風見鶏

1985(昭和60年).1.1〜1985.12.15

 生活者都市(85・1・1)

 国の行政改革と財政再建、そして地方の国際化と文化化が同時進行する中で、今日ほど国と地方との新しい在り方が問われているときはない。また、一方では、暮らしの場としての都市が見直され、いかにして都市固有の可能性を活用し、都市にふさわしい生活様式を創造するするかが大きな関心の的になっている▼いわば、現代は新しい「自治体論」「都市論」形成の時代だと言っても過言ではない。それは自治、分権、参加を理念とする地方の時代を、より具体的に推進するための政策課題でもあるのだ▼一方、「生活者」という言葉が使われて久しい。生活者は、あるときは市民であり、あるときは消費者であり、そしてまたあるときは住民である。子どもや学生、主婦、そしてお年寄りなども程度の差こそあれ、社会的、公共的責任からまぬがれるものではない▼生活者とはこうした職業を持たぬ人々をも包含することによって、現代における人間の在り方を根源的に問おうとするものであろう▼かつて社会を規制していたものが、機能的に追求された一般的普遍であったのに対して、現在のそれは個別的普遍とでも呼ぶべきものに変わってきた。新しい「自治体論」「都市論」は、こうした都市の生活者の個性を、どう主体的に生かしていくかを追求するものでなければならない▼厚木市は今年、市制施行30周年を迎えるという。人間でいえば、大人としての自我が確立する年でもある。自分らしさをどう表現できるか、個性的な都市をどう創造するかは、市民の智恵いかんにかかっている。

 翼賛体制(85・2・1)

 逗子市議会の12月定例会がこのほどやっと終了した。越年しての長期議会に、富野市長は「議論を十分に闘わせ、すり合わせをし、意見を明確にするためにも必要な時間だった」と感想を述べたそうだ。いたずらに議会を紛糾させ、行政事務や市民サービスの停滞を招くようでは困るが、議会が本来、「言論の府」であるということを考えると、活発な論議は大いに歓迎されてしかるべきだろう▼しかし、日本では「対立」と「紛争」をできるだけ回避する政治が美徳とされている。そして、事前の根回しや調整能力に富む政治家が有能な指導者といわれている。議会がオール与党化している場合は、対立と紛争どころか、なれあいと形式的セレモニーしか見られないのが実状だ。しかも、この対立と紛争を回避しようという政治は、実は議会の活性化を妨げるというマイナスの効果しかもたらさない▼今日、「市民対話」「諮問委員会」「市民会議」というやり方は、市政運営上、どこの自治体でも取り入れ、市民参加の一つの手法として、地方政治の主流になってきている。つまり市民の意見や要望を直接聞くことによって、市民参加を内実のあるものにしようという試みである▼しかし、これが特定の大衆組織や首長の後援会、支持組織と結びつくとき、首長の「翼賛体制」作りにならないという保証はどこにもない。しかも、議会のオール与党化は、これの補完と仕上げを担うという危険性すらある▼足立原政権も徐々にこれに近づいているような気がする。市民参加の主体を間違え、議会が時の政権にすり寄るというオール与党化現象によって民主主義が形骸化すると、少数意見や反対意見が封殺され排除されるのは目に見えている。翼賛政治にブレーキをかけるためにも、議会は対立と紛争を恐れてはならない。           

 財政の弾力度(85・3・1)

 厚木市の新年度予算案が発表された。市税の収入はズバ抜けてよく62.7の高率だ。自主財源は歳入総額の76.2%を占めている。他の市町村が40%を上回る程度だから、同市の財政運営は自主性と弾力性が極めて高いといえる。また、歳出全体に占める義務的経費の(人件費、扶助費、公債費など)の割合が28.6%であるのに対して、投資的経費が42.3%という数字から判断しても、財政の弾力度は極めて良好である▼一般的に歳出全体に占める義務的経費の割合が高くなればなるほど、財政の弾力度は低下する。最近5年間の市町村の決算を見ると、都市財政は傾向的に義務的経費の割合が高まり(53年度で41%)投資的経費の割合が下がってきている(同36.7%)のが特徴だ。つまり、都市財政の硬直化が進んでいるのである▼厚木市の5年間を見ると、義務的経費は56年度の34.7%から逆に減少し、昨年度は遂に3割を切った。投資的経費はこれに逆比例して35%から40%台に伸びてきている。数字の上ではこんな理想的なことはない▼しかし、数字がそうだからといって財政運営に市民が満足しているとは必ずしもいえない。それは歳出が市民ニーズにマッチしていないというズレを感ずるからである。無駄をなくし効率的な財源配分をするためにも、市民はもっと政策チェックと財源監視に目を向ける必要があるだろう▼お金がたくさんあっても、その使い方がズサンであれば禍根を残すし、将来そのツケが回らないとも限らない。むしろ、財政状態がよいときにこそ、将来の市民サービスを考えた施策体系に取り組む必要があるのである▼地方自治体の財政運営は単年度主義でしかも予算主義だ。決められた予算をその年に使い切ってしまうという芸当はまさに見事というほかはない。このやり方は歳入の増減に直接左右されるから、ひとたび歳入不足に悩まされると、途端に財政のやりくりが出来なくなる。これまで国や自治体は一貫して歳入は増え続けるものという考え方に立ってきた。だが、「いつまでもあると思うな親と金(税金)」である。厚木市が歳入不足に陥った時にはもう手遅れなのである。

 四季の森造成事業(85・4・1)

 厚木市は今年、四季の森造成事業として愛名緑地1.2ヘクタールに、約1万本の植樹をする。お隣の大和市ではナショナルトラストの導入に踏み切った▼自治体の大規模な緑化計画は千葉市の磯の松原づくり(いなげの浜1.2キロに三万本の黒松を植える)や、函館市の緑の島(人工の島に運動公園や植樹帯を設ける)、長野県小海町のふるさとの森(20年前に植えた松林を50アールづつ100口に分け出資者を募る。30年後に伐採した収益を町と折半する)、知床半島・斜里町の100平方メートル運動(ナショナツトラストを導入し、開拓農民の離農跡地を乱開発から守る)などがある▼だが、何といっても圧巻なのは、帯広市の帯広の森である。これは、100年間に100億円をかけて、100万本の木を植えるもので、開拓により100年かかって消えてしまった原生林を100年かけて復元しようというのである。しかも、将来それをどうするかは、100年後の世代の選択に任せている▼これまでに5万本の木が植えられた。ここを活動の拠点とする少年ボランティア「森の少年隊」の存在意義も大きい。森林での学習を通じて緑の思想を確実に伝えていこうという考えだ。緑の思想の深い理解なしには、こうした勇気は出て来ない▼それにしても、北国のまちはやることが大きい。帯広の森は正に21世紀への提言である。

 表は表、裏は裏(85・4・15)

 以前、この欄で「議員の心得10カ条」をひも説いたことがある。その第7条に「利権あさりにうつつを抜かさないこと」とある。だが、時としてこの第7条から足を踏み外す議員諸公もいて、世間を驚かせている▼公共工事の入札や開発行為に便宜をはかったり、道路の整備など役所への要望やトラブルの解決、就職、進学の世話、果ては交通違反のモミ消しにいたるまで、議員に対する陳情はことのほか多い▼厚木の議員諸公も公私にわたって大なり小なり陳情や頼まれごとを受けている人が多い。この世界では陳情の数が多い議員ほど力のある議員だともいわれている。選挙でお世話になっているので、就職の世話や交通違反のもみ消し程度はと思っている議員もいるだろう。だが、利権となると話はまったく異なってくる。そこに金銭の授受が行なわれるからだ。政治家の倫理が問われるのも、地位や肩書を利用して私腹を肥やすことへの戒めからである。▼政治の世界に表と裏があるとしたなら、利権が概して裏の世界に相当するだろう。このダーティな世界に通じているのが、いわゆる黒幕や影の○○といわれる人たちである。彼らは政治の表舞台には決して登場しない。へまをやってたまにつまずくこともあるが、ほとんど失敗すらしでかさないのである▼日本では、政治の表舞台にいる人が裏舞台に踏み込んで失敗する例が後を絶たない。表にいる人は必ずしも裏を上手に泳げるわけではないのである。逆に裏舞台に生きる人が表舞台を歩こうとすると猛烈な反撃に出会う▼最近、厚木の議員からもきな臭い噂が伝わってくる。誘惑や悪魔の手から逃れるには相当な勇気がいる。だが所詮、表は表、裏は裏でしかない。表が裏にならないのと同じように、裏も表にはならない。表にいる人ははじめから表を歩くことだけを心掛けた方が賢明だろう。もちろん、裏を歩く人を是認しているわけではないので、誤解のないようにお断りしておく。

 ミツバツツジ花笑み会(85・5・1)

 厚木市上荻野で「黄色いチラシ」を発行する荻田豊さんが主催して、4月21日、愛川町半原にある「新久のミツバツツジ花笑み会」が開かれた。このミツバツツジは、高さ3.6メートル、幹が二股に分かれ、樹冠が30平方メートルもあるという見事なもの。町内ではこれほどのミツバツツジはなく、54年7月、町の天然記念物に指定され、昨年12月には県の銘木百選にも選ばれた▼「花えみ会」とは荻田さんらしい粋な催しだが、実はこのミツバツツジ、荻田さんの細君の実家である柳川武夫さん方のもの。荻田さんは見合い結婚だというが、その見合いの席上でミツバツツジが見事に咲き誇っていたのを今でもあざやかに覚えているそうだ▼荻田さんは「見合いの相手よりも、このミツバツツジが気に入ったので一緒になった」と嘘ぶいているが、そう言われればミツバツツジが取り持った縁ともいえなくはない▼この花笑み会でスペシャルオリンピックのチャリティーオークションが行なわれた。大勢の方から書や絵、色紙などの提供があり、35万円あまりの純益金が集まった。花笑み会で酒宴にたわむれるというのもいいが、そこは桜と違ってミツバツツジ、やることが秀でている。これからも粋なはからいを見せて欲しい。

 市民憲章(85・5 ・15)

 厚木市は今年、市制施行30周年を迎えた。この30年間に5倍以上も人口が増えたのだから、その発展ぶりには目を見張るが、市民意識の乏しい住民が大半というのが実状ではないだろうか▼市民としての愛着と責任感、そして誇りなきところにコミュニティーは育たないし、自治体行政の分権も空念仏に終わる。市民意識の象徴は何といっても「市民憲章」にあるだろう。ところが、いまある市民憲章は2,3の抽象的なまちづくりの目標を列挙しただけで、あまり意味がない。精神訓話のような感じもする▼市民憲章には単なる理想像だけでなく、地方分権の立場で国との関係における市の姿勢、環境保全や美しいまちづくりへの市民参加と自治体の役割、納税の義務など法律による基本的な権利義務、要綱行政、コミュニティー活動への参加、情報へのアクセス権などを含め、出来る限り具体的な内容を盛り込む必要があるだろう▼そうした内実のあるものにしていかないと、市民意識はなかなか育たないし、まちづくりも弱くなる。市長のアイディアや行政サイドだけでは都市自治、市民自治は前進しない▼「市民憲章」はまちづくりの憲法だ。この際、厚木市の市民憲章を自治体の憲法として、内実のあるものにつくり直してはどうか。30にして立つ厚木が、40にして惑わないためにも。

 民際外交(85・6・1)

 「足立原市長は1昨年、東に向かってアメリカのニューブリテン市と友好都市を結んだが、これでは物足りないと見えて、昨年は西に向かって中国の揚州市と友好都市を結んだ。ところが、これでもまだ物足りないと見えて、今度は北に向かって秋田県の横手市と国内友好都市の契りを交わした。このままいくと来年は南に向かってさらに友好都市を増やすに違いない」▼市制30周年のレセプションの席上で、セントラル・コネチカット州立大学のキム・フーン教授はこのようにあいさつして出席者を笑わせた。アメリカ人はユーモアやジョークがうまい。5月24日に厚木市と国内友好都市を締結した横手市の千田謙蔵市長もその気さくな人柄とセンスの良さが市民から好感を持たれた。ニューブリテン・揚州・横手とまさに厚木市の外交が百花繚乱だ▼かつて長洲知事は民際外交の心構えとして5つのポイントを上げたことがある。第1はあたたかく、しかしまたフランクに。第2は謙虚に、しかしまた誇り高く。第3は尊敬はするが、模倣はしない。第4は自分のところで悪いことはよそでも悪い。しかし、自分のところで良いことはよそでも良いとは限らない。第5は大魚との交際を追わず、小魚同士の連帯を深くである(長洲一二『地方の時代と自治体革新』日本評論社・1980)▼日本人は昔から国内でも国外でも、大物や有名人に会いたがり、また会えればそれを得意満面に自慢するという民族だ。そういう話ばかり聴くと、それが一体どうしたと言いたくなるが、民際外交の基本は権力者や金持ちとの交流ではなく、民衆同士の交流が基本でなければならない。まさに大魚より小魚との交流である。しかも政府の外交と違って、単なるチャンネルであってはならないのだ。長続き出来る関係をいかにして築くことが出来るか。それは民衆が前面に出ていく関係を行政がいかにして用意出来るかにかかっている。

 女性は核の抑止力(85・6・15)

 筆者が高校時代に習った日本史の先生が「戦争反対を叫ぶのは、まっさきに女でなければならない」と説いていたことをいまだに記憶している。戦争が始まれば夫や息子、恋人が戦地へ駆り出されるから、これを止められるのは女しかいない。「夫や息子、恋人を愛しているなら、女は真っ先に戦争に反対しよう」というわけだ▼「もし、地球を愛するなら」の主演キャスターである医学博士のヘレン・カルテゴットさんが7月7日に市民団体の招きで厚木市を訪れる。女史は「女は情熱的だ。男を迷わせるほど情熱的で感情的である。生き残るためには女性が先頭に立って、核廃絶の運動を進めるべきである」と説く、核廃絶運動の女性優位論者である▼もちろん男性を締め出す考えではない。生命を産み出す母親は生き残ることにもっと情熱的であるべきだというわけである。女史は「赤ちゃんを先頭に議会にデモをしましょう。もし、この地球を愛するなら」と訴えている▼反核に対する女性パワーは地球で大きな影響力を持っている。厚木母と子の原爆展実行委員会、厚木市に非核宣言を実現する会にも大勢の女性の参加が見られる。これは生命を産みだす女の本能的な防衛本能であろう。人類の中で男と女の数は約半分だ。女が核兵器に反対したならこれは相当な抑止力になる。

 河川整備(85・7・1)

 北海道の道北部に位置する士別市(しべつし)に「つくも水郷公園」というのがある。市の中心部から北へ約2キロ。道北随一の桜の名所で有名な九十九山と手塩川にはさまれた旧河川用地で、昭和42年土地区画整理事業の中に位置づけるとともに、道から補助金をもらい、56年に23万平方メートルの広大な水郷公園が完成した▼ここには交通公園や動物園、展望台、そしてボート遊びの出来る池がいくつもあり、夏には野外劇場で市民のフェスティバルが行なわれ、キャンプ場やプールは大勢の市民で賑わう。またサイクリングロードも整備され、冬はスケートリンクと市民の恰好の憩いの場となっている。43年には開道100年記念事業の1つとして宿泊施設の完備した「つくも青少年の家」が建設された▼厚木市の相模川利用計画を読んでいたら、この士別市の「つくも水郷公園」のことを思い出した。昭和20年代、蛇行の多い手塩川は治水対策が遅れていたため、融雪時や降雨時には流域の耕地が浸水し、住民は悲惨な被害に遭った。36年この蛇行部分の切り替え工事が行なわれ、市はこの旧河川を公園用地として国から払い下げを受け、水郷公園として整備したのである▼相模川は手塩川とは形態も性質も異なる。厚木市の河川利用計画にも夢のあるものを期待したいところだが、河川管理者である県との連携がちっともうまくいっていないところに、厚木市の河川利用の立ち遅れがある。相模川の場合、河川敷地内にある民地が整備の障害になっているというが、河川敷はもともと誰のものでもない。住民にもそうした権利を返上するぐらいの気持ちがないと河川整備は一向に進まないだろう。

 にわかづくり(85・6・15)

 厚木経済人クラブの例会で、神奈川新聞編集局次長の小沢澄夫さんが「厚木は住んでいて実感が沸かないまち」と印象を語っていた。ある経済雑誌が、厚木は全国652市の中で成長99位、経済力10位、総合力では1位というバランスのとれた街という定義づけをしている▼バランスのとれたまちということは快適な街ということにもなるが、なぜそうした実感が沸かないのであろうか。小沢さんはこれは「人口増加に力点が置かれているせいで、数字の魔術である」と指摘している▼人口が増えるのはそれだけ集積の利益があるわけで、就労人口や所得、小売販売額、新規住宅個数などは高い数字を示している。だが、一方では集積の不利益も発生する。ゴミ処理、交通渋滞、教育施設の立ち遅れ、自然破壊などがそれだ▼厚木でいま一番深刻なのは交通問題である。人口が増えても総合的な交通体系の施策がないから、行政の対応は後手後手だ。再開発や文化施設の建設にしても、どこかに慎重さが欠けている感じがする。活気さはあるが、存在感のない街づくり。小沢さんはこれを「にわかづくり」と指摘したのである。悪く言えば「継ぎ接ぎ」といってもよい▼筆者は学生時代、こうした都市政策を「アド・ホック」と言うと習った。医学でいう対象療法である。つまり、まちづくりの理念や指針がないから、しっかりした街づくりが出来ないのである▼にわかづくりや継ぎ接ぎでは後が持たないのは明白だ。厚木市がメジャーな都市になるには、どのような存在感を持たせるかである。

 越境(85・8・1)

 7月23日、稚内からソ連に密出国を企てた厚木市鳶尾の青年が、出入国管理法違反と盗みの疑いで逮捕された。青年は「ソ連に憧れていたので行きたかった」と自供したそうだが、今時、社会主義国のソ連に憧れる青年がいたのかと、改めて学生時代を思い出さずにはいられなかった▼昭和30年代から40年代にかけ、横浜からソ連の客船バイカル号でナホトカを経由し、ソ連・北欧を旅する若者が後を絶たなかった。作家の五木寛之はこの辺の事情を『青年は荒野をめざす』という小説の中で象徴的に描いている▼鳶尾の青年は旅券が発行されなかったため、稚内からサハリンまで宗谷海峡を泳いで渡るつもりだったという。額面通りに受け取れば相当な勇気である。しかし、これはいわば越境である▼社会主義国への越境といえば、昭和13年、新劇女優の岡田嘉子と左翼演劇人・杉本良吉の2人が樺太からソ連に密出国、世にいう「国境を越えた恋」と話題になった。しかし、杉本良吉はスパイ容疑で銃殺され、スターリンの血の粛清の被害者の1人となったことが戦後明らかになった▼この事件は後に評論家の平野謙と作家の中野重治の間で「政治と文学論争」にまで発展、共産党のハウスキーパー制度が問題にされた。昭和45年に起きた赤軍派の「日航機よど号ハッジャック事件」も北朝鮮への越境亡命である▼社会主義国への憧れは政治や文学と不可分に結びついている場合が多い。日本の左翼陣営が1950年代のソ連の発展を盲目的に狂信し、社会主義や共産主義思想をあおりたてたことは周知の事実である。だが、そのソ連も革命のヴェールが剥がされ、スターリンの独裁と血の粛清が明らかになってから、もはや政治や社会体制の憧れの的ではなくなった。鳶尾の青年の憧れがどのようなものかは知らぬが、ソ連の人気は下降線をたどる一方である。

 議長の任期(85・8・15)

 今年の議長のポストをめぐる熱い闘いが終わった。議長のポストは熱くなるほどに魅力的なのだろうか。議長には秩序保持権、議事整理権、事務締理権、議会代表権など一般議員とは異なった広範な権限が与えられている▼従って、人格、識見ともに優れた者がなることは言うまでもない。つまり誰もがなれるわけではないのだ。しかし、保守会派が多数を占める議会では、1年ごとのタライまわしが横行する。厚木市も昭和54年以来、保守系会派が1年交代を申し合わせきた▼タライ回しの論理は、「この名誉あるポストを、保守系だけで公平に分配しよう」という考えからで、こうした申し合わせで議長が決まると、しまいには人格や識見、能力などは二の次になってくる。こうした議長選出劇は、いつかは無理が出てくるし、ごり押しも通らなくなってくる▼今回の厚木市会の正副議長人事がそうだった。井上馨議長はバトンを渡す人がいなかったため、辞表を出さずに留任となった。もっとも順番待ちがいなかったわけではない。ところが、保守会派に足並みの乱れがあり、数の上での強行突破が難しい状況にあった。そこへ他会派がゆさぶりをかけたのである。無理が通らなくなったのだ。結果は議長の留任で、一年交代はもろくも崩れた▼このしこりはあとあとまで尾を引きそうだが、そんなことはさておき、短期交代を戒めた自治省通達もある。これを機に、タライ回しについて考え直したらどうか。本来、議長の任期は4年間はあるのだから。

 おじぎ草(85・9・1)

 「地震、雷、火事、オヤジ」という俚諺がある。不可抗力の恐ろしさをあげたものだがといわれているが、火事なら逃げ出せば良いし、オヤジはもう逃げなくても恐い存在ではなくなったから、この2つは不可抗力ではないだろう。ただ雷に当たった人は全く運が悪い。しかし、誰にも直撃するわけではないのでまだ救いはある▼ところが地震だけはどうしようもない。万人を恐怖のどん底に落とし込む。まさに正真正銘の不可抗力であるだろう。『方丈記』にも「恐れの中に恐るべかりけるは、只地震なりけり」とある。この不可抗力を何とか予知できないものだろうか▼安政大地震の時は前夜ニワトリやカラスが盛んに鳴いたといわれている。地震の前に深海魚が浮上する。犬が騒いで走り回る。なまずが暴れるなどの報告もある。「キジが鳴き騒げば地震あり」というのもその一つである。他に「井戸水が急に減ると地震が来る」とか「太陽黄色く月紅く星が冴えれば地震」「飛行機雲に似た長い一直線の雲が出ると、雲の伸び方角に地震あり」など諸説紛々だ▼厚木の南毛利地区には「おじぎ草が眠ると地震がある」という言い伝えがある。おじぎ草はマメ科の多年草で、ねむり草ともいう。普段は葉を開いており、人が手を近づけると寝る性質がある。それが何もしないのに寝るのは、地震の前触れであるというのだ▼古老に聞くと、これはどうも本当らしい。科学的知識よりはよっぽといいから栽培をおすすめしたい。

 松下式行革(85・9・15)

 厚木市の「行革」がスタートした。行政改革とは要するに、ムダを省き、収支を黒字にすることである。松下幸之助氏は、かつて「日本を税金のいらない国に」と提唱したことがある▼それには財政の単年度主義をやめ、徹底した決算主義を貫くことにある。当然、使い残した予算は積み立てにに回す。かりに昭和60年度から厚木市の一般会計予算の10%を毎年積み立てていくと、予算の伸び率を5%と見積もった場合、金利を含めて10年後には520億円くらいになる▼これは60年度の一般会計の予算総額を120億円も上回る金額だ。これを年5%の金利で運用すれば、26億円の収益が上がる。20年後の積み立て金は1.380億円で、金利だけでもざっと計算して70億円は下らないだろう▼一般会計の予算総額は1,000億円を少し越える程度だから、積立金を全部予算に回しても380億円はあまる。人口規模を30万人と推定すると、市民は無税の上、1人当たり12万円の配当までもらえる計算になる。もっとも。積立金を使ってしまうと何にもならないので、金利の上昇分だけ減税にすべきだが、いつかは金利だけで無税の時代が必ず来る▼松下幸之助氏は「今からでもこの方針でやれば、21世紀までに相当な蓄積が出来る」と言っている。

 行革市長(85・11・1)

 鎌倉市で行革市長が誕生した。全国一といわれる高額退職金の引き下げを、公約に掲げての当選である。行革市長といえば、昭和58年に、4,000万円という高額退職金の引き下げを公約にして当選した武蔵野市の土屋正忠市長のことが思い出される。土屋市長は組合の激しい抵抗に遭いながらも退職金をついに1,000万円引き下げた▼武蔵野市では昨年1月、行財政点検委員会の答申を受けて、給与制度の見直し、服務規律の確立、職員定数の削減、清掃業務の民営化、公共施設の民間管理委託、総合的電子計算組織の導入、電気、ガス、水道など庁用経費の削減など行政のスリム化に取り組んでいる。議員定数についても点検委員会は、58年度定数を61年度までに10%削減することを答申した▼行革はイコール民営化ということには必ずしもつながるわけではないが、民営化のメリットを指摘すると、例えば学校給食は昼間だけの人件費で済む。ゴミ収集も一車に一人という具合に、ソロバンをはじいていくと、直営の3分の1で済むことがわかっている▼厚木市の行政改革調査委員会も行政のスリム化を審議している。しかし、議員定数には手をつけないそうだ。「隗より始めよ」という言葉がある。ここは1つ、行革には治外法権はないというところを見せて欲しい。

 異業種交流(85・12・1)

 中小企業の異業種交流が活発化している。厚木商工会議所でも今年度を調査期間として、来年度から「異業種間交流事業」をスタートさせたい考えだ。この異業種交流は、複雑・多様化し、激しく変化する産業社会の中で、企業の「生き残り戦略」としてクローズアップされている▼こうした背景には 1.経営環境の変化により情報や技術、人材といったソフトな経営資源の充実が迫られている。 2.先端技術時代への対応。 3.市場ニーズの多様化、複雑化への対応。 4.地域技術の見直しなどが上げられる。これに拍車をかけたのは、中小企業庁が56年度から始めた「技術交流プラザ事業」である▼
しかし、現実の異業種交流事業の中には問題点も多い。メンバー企業に経営力や技術力のギャップがあること。本音で話し合える情報交流が難しいこと。リーダーの指導力不足等で、国や自治体、そして音頭をとる商工会議所などの適切なアドバイスが求められている。お膳立てをしたから後は自分たちでやりなさいや、この指止まれ式では異業種交流は円滑には進まない▼特にあまりに業種が異なるため、各社の意見や考えなどがまったく噛み合わないケースがあるし、リーダーのセンスの問題もあろう。研究機関や行政機関の専門的な支援や助成が求められているのである。

 無差別殺人(85・12・15)

 いやな事件が起こっている。いわゆる「パラコート殺人事件」である。パラコートとは農薬の除草剤で、これを謝ってコップ4分の1の量を服用した人すべてが死亡した、というデーターが農村医学会から発表されている▼事件はこのパラコートを、清涼飲料水のコーラやジュースに注入した無差別殺人である。悪戯にしては度を越している。殺人を目的としたものなのか、それとも性格異常者の犯行なのか、どうもいまいちはっきりとしたことが分からない。金銭の強奪を目的としてチョコレートに毒物を混入したグリコ犯とも違う。湿った、冷たい、なかば溶けた雪が天から落ちて来るような陰湿な感じがしてならない▼話は一転するが、昭和33年に起きた「小松川女高生殺人事件」は、当時、理由なき殺人事件として話題になった。人を殺すのに理由はいらぬというわけだが、考えてみるとこの事件以降、理由なき殺人や無差別殺人が増え、今日に至っているようにも思える▼この年を境にして自殺率が急カーブで下降したそうだ。自殺よりも他人を殺せというわけでもあるまいが、この理由なき殺人を見ていると、人を殺すという行為が、何か特別な意味の特別な行為ではなく、ごく普通の簡単な、しかもゲームのような行為だという風に見えてくる。世紀末は病的で恐ろしい社会の到来を予言している。

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