風見鶏

1978(昭和53年).1.1〜1978.12.15

  成人式(1978・1・22)

 「成人式」の是非をここでいうつもりはない。ただ、今年は成人式をとりやめた市町村もあったという。成人式を迎える若者たちの精神の荒廃と出席率の低下がその理由だそうだ▼成人式のルーツをたどると、埼玉県蕨市で昭和21年11月22日に行なわれた青年祭が、その第1号だという。敗戦国日本の次代をになうのは「われわれ若者たちである」と、22歳を迎える若者たちが、自主的に行なったものらしい。当時はモンペ姿、行事も復員相談やバザーが主で、サイズの合わない靴の交換が盛んに行なわれたそうだ▼それから30年以上。昨今は華美に流れ過ぎる成人式の服装と若者たちのすさんだ世相を嘆く声も多い。時代はなんと変わったことか。最近の若い人たちの望ましい生き方は、男女ともに「健康で平和な家庭生活を築くこと」「趣味を楽しむ生活」とマイホーム志向が強い。前記の日本の次代をになおうという社会活動志向派は影をひそめている。不況だ、就職難だといっても平和で豊かな日本。平凡で幸せな人生をと願う若者たちの生き方は、それなりに理解できる▼しかし、われわれ大人たちは、そういう若者たちに明日の日本を期待する。今年、厚木市で成人を迎えた若者の数は1766人。真面目派、シラケ派などいろいろだろうが、蕨市の先人たちの気概に思いをはせてもらいたいものだ。

  はんぶんこ人生(78・2・19)

 最近、難病や不具の子どもの将来を悲観した母親が自らの手で子どもを殺し,自分もあとを追うという痛ましい事件が跡をたたない▼看病にあたる母親の苦労もさることながら、「自分が死んだらこの子は…」と、将来への不安は想像を越えるものがある。気の毒としかいいようがない▼このほど厚木に住む大桃正子さんが『はんぶんこ人生』を出版した。正子さんのお母さんは、21歳のとき鉄道事故で両足を切断、重度の身体障害者になった。が、不自由な体にもめげず子どもを生み、他人の子を5人も育ててきた。一方は身障者をかかえるお母さん、もう一方は自らが身障者であるお母さん。立場は逆だが、その苦しみ悩みは同じだ。それにしてもハンディキャップを乗り越えて、普通人以上のことをやってのけた正子さんのお母さんの生き方は驚歎に値する▼身障者用の駅やトイレ、歩道の誘導ブロック、スロープの設置など、身障者対策もわずかだが、改善されてきている。が、社会復帰ともなると、完全に閉ざされているといっていいほどだ▼国はもちろん、一部の市でも障害者雇用主に奨励金を支給し、雇用拡大を図っているが、効果は上がっていない。それに一般の人々の理解も乏しい。大桃さんの生き方は、こうした厚い壁を破る大きな力になることだろう。

  チェアスキー(1978・3・5)

 厚木市七沢にある県総合リハビリテーションセンターの職員3人が、車椅子でも滑れるチェアスキーを開発した。ブレーキ付きで方向転換や回転も自由にできる。テスト走行した身障者の話だと「乗り心地は上々、十分スキーを楽しむことが出きる」という▼いままでにも身障者が滑る1本足スキーがあったが、車椅子用のスキーは初めてである。試作・テスト、試作・テストの繰り返しで、3年がかりで完成した苦心の作である▼身障者にもスポーツを楽しむ権利はある。車椅子のバスケットボール、マラソン、アーチェリー、フェンシングなどに始まって、パラリンピックの国際大会にいたるまで、その幅は広い。しかし、身障者の中でもスポーツを楽しむことができるのは、ほんのひと握りににすぎない。やりたいと思っても機会がない、また道具や専門の施設も少ないというのが現状だろう。もちろん、障害の度合いによってできるスポーツもできないスポーツもある▼「自分は障害者だからスポーツを楽しむことができない」と諦めるのは早計でありはしまいか。ともにスポーツを楽しむのは健康な人であれ、障害者であれ同じなのだ。スポーツ施設を健常な人だけに独占されるのをだまって見ている手はない。今度の車椅子用チェアスキーの発明は、そうした気持ちを揺り動かす大きなテコになるだろう。

  猫の登録制度(1978・3・19)

 4月1日から厚木市で猫の登録制度が実施される。これで猫にも犬並みに市民権が与えられ、名目的には身分昇格が行なわれたわけだが、果たして待遇も改善されるかどうか▼ペットブーム、とりわけ猫ブームで、猫の美容室、ホテルまでお目見えする世の中だが、一方では飼ったものの不要になってポイ捨てする不心得者も多い。猫にとって虐待もいいところだ。そういえば猫パパ、猫に小判など不名誉な諺が多いのも、裏を返せば人間の猫虐待の一面を物語るものかも知れない▼市のねらいは飼猫家の意識の向上。いうなれば猫の待遇改善と野良猫退治である。登録された猫には鑑札のついた首輪をしてもらうことになっており、野良猫には猫取り器が口をあけて待ち構えている。今のところ、動物保護団体からの苦情が出ておらず、まずは好調な滑り出し。登録された猫も2月末で700匹ほどと、およそ飼い猫の半数ぐらい▼野良猫の発生を防ぐには不妊去勢手術が効果的で、市では昭和48年から手術代を助成しているが、これを受けた猫はこれまでに108匹。個人負担が3,800円とあって、全体の10%にも達していない。ただで猫を飼う時代はもう終わり。登録制度が実施されたのを機会に、名実共に猫の地位向上を図ってやりたいものだ。猫君にとっては慣れない首輪をはめられるとあって、ありがた迷惑かも知れないが、ここのところはご辛抱。権利の主張にはそれなりの義務がともなうのだから。

  用水路に閉じ蓋(1978・4・2)

 相模原市から高座郡綾瀬町まで、既設のかんがい用水路を利用して長さ約10キロにおよぶ散策路とミニ公園をつくる計画が、県相模川沿岸農業水利改良事務所によって進められているという。これは本来の農業用水路の機能が薄れてきたため、市民の公園、憩いの通りに作り変えて利用してもらおうというもので、いわば不要用水路の有効利用▼水路部分にはコンクリートのフタをかぶせ、その上を散策路にして花壇を植え込み、ミニ公園には砂場、ブランコ、トンネルのある築山を備え、子どのたちの恰好の遊び場にもなる予定だ。このアイディア、都市化の進行によって遊び場や憩いの場を奪われた市民にとってせめてもの救いになるしまた、用水路にフタをすることは子どもを水禍から守ることにもつながる。つまり一石二鳥というわけである▼日本の1人当たりの都市の公園面積は、全国平均2.85平方メートルで世界の後進国。県平均では1.88平方メートルとさらに下回る。ひるがえって厚木市は、といえば1.1平方メートルといから誠にお粗末というほかはない。人間性豊かな都市づくりを歌っても、まだまだ公共的な生活空間の確保については遅れているのである▼緑地の確保や用地の買収など難しい点はあるだろう。しかし、新しくさがすことばかりが能ではない。既存の不要な用地や水路の利用なども一考に値する。先に挙げた農業用水路の利用などはそれを物語っている。

  高齢者職業紹介所(1978・4・16)

 厚木市の県行政センター県民相談室で行なわれてきた、高齢者の無料職業紹介所が4月から廃止になった。老人福祉事業の一翼をになって9年間にわたり高齢者の再就職に力を入れてきただけに惜しまれる声が多いが、なにしろ利用者が激減し、職安の高齢者相談コーナーや厚木市が昨年発足させた高齢者事業団などの乱立もあいまって人気が出ず、廃止に追い込まれた▼円高、日本経済の構造不況による雇用不安は依然として続いており、4月8日現在の有効求人倍率は0.57。有効求人倍率の約2人に1人の割合しか仕事がないことになる。しかも企業は若年労働力しか求めず、おのずと中高齢者の雇用に対する門戸は狭まってくる。こうした労働市場の中で、高齢者の職探しは深刻だ▼厚木職安でも、3月の中高年層の相談件数は108件にのぼっている。いずれも経済的理由が多い。しかし、現実的には64歳以下の人については企業主に雇用奨励金が出るので比較的有利だが、65歳を越えると就職条件は限られてくる。このため、先の職業紹介所の廃止は高齢者の就業機会をせばめたともいわれ、福祉行政の1歩後退である▼PRの不足も廃止に追い込まれる1つの要因であったろうが、ただ利用者が少なくなっただけでは福祉行政の姿勢のあり方が問われなければならない。問題は高齢者の働く意欲をいかにして企業の雇用と結びつけるかにある。そうした意味では、職安や他の機関との競合というより、むしろ密接な連携プレーこそ必要であったろう。

  小手先の愛鳥行政(1978・5・21)

 愛鳥週間が終わったが、厚木市では1,000万円の予算をかけて、本厚木駅近くの中町、栄町の住宅街にグリーンベルトをつくり、潅木類を植え、水飲み場や餌台を設置して市街地の中に野鳥を呼び寄せようと言う計画が進められている▼額面通りに受け止めると、大変結構なことに違いない。しかし、これを1部の新聞が報じている愛鳥保護のための「緑の先取り行政」などと考えたら、トンデモナイ話だ。ましてユニークな運動と評しては本末転倒も甚だしい。野鳥はなぜ市街地に飛んで来なくなったのか。日本野鳥の会の中西悟堂会長は、野鳥の過去100年は野鳥虐殺の歴史だった。特に戦後は自然破壊で鳥は住みかを失い、餌場を追われたと嘆いている▼厚木市の都市化の波は年々急増する一方だ。市建築部がまとめた昨年1年間の民間住宅は3時間に1軒立つというハイスピードぶりである。山は切り崩されて野鳥はすみかを追われ、市街化されたところには緑がないため飛んでこない。飛来するのは公害に強くてたくましい鳥だけである▼問題は開発の進行によって、弱い鳥を中心にして野鳥の生息地が失われてきたということである。街路樹を選定する場合、排気ガスに強い樹木を選定するというのは、人や動物にやさしい自然が失われたことの証明でもあろう。それに対して行政側の開発規制はあまりにも遅れていたといわざるを得ない▼一方で乱開発を許して、一方では小手先の愛鳥行政。これでは野鳥もはなはだ迷惑に違いない。われわれはこうした行政のやり方に騙されてはいけない。見かけや上辺だけではなく、思い切ったサンクチュアリを設定するとか、排ガス規制を強めるとか、緑の再生のためにナショナルトラストを進めるとか、里山を復活させるとか、人や自然、そして動物が共生する社会を構築するために、行政も市民ももっと知恵を出し合うべきなのである。

  集団資源回収(1978・6・4)

 本紙5月21日号の1面トップ記事「アルミ空き缶の再利用」は、市民生活に密着した価値ある情報として、大勢の読者からさまざまなご意見をいただいた。どこの市町村でもゴミ処理が頭痛のタネだ▼家庭から出る資源ゴミには、新聞、雑誌、段ボール、ボロ切れ、空き缶、鉄屑などがある。資源ゴミは再生、再利用がかのうである。問題はどういうルートでどのように回収するかである。廃品回収業には複雑な流通ルートがある。買い出し人→仕切屋→問屋→商社および運輸会社→処理メーカーといった具合だ。しかも買い値は処理メーカーが一方的に決める。だから安値になると回収業者もあるかなくなる。逆にいうと、処理メーカーの需要に応じるための一定した供給体制を確立すれば、それだけ買い値も安定してくる▼回収システムをどのように確立するかということが一つの課題だが、たとえば町内会や自治会、婦人会単位で消費者がゴミの回収を行なう。あるいはゴミのステーションを設置して決められた日に持ち寄るのもいい。市の回収システムを生かせば、さらに徹底した回収が出きる。市の財政負担もそれだけ軽くなるだろう▼集団回収を定着させるには、消費者が「まちをきれいにする」という意識のほかに、「ゴミは金になる」という積極的な意識が必要だ。そこから集団回収という地域の輪が広がってくる。

  環境アセスメント(1978・6・18)

 厚木パークシティ計画が実現へ向かって大きく動き始めた。市では県が出している緑地率63%の開発許可条件や地元との協議事項の完全履行、市の都市計画事業の一環として考えることを条件に宅地開発公団と協議を進めているようだが、やはり市民にとって最大の関心事は周辺の環境がどのような影響を受けるか、ということだろう▼厚木市を南北に縦断する国道129号線は、市の北部にある内陸工業団地の入口からトンネルになって地下にもぐり、それから新昭和橋までの区間を両側をえぐるような形でV字形に開通している。地元の人の話では、冬になると相模川から吹く川風がバイパスのV字谷を南下して気温が1、2度低くなるそうだ。これなどはまったく予期できなかった影響ではないだろうか▼川崎市では昨年7月全国の自治体に先がけて「環境アセスメント条例」を制定、開発を進める側に「環境影響評価書」の作成を義務づけている。これは開発によって周辺の環境がどのような影響を受けるかを事前に予測評価したもので、これを住民に縦覧し意見を述べさせる住民参加の方法だ。残念なことに厚木市においてはこれが条例化されていない▼パークシティ計画における市の開発許可条件が、環境上万全であるという保障は何一つない。言い換えれば、公団側の計画に環境のマイナス面をカバーするだけの計画が盛り込まれているという保障がないのである。事前調査に要するコストと事後処理に要するコストでは、後者の方がはるかに大きいことはいうまでもない。厚木市でも「環境アセスメント」の条例化が必要だ。

  鮎まつり(1978・7・16)

 過日、町田の知人から「厚木の鮎まつりは市民祭か」と聞かれ、一市民を代表して大いにPRすることに相努めたのだが、どうも今一つ胸を張れない。というのは「市民祭とは名ばかりで、東部地区の商業振興をカバーする苦肉の策」とばかりに苦言を呈してきたからだ▼事実、鮎まつりばかりでなく、商業祭り、さつき祭り、厚木神社の祭典など、歩行者天国続きの行事が目白押しに出てくる▼確かに彼氏の言うことが目的ではないにしろ、そう思われて仕方のない面もある。祭りの中心が旧市街地にあることにさしたる異論はないが、「このままでは中央通り、小田急通りはサビレル一方」と嘆く商店主も多いことから、地元商店の浮揚策になっていることは確かである▼もともと中央通り、小田急通りの商業振興問題は、10年来の懸案事項である厚木小学校跡地利用問題と不可分の性格を持っている。これは石井市政の公約の一つでもあるが、今春、ニチイグループ出店の動きが具体化しそうな気配を見せたが、その後際立った進展はない。地元商業者にとってはヤキモキする問題であろう▼商業振興は1時のお祭りによって促進されるものではない。鮎祭りが市民祭として今一歩盛り上がりに欠けるのも、こうしうたことが原因の1つにもなっているようだ。

  宮ケ瀬ダム(1978・8・6)

 宮ケ瀬ダム建設計画は1日、愛川町からダム建設に関する安全性の調査委託を受けていた横浜国立大学の宮脇昭教授ら五人のグループ専門家が、大筋において「安全性」を認めたため、新たな局面を迎えた。これまで愛川町とダムサイトの直下に当たる川北地区では建設計画に際し、安全が確認されなければダム建設ぬ応じられないと反対の姿勢を示してきただけに、その踏絵がなくなった今、何らかの態度決定を迫られる恰好になった▼専門家グループの調査報告書によると、地形、地質、断層、地震などから見たダムの安全性、また建設にともなう植生、気象、観光面など下流への影響についても十分な加えられ、適切な施工と維持管理を行なえば、ダムの安全性は確保出きるとしている。しかしながら、これによってダム建設が1歩前進したわけではない。問題はこれからである▼たとえば、中津渓谷の消滅によって、これまで観光地とされてきた美観や自然とのふれあいは失われるであろうし、地元住民の補償問題も残されている。先祖代々住みついてきたふるさとを追われる住民の心境は、成田の例をみてもはかり知れないものがある▼これは決して地域エゴではない。ダム完成によるメリットが700万県民の水がめとしての利益があるのと同じように、現在ある中津渓谷の自然の姿は地元住民にとっては、地球上での唯一のふるさとであり、また700万県民の憩いと心の安らぎの場所でもあるのだ▼若いころ、宮ケ瀬に仕事で出入りしたことがあるという市会議員の山口典紀さんは、「ひるどきになると、どこの家でも飯をごちそうになった。お世辞にもうまい飯ではなかったが、村人の気持ちをいただくのだと思うと、とてもありがたかった」と人情の機微を話してくれた▼こうした人情は、紛れもなく、宮ケ瀬の地が育んだ村人気質である。巨大ダムはこうした人々の人情まで引き裂いていく。

  女房役(1978・10・15)

 作家の堺屋太一氏が「名女房役」の条件として次の4つを挙げている。第1は客観的にも主観的にもナンバー1の可能性を持っていないナンバー2であること。第2に自分の名前で物事をやらないこと。第3にある段階まで事を進めたら、最後のツメはナンバー1にゆずること。そして最後にみんなが手柄を立てたがる時に陰に回れる―という条件である▼名女房役―大なり小なり、経営者に限らず一つの組織を統率する者にとって、これほど頼りになる存在はない。たとえば、専務、助役、幹事長、書記長などがこれに当たるものだが、実際には女房役というよりナンバー2的な存在が多い。いわば次期ナンバー1になりたがる、あるいはナンバー1と目されている人たちである▼選挙や会社の役員会で必ずといっていいほど頭角を現してくるのが、このナンバー2である。逆に言うとナンバー2は主人にとって安心出来ない存在ということになる。従って名女房役は主人に対して「ホワット」や「ホワイ」ではなく、「ハウツー」でなければならないのが条件だ。これまで名女房役と目されてきた人たちに大平幹事長、周恩来、土方歳三などがいる▼石井市長の名女房役は果たして誰であったろうか。今のところ「名女房役」と評された人がいたとは聞かない。それは女房役が悪妻であったか、ナンバー2的な存在であったか、または主人がワンマンだったために、女房役の存在価値を認めなかったかのいずれかであるからだ▼石井市長が女房役である足立原助役に辞職勧告をつきつけたことはあまりにも有名だ。その足立原元助役が、かつての主人に刃を向け、市長選に打って出るという。女房役になるのは簡単だが、名女房役になるのはそれほど簡単ではない。

  ふるさと意識(1978・11・15)

 「神奈川ふるさとまつり」に触発されて、「ふるさと」というものを考えてみた。「ふるさと」という言葉が流行だしたのは、都会が住みにくくなって若者たちの帰郷という「Uターン現象」が起こり始めた昭和40年代後半である▼こうした現象に一気に拍車をかけたのが53年11月、ディカバージャパン・パート2(53年11月〜58年10月まで続いた)で売り出された国鉄のCMソングだ。すなわち山口百恵の歌う「いい日旅立ち」である。以後、日本各地でディスカバージャパンブームに乗って、「ふるさと祭り」「ふるさとの味」「ふるさと再発見」「お国自慢」などふるさとブームが目白押しに出てきた。県人会などはそうしたふるさと意識を組織化したもので、NHKののど自慢とともに、ふるさとナショナリズムを煽るチャンピオンである▼ところが、都会の規格品のような日常生活からの脱出欲求が、ブームによってお仕着せのふるさとに成り下がってきた感じがする。すなわち、ふるさとの模造品や代理品が作られ、安直に売られているのである。言わば、ふるさとの「規格品」だ。テレビに写る地域のお祭りや団地の盆踊り、なつかしい風景や人々の顔は、それなりにふるさとのイメージを形づくってはいる。しかし、その中には個性的な様相や原郷はない。あるのは人工的で作為的なふるさとである▼そもそも「ふるさと」という言葉は、故郷を出た、あるいは捨てた出郷者のことばであり、遠くにありて思うものの心である。決して戻ることが出来ないからこそ、その抒情性も増してくる。ふるさとは父母であり、兄弟(姉妹)であり、そして自然である。だから、愛郷心を持つものもいれば嫌悪感を持つものもいる▼今ある、ふるさとブームは所詮、田舎趣味への郷愁という程度のものかも知れない。急速な社会変化にともなって、ふるさとも変わりつつある。日本全国どこへ行っても「金太郎飴」のようなふるさとが増え、原郷を見出すのが難しくなってきた。人々にとって「原郷」は「幻郷」でしかないのかもしれない。

  厚木市長選(1978・12・1)

 選挙が近づくにつれ怪文書や実弾が乱れ飛ぶのは今に始まったことではない。自民党の総裁選にしても、違反文書や大金が流れたという噂がしきりに飛び交い、派閥選挙解消もどこかへ吹き飛んでしまった。これが、地方選挙になると、さらに中傷、デマなどが加わって選挙を混迷させる▼厚木市長選も本番はまだこれからだというのに、「泥仕合」の様相を呈してきた。政策論議より中傷やデマ論議が先行するのである。デマは往々にして確証のないものであるが、これに実弾がプラスされるとさらに強化される。そして相手の反応にさらに輪をかけて大きく広まるため、時には有権者の正常な判断を誤らせる恰好になる▼選挙は「お祭り」といううがった見方もあるが、あまり極端偏向にハシャギすぎると、返って有権者の信頼を損なうことになりかねない。それは投票率にも影響してくるからだ。今、市民の一番の関心事は、候補(予定)者の政策論議である。もちろん、候補者の人格、識見などもあってしかるべきではある▼足立原氏は多選の弊害から「六選阻止」を訴えて、スローガンに「サンシャイン市政」を掲げた。一方の石井現市長は、これまでの市政の延長に「総合的市民文化行政」を掲げている。足立原氏には今一つより明確で具体的な提示に乏しい面があるし、石井氏にしても特別に目新しいものが出てきているわけではない▼今後、両氏に望まれるのは、よりいっそうの具体的かつ建設的な政策の提示であろう。

  農業後継者(1978・12・15)

 相模原市の橋本公民館で、いま新しい試みの成人講座が開かれている。テーマは「地域農業と損も精算流通を知る講座」と、ちょっと堅苦しいが、主婦らの人気は相当なものだという。農業の置かれれている現状、環境問題、農家の経営意識、農業を発展させる方向性などを探っているわけだが、公民館が農業問題を市民全体として関連づけ、このような形で取り上げたのはこれが初めてである▼この講座の中で大変興味深い意見が主婦の中から提案された。農業の後継者問題である。農業者にとっては米の生産調整と並ぶ頭の痛い問題である。提案した主婦によると、「定年退職者が就職難だと聞いています。農家じゃなくとも農業をやりたい人がいたら、農業が出きるような方策を考えてみたら」という発現だった▼これは主催者側が予想もしなかった問題で、アイディアとしても面白い。一方に後継者に育成に悩む農家がある。そして、また一方に中高年者の深刻な雇用問題がある。この2つをうまく結びつけて現状を何とか打開しようというのでである▼そもそも雇用問題には偏った労働市場の動きを適切な方向に導き、バランスのとれた労働市場を確保するというネライもある。斜陽産業にはおのずと労働力が流れなくなるのが常だが、農業が新しい階層の労働力を必要としていることもまた事実である。労働者の職業選択の自由もあるが、こうした分野での新しい局面が切り開かれることを望みたい。

(※「成人式」「はんぶんこ人生」「猫の登録制度」「集団資源回収」の執筆者は矢吹富貴子です)

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