風見鶏

1988(昭和63年).1.1〜1988.12.15

  相模の逆襲(88・1・1)

 いま首都を取り巻く地方の間に新しい地域再編の動きが起きている。例えば湘南ナンバーを作ろう会というのがあったりして、これは既存の市町村の枠内では計り知れない動きだ▼長洲知事も県議会で「湘南ナンバー、いいね」と答弁していたくらいだから、もしかしたら今年は「湘南の逆襲」があるかもしれない。湘南の逆襲という言葉は、国際情報文化研究所代表の三橋貴義氏が著した『湘南の逆襲』(かなしん出版・1987・11)のタイトルである▼「東京が湘南を侵略しているから、逆襲に出なければ」というわけだが、よほどのことがない限り巻き返しは難しいのだそうだ。言うまでもなく東京の侵略作戦は4全総(第4次全国総合開発計画)である▼東京一極構造からの脱却を目指すプロジェクトとして、横浜のみなとみらい21、川崎のマイコンシティ、サイエンスパーク、厚木の県央テクノトピア、テレトピア、インテリジエントシティ、秦野テクノパークなどが挙げられる。いかにも自立都市圏の形成という風に見えるが、実際のところは東京の神奈川侵略である▼厚木の存在理由は何か。副次核都市とくれば、これはもう間違いなく東京の郊外拡大である。神奈川の県央に位置する厚木が、ポールポジションに立(辰)つには、思い切った逆襲に出なければなるまい。それはひたすら厚木のオリジナリティーとアイデンティティーの確立如何にかかっている。辰年に厚木が立てるだろうか。

 「一応」の若者(88・1・15)

 東大の木村尚三郎教授が、ある雑誌に「日本の繁栄もあと15年ぐらいだろう」と断じていた。というのは、若い人に期待が持てなくなってきたというのである▼木村教授は「今の学生は目の輝きもなく、理想もなく、積極的に社会に関わろうとしない。何をやるにも「一応」(いちおう)である。現状維持を願う若者にオリジナリティーのある創造ができるか」と嘆いている▼元旦に発表された朝日新聞の国民意識調査を見ると、20代前半の若者がいま最も保守的であるという。少し前までは若者ほど不満を持ち、老人になるほど満足度が増すというのが世論調査の一般的傾向だった。それが、昭和59年以降、60歳以上と20代前半の若者が肩を並べて保守的という状態が続いている▼今年、新たに大人の仲間入りをする若者は、昭和42年と43年生まれだ。高度成長の申し子である。貧しさを知らず、政治運動や学生運動も知らず、知っているのは豊かな社会になって、どんな物でも手に入るという事実のみである▼彼らは国家や社会に対して従順で、それに反抗し変革していくという意識はもっていないのだろうか。何をやるにしても「一応」だ。そういえば、最近「青二才のくせに」という言葉も聞かれなくなった。元気のない若者たち▼若者流に言えば、今日15日は「一応、成人の日」である。

  政治的・道義的責任(88・2・1)

 知人に乱暴を働いたとして、傷害罪に問われている厚木市議の大貫晟司被告の初公判が、1月25日、地裁小田原支部で開かれた。大貫被告は起訴事実を全面的に否認しているそうで、裁判でも徹底的に争うようだ▼大貫市議は昨年11月に、支持者と共謀して知人を金属バットで殴り、頭に2週間の怪我をさせたとして逮捕された。事実だとすれば議員としては何ともおぞましき行為だ。事件が司法の手に移った今、裁判の行方を見守りたいが、気になるのは大貫市議の政治的、道義的責任である▼昨年12月、厚木市会は大貫市議に対する議員の辞職勧告決議案を全会一致で可決させた。議会の品位を著しく傷つけ、議員としてあるまじき行為をしたのだから、議員を辞めろということである。もちろん、この決議案に強制力はないが、その後、大貫市議サイドからは議員を辞職したという話は伝わってこない▼元公明党の田代富士男参院議員は、全自連の汚職事件が明るみに出ると、直ちに議員の辞職願を提出した。政治的、道議的には誠にすばやい対応だった。田中角栄元総理のように、いまだに議員を辞職しないで頑張っている人もいるが、議員が謙虚で、廉潔であるという倫理を自ら放棄してしまったら、2度と市民の信頼は得られまい。

  食品の放射能表示(88・2・15)

 ソ連のチェルノブイリ原発事故以来、食品の放射能汚染がクローズアップされている。放射能は目に見えないし臭わないから大変厄介な代物だ。人体への影響は何10年先にも及ぶし、遺伝的影響も指摘されている▼ヨーロッパ諸国ではチェルノブイリの事故以来、出産を控える婦人が多くなったという。厚生省では輸入食品について、370ベクレルを越える食品の国内持ち込みを禁じている。検査対象は20品目、検疫体制は全国で20ケ所だ。この網の目をくぐって国内に放射能汚染食品が入ってくるという危険性は常にある▼疑わしい食品は県の衛生研究所に持ち込むと有料で調べてくれるが、国の基準値を越えていた場合はどうなるのだろうか。県衛生部では食品衛生法に基づいて事実関係を調べ、有害と判断した場合は輸入業者に対して回収、積み戻しなどの措置を取らせるという▼生活クラブ生協が、市による放射能汚染食品の実態調査や結果の公開を求める請願署名運動を行っているが、有害食品が問題になって以降、食品に製造年月日や内容、価格などが表示されることは当たり前になった▼21世紀は放射能××ベクレル入りという食品表示の時代がやってくるかもしれない。食品にこそ消費者の知る権利が徹底されなければならないだろう。

  コンベンション(88・3・15)

 コンベンションシティがクローズアップされてきている。自治体のコンベンション政策、すなわち研究会、博覧会、スポーツ大会、見本市など人や物、情報の交流のために人々がその地を訪れ、そこに巨額の消費をもたらす経済効果である▼これまでは観光行政がこれに近い内容を持っていた。厚木の鮎まつり、平塚の七夕などはその代表格だろう。ところが、近年は単なる観光よりもコンベションの方がはるかに高い成長率を示しつつある。東京などは今やコンベンションシティとして全国大会、各種の学会などが毎日開催されているほどである。ポートピア81、ユニバーシアードの開催で知られる神戸市は、コンベンションシティの先輩だ。横浜のMM21もコンベンション政策を進める上では申し分ないだろう▼財団法人神戸都市問題研究所が著した『コンベンション都市戦略の理論と実践』(勁草書房・1988)によると、コンベンションによってもたらされる消費は、宿泊費、飲食費、交通費、ショッピングなど多方面にわたるが、おおよそ全国大会で1人2万円、地域大会で1人1万円と推定されている▼このようなコンベンションの中核となる施設が、文化会館や野球場、市民ホール、総合運動公園である。最近はこれでは中途半端だとして、全国的にテーマパークばやりである▼厚木市が文化都市、国際都市の仲間入りをどう果たすかは、コンベンション政策をどう取り入れるかということにも大きくかかわってくる。要はハードをどう活かすか、運用していくかというソフトの問題である。

  中2階の県政(88・4・1)

 統一地方選挙の県議選が告示された。厚木選挙区は3つの椅子をめぐって前職と元職が激しいしのぎをけずっている。しかし、有権者の反応はいま1つ盛り上がりに欠ける▼というのは前回の売上税のような争点がなく、投票行動の判断材料に乏しいからだ。政策論争より候補者の政治力、人気度によって選挙が行われている。有権者の側から言わせると、県会議員といっても今1つ身近な感じがしない▼「ゆりかごから墓場」まで、市民生活全般にわたるのが行政の仕事であるが、国と市町村という関係から判断すると、県が中間に位置することによって地方政治が、2重構造になっている▼平屋が市政、2階が国政とするならば、県政はさしずめ中2階といったところだろう。2階建ての家を建てても中2階を作る人は少ない。有権者の意識が希薄なのは、案外そうした点にあるのかも知れない▼しかし、それはともかく、地域の問題を掲げてアピールするのが地方政治である。個人演説会や遊説カーで候補者が何を考え、何をやろうとしているかをじっくりと聞くことが大事だし、選挙広報を冷静な目で見ることも必要だろう。政策抜きにして政治は成り立たない▼ただ文字を羅列したお題目だけの、およそ政策とは言いえないものもあるが、中2階とはいえまずは政策を投票行動の判断材料にしたい。

  市長への手紙(88・4・15)

 厚木市では4月1日から「市長への手紙」をもうけ、市民が市政に対する苦情や要望、提案を自由に出せるように制度化した。こうした手紙を昭和30年代から始めている自治体もある▼今日では県下でも6割におよぶ市町村がこれを導入しており、地方自治の制度としてはすっかり定着しているようだ。厚木市の場合は、「遅きに失した」という感がしないでもないが、「市長への手紙」が、市政を市民に近づけるためのものとして制度化されることは大変好ましい▼問題となるのは手紙の処理の仕方や対応であろう。手紙を出したが、「行政の対応があまりにも遅かった」「なしのつぶて」では話にならない。またこの種の返事はとかく「形式的だ」とする批判が少なくないのである▼手紙の内容が複数部局にまたがる場合は、各担当課でバラバラに分解されるため、総体的な回答よりも個別的な回答だけに終わることもある。問題によっては回答の足並みがそろわないケースもあるだろう。処理責任が手紙を受け付ける係員にあるのか、それとも内容に関連した担当部局にあるのかも重要だ。場合によっては市長が自ら懇切丁寧に内容を書いて、心のこもった返事を出すことも必要だろう▼市長への手紙が制度としてスタートした今、受け手である市民の立場に立った、迅速で具体的且つ分かりやすい回答が出る処理方式を望みたい。

  ネットワーキング(88・5・15)

 「ネットワーキング」という考え方が日本に紹介されて以来、それによる住民参加、市民運動、ボランティア活動が注目されてきている▼このネットワーキングの最大の利点は、機関や組織にしばられるのではなく、「その都度自由に自主的にアクセス出来るチャンネルとしてそれがある」という点である。原発反対の市民運動から食品公害、ボランティア、水や環境問題、学校給食、そしてスポーツや趣味の仲間づくり、イベントなどいまや私たちの身近なところにまで、ネットワーキングが浸透してきている▼排除も強制もないというのが、ネットワーキングのネットワーキングたる所以であるのだが、アクセスする人たちに時として真意が理解されていない場合もあるようだ。困ったことにはネットワーク運動という政治運動を実践している人たちでさえ「ネットワーキング・ゲーム」には無知なところがあり、その種の行動にはしばしば驚かされる▼アメリカの哲学者スミスと詩人ワーグナーは、ネットワーキング・ゲームのための興味ある5つのルールを説いている(「ネットワーキング・ゲーム」1980。掲出『ネットワーキング』J.リップナック・J.スタンプス著・日本語版監修正村公宏・プレジデント社・1984)▼1つは役に立つ人間になること。ネットワーキング・ゲームは人を説得したり同意させたりすることではない。ただ1度でも人の役に立てばよいのである。2つ目は人を退屈させないこと。肝心なのは、友人や知人から血を吸い取るかのように、自分の個人的な情報の種に使わないことである。3つ目は物事によく注意すること。ネットワークづくりという魔法は、世界を共有ということに向けて再構築することによって、個人のさまざまな能力を生かすことにある。4つ目は質問をすること。よい質問は時にはよい回答よりも有益な場合があるからである。そして5つ目は憶測をしてはいけないことである▼情報は金・銀と同じように実体を持つ天然資源である。情報を持っている人はそれを欲しいと思っている人に食い物にされるおそれがあるし、逆に情報を持っている人がそれを得ようとする人を食い物にする恐れもある▼スミスとワーグナーが提唱しているのは、情報交換をボランティアでやることの簡明性である。つまり情報を提供する際も受け取る際も不公平な金のやりとりをなくすルールを説いているのである。望むなら誰でもネットワーカーになれる。

  中野道路(88・6・1)

 厚木市中町に住む元助役中野達夫さん(76) が、このほど自分の人生と生家の歴史をつづった『中野家の道』と題する本を自費出版した。中野家は江戸時代には名主をつとめた商人で、通称「米新」と呼ばれた▼16代の達夫さんと15代の父・再五郎さんは共に厚木町の助役をつとめた。再五郎さんは札幌農大の出身で「農は国本なり」をモットーに、明治36年、厚木、戸室、恩名、船子一帯の水田耕地整理事業に取り組み、自ら試作農園を設立して果樹栽培にあたったという▼今の神奈川中央交通の前身である相模自動車の設立、小田急電鉄の誘致、神中鉄道(相模鉄道)の敷設などにも千年した▼当時、本厚木駅の開設に当たって北側一帯が水田で道路がないため、改札口が南に設置されると聞いた再五郎さんは、自分の土地を無償提供して中学通りまで道路を作り、街灯まで設置して現在の北口が出来た。これが、今の一番街で、当時「中野道路」と呼ばれたという▼明治の初期、自由民権運動に参加、後に京王電気軌道(京王電鉄)の社長に就任した三田村の井上篤太郎さんも、昭和4年に私財を投じ中津川にかける「才戸橋」建設した。再五郎さんも篤太郎さんも共に公共心の強い人だったという▼今は亡き篤志家たちに敬意を払いたい。

  お年寄り名人(88・6・15)

 「まちに埋もれるお年寄りの技や知恵、芸を伝承しよう」と、このほど厚木市ではお年寄りの「名人認定調査」を始めた▼名人の対象となるのは竹細工、わら細工、手づくり味噌、こんにゃく、酒まんじゅう、さらには趣味の尺八、舞踊なども含まれるという。本職としないその道の名人を選び出し、指導を受けることによって新旧住民や世代間の交流に役立てようというもので、地城文化の継承を兼ねたコミュニティづくり運動だ▼音頭をとったのは、自治会や婦人会、老人クラブ、地域の文化を考える会など85団体で組織する「厚木市ふるさとづくり推進協議会」である。まちづくりのソフトとしても申し分なく、市でも全面的に応援するという力の入れようだ。こうしたやり方を京都大学工学部の西川幸治教授は、「地域文化財の動態的保存」と位置づけている▼いま、私たちの間では自分たちの肌で感じられなくなり、あるいは自分のところから遠ざかっていこうとする地域を、再び自分たちの地域として取り戻そうとする活動が芽生えている。古老に聞く会やふるさと百選などはその代表例といえるだろう▼お年寄りはその地域の人たちにとって、「存在の自己証明」とも呼ぶべきかけがえのない貴重な文化財だ。ふるさと創造は正に人間のディスカバーである。

  市債で下水道整備(88・7・1)

 朝日新聞に、厚木市の下水道整備が終了するのは20年先という記事が出ていた。現在、同市の下水道普及率は56.1%。整備完了が20年後というと昭和83年だ▼市下水道部の話では75年度を目処に、市街化区域内を100%、引き続いて調整区域内の整備を行うというが、予算規模や執行体制の問題もからむため、実際には83年を大幅にずれこむだろう▼公共下水道が進まない理由として上げられるのが、財政事情である。事業費は、1ヘクタール2,500万円から3,000万円と言われ、どこの自治体でも大規模プロジェクトとなる。厚木市の下水道事業特別会計予算の歳入は、国や県の補助金12.6%、一般会計からの繰入金32%、市債36.9%で、残りが使用料や負担金となっている▼予算を増やせば当然、普及率も高まる。問題は歳入のどこを増やすかだろう。補助金に頼ると枠が限られ時間がかかるし、一般会計からの繰り入れも大幅には見込めない。残るのは市債だ。これだと返済が後にまわるという不利な面があるが、事業化は一気に進められる。神戸市は市債を活用して6年間で普及率を100%にしてしまった▼いうまでもなく下水道の普及率と河川汚濁は反比例する。借金の返済は後にまわせるが、たれ流しのつけは後にはまわせない。

  駐車場対策 (88・7・15)

 厚木市が抱えている問題の1つに駐車場対策がある。これは今や大問題と言ってもよく、市議会でもしばしば議論の対象になる。結論から言うと、駐車場が問題になるのは、まちづくりの手法に「初めに駐車場ありき」という発想が欠落しているからである▼第1に要鋼行政の限界が指摘されよう。現行の開発指導要鋼や建築指導要鋼に定めてある別途協議という考え方は、協議の段階では過少に解釈されやすいし、常に最低基準に落ち着くという性質を持っている。施主はお客様用の駐車場にまではとても手がまわらないのである▼第2は商店街としての取り組みが非常に弱いという点である。駐車場問題は商店街の振興策と不可分である。単独で出来ない場合でも、商店街建築協定などを結び、共同で駐車場ビルを確保するというようなやり方が、今後、必要になってくるだろう▼第3は、駐車場の確保に思い切った発想がないという点だ。これは公共施設にしてもしかりである。厚木の中心市街地にオープンスペースがない現在、地下の有効利用を図る「アースアメニティー構想」を早急に打ち立てるべきだろう。民地でなくても公園や公道の下を地下駐車場にすることで、相当な面積が確保出来るのである、「初めに駐車場ありき」の発想だ。

  立体交差(88・8・15)

 過日、ある代議士の集まりで厚木を訪問した自民党建設部会長の谷洋一代議士は、「東名インターから市内のホテルに着くまでに50分もかかった。これはゆゆしき問題である」と、厚木の道路事情の悪さを指摘していた▼厚木の交通問題はもはや尋常ではない。神奈中バスの運転士をしている知人に聞くと、「厚木の道路は放射状で、市の中心部に向かって入ってくるので車の逃げ場が全くない。袋小路に向かって進んでいるようだ」と嘆いていた▼環状道路が整備されていないところへ、国道129号線や246号線に大量の通過車両が流入してくる。これが中心市街地の混雑に拍車をかけているのである。こうした車は税負担もしてくれないから、市民にとっては誠に迷惑である▼何とかこの通過交通をよそに追いやることが出来ないものだろうか。国道246号バイパスが出来るのは早くても15年先だろう。相模縦貫道路、武相幹線にしてもしかりである。事態は相当に深刻である。さりとて、新しい道路の完成まで待ってもいられない▼国道と国道、あるいは県道が交差するところは全て立体交差に変えるべきである。これをやれば市内の交通渋滞の大部分は相当に解消できる。これは何年も前から指摘されていることだが、国も地方も一向に取り組む気配がない。

  私の21世紀プラン(88・9・1)

 厚木市が昭和85年を展望した「21世紀プラン」の策定に着手した。高齢化、高度情報化、国際化という時代の潮流の中で、20年後の厚木市を思い描くことは大変楽しい作業である。では、筆者も夢を1つ描いてみよう▼2010年の春。厚木市が市内のゴルフ場を買収して作った市民公園の一角で、4年に1度の国際的な芸術祭が開かれようとしている。巨大なイベント広場には、平和と創造の願いを込めたシンボルタワーが立っている。市長の自慢は日本に1つしかない美術館だ▼しかも、この美術館は、国際的なブランドで知られる市内企業の手によって建設されたもので、管理・運営は全て市民に委ねられている。美術館は国際化、情報化、文化化、産業化のシンボルとしてつくられ、そのまま厚木市の都市づくりにつながった▼市の北部には相模原市から大手私鉄が乗り入れを開始して新駅が誕生、厚木にもう1つの核が出来上がった。新駅周辺には集合型マンション、ホテルや会議場、駐車場、ショッピングセンターなどが建設され、計画的なまちづくりが行われたのである。そして成田、羽田と厚木を結ぶ「コミュター航空基地」も完成、世紀のイベントを見ようと内外から観光客がドッと押し寄せた▼コンベンションシティの幕開けである。芸術祭で市長は「国際文化都市」をたからかに宣言した。

  議会答弁 (88・9・15)

 議会の一般質問を聞いていると、いろいろな事に気がつく。質問が演説調になる人、陳情型になる人、なれあいを思わせる人などさまざまで、これに議員諸侯のキャラクターが加わって質疑を面白くさせたり、つまらなくさせたりしている。しかし、質疑は概して退屈である場合が多い。厚木市の場合もその例外ではない。それは質問が通告制であるため、事前に答えが用意されているからで、これではとてもウイットやユーモアに飛んだ質疑は聞けそうにない。たまに通告にない爆弾発言をしたり、脱線する議員もいるが、これも形式的な議事運営上からは好まれないのである。答弁が「検討します」「善処します」式が多いというのも、議会の質疑の特徴だ。「検討する」「善処する」は、一般的に不可能や困難、否定を意味する場合が多く、これの連発は全くやらないということと同じであろう。このほか、小会派の議員に対しては理事者の答弁が冷淡であったり簡単であったりする場合も少なくない。理事者がこうした答弁になるのは、議員を通じて住民に誠実に答えるという「代議制」の認識に欠けているからであろう。「善処します」「検討します」では本音は聞けない。市民は議員の具体的な質問に対して、「約束する」という答弁を期待しているのである。

  土地利用計画(88・10・1)

 昭和80年を目標にした厚木市の「土地利用計画基本構想調査報告書」が出来上がった。市が野村総合研究所に委託してまとめたもので、「21世紀プラン」に組み入れていく考えだという。土地利用については、英国や西独では「計画なければ開発なし」という都市づくりの常識が国民の間に定着しているが、日本ではそうはなっていない。何故なら西欧は計画許可制で、日本は線引制を採用しているからである。線引性は無秩序な乱開発が進行しやすい。従って、ランドマスタープランや地区制度など、自治体が行政指導を通じて土地利用を図っていく方法は、地域に残された最後の砦であるといってもよい。もちろん法的な拘束力はない。問題は構想に沿った政策をいかに体系化し、行政指導をどう強めていくかであろう。今回まとまった報告書は市域を、 1.中心市街地 2.情報ハイテク 3.科学技術 4.創作体験 5.健康福祉 6.産業文化の6ゾーンに分け、今後の土地利用の基本方針として、 1.分節型都市構造の形成 2.広域拠点都市としての都市基盤整備 3.市街地整備における自然条件、地形条件の整備 4.高い快適性を持つ居住空間の創造 5.自然環境の保全の五つの条件を上げている。21世紀プランへの思い切った具現化を望みたい。

  国体誘致(88・10・15)

 昭和73年に開かれる神奈川国体のメイン会場を誘致するため、このほど平塚市に「会場誘致委員会」が発足した。市・市議会・商工会・体育団体あげての組織で、今後誘致希望職種を決め、県に開催申請書を提出する考えだという。ところで、世界最大のスポーツイベント・オリンピックは、ロサンゼルス大会、ソウル大会とも黒字決算となった。国体が黒字になるのか、赤字になるのかは知らぬが、オリンピックと違い商業主義とは無縁な大会だけに、儲かったという話は聞いたことがない。今年は地方博が全国各地で相次いだ。ところが収支決算は大部分が赤字だという。特にひどかったのは、札幌で開かれた「世界・食の祭典’88」で、80億円もの赤字が出たというから驚きである。 神戸市のポートピア以降、コンベンションが盛んであるが、安易な発想やプログラムの羅列では、経済効果が上がらないばかりか、巨額の赤字を生みかねない。国体の開催にからんで道路や橋、スポーツ施設の整備など行政上の対応が、まちの活性化につながることは事実だ。コンベンションの効能は投資による産出効果よりイベント効果にある。国体誘致合戦の仲間入りをするか、それとも独自の道を歩むか、ここは自治体の腕の見せどころである。
                                       

  猪鍋(88・11・1)

 「鍋をのぞけば、郷土がみえる」なんて、寒くなってきましたね。ヘイ、旦那、鍋がうまいよ、熱燗でキューッと一杯ひっかけていきなよ。なに、生まれは秋田だって。じゃ、しょっつる鍋の本場じゃねえかい。はたはたやいわしの塩漬けの上澄が曲者でね、この汁を酒で薄め、帆立貝の殻に入れ、はたはた、せり、筍やねぎを入れて出来上がりだ。お隣さん、北海道は石狩鍋だね。今年のアキアジは脂がのっててうまいよ。豆腐や玉葱など野菜と一緒のみそ仕立てが何ともいえないな。そう、昔は石狩川の河口が鮭漁の中心で、その漁場で栄えた鍋料理よ。開拓の味ってとこかな。西へ行くと山口県のふぐちりがいい。周防灘でとれる日本一のふぐを、旬の野菜と煮る鍋の王者だ。中でもとらふぐが最高だね。お客さん、ポン酢醤油で召し上がって下さいよ。オッと、こちらは江戸っ子かい。江戸っ子には関東のあんこう鍋がおすすめだ。あんこうを吊るし切りして野菜と出汁で煮るんだが、ゆでた肝を裏ごししたとも酢で食べると、芯からあったまるよ。さすが関東だね。ところで、厚木は何かって?言わずと知れた「しし鍋」よ。猪の肉に茸、野菜と一緒に煮込む味噌仕立てが特徴さ。ぼたん鍋とも言うね。山深い地方で古くから食べられたものでよう、厚木では飯山や七沢温泉の名物料理さ。美味だねえ。

  河川整備 (88・11 ・15)

 河川敷内のスポーツ広場の設置については、低水護岸整備が占用(使用)の前提条件で、整備後に利用するのが望ましいというのが厚木市の見解だ。確かに護岸が整備されていないと、高出水時に低水岸が削落することが予想されるため、金をかけて広場を作っても無駄になってしまう。県も一昨年まではそうした考え方に立っていたが、昨年当たりから、必要があれば占用を許可するので、護岸を後回しにして使ってもいいという見解を示すようになった。しかし酒井スポーツ広場の件では残念ながら、県と市との間でこうした考え方の合意が事務レベルで充分にされていたとは思えない。県と市の見解が全く食い違っているのである。間に入った住民はキャッチボールの球のように行ったり来たりで、一体どうなっているのかと問いたくなる。占用許可についてもしかりである。県では下ろしたと言えば、市では許可は受けていないと言う。あとで調べた結果、下りていることが確認されたが、これなどは市の思い違いも甚だしいし、こんなことでは責任ある河川整備などは期待できない。 一方が不信感をもつと、もう一方にも不信感が生まれる。見解の違いは徹底的に議論をして詰める必要があるのに、それすらもやらない。住民に指摘されて初めて認めるなどというのは、職務怠慢もいいところだ。厚木市内を流れる相模川や中津川の河川敷利用がなぜ進まないのか。それは市の整備計画の貧困さもさることながら、河川管理者である県との連携がうまくいっていないところに問題があるからである。これは何も今に始まったことではない。

  役所の信頼(88・12・1)

 「市民にわかりやすい行政」という言葉がある。例えば、下水道の整備やスポーツ広場の設置についての市民要望に対して、行政が「早期整備は困難な状況にありますが、今後とも鋭意検討を重ね、努力してまいりたい」と回答したとすれば、果たしてこれは市民にわかりやすい行政といえるだろうか。 これでは整備が行われるのか、行われないのか、行われるとしたならいつごろになるのか全く見当もつかない。役所の回答に「やります」「出来ません」という回答が少ないのも不思議だが、市民要望に対する回答はきわめて抽象的で曖昧な場合が多い。「検討する」などという言葉は、ある意味では役所の独断的な慣用語である。しかも、わずかな言葉の言い回しの違いによって、役所が努力目標とする程度や施策としての優先度が異なるというから市民にとってはますます分からない。「たらい回しされる」「何回も足を運ばせる」「横の連絡がない」なども、しばしばお役所仕事として批判される典型であるが、多くの市民の役所に対する信頼は、個々の職員とのやりとりの間に生じる小さな体験にもとづいている。嘘や調子のいい回答は論外であるが、テキパキとした応対や知恵を絞った回答など、職員の小さな努力やヤル気に信頼を寄せる市民は多いのである。役所にも民間なみの意識改革が求められる。

  公共用地の取得 (88・12・15)

 地方自治体にとって公共用地の取得は、近年ますます厳しいものになってきている。それは土地の高騰によって取得金額が膨大になるということと、地主が土地を積極的に売ろうとしなくなったことが上げられる。最近では金銭的解決だけではなく、相当数の代替地を確保しておくことが、交渉する上での必須条件でもあるようだ。そうした点を考えると、昭和59年に厚木市が買収した日本バルカー厚木工場跡地と、今回の東京農大厚木農場の一部買収計画は、実にスムースにことが運んだ好例といえよう。 幸運だったのはどちらも地主が一法人であったことと、売却するなら厚木市にという地主側の配慮があったことである。もちろん、厚木市の財政が豊かであることが思い切った用地取得を可能ならしめていることはいうまでもない。同市はこの5年間にバルカー厚木工場跡地を58億円、総合運動公園用地を50億円で取得した。今回の農大農場を加えると合計で243億円もの巨額にのぼる。ぜいたくな買い物だという意見もある。しかし、厚木市は今のうちに公有地拡大政策をもっと促進した方がいいように思う。それは21世紀を展望した時、市域の合理的な利用や地価の抑制のために、ランドオーナーとして自治体が果たす役割が想像以上に大きいからである。

.