今昔あつぎの花街  飯田 孝(厚木市文化財保護審議会委員)
 NO45(2002.12.01)         飯山悲歌(エレジー)
.

飯山悲歌のレコードッジャケット。写真は舞小雪(山本陽輝蔵)
 「飯山悲歌(エレジー)」は、飯山温泉の若い芸者一菊(かずぎく)の心中・悲恋物語を歌にした実録演歌である。雪国山形県生まれの一菊は、色が白くとても素直ないい娘だったという。
 平成2年に発売された『相模のうた―厚木愛甲編』から、その悲恋物語を紹介しておこう。
 飯山に来た一菊は、お客さんと好いた惚れたのいい仲になってしまった。男には妻子があったから、今でいう不倫の恋だ。男はいつも予告なしにひょっこり現れ、知らぬ間に帰るので「お化け」というあだ名で呼ばれていた。2人の間には別れるとか、離れられないとか、他人には分からない複雑な思いがあった。
 事件が起きたのは、昭和47年10月18日・木枯らしの吹く初冬だった。男はいつものようにアパートを訪ねたが、一菊は友達と旅行に出て不在だった。それを「振られた」と早合点した男は、悲観してガス自殺を図ってしまった。仕事を休んだため、たまたま様子を見に来た男の友達がガスが充満した部屋にくわえタバコで入ったから大変である。アパートは大爆発を起こして燃えてしまった。

 次の日、焼け跡の始末をしている現場に帰ってきた一菊は、ことの次第を聞かされ茫然自失、タクシーに乗ってどこかへ姿を消してしまった。中津渓谷の旅館で、一菊のガス自殺が伝えれたのはその翌日であった。枕元には時計と指輪、貯金通帳、そして男の好物だったまんじゅうが置かれ、奧さんに宛てたお詫びの遺書が残されていた。
 遺体は飯山の光福寺に安置された。葬儀がしめやかに行われ、芸者衆が総出で見送りをした。通夜に参列した筆者の脳裏には、一菊の霊に香を手向けた悲しみの情景が後々まで焼き付いて離れない。
 「飯山悲歌」の作詩は西海利雄、作曲は西海千鶴子。昭和58年(1983)9月、アルティーレコードから全国発売された。
 あなたの愛のともしびが
 消えて冷たい明け方に
 飯山おろしが泣けという
 もうだめなのね
 だめなのね
 あゝ私湯の里飯山の女
 芸者の愛がうそならば
 飲み干す酒はにがいはず
 明日は旅立ちきめた夜は
 吹け吹け風よ花も散れ
 あゝ私湯の里飯山の女
 菊の花びらむしるよに
 愛が終わりをつげました
 星の結びを信じつつ
 雪より白く眠ります
 あゝ私湯の里飯山の女
 「飯山悲歌」とA面の「湯の街の女」は、元宝塚月組のスター舞小雪が歌っている。青森県出身の歌手である舞小雪の新曲発売を報じた「青森新聞」には、10月17日から23日までの間に、青森放送テレビ出演や、青森国際ホテルでの「舞小雪の歌と踊りのディナーショー」の開催などが紹介されている。
 「湯の街の女」「飯山悲歌」レコードの全国キャンペーンに先立つ10月9日、厚木市文化会館において、チャリティーバラエティショーが開かれた。
 10月1日号予告記事を報じた「市民かわら版」には、当日は歌手舞小雪が粋な芸者姿で「飯山悲歌」を歌い、「飯山花音頭」と「飯山慕情」などの歌と踊りも合わせて披露されると記述されている。
 『相模のうた』には、「まったく可哀相な話でねえ。芸者の恋、好いた惚れたは昔から邪道と思われがちだが、本当に純情ではかない恋だった。はかない物語ですよ」という西海利雄の思い出が語られている。 

 

.