今昔あつぎの花街  飯田 孝(厚木市文化財保護審議会委員)

 NO58(2003.06.15)    たそやあんどん      
 「たそやあんどん」は、「たそやあんどう」ともいわれ、「誰哉行燈」「誰也行燈」の漢字があてられている。たそやあんどんは、江戸新吉原の遊廓で、各妓楼の前に立ち並べた屋根形をのせた辻行燈であるが、これとは別に歌舞伎舞台に出す木製の灯籠の意味もある(『日本国語大辞典』)。
 また、江戸時代末期頃の見聞をまとめた『守貞漫稿』には、次のように記されている。
 たそや行燈或人曰「たそやあんどう」は、「たそがれあんどう」の訛言也元吉原町にありし時より、毎院の戸前に之を建、今の新吉原町に遷りて、また之は廃れず。今に至りて江戸町及び以下、妓舘毎に戸前往来の正中に此行燈一基と、天水桶上に手桶十ばかり積たるとを必ず之を置く行燈には終夜燈を挑て、往来を照す、けだし此行燈の形、他所にも之を用ゆれども、「たそや」の名は当郭に唱ふのみ
 『守貞漫稿』の記述に「よれば、江戸時代、たそやあんどんは、新吉原の各妓楼が、その前の道に立てて灯をともし、夜の道を照らすあかりとしたものであるが、新吉原以外でも用いられていたことがわかる。
 これがいつしか料亭などの目印や看板となって、電灯がともるようになった後も、たそやあんどんは、花柳界でその姿が生き続けることになる。
 第二次大戦以前、厚木の料亭がお客に配ったマッチを見ると、大坂家、千登世、丸田屋、清月、萬八十、吉河家などのマッチラベルに、たそやあんどんの図案が用いられている。

吉河家・大坂家・丸田屋のマッチラベル(飯田孝蔵)
 では、現代ではどうであろうか。厚木市内では、唯一芸妓置屋組合と見番がある飯山温泉について見ることにしよう。
 飯山では平成11年、小鮎川に架かる庫裡橋(くりはし)が新しくかけ替えられた。バス道路から飯山観音に向かう朱塗りの新しい橋には、六本の屋根付の外灯が取り付けられた。この外灯が、まさしく「たそやあんどん」の形をしているのである。
 平成13年10月1日号の「ATSUGI 広報あつぎ」の第1面は、たそやあんどん型の外灯がともる庫裡橋を渡る芸妓姿の写真がかざった。「温泉旅情」と題した「広報あつぎ」始めの部分を引用してみよう。
  夕暮れ時、橋の外灯に橙色の灯がともると、和服姿の芸妓たちが一人二人と姿を現す。小走りに宴の席に向かう者、橋の上で足を止め、芸妓仲間とたわいない言葉を交わす者。まるで小説の一シーンにあるかのような温泉旅情を醸し出す。(以下略)
 このほか、飯山では、元湯旅館でもたそやあんどんの伝統を見ることができる。元湯旅館入り口、門の右方の塀には屋根付きの灯籠が取り付けられて風情をそえる。これもたそやあんどんの形式を受け継いで造られていることが分かるであろう。
 飯山温泉では、江戸時代からの伝統が、形を変えて現在でもなお生き続けているのである。 

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