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NO52(2003.03.15) 遊廓のない「遊里」厚木 |
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明治15年(1882)の『神奈川県統計表』、「雑」の部には「遊里」の項があり、当時の神奈川県内(現在とは異なり、東京都の三多摩地域も神奈川県に含まれていた)19カ所の貸座敷・芸妓・酌人・娼妓各数の集計が掲載されている。 横浜区内 芸妓66、酌人21 横浜高島町(西区)娼妓509、貸座敷59 神奈川(神奈川区)芸妓16、芸妓199、貸座敷48 川崎(川崎市)芸妓15、酌人8、娼妓128、貸座敷32 保土ヶ谷(保土ヶ谷区)芸妓8、酌人3、娼妓20、貸座敷20 八王子(八王子市)芸妓41、酌人1、娼妓154、貸座敷18 府中(府中市)芸妓12、酌人1、娼妓50、貸座敷8 布田(調布市)芸妓11、酌人1、娼妓65、貸座敷13 横須賀(横須賀市)芸妓30、酌人3、娼妓122、貸座敷18 浦賀(横須賀市)芸妓20、酌人3、娼妓30、貸座敷5 三崎(三浦市)芸妓13、酌人2、娼妓27、貸座敷5 戸塚(戸塚区)芸妓21、娼妓34、貸座敷20 藤沢(藤沢市)娼妓90、貸座敷36 平塚(平塚市)芸妓12、娼妓66、貸座敷26 大磯(大磯町)芸妓13、娼妓57、貸座敷34 小田原(小田原市)芸妓44、酌人9、娼妓50、貸座敷54 吉野(津久井郡藤野町)芸妓9、娼妓22、貸座敷17 厚木(厚木市)芸妓9、酌人5 青梅(青梅市)芸妓11、酌人1 |
上のうち、川崎・神奈川・保土ヶ谷・戸塚・藤沢・大磯・小田原は東海道の宿駅であり、府中・布田・八王子・吉野は甲州街道の宿駅であった。 なお、「芸妓」は1本(1人前)の芸者を意味し、「酌人」はお酌、すなわち玉代が半分の半玉(はんぎょく)のことである。また「娼妓」は遊女・公娼、「貸座敷」には貸席の意味もあるが、この場合は遊廓のことである。 明治14年(1881)の「娼妓貸座敷規則」(『神奈川県資料』)によれば、東海道・甲州街道の宿駅および横須賀・浦賀・三崎は「娼妓貸座敷営業ヲ許ス可キ場所」であった。これに対し、横浜区内・厚木・青梅の3カ所のみが娼妓のいない「遊里」、すなわち遊廓のない「遊里」だったのである。 明治15年(1882)の厚木には、合計14人の芸妓(酌人を含む)がいたことになるが、この人数は保土ヶ谷・平塚・大磯・吉野・府中・布田など、遊廓のあった「遊里」の芸妓数を上回る。 娼妓のいない「花まち厚木」は、明治末期頃から次第に盛んになる相模川鮎漁遊びにおとずれる東京・横浜の都会人の心を癒し、厚木花柳界は「芸どころ」として、広く世に知られるようになるのである。 |
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