今昔あつぎの花街  飯田 孝(厚木市文化財保護審議会委員)
 NO47(2003.01.01)         花柳界のお正月
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大島屋の前に勢揃いした芸妓衆。昭和10年頃(飯田孝蔵)
 お正月は、花柳界がもっともはなやぐ時である。
 昭和10年(1935)頃に撮影された写真を見ると、39人の厚木芸妓連が、日本髪を結い。裾(すそ)を引く着物の褄(つま)をとって、大きな門松を立てた料亭大島屋の前に勢ぞろいした姿が写っており、第2次世界大戦以前の厚木花柳界お正月風景をしのぶことができる(『写真集厚木市の昭和史』)。
 しかし、昭和30年代に入ると、お正月に裾を引く着物を着るのは、ベテランのおねえさんの芸妓が中心であったという。
 昭和30年代はじめ頃の、厚木花柳界の芸妓数は約50名。この頃になると、かつらの人もいたが、地毛で日本髪を結う芸妓も多く、大晦日の美容院は大いそがしであった。芸妓衆の最後の髪が結いあがるのは元旦の朝になってからであった。
 美容院から帰った芸妓衆は、お風呂に入り、お正月の晴れ着に着替えて、置屋で新年のあいさつを済ませると、各料亭に新年のあいさつに出向く。お年始に配るのは、芸妓衆が各自で染めた名入れの手ぬぐいである。芸妓衆がそれぞれ手ぬぐいや、ちょっとしたお年始物を持参するので、新年のあいさつをうける料亭の玄関先には年始物の山ができた。
 芸者衆が結った日本髪には、稲穂をさすが、この稲穂をさすのは七草までであった。
 日本髪を結った芸妓衆が、各置屋ごとに連れだって、料亭をお年始にまわる姿は、「花街あつぎ」ならではのお正月風景であった。
 この頃の厚木の料亭では、大晦日も元旦も休まずに営業した。時には大晦日から正月にかけて居続けのお客もあり、気に入った芸者がいれば、一週間でも時間をつけっぱなしで遊ぶ人もあった。
 料亭では大晦日には貸金の集金にもあるくが、勘定を持ってくるお客には必ず一杯出す料亭もあったので、これを楽しみにわざわざ大晦日に借りた代金を持参するお客もあった。
 また、元旦には芸妓衆が各料亭をお年始に歩くので、ひいきの芸者衆があるお客は、あらかじめお年始に来る時間を見はからって料亭のお座敷で待っており、その芸者衆が顔を見せると、「花時間」といって、2時間とかご祝儀に時間をつけて帰したという。
 文字通り、「古きよき時代」のお正月風景であった。 
 では、続いて現在の状況を紹介しておこう。
 厚木花柳界の伝統を受け継ぐ、飯山芸妓置屋組合の新春は、1月4日の「初顔合わせの会」で、1年の幕をあける。
 平成13年1月4日開催の「初顔合わせの会」には、置屋春日、田和量家、三桝、北原、松原、京の家から33人の芸妓衆が、お正月の着物姿もあでやかに顔をそろえ、大広間の舞台では次の踊りが披露された。
  寿三番 晃 貴美
  初春 智恵子 あずさ
  白扇 木の実 さち代
  松づくし とんぼ
  奴さん 美々 結衣
  獅子わ あさき ぼたん
  祝賀の舞 花柳勝之
 飯山温泉には、花柳界のお正月風景が、現在でも生き続けているのである。
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