言葉と精神の離乳食★わらべうた

大熊進子

NO.20

七五三・新嘗祭・泥つくドン

 11月は七五三、お酉さまの月。七五三が全国的に行われるようになったのはどうやら戦後かららしく、勿論平安時代からこのような祝いがあったようですが、私は「七つ子いわい」というお祝いが心に残っています。見たことは無く、単にいつか文章で呼んだだけですが「七つまでは幼児は神の庇護の下に置かれているから何をしてもバチが当たることはない。しかし七つになると神の庇護の下から神を祭る側になる。もう甘えは許されない」と書いてありました。
 むかし、「昔気質の一少女」という本だったと思うけれど、その中に「小学校に上がったら今日から私をミスって先生が呼んだの」というくだりがありました。その少女は今まで〜チャンと呼ばれていたのにミス〜と呼ばれたことで自分が成長したことを自覚したんだなあと心に残っていました。たがいに着飾ったり、お祝いしあったりだけでなく少しづつ何か心の成長があるような儀式であってほしいなあと思います。
 そして新嘗祭というものもありました。私は小学校で校長先生が「ニイナメサイとはにいさんをなめるのではありません」と、この件だけを覚えていますが、今年の豊作を神に感謝する祭りでしょう。今、11月23日は勤労感謝の日となりました。
 風習というもの、その中に含まれる儀式がどんどん消滅していくその速さに唖然としてしまいますが、今でも残っているのでしょうか、奥能登に「アエノコト」という儀式があると聞いたことがあります。11月5日に家長が裃姿で苗代田へ行き、拝礼のあと鍬で切り株を起こし『田の神様永らくご苦労様でした。お迎えに上がりました』といい、家の座敷に迎えいれるというのです。当然座敷には米二表と田でとれた農作物の数々が飾られ、神様はそこで越年されるそうです。アエとは饗、コトとは儀式だということですが、幾つになっても農作業に精を出しているおじいさんが、裃で正装し、田に入って株を起こし、拝礼をして神様を家までお迎えする。そして通っていただいた座敷には清められて感謝の詰まったお米を始めとする沢山の野菜が飾られている様子が目に浮かびます。
 こういう儀式をするための準備は大変でしょう。もしかしたら座敷の掃除も暦を見て縁起の良い日にしなければならないのかもしれないし、お飾りする野菜の順序も決められているのかもしれないし、それを飾る半紙も何か紋きりのような形を作らねばならないかもしれない。こんなことをやって何になるの? 時間の無駄。こうして消えていく儀式、習慣…。
 今日歌いたかった歌は「ゆきこんこん あめこんこん 水田の芝居で 泥つくドン」という歌です。ドロツクドン のところ、打ち込んだらこう変換されました。私がこの歌を知ったとき、「アア、稲刈りもとうに済んで、霜が折り始めた田んぼに小屋掛け芝居の一座が来たんだ。農閑期の人たちは喜ぶだろうなあ。ドロツクドロツクドロツクドンドンと太鼓が賑やかに人を呼んで、矢も立てもたまらなくなってみんな見物に来るんだろうなあ」と思っていました。
 でも20年位前に保育士たちは「水田で泥だらけになるんですよね」って言ったので私は吃驚しました。「アア、日本語って面白いなあ、水田でやるから泥と、太鼓の音のドロを掛けているのか」と思いました。大体太鼓がなんと言ってるかなんて一般の人たちは考えもしないでしょう。
 スッテンヒッツクツ コリャ ステツクテンツク スッテンテン、とかテンテン ツクツ〜 コリャ〜テンテンツクツ〜、とかね。お化けが出てくるところでは、ヒュ〜ドロドロドロドロ、とか。大きい太鼓はド〜ンド〜ンと腹の底に響くし、ドロツクドロツクドロツク テンテン、なんて威勢よく響くときもあります。こういう民族が伝え、伝えられてきた音楽も殆んど消えかけている今、私のパソコンにとってもこれは「泥」でした。

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