私は 子供と子供と喧嘩して 薬屋さんが止めたけど なかなかなかなか止まらない 人たちゃ笑う 親たちゃ困る と憶えています。子と子と喧嘩して 親親同士が腹立てて 人さん人さん聞いとくれ なかなか聞かない中指さん 紅指し指の別嬪さんというのも好きですし、ふ〜ゆべま〜なかゆべま〜 たかちいゆ〜べま かんざせま〜 がさめばあんま〜かいおりじょろじょろじょろはい じょろじょろじょろ という沖縄の、確か竹富島の歌だったと思うけど、これも好きです。紅差し指という美しい表現がすきですし、かんざせまという薬指で簪を挿すんですよと歌で教える奥ゆかしさに感じ入ってしまいます。子と子と喧嘩して〜と歌っていた子供たちがいつか『アッ、これって関西の歌だったのか(だってメロデイーが東と逆だから)』と気づけば嬉しい。特にふ〜ゆべま〜 は人差し指を「なかゆべ」といっているのが面白い。要するに5本の指でガバッと掴むのは鷲掴みで品が悪いからおよしなさいと言っているのではないかなあ〜。私の遊んできた子供と子供は小指から順に親指まで順に行きます。ふ〜ゆべま〜もそうです。子と子と喧嘩して と県央の子供と子供と喧嘩して は小指から親指に行きます。これが小さい、3歳くらいの子供にとっては難しいことなので、なかなか優れものだなあと感心してしまいます。きっと賢い大人が目の前の子供の思考力を育てるためにいろいろ工夫したのでしょう。おまけに県央の歌は 子供の勝ち目に親が出た と笑っています。そう、昔は子供の喧嘩に親が口を挟めば「ヤ〜イ、ヤ〜イ、コドモノケンカニオヤガデル〜う!」と囃されたものです。
さて今年は初午と節分が重なりました。節分は立春の前日、邪気を祓い幸いを願う日。社寺では節分祭や追難、家庭では豆まきをします。焼いたイワシの頭とヒイラギの小枝を飾ると悪鬼の侵入を防ぐといわれ、私の小さい時などはそういう家を見たものですが、最近のようにこう夜空が明るくてはそんなことをしなくても悪鬼は侵入しないのかもしれない。
初午は俗にはお稲荷さんのお祭りで、平安奠都の頃から行われてきた。農耕の神様の霊獣がキツネと考えられ油揚げを供えるようです。農耕の神様が江戸時代になって商売の神様をも兼ねるようになり、庶民信仰の対象になったそうで、どうりで今でも都心のビルの屋上にお稲荷さんの鳥居がよく見られます。
厚木でも才戸橋から三田を目指す道沿いには未だ畑にお稲荷さんの鳥居をいくつか見ます。でも農耕が少なくなってきた現在、お稲荷さんはいなり寿司としてしか残らないのかなあ〜、だって私いつも幼児に聞くの、『ねえお稲荷さんって知ってる?』。そうすると『うん、知ってるよ、食べたことある』って皆言うもの。その代わり{福は〜内、鬼は〜外}は良く知ってる。きっと家でも幼稚園、保育園でもやってるんでしょう。小さい子供にとっては鬼は怖いものです。男鹿半島のナマハゲも今は12月31日らしいですが昔は旧正月の行事で悪い子はいないか?という行事らしい。ドイツでも農閑期を終え、春の農耕に掛かる前にこのナマハゲととてもよく似た行事があることをいつかカレンダーで知りました。
何処の国でも文化に基づいた風習を伝える行事がある、そしてそれは子孫に大切に伝えわたしていかなければその民族の存続の危機を意味するのではないでしょうか? 年寄りしかいない社会ならば邪気も悪鬼も招きいれこそすれ祓う必要はないでしょう。紅差し指だのかんざせまなど日常生活にあまり必要ないことも伝える必要はありません、だって老い先短いんだから、後は野となれ山となれだもの。 |