言葉と精神の離乳食★わらべうた    by  文・大熊進子/え・鈴木伸太朗

NO.38

ふくろう

 8月下旬は例年通り河口湖で合唱団の合宿をしました。9月9日に行う町田コダーイ音楽院のコンサートのためと言うこともありますが、そればかりではなく、同じ屋根の下で同じ窯の飯を食うという、そして夜は何時まで起きていても良い(但し翌日の練習は前日よりみのりあるものになればの話ですが)、小遣いは幾ら持っていっても良い(但し、落としてもとられても自分の責任)と言う数日が何年も恒例になると目に見えない何かが育っていくような気がします。
 要するに規律を守れない者は自由を貰えないということなのです。目に見えない何かは形而上の問題ですが、実際に目に見えることも多々影響として現れています。例えばホテルのロビーでは静かなもんです。挨拶もきちんと出来ますし、お風呂も入り口のバスマットがビチョビチョになることもなく、風呂場で使った腰掛や洗面器の後片付けも綺麗なもんです。一緒に入った先輩がタオルの絞り方など教え、上がり場に出るまでにぬれタオルで体を一旦拭うことも教えているらしい。私はいつも子供たちが入った後に入りますのでその状態が大体目に浮かびます。定宿としているおおはしと言うホテルは今年度男性用には露天風呂が設置され、女性用は二つになってそのうちのひとつは泳げる広さになった。だから私は「おぼれずに泳げ!」と推奨しています。男の子たちは一日に数回は入るらしい。とにかくそういう非日常の場所にあっては練習以外はその場所でしか出来ないことをするというのが私のやり方です。
 今回は往きには富士国際花園によりました。目で見ないと信じられないほどの立派なフクシャとベゴニア、そしてエミューと梟がいます。花の観賞もさることながら私は梟に会いたいと思ったし、私の気持ちを子どもたちにもわかってもらいたいと思ってそこへ連れて行きました。幸いお昼時に梟の餌付けを見ることができました。二羽の梟の餌付けと新人の梟の紹介でした。梟は一日のうちの95%は寝ていて5%しか活動しない、とかお腹がすいているから餌を見せられると飛んでくるのであって、芸をしようなどという気は無いとか調教師の方の説明を聞き、羽音もさせずに飛翔する梟や、スーパーマンのマントのように翼を広げて歩行する梟を見ました。子どもたちの何人かは「調教師は梟が満腹になったら決して無理強いしないのが良かったねえ。」と言っていました。アフリカ、アメリカ、アラスカなど世界の各地にすむ梟が展示室に生きて展示されていますが、梟は日本にもいますよ。私は小さい頃「ゴロスケホー」って鳴くと聞いていました。そういえば私とじっと見合っていたフクロウは喉の下をフクフクと膨らませた後「ウッホ」って言いました。でも昔々は人里はなれた山奥から里へ夜くらい道を歩いて奉公に行くとき「ボロキテホウコウ」と鳴いて送ってくれたと言う話も聞きました。鳥は何といってなくか、その鳴き声を日本語になぞらえるのが面白いと思います。「テッペンカケタカ」「アオアオー」「オッペケペッポーペポッポー」等など。
 次には猿回し劇場にも行きました。フクロウもそうですが、人間が動物を捕まえてきて芸を仕込んで見世物にする是非は置いておいて、私は見たいみたいと思っていた猿回しを劇場で始めてみることが出来ました。二匹のお猿さんがそれぞれ人間とペアを組んで芸を披露するのです。人間業じゃないね。大したもんでした。ここでも子どもの何人かは「それぞれの猿の得意技を生かしているんだねえ」と見抜いていました。私たち大人に対するシグナルでもありました。まだ声の出し方も口の開け方も手探りの子どもに向かって「大きい口を開けて!大きな声を出して!」と言い続けている馬鹿な私に対する警鐘でもありました。そういえば「猿のケツはマッカッカ、ごんぼうやいておっつけろ」なんて猿にとっては大変な唱え文句がありました。どうぞこれを読むのは子どもであってほしいと願います。こういうことは大人が教えることじゃないからね。

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