言葉と精神の離乳食★わらべうた    by  文・大熊進子/え・鈴木伸太朗

NO.24

めだまやき きておくれ

え・鈴木伸太朗
 松も取れ、小正月。どんど焼きでお飾りを焼いたり、書初めを焼く風景も殆んど見られません。昨年は1月から四国、山梨、長野、岡山へと行きました。行く先々で新しいことを知ったり、その土地の民話、わらべうたなど、または言い伝えなどを聞くのが楽しみですが、最近はメデイアのお陰でその楽しみも薄れてきました。
 今年は長野へ行くことが多いので、暮れから長野のわらべうたを調べていたら、10数年前に長野のわらべうたとは知らずに歌っていた歌に出くわしました。
 「めだまやき きておくれ はやくこないと ひがきえる めだまやき きておくれ はやくこないと ひをけすぞ」。
 これを見て私はただ単に目玉焼きの歌だと思いました。知らないとは恐ろしいことですが、でも何で目玉焼きを大勢でやるのか(だって呼びかけているんだもの)わかりませんでした。語呂が良いから口ずさんでいましたが、今はっきりわかったのです。
 「めえ玉焼きに 来ておくれ 早くこないと 火が消える めえ玉焼きに 来ておくれ 早くこないと 火を消すぞ」
 というのです。目玉ではなくめえ玉、即ち繭玉。これは茅野市のわらべうたとされていますが、小正月の頃、1年の五穀豊穣と立派な繭が取れることを祈って米の粉を蒸して赤や白のめえ玉(繭玉)を作り、柳の小枝に突き刺して天井などに飾る。一日置いてそれを道祖神の前で威勢のいい炎で焼いて食べる、という大切な行事だったのです。
 私がわらべうたを歌うと今の若い保育士や幼稚園教諭たちはポカンとしていることが多いのですが、こういうことだったのでしょう。知らないと何もわからない。だから自分のどのカテゴリーに分類していいか分からない。聞いたことも無い、遊んだことも無ければ当然です。しかし、幼児たちは全く違う反応をします。「何、なんていった?何のこと?」と興味津々。無垢という事は素敵なことなんですね。
 どんど焼きやめえ玉焼きで思い出しましたが、「ねしょんべん物語」という本を読んだことがあります。確か椋鳩十さんが子どもたちがおねしょをした経験談を集めた本だったように記憶していますが、おねしょをするのはその本によれば圧倒的に男の子が多い。そしてたき火の夢を見て「大変だ!」と思っておしっこで消そうとしていて結果的にはおねしょ。そのたき火もどんど焼きのような夢が多かったと思います。
 長野は温泉も多いので温泉に浸かった歌も見つかりました。
 「どんぶかっか すかっか あったまってあがれ かわらのどじょうが こがいをうんで あずきかまめか つづらのこ つづらのこ」っていうんです。これも調子が良くて、意味は不明で面白いから私は良く口づさんでいました。
 お風呂に入るときに「いちにさんしい」なんて数えるよりこれを歌って入ったほうが楽しいと思ったので、お母さんたちに勧めていましたが、どうやらあたりらしいです。     
 最近は「わらべうたを学ぶ」会も増えているようで、私も頼まれて教えています。しかし、私が今経験したように知らないことを育ってしまった細胞に組み入れることを考えないといけないなと思いました。わらべうたは数知ってりゃ良いってものではなく、どう生かすかが問題なのです。小さい子どもの心になって考えないと単に大人の思い込みで終わってしまいます。常に好奇心を持ち、子どもの心になって、しかも幼稚にレベルを下げない大人でいないと子どもに笑われてしまいます。
 今年の冬は寒いです。大寒 小寒 山から小僧が泣いてきた…といつまで歌い続くのでしょうか。風邪を引いても心は健康でいられるようにしたいものです。 

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