言葉と精神の離乳食★わらべうた    by  文・大熊進子/え・鈴木伸太朗

NO.36

ほおたろこい

 ♪ほ ほ ほおたろこい あっちの水は にがいぞ こっちの水はあまいぞ ほ  ほ ほおたろこい 行燈(あんど)のかげから、笠着てこい♪ 
 ♪ほおたろこい 金吉っあん(かねきっあん) 昼はおんばの 乳のんで 晩にはちょうちん 高のぼり♪  
 ♪ほたろこい 田の虫こい あっちの水は あんないし こっちの水は うまいし ほたろこい 田の虫こい♪
この三つは京都の蛍です。京都にある「柳原書店」というところが昭和50年代頃に日本全県のわらべうたを蒐集しました。偉業だと思います。このシリーズは私のバイブルです。
 このシリーズは、わらべうたの生の姿そのままが納められており、変な遊び方をこじつけてはいません。勿論、歌は世につれ、世は歌につれ…ですから後世遊ぶ子供によって歌が成長したり、変身したりすることはあるでしょう。
 しかし、今のご時勢、実際に子どもが遊ぶ方法を知らなくなっている中、大人が教えているのがかなりの現状だと思います。その上、教えている大人自身が実際には子ども時代に遊んでいなかったりして、今の振りを適当に日本のわらべうたに当てはめたりしているのも多く見られます。このほたるにしても輪になって大勢が手で蛍を招きながら歩いたり、真ん中に1人が入って歌が終わるところで自分が止まったところにいる人と交代するとか、何か不自然な遊びです。トンボにしても、コウモリにしてもバッタにしても蟋蟀にしても…。まだまだ動物を歌った歌は多いですが、それらの殆んどは動物を賛嘆したり、からかったり、脅かしたりするだけで、動作や遊びはないのが自然だと思います。
 古くから伝わったものはある意味では歴史が入っているものなのでそのまま伝えたらどうでしょうねえ。「そんなことしてたら子どもは面白がらない」「今の子は何かやってないとだめなのよ」などという声も聞こえないではありませんが、古いものは古いものとして伝えるのも良いことじゃないでしょうか?
 私は蛍を捕まえたことがあります。取ってきた蛍を蚊帳に放してふうわりとひかる光に見とれました。その経験があったから白秋の「思い出は首筋の 蛍の(??)」でしたっけ、あの詩を読んだとき、分かる気分になったものです。
 厚木でも蛍が飛び交う場所がいくつかあると聞きます。闇の中であっちから、こっちから ♪ほ〜たる こい やまみちこい♪ などと声が聞こえると楽しいだろうなと思いますが、実際には蛍はちょっと青臭くて私は捕まえるのは苦手でした。籠に入った蛍を持つのが私の役目でした。蚊帳に放った蛍の光を見たり、籠に入っている蛍の光るのを見ながら ♪蛍の光 窓の雪〜♪ の歌も思い出しましたっけ。ほんとに昔の人はそういう光で勉強したんだろうか…と。夏には蛍を見るたびに冬が早く来ないかな、早く雪が降らないかなと願いました。いざ雪が降ると、ウン、確かに雪の日は明るい、しかしこれで本が読めるのだろうかと悩みました。
 そろそろ蝉の合唱大会が始まるかなと楽しみですが、蝉にも種類は多いし、あまり出てこない年と出すぎる年もあるようだし、今年はどうなるのでしょう。蝉ではいつも家人と言い争いになります。というのも私は「お〜しい つくつく お〜しい つくつく おし〜よ おし〜よ」と鳴くというんですが、「いや違うよ、つくつくほーし つくつくほーし と鳴くんだ」という人と住んでるのです。
 日本全県を全て調べたわけではありませんが、京都には前出のほたるのほかにも各地、村、町の数だけ蛍の歌はあるようです。他の殆んどの県にもそれぞれ似て非なる蛍が蛍の数ほどあるようです。

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