コンクリートが無惨な姿を晒していたり、瓦礫のなかにバラック小屋が立ったりしている。「こんなにひどく燃えたのか」重昭は深く嘆息した。 |
上野駅に着くと、戦災で住居や身寄りを失った浮浪者の姿も多かった。そして列車を待つ人々のまわりに浮浪者の子どもたちが群がり、食料をせがんでもいた。重昭は戦争の傷痕の深さにあらためて胸を痛めた。宇都宮から厚木へ帰省する何回目かの帰省の折、重昭は愛用するハーモニカを12本ほど入れた黒いケースを持っていた。新宿から終電車に近い3両編成の小田急に乗り、やがて町田に停車すると何十人というアメリカ兵たちが一斉に乗り込んできた。 その中のひとりが重昭の黒ケースを目ざとく見つけ、「キャンユープレイ ミュージック」と聞いてくる。重昭は「イエス」と答え、おもむろにケースを開けた。 兵士たちの視線が集まるなか、『トルコマーチ』や『赤い翼』『マリネラ』を演奏した。皆が笑顔で手拍子をとってくれるし、一曲演奏し終える度に大きな拍手をくれる。もっとやれやれという拍手に促されて、『峠の我が家』なども吹いてみた。案の定受けて、兵士のなかには帽子を持って回る者がいた。チューインガムやチョコレート、キャラメル、さらには「ラッキーストライク」までが帽子をはみ出すくらいに集められた。お金も一万円を優に越える金額が入っていた。 アメリカ兵が降りる座間駅までは動く俄かハーモニカ演奏会場と化し、ご機嫌な兵士たちを前に、重昭は久しぶりに演奏する喜びを実感したような気がした。集められた金品はカーキ色の袋に詰められて重昭に渡された。兵士たちが降りてガラーンとなった車内で重昭はある種の満足感に浸っていた。 日本人ならさして見向きもしない音楽に、彼らは手拍子をとって物までくれた。「アメリカ人は音楽好きなんだなあ」そんな感懐もあった。 やがて電車は本厚木駅に着いた。ホームへ出て線路を渡りキップを駅員に渡すと、重昭の背後から声をかける者がいる。被っている帽子からすると小田急の偉い人のようでもあった。 「もしもしあなたは学生さんですね。決して悪気じゃないでしょうが、電車のなかではお金をもらったり、芸人のような事は禁止されています。以後きっとしないようにしてください」 重昭の浮かれた気持ちが一気に吹き飛ぶような一撃だった。別に連行されるでもなくただ忠告だけ残してその人は歩き去った。いったんひんやりとした気持ちにはなったが、歩いて数分の家までの夜道を興奮の余韻にふたたび浸りながら、重昭は幸せだった。 |
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