風見鶏

1992.1.1〜1992.12.15

  末端から先端行政(92・1・1)

 14年ほど前、長洲神奈川県知事が打ち出した「地方の時代」という言葉が、再び脚光を浴びてきた。当時は言葉だけがひとり歩きをしていたが、今度はかけ声だけではなさそうである。東京一極集中をどう是正するか、列島はいま百家争鳴である。
 問題は分権の受皿としての地方をどう整備するかにある。1村1品運動で知られる大分県の平松守彦知事は「東京不満・地方不安」を「東京満足・地方安心」にするのが転換の課題だという。
 また、第3次行革審の「豊かなくらし部会」の部会長をつとめる前熊本県知事の細川護熈さんは、国から試験的に権限を移管する受皿として「パイロット自治体」の導入構想をまとめた。
 最近では出雲市の岩國哲人市長が始めた総合福祉カードや樹医制度が、中央省庁のバックアップで全国的に展開されようとしている。道洲制や府県廃止論など権限委譲を巡って様々な論議もある。地方に追い風が吹き始めたのである。
 厚木市は東名インターとルート246、129号線を軸にした交通の要衝。東丹沢と相模川の自然にも恵まれ、企業の存立基盤もズバ抜けていい。自主財源比率も毎年80%を超えるなど、地理的にも財政的にも他の自治体よりはるかに優位の立場にある。しかもテレトピア、インテリジェント、副次核都市、ハイビジョンシティなど中央省庁からのバックアップも多い。これだけの条件を揃えているのだから、先端行政の1つぐらいは構築しなければなるまい。                 
 問題は意識の変革とアイディアにある。「末端行政よさらば」だ。

  Uターン(92・1・15)

 新潟県の入広瀬村は、一晩に1メートル76センチも雪が積もったことがあるという豪雪地帯である。この雪が嫌でふるさとを後にする若者が多く、いつしか入広瀬村は過疎になってしまった。入広瀬村にとって雪は最大の外敵なのである。
 ところが、この村の須佐昭三村長は、雪を利用して村の活性化を図ることに成功した。利雪都市の創造である。屋根の雪下ろしに1万円を払って来てくれとやったところ、内外から大勢の人が押し寄せ、村でもあまりの反響の大きさに驚いたという。
 このほか雪上ソフトボール世界選手権大会、リース工場、山菜会館、木工センターの建設、さらには温泉開発にも成功した。農村圃場の全整備、下水道普及率85%、100歳になったら100万円を支給する条例の制定、また、文化スポーツ振興基金を設定して中国の揚洲市と交流、山菜風の中国料理も作った。
 入広瀬村のテーマは、若者がふるさとにUターンし、定住するために何をなすべきかである。須佐村長はこの問いかけに、見事に応えたのである。今では村の若者が胸を張って「わがふるさとは入広瀬村」と語れるという。
 村長は成人式の日に、若者に向かって1時間30分も語りかけるという。「君たちが村を離れて都市に出て、わがふるさとを胸を張って語れるようにしようじゃないか」と。
 若者たちは何年かたったのち、今度は村の創造者としてこの入広瀬村にUターンしてくる。今日15日は成人の日。    

  外国人との共生(92・2・1)

 このほど、愛川町で外国籍住民と地元の民生児童委員、ボランティアとの昼食パーティが開かれた。町内に住む外国人を招待して日本の伝統的な遊びやおせち料理を食べてもらい、異文化の交流に役立てようという考えだ。
 現在、日本には110万人の外国人登録者がいる。最近は出稼ぎ労働者としてやってくるケースが多く、3年くらいの長期滞在者も多い。外国の方が日本に来て何年間も働けば、結婚する人も出て来るし、子どもも生まれる。子どもにとっては日本がふるさとになるかも知れない。
 ところが、外国人がいるといろいろな場所で「コミュニティコンフリクト」が起きる。つまり生活や習慣、文化や宗教の違いから様々な面で意識のミスマッチが起きるのである。外国人の常識は日本人の常識とかけ離れているかもしれないし、逆に日本人の常識は外国人に理解されないかも知れないのだ。日本の外国人労働者対策で一番遅れているのは、このコミュニティコンフリクトをどう解決するかという点であろう。
 労働省は10年後に100万人の労働力が不足するという数字をはじき出している。単一民族で来た日本が、将来、多民族国家にならないという保障はどこにもないのである。
 われわれは、外国人労働者を単なる人手不足という経済の論理だけで受け入れると、大変間違った社会を築いてしまうかも知れないのだ。外国人と共生する社会をどう創りあげていくか。愛川町のような例が地域社会のすみずみで起こることを望みたい。

  常橋の復活 (92・2・15)

 厚木市の東町と海老名市河原口を結ぶ相模小橋は、大雨で相模川の水量が増えると自動的に橋の一部が流れてしまう。橋が水の中に潜ることから通称「もぐり橋」と呼ばれている。
 こうした橋は相模川でも珍しく、これまでにも人々の間でさまざまなドラマを生んできた。もぐり橋を人生の浮き沈みに例え、男と女の出会いを詩にしてご当地ソング「厚木の夜」が出来上がったのは2年前である。
 このもぐり橋を架け替えて永久橋にするという話が、厚木、海老名両市間でまとまった。厚木市内の交通渋滞の緩和策がそのねらいだが、完成すると厚木市の中心部を流れる相模川の上下流100mあまりの距離に、2つの超大橋が出来ることになる。かつて、ここには永久橋が架かっていて地元の人は「常橋」と呼んでいた。いわば常橋の復活である。
 ところが、この計画に疑問を呈する市民も多い。取りつけ道路や県道とのアクセスをそのままにして橋だけ架けるというのは、あまりにも短絡的すぎるというのである。厚木市の抜本的な交通対策は、市街地に向かう交通量をいかに分散化させ、駅周辺への集中化を阻止するかであろう。
 常橋は果して交通渋滞の抜本的解決につながるのだろうか。交通量が増えれば、それだけ危険も増える。常橋の復活は鮎や鮎漁でにぎわったかつての常橋通りの復活ではない。
 1本より2本の方が通りがよくなるというのは、数字の上での理屈で、とても計画的なまちづくりの発想とは思えない。

  開国のコスト(92・3・15)

 現在日本には110万人の外国人が定住している。彼らの多くは日本国内で日本人と同じように就労に携わっており、日本社会の経済発展に大きく寄与している。日本の社会で外国人が増えるとどんな問題が出てくるだろうか。
 まず言葉の問題がある。つまり、言葉の不自由さからくるコミュニケーションギャップである。次いで人権の問題。これは人間としての差別と抑圧の問題である。3番目に治安の問題がある。これは外国人が増えると犯罪が増えるという無知な論法からも来ている。
 4番目に健康と福祉がある。これは外国人に対して医療の対応と保険制度の適用がうまくできるかという問題だ。5番目が教育。外国人師弟の教育問題をどうするかという問題である。そして6番目が労働問題である。つまり、日本が3Kは外国人、知能労働は日本人という労働力の2極分化が進んでしまう国になることへの懸念である。
 このほか、コミュニケーション・コンフリクトなど様々な問題がある。こうした問題への対応にはボランティアの協力も欠かせないが、実際に相当なコストがかかってくる。しかも、現実にはそのコストの大部分を地方自治体が負担しているのである。だが、こうしたコストを本来、誰が負担するかという議論はほとんど聞かれない。
 開国論には賛成だが、こうした議論もきちっとやってもらいたいものだ。

  財政支出の中身(92・4・1)

 先頃市の財政について「過大投資や非効率的な投資で、将来義務的経費が増えるようなやり方は好ましくない」というようなことを書いた。
 つまり、10年後や20年後の財政を圧迫するような投資の仕方はまずいわけで、思いつきや単に市民ニーズに応えればいいというような財政支出はやはり考えるべきであろう。いい例が中町のサンデッキである。これは厚木市にとって非効率的な投資の最たる例だが、これが箱物施設となると維持費もかさんで大変になる。
 80年代以降、地方自治体で日本一づくり運動が話題となった。ご存じ、大分県の一村一品運動に端を発したもので、その後、美術館や博物館ブームに乗って日本一高いとか大きいとか、ギネスブックに載るようなモニュメントや施設を造って競うというやり方が登場した。
 もちろんこれはそれなりに結構なことではある。しかし、これはあくまでも目標ではなく手段であるということを認識しておかないと、後で大変な思いをすることにもなりかねない。施設の維持費に財政が圧迫されるというケースである。
 厚木市が計画している「教育の森」には約400億円が投資される。とかく公共工事は市民への投資ではなく、業者(ゼネコン)への投資だと批判されがちだが、教育の森もそう言われないよいに知恵を絞ってもらいたい。

  企業の社会貢献度(92・4・15)

 企業の業績を単に収益中心の尺度だけでなく「社会貢献度」という物差しで図る見方が出てきた。バブルの崩壊で企業のスキャンダルが次々と明るみに出たが、こと企業の社会貢献度となると分野も様々、なかなか実行に移せない。
 今年の6月、ブラジルで国連環境会議が開かれるが、日本でも大なり小なり環境に貢献している企業がある。大磯のジョンソンは、地元の海水浴場にジャンボドラム缶を28個寄贈、浜辺クリーン作戦のお手伝いをしている。ドラム缶は燃えるゴミと燃えないゴミに分けられ、海水浴場のオープン期間に利用されている。
 厚木のソニー厚木テクノロジーセンターでは、社員が通勤コースに当たる本厚木駅周辺の清掃活動を毎年実施しており、地域の美化活動に貢献している。また、愛川町に工場がある旭硝子では、地球の環境問題の解決に向けて貢献した個人や団体の表彰と助成を目的とする「ブループラネット賞」を創設した。賞金5,000万円を毎年2件選定するというから、こちらはジャンボ級だ。
 これらはほんの一例だが、製品の製造や流通・販売を担う企業が、もっと地球環境に目を向けてもいいだろう。これからは社会的貢献度の高い企業がモテル時代になるかもしれない。

  都市のランクづけ(92・5・1)

 東洋経済がこのほど「92年版都市データパック」を発表した。人口10万人以上の全国209市を対象に、住みよい都市のランクづけを行ったもので、 @安心度 A利便度B快適度 C富裕度の4分野に分けて位置づけている。
 安心度は1位熊本。松江、宮崎、那覇が2位で、健康と長生きは南の方が優位にある。利便度は会津若松、福井、甲府、米子がともに1位。買物しやすく通勤時間の短い都市が上位にランクされている。
 一方、社会資本関連の快適度は苫小牧、豊橋がともに1位、3位北見で、こちらは安心度とは逆に北に偏っているという。また、都市財政を表す富裕度は鎌倉、宝塚が1位、3位海老名の順。総合評価では、1位福井、2位豊橋、3位が長岡、富山松本で同ランク。
 5段階評価では、大変住みよいというAランクと大変住みにくいというEランクの都市はなかった。比較的住みよいというBランクは、北陸3県と中部2県の都市に多く近畿、関東圏はB、Cが多いという。厚木市は富裕度で10位、総合評価でBのランクづけだ。
 都市のランクづけは選択肢によって大きく変わってくる。高得点だからといって魅力度も上位であるとは必ずしも判断出来ない。数字と実感はなかなか一致しないのである。

  本音で語る(92・5・15)

 「日本には地方自治は存在しないというのが私の知事体験の結論であった」。先頃、自由社会連合の結党宣言をした元熊本県知事の細川護熈氏が、『文芸春秋』6月号でこのように書いている。
 地方自治体の仕事は国の機関委任事務が大半で、県は約8割、市町村は約4割の仕事量を占める。従って地方自治体の行政スタッフはどうしても中央官庁の顔色をうかがうことにならざるを得ないというのである。
 細川氏はさらに「地方に自治が存在しないと同時に、中央には本来の政治が担うべき責任と機能がないというのが、私の知事体験のもう1つの深刻な結論であった」と述べている。
 中央行政組織が持つ巨大な権限と財源をめぐって、与野党の国会議員、各業界がその「おこぼれ」に与かるため、国民生活そっちのけに熾烈な争奪戦を繰り広げているというのだ。ここに族議員暗躍の場があるのである。
 この誰でも判っていることを、正面きって堂々と言う政治家は少ない。形式と慣習に慣れきっている行政マンや政治家にとってこの2つの言葉はどんな響きをもって聞こえただろうか。
 中央も地方も政治の世界で本音を吐く人が少なくなった。少なくなったというより、さまざまなしがらみがあって言えなくなったのである。それにしても、本音で語れなくなった政治家は見ていても魅力がない。

  個人情報(92・6・1)

 地方自治体における個人情報は1人平均数10件に及ぶといわれている。
 内容的には婚姻、妊娠、出産、入学、死亡、そして墓場に至るまで人間のライフサイクルのあらゆる領域に及んでいる。これらの個人情報は必ずしも法例の根拠にもとづいて収集されたものとは限らない。
 市町村における個人情報の収集方法は、本人・家族の申請、住民票からの転記、住民票・課税台帳以外の名簿からの転記、国・県からの報告、団体などへの名簿の提出依頼、第3者からの入手、その他に分けることが出来る。
 特にその他に関しては、どのようなものがあるか全く想像出来ない。例えば、航空写真による個人情報の収集は本人の知らないうちに固定資産税の土地・家屋の実態調査に使われているし、公立図書館に記録される個人情報からは、特定の個人の読書傾向や思想傾向などが明らかになる。
 こうしたことから個人情報の多目的利用には、重大な問題をはらんでいる。厚木市がこのほど制定した個人情報保護条例は、プライバシーの侵害を未然に防止し、個人の基本的人権の擁護に制度的な枠組みをはめたものだ。同市の場合は電算処理以外のマニュアル化された情報についても、規制している点に特徴がある。

  学校給食(92・7・1)

 埼玉県庄和町で学校給食が廃止されることになった。学校給食は戦後の食料難の時代に、欠食児童の食事や栄養不足を補う意味で始まった。その目的がクリアされた今、廃止は当然といえば当然である。
 そこで弁当復活論が登場するわけだが、これには反対論もあって母親はなかなか譲らない。弁当指向に反対する意見には「弁当では子どもたちが違ったものを食べるから、教育効果上好ましくない」「食品の種類が偏る」「朝食抜きの子は決まって金を持たせられる」「弁当を作るのは親の務めという論法で教育行政の後退とすり替えている」などがある。
 しかし、弁当の栄養価や朝食抜きの子、金を持たせられる子はなにも学校の責任ではない。弁当にすると食べ物が違うので子どもたちが可哀相だなどという議論も本末転倒である。
 教育とは、自分と他人は違うという点を認め合うことからスタートする。クラスに40人の子どもたちがいれば、40通りの教え方をしなければならないのが教育の本質である。隣の家の晩ご飯と自分の家の晩ご飯が異なるのと同じように、弁当の中身が違うのはごく当たり前のことといって良い。金太郎飴みたいに同じものを食べさせるのは果していかがであろうか。
 弁当は教育現場で親子の関係と個性化を体験出来る最良の教材である。給食の先割れスプーンや器を心配するくらいなら弁当の方がよっぽどいい。

  緑化協定(92・7・15)

 厚木市森の里地区に立地する企業や大学など8団体が、このほど「緑化協定」を締結、市が認可した。「厚木市の森の里・学園研究地区緑化協定」とうたわれたこの協定の緑化基準は、敷地面積50%以上の緑地面積を確保するなど非常に厳しい内容となっている。
 植木は風土に適したもので、地域住民に危害を及ぼす恐れのないものとして出来る限り県や厚木市の推奨木を植栽する。また敷地の周囲は出来るだけ生け垣を設置し、植栽は外部から直接望見できる箇所を優先するとなっている。
 同地区は都市計画法に基づく地区計画と地区整備計画を定め、土地の利用と建築行為のコントロールは市が行っている。この地区計画とは別に県と住宅都市整備公団との緑の協定に基づいて、公団と企業が緑化協定を結んでいる。その場合の緑化面積も50%以上である。
 今回はさらにそれを踏み込んで企業間同市で緑化協定を締結したもので、全国的にも極めて珍しい。もちろん県下では初めてのこころみだ。協定期間は十年で、反対の意思がなければさらに10年間延長するという。
 緑化協定は市民が独自に緑豊かな環境をつくっていく制度である。地方自治とは本来、こういうものだろう。建築協定を含めて、こうした市民の知恵が地域でわき起こることを望みたい。

  予告なし訓練 (92・9・1)

 9月1日の防災の日にちなんで各地で防災訓練が行われている。日頃の訓練が大切なことはいうまでもない。だが、いつも思うのは、災害は前ぶれなしに突然やってくるのに、訓練は相変わらず通告型であるということである。
 静岡県焼津市では、予告なし訓練にかなり前から取り組んでいる。同市では市民に何の前ぶれも出さず、ある日突然地震を想定した花火を打ち上げる。花火の合図と同時に防災頭巾をかぶり、非常持ち出し袋を背負った市民が、自主防災組織の誘導に従ってきめられた避難場所に逃げるという段取りである。
 予告なし訓練は夜間にも行われ、これまでに1世帯に1人は参加するという好成績をあげたという。こうした訓練から、緊急避難をする場合に今まで見落とされた死角を発見することも出来た。
 例えば夜間の避難場所となる学校の照明施設が十分でなく、出入口の場所もよくわからなかったこと。さらには吹き出しの際に薪が湿ってなかなか燃え上がらなかったことなどである。
 その後、こうした問題に改善をこらしたことはいうまでもない。災害対策の中心は自主防災だ。いつ来るか分からない地震の訓練を、官庁式に形ばかりやっても飽きるだけだろう。市も自主防災組織も予告なし訓練に取り組もう。

  要綱行政の限界(92・9・15)

 厚木市下川入で民間業者が建設を計画している産業廃棄物の処理施設に対して地元自治会が反対運動を行っている。迷惑施設だから、公害が心配だ、技術的に問題があるなどさまざまな反対理由が出ている。
 ところが、この施設の工事許可が下りてしまった。住民の同意なしにである。もちろん同意は法的要件ではないから違法ではない。業者は県の行政指導に従って地元住民の同意を得るべく努力をしたが、今もって同意を得られていないというだけの話である。
 しかし、地元の同意を得られなくても申請書を受理するというのでは、行政指導の範囲と権限は一体どこにあるのだろうかと疑問に思わざるをえなくなる。つまり、県は要鋼行政の限界を知っていて行政指導を形式的に進めているに過ぎないのではないかとさえ思えるのである。
 しかも、施設建設後の行政の管理監督は誠にお寒いといってもいいほどで、ほとんど期待が持てない。許認可権を持つ行政の監督が行き届かないというのでは、住民の不安はつのる一方で、なおさら同意するわけにはいかないだろう。
 要鋼行政は本来、法律の不備をカバーするところから始まった。だが、その本来の目的が生かされないようでは、行政指導の言葉も空しく聞こえる。

  行政指導とは (92・10・1)

 日本では市町村の仕事の大部分は県や国の下請けでほとんどの許認可権が県や国に集中している。例えば産業廃棄物の処理場建設計画は県が許認可権を持っており、市町村はその計画に対して意見書をつけるといった程度のものである。
 しかし、これに反対する地元住民は市や県の出先機関、本庁に対して八方手を尽くしてかけあうから、住民自身も窓口がどこか分からなくなる。この過程で民意が正確に伝わらなければ、住民にとって誠に不幸な結果を招いてしまうだろう。
 住民合意の機関は時として自治会長であったり地区の有力者であったり、自治会そのものであったりするから、常に住民の意思が正確に反映されているとは言えない。自治会だけが民意を問う機関ではないからなおさらだ。
 従って県や国は事業者だけの言い分や末端行政だけの意見を聞いているだけでは片手落ちである。地元の意思と事業者が対立している場合はなおさらであろう。
 県が事業者に対して行政指導を行うことは、ただ単に必要な書類を揃えよということではない。住民の不安を解消するような手立てを積極的に講ずるよう指導することであろう。厚木市の産業廃棄物処理施設の建設計画では、行政にそうした姿勢が認められないのである。

  テレコムタウン I(92・10・15)

 厚木テレコムタウンの事業主体となる「株式会社厚木テレコムパーク」が今月中にも設立されることがこのほど決まった。21世紀の厚木を担う大規模プロジェクトとして期待されている。
 しかし、研究所やハイテク企業の進出、さらには業務核都市という国家的なプロジェクトの期待を受けて、地域が自立し独自の展開をどこまで示すことが出来るだろうか。
森の里を見てみよう。居住者は東京指向、研究員や大学生も重心を厚木に置こうとせず、昼と夜が入れ替わるまちとなっている。また研究開発機能の集積にもかかわらず、地元中小企業とのリンケージはほとんど形成されていない。
 現在の厚木の発展は東京、横浜を結ぶ交通体系の結節的位置にあるという点を背景にしたもので、都心部の機能の部分的な外延化の受皿としてのみ形成されたものである。
 地元中小企業の多くは高度情報化への対応や地価の高騰、工業用地の限界、人手不足の中で次の時代を模索することに苦慮している。地域経済の基盤となる中小企業の新しい操業環境の確保に向けた具体的な整備事業が求められているのである。
 厚木テレコムタウンがそうした地域産業に対する高度化事業に、どれだけ肉薄することが出来るだろうか。

  テレコムタウン (92・11・1)

 厚木テレコムタウンの開発事業を担う第3セクター「株式会社厚木テレコムパーク」が発足した。株式会社厚木総合情報センターに次ぐ2番目のニューメディアの事業主体である。今後も官・民サイドでいろいろな事業主体が生み出されてくるだろう。
 ニューメディアは物流コストと情報流通コストの代替えと再配分を促すことは言うまでもない。それは経済、政治、文化、情報の生産ネットワークの全てに結びつく。地域がニューメディアで高度化し結ばれてゆくということは、地域の産業構造や社会構造そのものを変えてゆくことにもつながる。
 問題は誰に、何のために、どのようにメディア資源を配分し再分配するかということである。電波の割当、ケーブルの許可、テレコムの企業形態、業務の範囲、独占か競争か、市場と価格、資金の投入、教育と人材、物資の配置、税制、著作権などを包括した公正で効率的なシステムがつくり出さなければならない。
 番組やデーターベースといったソフトだけでなく、広い意味でニューメディアと人間生活にかかわるソフト開発も研究しなければならない。厚木市はそうした点を踏まえ、ニューメディアのインフラストラクチュアーを、早急に整備する必要があるだろう。

  外国人市民と税負担(92・11・15)

 外国人労働者が増えてきたため、地方自治体では、言葉や情報、交流、教育、防災などの行政サービスに取り組んでいるが、税金の面は果してどうなっているのだろうか。
 国税である所得税は給料から強制的に天引きされるのであまり問題はおきない。しかし、一方で、地方税の滞納者が出ているという問題がある。外国人であっても前年度に所得があれば地方税を支払うのは当然。ところが、納税通知が来るのは毎年4月から5月頃である。
 この間に移動したり帰国したりして所在が不明となると、それまでの分がそっくり滞納、あるいは未納になってしまう。愛川町は事業主が特別徴収しているケースが多いというが、不法就労者を含めてこれをどう徴収していくかが問題だ。
 外国人労働者のサービスは、大部分を地方自治体が担っている。その自治体に税金が支払われないのでは、市民の税負担の公平さから見ても問題である。また、自治体が行っているサービスの税負担を誰が担うかということにも議論の余地があろう。
 外国人であっても、行政サービスの「受益」と「負担」という原則は変わらない。それをどう理解してもらうかである。何故なら彼らはお客様ではなく、一定期間定住する外国人市民であるからだ。

  素子貫徹 (92・12・1)

 松下政経塾の上甲晃塾頭の講演を聞く機会があった。その時「地球から日本を変える」という月刊誌をいただいた。11月号の特集は「現代の坂本竜馬」である。
 高知県に橋本邦健さんという人がいる。現代の坂本竜馬といわれる人だ。彼は「竜馬記念館」をつくる資金10億円を集めるために7年半、長髪に袴という竜馬スタイルで日本全国を募金行脚した。
 当時、橋本さんは高知商工会議所青年部の副会長で、構想実現のため実行委員会を組織、県下の青年団体に呼びかけたところ、1,300人が賛同してくれたという。全員が完成したら県に寄付しようと燃えたが、前例がないから受け取れないという県の態度に中内知事に直談判。
 橋本さんの熱意が伝わったのか個人、金融機関、そして県も資金を拠出してついに10億円が集まった。記念館は竜馬生誕150年の昨年11月15日に完成した。現在1日500人近い来館者があるという。
 為せば為るという好例だが、松下政経塾ではこうした考えを「素子貫徹」として五誓に掲げている。常に志を抱き努力すればいかなる困難に出会っても道は必ず開ける。成功の要諦は成功するまで続けるところにあるという教えである。講演でも上甲塾頭はこの素子貫徹を説いた。

  ジャンボツリー (92・12・15) 

 今年も宮ケ瀬の日本一といわれるジャンボツリーに電飾が灯った。このツリーの点灯に合わせて毎年、クリスマスコンサートが開かれている。新しい宮ケ瀬を売る目玉商品の一つだ。ツリーは天然に自生するモミの木で高さ27m。これに約7,000個の電球をつけた。
 最近、12月になると商店街や公園の街路樹に豆電球をつけ、クリスマスや歳末のイルミネーション効果を演出するところが増えてきた。最初はデパートや個人の店で始まったが、最近は商店街ごとイルミネーションで包もうという発想に変わってきている。
 そうした中でも宮ケ瀬のジャンボツリーは、その大きさといい、場所といい、イベントの手法といいずば抜けている。期間中20万人の行楽客がこのツリーを見に訪れるというから立派な村起こしの1つであろう。行楽客の中心は若いカップルやグループである。最近では外人の姿も良くみかけるようになった。
 実はこの宮ケ瀬の地は、古くから外人にも知られていた。幕末にはヘボン博士が宮ケ瀬を訪れているし、イギリス人の写真家ベアトも中津川渓谷の写真を残している。そうした観光地宮ケ瀬の変遷を示す写真展「宮ケ瀬今昔物語」が、10日からビジターセンターで始まった。

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