風見鶏

2004.01.01〜12.15

 自治体の2007年問題(2004.12.15)

 地方自治体に「2007年問題」というのがある。団塊の世代が退職年齢にさしかかる時期との関連で起こる財政上の問題だ。立命館大学の白川一郎教授は「2007年度の地方公務員の退職金は、02年の1兆8千億円から2兆4千億円にも増大し、給与を含めた人件費は、歳出全体の3割に上昇する」と述べている(『自治体の破産』NHKブックス)▼大企業では退職金の積み立てが可能だが、中小企業では退職金制度自体ないところもあり大きな問題となっている。白川教授は「ところが行政では、退職者が出る都度、会計的に処理しているだけで、これから生じるであろう団塊の世代の大量退職という事態は財政的にはほとんど想定されていない」と指摘する▼01年に神奈川県が「退職手当懇話会」を設置し、改革のための報告書を作成した。しかし、公務員給与の引き下げや早期退職制度の採用などによって弾力的に引き下げていこうという方法が再認識されただけで、 具体的対応策は出ていない▼この団塊の世代は一方で年金問題もかかえている。少子化によって年金受給と負担の世代が逆転し、充分な年金がもらえないのではないかという不安である。これまでのように退職金と年金をあてに老後を優雅に生きるという人生設計は描けなくなった▼白川教授は「構造改革の最終仕上げは自治体の財政構造改革だ」という。厚木市は来年、市制施行50周年を迎えるが、2007年問題を視野に入れた改革プランを早急にまとめるべきだろう。

 エコ商店街(2004.12.01)

 環境省が公募した2004年度の「エコ・コミュニティー事業」に、厚木なかちょう大通り商店街振興組合の「エコマネーを利用した有機性循環資源リサイクル事業」が2年連続して選ばれた。同商店街が発行するエコマネー「APA」を活用し、商店街の活性化と地産地消の循環システムの構築を目指したものだ▼生ゴミを持参した人に分量分のポイントを加算し、生ゴミ処理機を使って取り出した残渣を東京農大厚木キャンパスに持ち込んで肥料化するもので、肥料は近郊農家の有機栽培に活用してもらう。収穫した有機野菜は商店街を通じて消費者に還元する▼同商店街はこれまでにも「環境にやさしいエコ商店街」に取り組んできた。平成13年、商店街に空き缶・ペットボトルの回収機を設置、利用者が空き缶やペットボトルを入れると加盟店で使えるサービス券があたる事業をスタートさせた。当初月に6千本だった回収量は現在1万5千本を超えるという▼15年2月には風力・太陽光発電を利用した全国初の「ハイブリッド街路灯」を設置した。この街路灯には風車とソーラーパネルが取り付けられていて、旧街路灯に比べて40%電気代の節約につながった▼同商店街は「エコラボレーション」をスローガンに掲げている。エコとコラボレーション(共同作業)を合わせた造語だ。木村嘉宏理事長は「環境対策に地域住民みんなで取り組んでこそ、まちが活性化する」と話している。

 突然死を防ぐAED(2004.11.15)

 日本では毎日約100人が心疾患による突然死で亡くなっている。原因の多くは心室細動という心臓のけいれんで、心臓のポンプ機能が失われる重い不整脈である。この心臓突然死は家庭や仕事場、デパート、遊園地、駅や空港など場所を選ばず発生している▼救命率は1分遅れるごとに約10%ずつ低下し、3分以内なら4人に3人は助かるが、10分を超えると救命できないといわれている。この時に活躍するのが一時的に強い電気ショックを与えて除細動を行うAEDと呼ばれる自動体外式除細動器である▼欧米では消火器同様、会社や学校、映画館、スポーツジム、空港など人の集まるところへの設置が義務づけられ、救命に役立てられている。シカゴのオヘア空港には歩いて1分から1分半の距離に1台の割合で設置されている▼このAEDには内臓コンピュータによる心電図解析装置が組み込まれており、わかりやすいイラストと音声で、誰でも簡単に操作できるよう設計・デザインされている▼AEDの使用はこれまで医師や救急士、飛行機の搭乗員に限られていたが、厚生労働省は今年の7月、一般人にも使用を認める通達を都道府県知事に出した。公共施設などへの行政による率先した設置が望まれる。そして災害時における突然死に対応するためにも、学校や自治会、職場で使用方法を教えるなどして、いざという時に使える人を増やしてほしいと思う。

 震災後のリスク(2004.11.01)

 家は壊れているし、避難所は人でいっぱい。車中生活を注意されても、やはり車で生活するしかない―被災者の多くがマイカーの中で避難生活を送る新潟県中越地方で、「エコノミークラス症候群」という健康上のリスクが問題になっている▼これは飛行機などの乗り物で、狭い座席に長時間座り続けると、足の静脈に血栓ができて、その血栓が血管を詰まらせたり、肺に達して呼吸困難などを引き起こしたりする症状で、「旅行者血栓症」とも呼ばれている▼今回の新潟県中越地震でも、心臓病など持病のなかった48歳の女性が、朝起きて車から出た途端に死亡したため注目を集めた。車内で無理な姿勢を続けたことによる「エコノミークラス症候群」が死の引き金になったと指摘されている▼狭い車中での生活はもとより、避難所での精神的なストレス、震災の後かたづけや救援活動による疲労、行き届かない食事、睡眠不足が長時間続けば、人間の体は急激に免疫力が低下し、さまざまな病気を誘発する。普通の人は長時間かけて病気になるが、被災者は極めて短時間にそうしたリスクに襲われるのである▼地震災害は崩落や火災などの危険を回避できた後も、その後の避難生活で予想もできないリスクを背負うことが分かってきた。心臓病や脳梗塞を体験した人などは特に不安になるが、自治体は今後はこうしたリスクを避けるための工夫や「マニュアル」づくりも必要だ。

 産業政策(2004.10.15)

 厚木市は市制施行50周年を契機として、持続的な発展を支える安定的な財政基盤を確立するため、「企業誘導に関する条例」を制定するという▼昭和34年、当時の石井忠重市長が「工場誘致条例」を制定して市発展の財政的基盤をつくったことは良く知られているが、その後の厚木市は、刈り取るだけに終始してこの遺産を食いつぶしてきた。いわば種蒔く作業を怠ってきたのである▼今回の条例制定は昨今、厚木市から企業が次々と撤退する状況が続いている中で「後手の施策」といえなくもないが、市場に任せず積極的に種蒔きをしようという意味では大いに評価されよう▼しかし、かつての成長路線にのったまちづくりの種蒔きではなく、 所得が伸びず年金や退職金も期待できないが、余暇が増え人々の価値観が多様化するというゼロ成長経済の社会を「成熟した快適な社会」に作り変えていくための種まきが模索されなければならない▼ 豊かな自然を生かし犯罪のない医療サービスが充実した安全で安心した生活環境を整備し、スポーツや文化、健康と結びついた生活の快適さこそが追求されるなければなるまい。それは、量的な拡大を目指すかつての成長路線とは明らかに異なった都市づくりである▼企業誘導には中心市街地の活性化推進がうたわれている。しかし民間企業が進出しやすい環境だけをつくるのではなく、「神奈川の歌舞伎町」などという汚名を払拭するような思い切った規制を含んだビジョンを明確に打ち出し、企業ばかりでなく市民やNPOをも積極的に活用するような誘導措置が期待されているのである▼厚木市の産業政策に欠落しているのは「住んでよかったまち、住んでみたいまちを目指して」などという抽象的なビジョンを掲げて企業誘導をはかるのではなく、少子高齢化社会と低成長経済へ厚木市をいかに誘導するか、そして低成長に見合った豊かさと厚木らしさをいかに構想するかという具体的ビジョンである。

 小泉首相の意識のズレ(2004.10.01)

 第2次小泉改造内閣の発足に伴い、各新聞社が行った世論調査をみると、面白い結果が出ている。朝日新聞の調査によると、郵政民営化には45%の人が賛成と答え、反対の33%を上回った。しかし、新内閣で一番力を入れてほしいことは、年金・福祉問題と景気・雇用で、全体の8割を占めている。郵政改革を挙げた人は僅か2%に過ぎなかった▼有権者の意識と首相の意識には明らかに大きなギャップがある。首相の意気込みとは裏腹に、国民の郵政改革に寄せる関心は驚くほど低い。小泉首相は参院選で有権者が年金問題怒りを示したにもかかわらず最重要課題とは考えていないようだ▼首相お得意の「サプライズ人事」にも陰りが出てきたように見える。今回の改造内閣ではうるさ型を外し、使い勝手のいい布陣を敷いた。そして幹事長、郵政担当省、首相補佐官などを「身内」で固めた▼12年ほど前、小泉氏は田中秀征氏との議論で「派閥がなくなると、権力者による側近政治になる。総理の眼鏡にかなった者しか重用しなくなるし、総理ににらまれたらずっと冷や飯という側近政治になる」(週刊東洋経済)と言っている▼この予言は自ら総裁に就任し小泉流人事により派閥を解体させることで見事に的中させた。この時、小泉氏は「派閥はある程度残る。側近政治を抑制するのも派閥だ」とも言っているが、果たしてそうだろうか。小泉側近政治は派閥によっては抑制されず、一挙に崩壊へと進むだろう。だがそれは、自民党による派閥政治の復活を意味するものではない▼世論と首相の意識とが乖離し始めたのである。世論は派閥以上に恐ろしい。小泉内閣に秋風が吹き始めたのである。

 地域再生マネージャー(2004.09.15)

 厚木市は9月8日、民間人を総務省が自治体に派遣する「地域再生マネージャー制度」の派遣企業として、コンサルティング会社イリア(東京都港区)と契約を締結した▼派遣されることが決まった7人は、資源評価と戦略、食の開発、マーチャンダイジング、都市デザイン、環境、事業実験分野の専門家で、同市の中心市街地におけるまちづくりのビジョン構築などを支援する▼バブル崩壊後、厚木市の中心市街地の空洞化が顕著になっている。空洞化の要因は、集客力の低下と大型店の撤退、犯罪の多発による環境の悪化と安全性の低下、厚木らしさの喪失(目玉のないまち、顔のないまち)などにある▼特に本厚木駅北口から厚木一番街を中心とした界隈は、ここ数年の間に、パチンコ、ゲームセンター、風俗などの店舗が進出し、「厚木は神奈川の歌舞伎町」との異名をとるほどに様変わりした▼また、同地域にはボートピア(場外舟券場)進出の話があり、さらなる環境悪化を懸念する声もあるが、一方では背に腹は代えられないというビル所有者や商店主の現実もあり、生き残りをかけ、商店街をどう活性化していくかが問われてもいる▼同市はこれまでにも様々な計画、構想などを発表してきたが、失敗に等しいテレコムタウン以外に実現された例は極めて少ない。中心市街地の再生は待ったなしである。実務経験豊かな地域再生マネージャーの能力が試されるところだ。大胆で実現性のあるビジョンを期待したい。

 霊峰が泣く(2004.09.01)

 厚木市が国の認定を受けた地域再生計画は、発表になった当初から「ロープウェー構想」が山の愛好者や環境保護団体から不評だった。筆者も「厚木市は一体何を考えているのか」という批判をあちこちで耳にした▼丹沢にロープウェーを建設するという話は、実は32年前にもあった。昭和47年2月、小田急電鉄が、秦野市の水無川上流の戸沢出合から塔の岳手前の花立まで、70人乗りのゴンドラで結ぶというロープウェー計画を発表した▼この時、荒廃する自然を守ろうという自然保護運動が高まり、丹沢自然保護協会と自然保護連盟は、「丹沢はすでに開発過度、無理な観光開発だ」として小田急電鉄と県、秦野市に建設中止の要望書・陳情書を提出、後に県が着工に待ったをかけたため中止になった▼今回は丹沢でも霊峰大山である。大山は古来より山岳神道の根源地で、別名雨降山、阿夫利山ともいわれ、昔から霊山として信仰され畏敬されてきた。大山のブナ林は「雨降木」とも呼ばれ、まさにご神木である。かつて大山に東京電力の送電線関連施設が作られた時、「大山に角が生えた」と嘆きの声が聞かれたという▼その大山にロープウェー構想だ。しかも今回の発案者は行政である。バリアフリーとは、人間が作った人工的な障害を取り除くという意味で、自然破壊してまで、自由に往来できるようにするという意味ではない。丹沢大山は国定公園。霊峰が泣く。

 一枚の地図と終戦記念日(2004.08.15)

 今から45年ほど前だと思う。当時小学校の低学年だった筆者は我が家に大きな地図が壁紙として貼ってあったのを記憶している。かつての満州国を表した地図の上には、別枠で「東亜一般図」として日本が赤く印刷されていた。赤く塗りつぶされた部分は日本列島のほかに、千島、南樺太、朝鮮半島、台湾、南方までに及び、満州国だけは国境線だけが赤かった▼「赤いところが全部日本だったのだよ。日本は戦争をやって次々と領土を広げていったが、負けるまで戦ったからこんな小さな国になってしまった」。終戦記念日にその地図をまじまじと見ていた筆者に母親が語った言葉をいまだに記憶している▼赤く塗られた地域が「大東亜共栄圏」だということは高校生になってから知ったのだが、地図上で戦争や領土ということを最初に意識したのがその時だったように思える。その地図は昭和9年1月1日に満鉄が作製した比例尺200万分の1の「満州國地圖」だった▼それ以降、「満州国」という言葉が筆者の脳裏に焼き付いて離れなくなった。この国境線だけが赤い満州国とはどんな国だったのか、20世紀初頭の歴史を遡る終わりのない旅が始まった。戦争、開拓、新都市の建設、引き揚げ、抑留、残留孤児、そして民族と国家など、その旅の道程はまだ半分にも満たない▼終戦から59年を経た今年、偶然にも子どもの時に見たのと同じ「満州國地圖」が筆者の手元に入った。その地図をいま遠い日の記憶をたぐり寄せるように眺めている。1枚の地図と終戦記念日。筆者にとって8月15日は、やはり「満州国」の歴史を遡る旅の始まりである。

 この程度で中学校の選択制導入か(2004.08.01)

 厚木市教育委員会が来年4月から中学校の「選択制」を導入するため、この10月から小学6年生を対象に申請を受け付ける。「中学校を学区に関係なく自由に選べるようにする」という教育改革の一環で、来春の入学者1,943人を対象に中学校1校あたり40人を限度に計490人を学区外から受け入れる▼この中学校選択制の導入は、児童・生徒が自分の行きたい学校で個性を伸ばし、充実した中学生活を送れるようにするのが目的だ。厚木市教育委員会は選択制の導入で、「好きな部活動で才能を伸ばしたい」「小学校の仲良し友達と同じ中学へ行きたい」「自宅に近い学校へ行きたい」などの希望が叶うようになるという▼しかし、この程度の理由だけで中学校の選択制を導入するというのはいかがなものか。選択制の導入はいままで以上に魅力ある学校づくりや学校の特徴、教育方針の公開が前提とならなければならない。そのためには指導力不足教員や教職員が長期間一校に勤務できる人事のあり方も見直しが必要だ▼校長の権限を今以上に拡大する一方で、不登校対策教師や外国人講師、環境や文化など、市町村が独自の方針や判断で教職員を採用できる権限も拡大されなければならない▼大事なことは地域の実情やニーズに対応したきめ細かな教育を推進する学校づくりである。厚木市内には現在13の公立中学校がある。13校同じ教育のやり方で選択制が活かされるわけではない。個々の学校が個性ある教育や特徴を打ち出してこそ選択制が生きてくるのである▼厚木市教育委員会は中学校の選択制の導入を言う前に、基礎的な学問と集団生活の指導に重点を置く「義務教育」にもっと力を入れるべきだろう。選択制はそれからである。

 お灸程度では世の中変わらない(2004.07.15)

 参院選の結果を小泉首相は「与党で過半数を獲得できれば、責任問題にはならない。これからも改革路線を確固たるものにしたい。衆参両院で過半数を維持すれば改革を進めていける」と総括した▼マスコミはこぞって「自民敗北」「自民に厳しい審判」と報道したが、自民党は本当に負けたのだろうか。改選議席を維持できなかったとはいえ、1議席下回っただけである。つまり単純に議席配分を見ると、共産党が失った議席を民主党が獲得しただけの話で、与野党の勢力は改選前とほとんど変わらない▼確かに1人区で民主党に敗れ、複数区でもかろうじて1人当選という選挙結果を見ると、自民党の低迷は止まってはいない。高い支持率にあぐらをかいた小泉首相は世論からも見離された。今後、党内求心力が低下し世論を背景にした小泉主導に陰りが見えてくるのは避けられないだろう。だが衆参両院でなお与党は安定多数である。ポスト小泉がいない自民党の政局運営が混乱するとは思えない▼となると本番は次の総選挙ということになる。今回、民主党は政権獲得に向け着実な地歩固めをした。次の総選挙は、この参院選でパワーアップした民主党と自民党という二大政党が、政権をかけて激突するだろう。そのときこそ有権者は政権選択をかけた一票を投じなければなるまい。年金問題一つにしても、今回の参院選で有権者は、小泉政権にお灸を据えた程度では済まないのである▼世の中を変えるのは選挙だ。しかし衆院選でしか変えられないとうのは忸怩たる思いである。熱しやすく冷めやすい有権者は次の衆院選までこの意識を持続できるだろうか。大事なのは政権選択選挙である。

 改革は成功したか(2004.07.01)

 参院選の争点に自民党は景気回復を上げ、小泉さんも「景気に明るさが見えてきたのは小泉構造改革の成果だ」という。本当だろうか▼GDPの伸びや完全失業率、不良債権比率、日経平均株価などの数値を見ると、いったん悪化した数値が元の水準に戻っただけの話ではないのか。GDPは外需ではなく内需が引っ張っているというが、これは輸出する自動車や電気製品を国内工場で生産しているためで、内需が急増しているとはとても思えない▼小泉改革の柱となった不良債権処理はどうか。これも企業倒産という痛みのほうが大きく、景気回復にどの程度寄与したかは明らかではない。公的資金導入や合併で不良債権を処理するはずだった金融機関も決して健全ではない▼景気回復の最大の原動力となっている企業活性化は構造改革の成果ではなく、企業自身がリストラを進めた結果である。朝日新聞の主要100社調査でも、景気回復に「構造改革の成果はあるが小さい」「関係ない」と答えた経営者が9割だった▼個人消費はどうだろうか。勤労者全体の所得が伸びず小遣いが20年前の半分に減っているという現状の中で、消費が増えたのは、勝ち組みが消費を支えただけの話であろう。有効求人倍率も徐々に上がってきているとはいえ、東京と地方では格段の差がある▼景気回復は日本経済に規模や所得、中央と地方の関係に新しい格差を生みだした。国と地方の三位一体改革も税源移譲はなく、補助金だけが削減された。この改革を果たして成功というだろうか。

 出生率を高める方法(2004.06.15

 日本の出生率(1人の女性が生涯に産む平均の子どもの数)が、昨年ついに1.29にまで下がった。このほど厚生労働省が発表した「人口動態統計」で分かった。1・32だった02年から出生率が大幅に低下し、少子化が予想を上回るスピードで進行したことになる。このまま行くと日本の総人口は、3年後には減少に転じるという▼政府が野党の反対を押し切って成立させた「年金改革法」は、出生率が1.39で安定することを前提としていた。ところが見通しは大きく狂った。改革法の柱は、厚生年金の保険料率を段階的に18.3%まで引きあげれば、標準的な世帯で、現役世代の平均収入の50%を確保できるというものだが、この出生率の狂いで、年金改革法は根底から崩れてしまった▼出生率を上げ、女性が安心して子どもを産み育てることができる社会を構築するには、どうしたらいいだろうか。1.29という数字は、女性の社会参加が高まる中で、いくら子育て支援や育児休暇などの制度改革を整備しても、出生率が高まらないことを証明している▼それは日本の社会、そして少子化対策が、子育てと家事労働を女性が担うのは当然という考えを前提としているからだ。仕事と家事と育児を併用するのは奴隷に等しいほどの重労働である。しかも育児と家事は無報酬、まったくのタダ働きである。こんな割の合わないことなら、男性と同じように仕事だけしていて子どもは生まないほうがいいと考えるのは当然だろう▼少なくとも男性が育児と家事の半分を担うという企業の就労システムや社会制度を構築しないかぎり、女性は安心して子どもを産めない。出生率を高めるのはまず男性が育児と家事の現場に入ることである。

 人はみな泣きながら生まれてくる(2004.06.01)

 人はなぜ泣きながら生まれてくるのだろうか? 北朝鮮から帰国(?)した蓮池さんと地村さんのお子さんたちを見ていると、「運命」とでもしかいいようのないやるせなさを感じる▼子どもたちは親が拉致されたため、北朝鮮に生まれ、北朝鮮公民として育ち、北朝鮮の教育を受け、そして大人になりかけたある日、突然、日本人として見知らぬ親の国へ帰国することになった▲シェイクスピアの戯曲『リヤ王』の中に「人はみな泣きながら生まれてくる」という台詞がある。作家の五木寛之氏はこのなかには3つの否定できない真理が含まれているという。1番目は「人間は自分で自分の生まれ方を決められない」ということ。2番目は「人間の一生は日々死へ向かって進んでいく旅である」ということ。そして3番目は「人生には期限がある」ということ。つまり不老不死などないということである▼中でも1番目の真理「人間は自分で自分の生まれ方を決められない」というのは非常な論理だ。人間はどの時代、どの国、どの家、誰を親に持つかを自分で決めることはできない。体つきや才能、個性、遺伝子も自分では決定できない。人生の第一歩からして自分の意志を超えた、何らかの力で本人の努力と関係なく決められてしまうのである▼蓮池さんと地村さん夫妻も、われわれと同じように泣きながら生まれてきた。ただわれわれと異なるのは、人生の途中で思いもかけない拉致に遭遇したことである。しかも不幸なことにそれが子どもたちへと引き継がれてしまった。子どもたちは親も、民族も、国も選べないで生まれてきたばかりでなく、生まれてきた後も自分の意思で国を選べないという二重の意味で「泣きながら生まれてくる」結果になったのである。こんな非常で不合理なことがあろうかと思う▼「人はみな泣きながら生まれてくる」。五木氏は人間はこの3つの真理をまざまざと感じ始めた時、唖然として「人生のはかなさややるせなさを感じ、わけもなく深い思いの淵に沈んでしまう。明治のころの人は、それを暗愁(あんしゅう)という言葉で表現した」と述べている。人生には出来合いの希望などないのである。

 わらべうたの家(2004.05.15)

 お手玉、あやとり、なわとび、まりつきなどかつて子どもたちが日の暮れるのも忘れて遊んだわらべうた遊びが消えてしまう―と厚木市林の田村洋子さんが「わらべうた同好会」を立ち上げて16年になる。このほど活動の拠点となる「わらべうたの家」が出来上がった▼このわらべうたを子どもたちへ伝えようと実践したのは、町田コダーイ合唱団の指揮者大熊進子さんだ。大熊さんは30年ほど前「わらべうたは母国語と精神の離乳食」という理念をかかげ、わらべうたは教えるものではなく伝えるものと、全国各地で講演やわらべうたの実践、音楽指導を行っている▼わらべうたは遊びを通して語感を育て、1人で遊べるもの、人と遊ぶもの、自然や数や歴史、人とのかかわりの中でルールを守ること、そして年齢に応じた喜怒哀楽を共に共有することができるという▼このわらべうたは全国に伝わるものから、地域に伝わるものまであり、それぞれに味わいがある。同じわらべうたでも、言葉やイントネーションが違うから、その土地のわらべうたを他の地域に押しつけることは間違いだ。まさにその人よかれ、その土地よかれである▼だから田村さんたちには講師を育成して派遣する考えはないという。わらべうたは教育ではなくあくまでも伝えるものだからだ。田村さんは「わらべうたは地域に残るものを地域の人で伝承していくことに意義がある」のだという。

 バス交通と高齢化(2004.05.01)

 厚木市の路線バス交通問題等調査検討委員会が、平成15年11月、市民8千300世帯(1万7千325人)を対象に行った調査(有効回答率32%)で、現在のバス交通のサービス水準が低いものの、バス利用の意志が高い市民層が51%もいることがわかった▼また、全体の67%が生活の足を確保するため、バス路線の維持を望んでおり、市域の郊外ほど維持を望む割合が高くなっている。これは高齢化や核家族化などに伴い、自分で運転できなくなる、家族の送迎ができなくなるなどの理由により、バスへの期待が高くなっていることの現れだという▼さらに「65歳の高齢になった場合、最も頼りになる交通手段は」の質問には、現在のサービス水準の場合は自家用車が最も高いが、バスの定時性、速達性や利便性などバス交通が改善された場合、42%の市民がバスが頼りになると答えた▼提言では高齢化や核家族化、少子化が進むと、「自ら運転しない」「送迎してくれる家族もいない」など、公共交通以外に移動手段をもたない市民が郊外に増え、10年、20年後には大きな社会問題になると警告している▼厚木市がこれまで行ってきた交通対策や交通渋滞対策は、自ら車で移動する市民を対象にしたものであったが、これからは車を運転しない市民、公共交通を利用する市民にまちづくりをシフトしていく必要があるだろう。報告書はそう物語っている。

 地域内分権(2004.04.15)

 岩手県に田野畑村という小さな寒村がある。高齢化と借金財政にあえぐこの村は、いま村の生き残りをかけた異例の行政改革に取り組んでいる。それは県から市町村へと進む「地方分権」をさらに一歩進めた「地域内分権」と呼ばれる手法だ▼田野畑村では今年度から不法投棄の監視員は住民の手で、村主催の敬老会は自治会主催に切り替えた。同村では6年前、漁師まちの羅賀地区で3カ所の津波避難路を造ったが、これが地域内分権の最初だった。工事は手の空いた時に地元業者に格安で依頼する。この時の費用150万円は、村からの補助100万円、残りを地区独自の公共事業費から支出した。その原資は月1,000円の自治会費である▼こうした試みを支えているのが「村民総ボランティア」計画だ。食事づくり1回300円、話し相手2時間100円、ゴミ出し1回100円など17の支援項目がある。村側が全戸を回って聞いたところ、全村民の1割に相当する400人以上が「支援登録」した。支援を望む人も120人に達した。このボランティアでは、個人個人は報酬を受け取らず、地区ごとの運営費に回すという▼田野畑村の場合、「地域内分権」は財政再建が引き金になったが、こうした自治体の仕事と財源の一部を地域住民の裁量に任せるという試みは、住民の相互扶助の精神が欠かせない。厚木市も住民も田野原村をお手本にしてはどうか。

 教育改革と指導力不足教員(2004.04.01)

 小学校1年生の35人学級、中学校新入生の選択制の導入、外部学校評価制度の導入などを目玉とした厚木市の教育改革プランが発表された▼「何で今頃、遅すぎるんでは」「中学校の選択制導入は慎重に」という声も聞かれるが、とにかく「生き生き輝く人づくり」を理念として学校と家庭、地域が連携して教育改革に取り組む道筋が出来上がったことは喜ばしい▼改革プログラムには、学校の制度運用に関するものから、父母や地域の教育力に期待するものまで幅広く、それぞれに改革のあり方が示されているが、残念ながら教師自身の質的な向上や指導についての改革についてはほとんどふれていない▼最近問題となっている「指導力不足教員」対策である。疾病以外の理由で教育への責任感や意欲などに欠け、学習指導や、児童・生徒指導、学級運営などが適切に行えない教師が全国的に増えているという。このほど横浜市ではこうした指導力不足教員が15人いることを明らかにした▼親としての自覚にかける保護者や養育放棄、児童虐待をする親など、子どもの教育より親の教育が必要だとさえ思えるほど家庭教育が低下しているが、時々マスコミをにぎわす破廉恥な教師や自信のない教師を考えると、教える側にも問題がないわけではない▼父母の意識改革と同様に教師の指導・研修のあり方も、改革のプログラムに載せる必要があるように思える。

 県民不在の議会(2004.03.15)

 ほとんど子どもの喧嘩ともいえる松沢成文知事と県議会野党である自民党の不毛な対立は、県民に何をもたらしたか▼10日から始まる予定だった大事な04年度当初予算案を審議する予算委員会の開催がずれ込んだ。県議会では12日の休会日を委員会に振り替えたが、予算委員会が当初日程の修正を余儀なくされたのは97年度に設置して以来初めてだ▼この徹夜議会の影響で、県の出費が約400万円に達することがわかった。議員の旅費は1人当たり平均1万3千円で、105人の議員に対して本会議空転の2日間分払われる総額は約270万円である。これに県庁舎のガス代、電気代、水道代などの高熱費が1時間当たり約5万円かかるから、2日間の勤務時間外の消費は、約117万円になるという▼もちろん、こればかりではすまない。いつ開かれるか分からない本会議の開会を待って、職員スタッフ約100人が徹夜した。幹部職員に残業手当はつかないが、一般職員には時間外手当を払わなければならない。推定でも500万円を超えるだろう。このように徹夜議会のコストは計り知れないのだ▼知事と野党議員の対立は、県財政が苦しい時に、ほとんど無駄使いともいえるお粗末さを県民に知らしめただけである。今後も仕事をしないで、県民不在の喧嘩がいつ再燃するかも知れぬ。遺恨試合はコストのかからない「場外乱闘」で願いたい。

 監査委員の増員(2004.03.01)

 厚木市が監査委員を増員する。山口市長が開会中の2議会に定数を改正する議案を提出した。地方自治法では人口25万人未満の市では2人か3人と決められている▼監査委員の仕事は市の財務の執行にとどまらず行政全体について監査を行い、市長や行政委員会に報告し改善意見を述べることである。増員の理由は市立病院会計など対象事務の増加と専門化によるもので、体制の充実をはかることだという▼ところが、この監査委員の活動は低調だという声がある。これは仕事をさぼっているということではなく、あれだけ膨大な監査をしてもほとんどといっていいほど問題が出てこないのは不思議な気がするというのだ。監査委員が改善命令を出したなどという話は、ここ久しく聞いたことがない▼監査委員の活動はなぜ低調なのか。それは選任方法に問題があるからだ。市長が議会の同意を得て選任する監査委員は、市役所OBが大半を占めるし、議会選出の監査委員は議長経験者など、議会内の役職配分で決まるケースが多い。公認会計士や弁護士などは選ばれたためしがないのである▼増やすのはいいが、今後は選び方を変えていかないと、形式だけで厳格な監査などは期待できないだろう。これは単に役所OBや議会以外から選べばいいというだけの問題ではない。分権時代に自治体の監査機能を強めるには、まず専門性と中立性を持った人材を選ぶことから始めなければならない。

 マラソンは一発勝負(2004.02.15)

 マラソンの五輪代表選考がもめそうだが、ロサンゼルスとソウル・バルセロナ五輪に出場した増田明美さんと中山竹通さんが、選考に対照的な見方をしていて面白い▼日本の五輪マラソン選考基準は「世界選手権でメダルを獲得した日本人トップは内定。残りの枠は世界選手権と国内3大会の上位者から本大会でメダル獲得または入賞が期待される選手」である▼増田明美さんは「本番で勝てる選手を送れ」とする実績重視派だ。一発勝負の勝ち抜き戦では、何かのアクシデントで出られなかったり、コンディションが悪くて失速した場合、メダルを取る可能性の高い選手がこぼれるというのである▼これに対して「実績でなく一発勝負で選ぶべき」というのが中山竹通さんだ。五輪選考は皆が同じスタートラインに立たなければ公平でない。予選は悪かったが決勝で勝ちますでは通用しない、過去の実績で選ぶのなら選考会は不要だというのである▼中山さんは「有力選手が別々に走ったのでは誰が強いのか分からないので、選考会を一本化すべきだ」という。選考会はいかに体調を合わせ能力を発揮するかが問われる場でもある。当然コンディションの調整も選考に入る。予選の勝敗も実績だし運も実力のうちである▼五輪というマラソンの舞台は1回しかない。選手は誰でも大会に照準を合わせて練習し心身ともに最高のコンディションを整える。しかも全員が同じスタートラインだ。どんな走り方をしようと勝者にしか女神は微笑まない▼マラソンは予選であれ決勝であれ、常に一発勝負なのである。予選を敗者復活戦にしてはならない。

 産廃が押し寄せてくる(2004.02.01)

 1月30日の朝日新聞が1面で次のようなニュースを報じていた。産業廃棄物を自治体などが設置する一般廃棄物(家庭ごみ)用の焼却施設で受け入れる事業を、環境省が来年度から本格的にスタートさせるという内容だ▼これまで一般廃棄物の処理責任は市町村、産廃処理の責任は事業者という原則だったが、これを軌道修正して一体処理を進めようというもので、産廃の処理施設不足を補うとともに、ダイオキシン規制の大幅強化以降、大規模化で余力が出てきた一般廃棄物用焼却炉の効率化をはかるのがねらいだ▼自治体側は、これまで一般廃棄物の処理施設で産業廃棄物を焼却すると、国から受けた建設費の一部を返還しなければならなかったが、環境省はこの制度を産廃の量が消却能力の半分以下であることを条件に4月から廃止するという。つまり、消却能力の半分以下であれば産業廃棄物を焼却しても補助金を返還しなくてもいいというのである▼焼却する産廃の種類は自治体の判断に委ねられるが、木くずや廃プラスチック、汚泥など焼却・埋め立てに支障のないものに限られる。処理は有料で、自治体側と産廃収集運送業者らとの協議で決める▼厚木、愛川、清川の3市町村で進めるごみ処理広域化の一部事務組合が、この4月から正式にスタートする。平成24年の稼働に向け、長時間、高熱で燃焼できる最新型の大型炉と最終処分場を建設するという大型プロジェクトだ▼行政側はこれまでの説明会で「一般廃棄物が対象で産業廃棄物は対象外」という答弁を繰り返してきたが、「本当にそうか」と疑問を抱く市民は多い。これまで市町村固有の事務事業だったごみ処理問題は、ダイオキシン規制以降、消却施設の大型化と広域化が進み、国や県が乗り出すという中央集権化が進んでいる。今回の環境省方針もその一環で「やっぱり」という感じだ。一般廃棄物の消却炉に産業廃棄物が押し寄せてくるのである。その先に見えているのが民営化であることは疑いない。一部事務組合である「厚木愛甲環境施設組合」が、今後、国や県からの通達をどうさばくか。そして産廃をどう取り扱うか注目していきたい。

 体育の復活(2004.01.15)

 県教育委員会は、2004年度から県内の公立小学校で、子どもたちにもっとスポーツや遊びを楽しんでもらおうという「キラキラタイム推進事業」を展開する▼放課後、塾やテレビゲームで過ごし、運動やスポーツをやらない子どもたちが増え、体力も衰えていることから、授業時間をやりくりして体を動かす機会をあたえ、運動する習慣を身につけさせるのがねらいだという▼01年度に県教委が行った小中学生の体力調査によると、ボール投げや1,500メートル走など、調査した全項目で15年前と比べて体力が著しく低下していた。また、週に3日以上運動やスポーツを楽しんでいる子どもたちは3割にも満たなかったという▼県教委は本年度、50の小学校を「健康体力づくり拠点校」に指定する。拠点校は週に数時間、遊んだりスポーツをする「キラキラタイム」を実施、外部指導者による伝承遊びや学生選手を招いたスポーツ教室、地域と連携したスポーツイベントなどの特色を出していくという▼人間はまず最初に体を育て、心を育て、感性を育て、そして知識を教えていくべきなのに、戦後の学校教育はこの発達の順番をひっくり返してしまった。「徳育」が崩れ、次に「体育」が崩れ、そしていま「知育」までが崩れようとしている▼遅まきながら体育の復活だ。「健全なる精神は健全なる身体に宿る」(ローマの詩人ユウェナリス)である。昔の人はいいことを言っている。

 自立を目指す福島県矢祭町(2004.01.01)

 いま、国と地方の「三位一体改革」と合わせて注目されているのが「平成の大合併」である。2001年10月、福島県の矢祭町が「合併しない宣言」を行って一躍有名になった。政府が進める平成の大合併に公然と反旗を翻したのである▼当時、根本良一町長は「現在の町政が十分であるかどうかは別として、必要条件は満たしており現状維持で特別に困っていない。辺境にある矢祭町が合併しても中心にはなりえないし、行政は住民の目の届くところでというのが、民主主義の大原則だ」という見解を示した。以降、矢祭町は予想される厳しい財政事情に直面しても自立できるよう昨年8月から「自立を目指す町・矢祭町の行政機構改革」をスタートさせた▼町長以下特別職の給与を総務課長と同じに合わせたほか、現在7つある課を5課1室に簡素化、退職者の不補充により10年後には人件費を約2億円削減する。また、自立推進課を新設して企業誘致など町の自立にかかわる施策を進める。さらに町職員の自宅を「出張役場」にしたほか、土日祝日の窓口業務開設、フレックスタイム制の導入なども決めた▼矢祭町は「合併しない宣言」で孤立してリストラを始めたのではない。地方自治や公務員の在り方を理解していればこそ考えることができたアイディアだ。今日、合併する自治体もしない自治体も、矢祭町のような思い切った自己改革が求められている。