今昔あつぎの花街  飯田 孝(厚木市文化財保護審議会委員)
 NO40(2002.09.15)         「あつぎ鮎街をどり」始まる
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「あつぎ鮎街をどり」第1回公演パンフレット(飯田孝蔵)
 厚木芸妓連公演の第1回「あつぎ鮎街をどり」が開催されたのは、昭和34年(1955)11月12日であった。
 会場は厚木中央公民館(現厚木北公民館)。主催は厚木三業組合、後援には厚木市、厚木市観光協会、厚木商工会議所の3者が名を連ねている。
 第1回公演パンフレット『あつぎ鮎街をどり』の「御挨拶」で、厚木三業組合長桜井雄吉は次のように述べている。
 「扨て江戸時代の昔より『小江戸』の別名をもって栄えに栄え来ました『花街』厚木町は、今次新時代の息吹に応え近代 産業、観光都市として再飛躍の秋を迎へました。
 吾等は吾等の業界より郷土の観光的発展に寄与致し度く、之が方策の一環として、花街厚木は又水郷の名に相応しく、此の度『あつぎ鮎街をどり』を企画創設し、厚木市及び厚木市観光協会、並に厚木商工会議所御後援のもと、厚木芸妓総出演による其の初公演を挙行、晩秋の錦と共に研を競う絢爛絵巻を御披露させて戴く運びと相成りました」
 また、『あつぎ鮎街をどり』に「御挨拶」を寄せた厚木市長・厚木市観光協会長石井忠重は、「厚木と謂えば相模川を、そして銀鱗躍る若鮎を連想し、郷土の誇りを感ぜしめます」と述べ、厚木商工会議所会頭戸塚忠五郎は、「古くから知られた厚木三業組合が、率先観光の尖兵として、厚木は厚木としての特色を生かすべく研修会を開催される事は喜びに堪えぬ次第であります」と記している。

 『あつぎ鮎街をどり』パンフレットによれば、師匠は花柳松之輔・花柳千寿松・駒和加の3人。公演当日の番組と出演者は左記の通りであった。
 清元北州千歳寿 市子
 長唄末広狩 恵美子・乙女
 清元大和い手向五字(子守) 子鶴
 長唄黒髪 こづち
 長唄岸の柳 照美
 長唄大原女 力
 長唄寒行雪姿見 美千奴
 清元貸浴衣汗雷(夕立)小日出

 長唄浦島 いろ子
 長唄元禄花見踊り あかね、なぎさ、いづみ、ゆかり
 長唄松の緑 桃太郎
 お好み小唄集 唄 市子・小つた・千弥・早苗
 三味線 小文・文弥・染丸・早苗・市子・蔦吉 
 白扇 龍子・静江
 どうぞ叶えて あかね 河太郎 しのぶ
 新口村 いろ子・久松
 川風 しづ子・力・わか江・美千奴・小づる
 長唄汐汲 ぼたん 長唄五郎 信子 
 長唄春昔由縁英(羽根の禿) 千草
 長唄助六 豊子
 長唄菖蒲浴衣 力・小奈津
 長唄月雪花名残の文台(浅妻船)ひばり
 清元夫婦酒替奴中仲(鞍馬獅子) 清葉・萬菊
 清元〆能色相図(神田祭)千代香・美千奴
 長唄歌へすず 餘波大津
 絵(藤娘)龍子
 厚木音頭 厚木芸妓連全員
 右のほか、地方(じかた・三味線)である秀弥・芳香・えくぼ・うた子・らん子と、福丸・ひばりの顔写真も掲載されている。
 第二次大戦後の復興をとげた厚木花柳界では、これより先、昭和26年(1951)、全国民謡コンクールに神奈川県代表として出演している(「厚木民謡」パンフレット)。
 あつぎ鮎街おどり第1回公演の内容を見ると、「芸どころ厚木」として知られた厚木花柳界の心意気が伝わってくる。
 厚木鮎街おどりは回を重ね、厚木三業組合によって、第4回公演が県央労働福祉会館において開催されるのは、昭和45年(1970)11月のことである。

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