風見鶏

1984(昭和59年).1.1〜1985.12.15

  政権連合(1984・1・1) 

                               
 自民党の大敗で「与野党伯仲」が再現した。あわや「逆転・連合」かと思わせるような選挙だったが、自民党はかろうじて衆院の過半数を確保した。だが、「数のおごり」が大手を振って政治の世界に横行する時代は去った▼与野党伯仲は今後の政局に何をもたらすのだろうか。「80年代に自民党政権は崩壊する」「80年代は連合の時代」と指摘されたのは、79年の選挙だった。くしくも、この時の選挙結果が「与野党伯仲」で、その開幕を告げるかに見えたが、その後の選挙で自民党が圧倒的優位に立ち、連合への道は遠のいてしまった▼そして、今回久方振りの「伯仲」再現である。しかし「与野党逆転」ではない。80年代に入って政権を放棄しなければならないような事態を絶えず想定しているのが自民党の特徴だが、野党がそこに斬り込んでいくだけの力はない。連合の時代は依然として入口で足踏みをしている▼連合には「選挙連合」、「議会連合」、「政権連合」というように、レベルの違う連合があって、選挙連合が成功したからといって、議会連合も政権連合もうまくいくわけではない。この3つは別の問題である。そのあたりをもう少し野党の諸君が勉強しないと、「政権連合」なんかすぐにはやって来ない▼自民党過半数割れで尻尾を振っていくやり方はまず駄目だ。最初にやることは議会レベルの連合を考えていく。そうすれば自然に政権への展望も開けてくるだろう。遅くなったが今年も本欄へのご批判をたまわりたい。

  ウオッチ・ザ・議会(1984・3・1)

 「厚木ウオッチング」という言葉が提言された。ラブコール厚木の意味を込めたディスカバージャパン厚木版とでもいおうか。市民1人ひとりが街の中で発見した風景をカレンダーや写真集にしようというもので、市民による厚木の「風景さがし運動」だ▼同じ「ウオッチング」でも、こちらは監視の意をこめた「ウオッチ・ザ議会」(議会傍聴運動)というのがある。日本青年会議所(JC)が今年の運動方針に取り上げた地域行革の一つである。日本JCはこのほかに「公務員の退職金見直し運動」「議員定数削減運動」を地域行革の3本柱に掲げている。当然ながら厚木JCもこの運動に取り組むだろう▼ウオッチ・ザ議会は、「議会監視運動」ともいうべきもので、監視者がいないと怠けがちになる議会に、熱心な傍聴者をつけ、議会に活力を与えるというものである。傍聴者が多ければそれだけまた理事者や議員たちもやりがいが出てくる▼このウオッチ・ザ議会は、一方では「議会鑑賞運動」と言えなくもない。議会を傍聴していると、理事者と議員たちの間でさまざまなやりとりが行なわれる。トンチンカンな質問をしている議員、答弁の下手な職員、重箱の隅をつついてさも大問題だと言わんばかりに蛮声を張り上げる議員。突っ込みが足りなくて歯がゆく思わせる議員、明らかに馴れ合いと思わせるような議員、時にはヤジを飛ばす議員もいる▼当然、理事者と議員の能力や性格も白眉のもとにさらされる。神聖な議会が見る側によっては歌舞伎の鑑賞会になる。どうせならもっと面白くしてくれればいいものを、議会の役者連はどうもサービス精神やユーモアには長けていないようだ。

  公共用地の取得(1984・4・1)

 足立原市長はどちらかと言えばソフトな政策が得意かと思ったら、なかなかどうして思い切ったハードな施策もおやりになる。このほど発表された日本バルカー厚木工場跡地の買収計画は、実にさわやかなニュースとして耳に響いた▼地方自治体にとって大規模な公共用地の取得は難問の1つである。しかも土地所有者が複数にわたるときは、それぞれの利害関係がバラバラとあって、とても一筋縄ではいかない。今回の場合は相手が企業1社ということもあって実にスムースに事が運んだ。取得額は約50億円だという▼しかも、買収した工場跡地は市民の防災公園として整備される。これが高層建築物であったり、別な箱型施設を建てるというのであれば、一言も二言も文句を言いたくなるが、市街地の真ん中に1万7,000平方メートルという大規模な公園をつくるのだというから、拍手の1つぐらいは送りたくなる。市民にとっては本当に得難い財産となった。足立原市長の一連の施策の中では最大のヒットだと言ってよい▼4代将軍家綱は大火を防止するため、江戸のまちに広小路や火除地をたくさん設けたという。木造市街地において延焼火災を食い止めるため、広幅の街路や広場を効果的な延焼遮断施設として整備したのである。いわば都市の不燃化構想だ。函館や酒田の大火を思い起こせば、防災公園の整備は賢明なる施策であろう。これはまた、消火活動、避難救急活動、復旧活動にとっても必要な施設である。地下には備蓄倉庫や防火水槽も建設されるという▼バルカー社はかねてから「売却するなら、古くからお世話になっている厚木市に売りたい」と考えていたという。不動産業者や民間企業に売却しなかったという点に、同社の土地取引きに対する賢明な倫理観を感ずる。この話は子々孫々の代まで語り継がれるだろう。それにしても財政が豊かでないとこうした思い切った施策は打てない。これは足立原市長のヒットというより、税金のヒットかも知れない。

  ヤッピー(1984・5・1)

 厚木商連によると、「いま、インテリする厚木族」がモテルそうだ。もちろん冗談半分もあるらしいが、若者向けに「ヤッピー」なるポスターを作ってPR作戦というのだから、商連の知的感覚も大したもの▼ところで、厚木の若者はいつから知的になったのだろうか。あの軽薄短小はどこへいったのだ。ちまたではこうした現象を「知性の時代」「ニューアカデミズムの時代」の到来だという。火付け役はブームの先端を行く浅田彰氏である。京都大学人文科学研究所助手をつとめる27歳の青年だ。昨年10月『構造と力』(勁草書房)、今年の3月に『逃走論』(筑摩書房)という難しい本を出版、ポスト構造主義の旗手として一躍有名になった▼『構造と力』という本は、構造主義から記号論にいたるまでの現代思想の流れを批判的に検討し、パソコンのマニュアルみたいにまとめたものである。これが軽薄短小に身を任せることに虚しさを感じ、飽き飽きしている若者に大いに受けた。知的新感覚派、ニューアカデミズの世代とは、この周辺にいる若者たちのことである。だが、こうした若者たちが浅田彰の本を理解したかどうかというのは極めて疑わしい▼専門家に言わせると、理解したかどうかということは問題ではないのだという。ヤッピーのようにファションの小道具でもいいし、みせかけのスタイルでもいい。新しい現象はこうした若者たちの間でひさしぶりに「知」への回帰が見られるということなのである。知性忘れて10年。ホントウかな。

  缶コロジー(1984・6・1)

 昔、空き缶はバタ屋が拾っても儲かった。当時は人件費が安いから十分にペイしたわけである。ところが今は人件費が高い。空き缶1トン集めるのに30万円かかるとする。集めた缶を業者に売っても5,000円から7,000円だから、こんな儲からない商売は誰もやらない▼厚木青年会議所ではないが、たまに空き缶ドリーム大会でダイヤモンドが当たるというお遊びが出てきて、われわれ楽しませてくれるが、空き缶の大部分については自治体が税金を使って処理している。しかし、元来これはおかしな話だ。空き缶を捨てる人のために税金を使っては、そうでない人との間に不公平が生じる。捨てる人のためにはそれなりに自己負担させるべきだろう▼それは自動販売機で売る時に、空き缶の片づけ料として30円上乗せして売るという方法だ。自動販売機には自動回収機の設置を義務づけ、空き缶を入れるとガシャンとつぶして、自動的に30円が戻ってくるという仕組みだ。これを「缶ペコ」と名づける▼そうすれば、真面目な人は30円取り返して何の負担もないが、捨てる人は30円つけたまま捨ててしまうから、これをバタ屋が拾って30円稼ぐ。するとバタ屋が商売として成り立つわけで目出たし目出たし。こういうのを缶「缶コロジー」という。空き缶を捨てる人のために税金を使わない方法を考えよう。

  非核三原則(1984・7・1)

 県会最終日まであと3日。非核神奈川県宣言の行方が注目されるが、一言申し述べておきたい。これまでのところ、社会、公明、民社は支持、自民が反発して新自クが態度を決めかねている。が、宣言に対して何のためらいがあるのだろう▼自民党におたずねしたい。「国には国是とする非核三原則があるから、これに関する事項は地方ではなく、国の権限だ」とする考えは、地方自治体は国の政策に関して口出しするなという考えに通じる▼国の政治が国民1人ひとりのものであるなら、非核三原則もまた国民1人ひとりのものである。それは県是であり、市町村是でもあろう。だとするなら、日本中の自治体で非核宣言を決議しても何らおかしくはない。むしろそうすることによって、国是を名実ともに強化することが出きる▼
次に「反核運動は革新陣営が準備したもので、純粋な市民運動ではない」とする考えだが、反核に保守も革新もない。あまつさえ、140万人の署名は、反ソ・反米を掲げて米ソと喧嘩するるわけでもあるまい。核兵器に対してノーなのだ。これを市民運動と言わずして何と言おう▼非核県宣言は非核三原則の堅持であり、世界の恒久平和をめざす県民の切なる願いを謳いあげるものだろう。つまらない意地を張ったり屁理屈を言わずに、全会一致の決議をのぞみたい。

  厚木音頭(1984・7・15)

 ♪ハァー、繭の山から厚木が開けりゃセノセ、銀のうろこの鮎おどる。サテ、さんさんさらりと相模川、ハァ、瀬の瀬の音頭で踊りゃんせ―ご存知、「厚木音頭」の一節である▼昭和9年、厚木町旅館組合が「盆踊りソング」として、作詩を栗原白也、作曲を大村能章に依頼してつくったものだ。かつては歌に合わせて厚木芸妓衆が振り付けを披露、庶民の目を楽しませた▼「月に見られりゃ噂の種よ、一目しのんで鮎津橋」「川をへだてて、灯と灯がうつる、恋のかけはし相模橋」など全部で11種あり、いずれも風流な歌い文句として知られている▼昭和20年には「繭の山から」が「相模川から」にと1部書き換えられたが、今でも鮎まつりなど地域の盆踊りには、この音頭曲が流される。特に鮎まつりには、婦人会による音頭の踊り行列が毎年衆目を引いている▼この音頭も古くなったということで、昭和53年、厚木市が一般公募による「新厚木音頭」の制作に取り組んだが、最優秀作品の入選をめぐってトラブルが発生、レコード化したものの、結局、幻の音頭に終わってしまった。いま振り返ってみると、音頭を新しくする必要はまったくなかったのである▼「厚木音頭」の歌詞は厚木らしさを見事に歌い切っている。しかもメロディーがいい。つまり耳ざわりがよく、型にはまっているのである。この歌詞とメロディが絶妙にマッチして「厚木音頭」が出来上がった。だからこそ48年もの間、厚木市民に歌い踊り継がれてきたのだろう。この音頭が時代を越え、厚木をふるさととする市民の間に、さらに広まることを期待したい。

  ウオッチ・ザ行政調査(19884・8・1)

 県下の市町村を対象に行なった日本青年会議所の『ウオッチ・ザ行政調査』がこのほどまとまった。地方自治体の歳入や歳出、職員給与、議員報酬、退職金、民間企業の業務などについて調査したもので、この結果から行政改革について5つの提言と問題点を指摘している▼その1つは職員の給与とボーナス。県下の市町村ではラスパイレス指数110以上が19市町もあり、職務に関係なく給与の等級が上がる「わたり」制度のある自治体が8市町村もあることを指摘、国家公務員並の給与改正を求めている▼2つ目は退職金と特殊手当。鎌倉市の5,000万円台を筆頭に、川崎市4,000万円台、他に3,000万円台が6市もあり、退職金を国並に戻し特殊手当のおかしなものの廃止を訴えている。3つ目は職員数の大幅な削減。調査によると、職員1人あたりの人口は40人から157人までと大きな差があり、100人未満は職務内容の見直しと配置の適正化を図るよう求めている▼4つ目は民間委託の積極的な推進で、学校給食やゴミ処理などコストの下げられる部分の民間委託を提言している。そして5つ目は地方議会のスリム化だ。議員1人当たりの人口が相模原市の1,0180人から、清川村の207人まで実に50倍の開きがあることを指摘、定数の削減を求めている▼青年会議所もたまにはシリアスなことをおやりになる。まったく同感である。

  久山町長の実験(1984・10・1)

 『久山町長の実験』という本を読んだ。福岡県粕屋郡久山町の行革奮戦記である。小早川町長は土地利用に関して思い切った施策を展開、無秩序な乱開発から町を救った。ことで知られる。町長は40年代後半に吹き荒れた日本列島改造論の嵐の中で、「私有地を売らせない方法はないものか」と考えた挙句、都市計画法を切札として使ったという▼小早川町長は、昭和45年に、町の96・26%を市街化調整区域に指定したというから驚きだ。この施策の背景には土地取引きを自由にしておくと、家や工場が建ち、空気や水も汚れて町がごちゃごちゃになってしまうという危惧感があった▼以後、久山町では土地を売りたい人が出ると、すべて町が買い上げるという方法をとっている。要するに外部の不動産業者には売らないのである。保有地は道路をまっすぐにしたり区画整理を行なう場合に、これを使って交換分合していく▼この久山町のやり方をモンロー主義と批判することはたやすい。しかし、自治体の役割は何も家や工場を積極的に建てさせることばかりが仕事ではない。地価を抑制し、きれいな空気や水を提供するのも立派な仕事である。いや、現実にはこちらの方がずっと難しい。久山町はモンロー主義だからこそ、成功した好例といえよう▼小早川町長は言う。「うちの町は閉鎖的と言いよるが、それは不動産会社に対してであって、若い娘さんには開放的ですよ」。

  古い友人(1984・11・1)

 中国人民はよく「古い友人」という言葉を使い、新しい友人と古い友人を区別している。長い間の交際は古い友人としての信義の積み重ねを意味するもので、友好往来と友好都市の締結は、相互に信頼を高める上で、大切なことだとしている▼10月23日、厚木市と中国・揚州市との友好都市締結調印式が行なわれた。数年間にわたる両市の交流が実ったもので、黄書祥市長は調印式や祝賀会の席上で「尊敬する○○先生」という言葉を何度も用いた。日本では「尊敬」という言葉は滅多やたらには使わない。それだけに黄市長の言葉は信義を重んじたものであり、厚木市との友好都市締結を心から歓迎するものだろう▼それだけに開会宣言を行った大岩真厚木商工会議所会頭の言葉はいただけなかった。彼は「中華人民共和国」と言うところを「中華民国」とやったのである。出席していたものはハラハラしたに違いない。幸いなことに陽州市側からの抗議はなく両市間の問題にはならなかったが、何とも後味の悪い印象を与えてしまった。これが政府間なら外交問題に発展していただろう▼ともあれ、友好都市が締結調印された。言葉や思想、文化の違いを越えて、厚木市民が名実ともに「古い友人」の仲間入りをするには、今後、いく久しい努力が払われなければならない。中国は日本と一衣帯水の隣国にあり、これまで日本は中国の歴史や文化、学問など多くのことを学んできた。いわば「師友」の関係にあるといっても過言ではない▼その中国がいま、4つの現代化のために友好国からあらゆることを学ぼうとしている。「朋あり遠方より来る、亦楽しからずや」。これは論語の教えである。この友人から学ぶということも、日本は中国から教えられた。中国はまさに日本にとって古い友人なのである。

  地方財政(1984・12・1)

 地方自治体の財政自治が脅かされている。政府の補助金カットによる社会福祉事業や公共事業の自治体への転嫁は、必然的に自治体サービスの低下となってあらわれる。自治の侵害は必ず住民生活へ影響をおよぼす。いいかえれば住民の福祉を向上させようと思うなら、自治の確立以外にない▼現在の日本の財政では内政の大部分を地方自治体が行なっているが、財源の7割は国税が占めていて、地方財源は不足分を交付税、補助金、地方債に依存しているので、ほとんど自主権がない。もしも反対に財源の7割を地方税が占めているとすれば、政府は軍備の拡張などは不可能になってしまうだろう。つまり財政自治権の確立は、平和主義の財政的保証となるのである▼現在、1部を除いて地方自治体は厳しい財政危機を迎えている。しかし、この危機を逆に生かして住民参加を基盤にした自治の確立を図ることも可能だ▼1975年、ニューヨーク市は財政危機に対応して、コミュニティー委員会を設置、土地利用計画や予算編成の住民参加を認めたし、イタリアでは住民地区評議会を制度化して、環境保全、老人、子どもの福祉、お祭りなどの行事が決定されることになった。今、われわれは改めて財政自治権の確立と住民参加の制度化に取り組まなければならない時が来たように思える。

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