言葉と精神の離乳食★わらべうた

大熊進子

NO.9

 子どもの遊び

手遊びをする子どもたち
 げんげつも 花つも 今年のげんげはようさいた 耳に巻いてすっぽんぽん もひとつ巻いてすっぽんぽん 腕に巻いてすっぽんぽん もひとつまいてすっぽんぽん
 この歌を歌いながら手遊びをしたような気がします。ですからおぼろげな記憶をたどりながら私が遊んでたように子供たちにも伝えていますが、今思えばこの歌がどうして東京の私たちの所まで来たのか不思議です。だってヨウサイタなんてトーキョーモンは言わないもの。時々時空を超えて何処からか飛んでくるのが愉快です。最近はれんげ畑もほとんどみかけなくなりました。昔はれんげ畑に行って首飾りや冠を編み上げたものです。いくらでも摘めて、作っては笑い、笑っては作り、そばでは男の子たちがザリガニ釣りに夢中でした。
 れんげに飽きたら四葉のクローバー探しです。見つかるまで探しますから時間の経つのも夢のうち。毎日毎日良く遊んだものです。通学時間は行きと帰りでは大分違っていました。季節ごとに実る果物や木の実のなる道をチェックし、今日熟れるか、明日熟れるか確かめながら通う道。木の実だけでなく花も葉っぱも。躑躅の花の蜜は甘いし、草笛になる木の若芽の時期も見逃せない。ぐみ、柿なんぞは人様の家の実だけど気になって、気になって仕方がなかった。塾なんか行ってる人は誰もいない、街灯が1つでも灯ったら帰るという約束を忘れて叱られたり……。あっちこっちで『ご飯ですよ〜』なんてお母さんの呼ぶ声が聞こえたりしたものです。
 あんなに遊び呆けていたのに勉強はやったようだし、特に今まで生きてきて困ったことは無かった、と言うより遊びから身についたことは非常に多かった気がします。でもそういうことは具体的に書き表すのが困難だからつい親は遊ぶより学べと言う気になるのでしょう。
 幼児の生活は遊びで成り立っていると言ってもいいくらいですが、その幼児に関わっている大人たちが遊びを知らないと本当に困ります。いつだったか、ある幼稚園でれんげ摘みに行った子供たちが花だけビニールの袋に入れて持ってきたことがあります。次の日にある子が『おばあちゃんに見せたらこれじゃ首飾りは作れない。来年はもっと長くとっていらっしゃいねって言われちゃった』と言いました。このごろはれんげ畑も見かけなくなったから、あの子はもうれんげを編むチャンスを失ったかもしれないと思うとなんか悲しい気分です。
 私はちょっとセンチになりますが子供たちはどうして、どうして、元気に上の「げんげつも〜」を遊んでくれます。耳に巻いてのところで耳をぐるぐると巻く動作、すっぽんぽんのところで手をたたき、腕に巻いてのところで両腕をぐるぐる巻いてまた手をたたく、この動作がリズミカルで次の動作を生むエネルギーになるのです。面白いのは「すっとんとん」とか「すっこんこん」と言う子が時々いることです。私の発音が悪いのか、その子の耳が悪いのかどちらかかと思い、まず私が自分の発音に気をつけるようにしていますが、幼児といると鏡を見ているようでスリルがあります。
 2年前、厚木の保育園の松村まちこ園長からタンポポをトランペットみたいに吹く遊びを教えていただきました。丁度ハンガリーを旅していてのどかな沼のほとりを散策していたら、まちこ先生が目ざとくタンポポを見つけられてプーと鳴らされました。私たちはみんな懸命になってプープーやりました。ハンガリー人たちも一生懸命頬っぺたを膨らませたりタンポポに当たったりしながら楽しみました。小さい子供たちもこうして遊ぶことによって、息の使い方だの口の閉め方だのを習慣化していくのでしょう。

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