相模都市圏(89・1・1)
厚木市は今年21世紀プランの原案づくりに着手する。1つ指摘しておきたいことは、これからの都市づくりは、1都市単独よりも広域的なフィールドで取り組む課題が多くなっているという事実である。
厚木青年会議所が提唱する厚木、愛川、清川の3市町村サミットも、これらの地域の人たちが、川や生活、文化、産業圏を一つにしているという発想から出たものだろう。
宮ケ瀬ダムの湖面開発や相模川のウォーターフロント計画、相模縦貫、武相幹線などのいわゆる高規格道路、地域コミュター航空、新幹線仮称相模駅、さらには都心から県央への新たな私鉄乗り入れ計画などは、どんなに頑張っても一都市で対応できるものではない。
元建設大臣だった故河野一郎代議士は、かつて「西湘100万都市構想」をぶちあげたことがある。しかし、この構想は地域の焦点がボケ、名前にも魅力がないことからアドバルーンに終わってしまった。
21世紀は「相模都市圏」が相当クローズアップされてくるだろう。キャンバスを厚木から県央全体に広げてみると、絵の描き方も自ずから変わってくる。それぞれの都市とどんなアクセスを持つか。お互いの利害関係もからんでくるが、国際化時化への対応として、本格的に考えてみてはどうだろうか。
日本の3点セット(89・1・15)
裕仁天皇のご逝去で「激動の昭和」が終わりを告げた。昭和という時代は戦争が最大の事件としてあげられよう。
満州事変から日中戦争、太平洋戦争へと続く大量殺戮は内外を問わず20世紀最大の不幸な事件となった。この間の天皇は神聖にして侵すべからずという「現人神」であったことは周知の事実である。
戦後の昭和は復興から経済成長、そして繁栄を続け、世界に冠たる経済大国の地位を築いた。そして、天皇は人間天皇となり、国家および国民統合の象徴となったのである。
厚木市の人口は現在19万人。この中で戦前生まれは30%、戦後生まれは70%を占める。市民の7割は戦争のない時代を体験し、復興から成長、繁栄の昭和を生きてきたといえる。
筆者も昭和という時代には5分の3しか関わりを持つことができなかった。それ以前の5分の2は、歴史としての昭和という認識しか持っていない。そういう時代の制約を受けながら、明治以降の近代の歩みの中で昭和という時代をどう総括したらいいか自問自答している。
「天皇」「元号」「君が代」という3点セットは、日本という国家を規定する重要なファクターだ。
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずといえり」。福沢諭吉の教えにもとづけば、天皇制は極めて不合理で理不尽な制度であろう。だがそんなことは誰でも知っている。にもかかわらず人間天皇は存在するし、国民統合の象徴として敬愛の念を抱く国民は多い。この矛盾を矛盾とはなしに受け入れるのが日本人である。年号についても元号と西暦を巧みに使い分けるし、君が代に至っては、詩文の解釈すら出来ない国民がほとんどだが、式典では誰もが国家斉唱を行う。
「天皇」と「元号」、そして「君が代」。時代に翻弄されたとはいえ、この3点セットを考えると昭和という時代はあまりもドラスティックだった。
国道246号線(89・2・1)
1月14日、厚木で「ルート246サミット」が開かれた。国道246にアクセスする神奈川と静岡両県の政・官・財界のリーダーが集まって、「神静圏」の未来像を考えようというもので、参加者から日本の未来を示唆するダイナミックな発言がいくつも飛び出した。
「246沿いの地域はカリフォルニア州のシリコンバレーよりスケールが大きくなる」(長洲神奈川県知事)「この地域は将来、日本のナショナルテクノポリスとしての豊かな可能性を持っている」(中村秀一郎専修大学教授)などで、沿線に住む厚木市民としてはまったく嬉しい限りの形容だ。
246が世界をリードするという発想は、実は4年前にソフト化経済センターの日下公人専務理事が著した『ハプニングアベニュー246』の一貫した視点である。日下氏は「この国道沿いには若者を刺激し魅了する自由の街や、未来の住空間を先取りした未来都市がある。そして最先端を行く研究機関が点在している」と指摘する。
日下氏によると、東京の中心部は1日1メートルずつ西へ動いているそうだ。これを生活・文化圏の立場から「東京の侵略」と警告する人もいるが、246が未来への計画的アベニューとなるか、偶発的アベニューに終わるかは、正に沿線自治体の知恵と力量如何にかかっているのである。
まちづくりと条例(89・3・15)
宮ケ瀬ダムの建設に伴いダム周辺地区の観光開発がクローズアップされてきたが、観光化によって自然環境が悪化するのを防ぐため、愛川町と清川村が、「ラブホテルを規制する条例」づくりに取り組んでいる。
愛川町では開会中の3月議会に条例案を提出、清川村も6月定例会に提出するという。これまでラブホテルに関する規制は、住民の反対によって制定に踏み切った自治体が多いが、将来の建設を予想して先手を打つというのはほとんど例がない。
日本で初めてのモーテル規制条例を作ったのは埼玉県大宮市である。大宮市は昭和45年、モーテル建設の反対運動に立ち上がった住民の後押しをして、法律に規制のないモーテルを、市独自で条例化することによって食い止めた。国の風営法が改正されたのはそれから2年後である。
全国には法律に先がけたりそれを補強する条例が数多いが、中には千葉県習志野市の「草刈り条例」や君津市の「山砂利に税金をかける条例」など珍しいものもある。いずれも市独自の立場を主張したものであろう。
愛川町や清川村の場合は、法律に先行したものではないが、制定されると予想される事態に先手を打つという意味では正に画期的なことである。「住みよいまちづくり」へ、小さいがキラリと光る好例だ。
市制施行100年(89・4・15)
明治22年4月1日、憲法発布や国会開設に先立ち、市制が施行されて以来、平成元年の今年は市制施行100周年という記念すべき年にあたるそうだ。この記念すべき年を契機として、いま日本の都市が大きく変わろうとしている。
高次都市機能の東京への1極集中が進む中で、これを是正するための多極分散型の国土形成や、高齢化、国際化、情報化など社会情勢の変化に対応した都市づくりが求められているのである。すなわち4全総(第4次全国総合開発計画)に基づく地域開発計画だ。
厚木市が国の指定を受けているものだけでも4つある。テレトピアモデル都市、インテリジェントシティ、副次核都市、ハイビジョンシティ都市で、この秋には業務核都市の指定が見込まれているという。こんなにあると、その1つひとつにどんな意味があるのか、関連性や整合性はどうなのか何が何だか訳が分からなくなってくる。
最近、地方自治体の政策課題の中に決まって出てくるのが「地域の活性化」という言葉である。全国市長会でも「活力と創造性を生み出す個性ある都市づくり」を政策目標に掲げている。しかし、地域の活性化とはどのようなものであるか、単に交通や暮らしが便利になればいいのか、生産力があがればいいのか、そして生き甲斐をどこに求めるのか必ずしも明確ではない。
いま、国は自治体がやろうとしている地域の活性化は、技術や機能を優先しすぎて、画一的なまちになりはしないかと心配だ。市制施行100年を契機として、市民自治やまちづくりのソフトについても、同時に考える必要があるだろう。
都市の警報装置 (89・5・1)
厚木市の宮の里で、大規模な岩石採取に反対する主婦たちが、計画の中止を求める署名運動に乗り出した。計画では宮の里に隣接する9.8ヘクタールの山林から8年間にわたって岩石を採取、その跡に観光梅林を作ろうというもので、昨年4月、開発業者から県知事宛に事前審査申請書が出されている。
主婦たちが反対する理由は、@粉じんや騒音、振動公害による健康への影響。A通学路での交通事故の危険。 B自然破壊の3点だ。この計画は開発面積が10ha以下に当たるため、環境アセスの対象外で、採石法や森林法、農地法などをクリヤすれば事業認可が許可される。
反対している理由の @Aは、無条件に守らなければならない。問題は自然破壊の防止である。日本では土地の私有権を無視して、開発に歯止めをかけることは容易ではない。現行の採石法は昭和46年に改正されたもので、社会環境が著しく変貌している昨今、とても現実に則したものとは言えない。
神奈川県の中井町では地下資源の採掘に関して一定のエリアを設け、その範囲内で許可するというやり方を取っている。また、開発面積と同面積の保護地域を他につくらせるという西ドイツ方式なども参考に値する。都市の緑は自然破壊の警報装置である。一刻も早くこの警報装置が有効に機能する法体系の整備を求めたい。
久山町の実験(89・5・15)
『久山町長の実験』(大谷健・草思社・1982)という本を読んだ。時代に迎合せず、地方自治の手本をつくりあげた福岡県粕屋郡久山町の町長をつとめる小早川新(あらた)さんの行革奮戦記である。
小早川町長は現在7期目だが、土地利用に関して思い切った施策を展開し、町を無秩序な乱開発から守った救世主である。その決め手は都市計画法にあった。小早川町長は私有地を売らせない手段として、都市計画法を逆利用したのである。
昭和45年、福岡市に隣接する同市を、工場を増やさない、人口急増地域にしない町にしようと、町の96.26%を市街化調整区域に指定したというから驚くほかはない。調整区域に指定すると、住宅も工場も商店も建てられない。地価は農地価格で評価されるから、地主も高く売ることができないというわけだ。
法律も使いようである。これはまさに開発防止のために法律を楯に使った好例であろう。小早川町長は言う。
「百姓が土地を売ったらおしまいなんじゃ。金は一時的に入ってくるが、必ずなくなる。土地もなくなり、金もなくなる。きまっとるちゃ。土地を失った百姓の末路は。だから土地売りを制限しとるということは、定期預金をしているみたいなもんじゃ」(『同前掲書』)
以後、久山町では、土地を売りたい人が出ると、土地開発公社が買い上げるという方法を取った。同町公社では82年現在、約40万坪の土地を所有しており、道をまっすぐにするとか区画整理をする場の交換分合などに使われている。
こう見てくると久山町はモンロー主義だと思われがちだが、それは不動産業者に対してであって進出企業と公害防止協定を結んだ工業団地もちゃんと3カ所作っている。町への嫁入り、婿入りも大歓迎だという。
小早川町長は、川を水源にまでさかのぼる道、「緑道」も作った。町民の間で自然保護や生態系を学ぶ道として好評だ。今年の8月には、町内にある4つの採石場をすべて閉山するため残務整理を進めているという。小早川町長は「町民が誇る山河を守るのが仕事」と言ってはばからない。
ひるがえって厚木市はどうか。現在、反対運動が起きている飯山の採石計画は、小早川町長に言わせると「いわずもがな」であろう。地価を抑制し綺麗な水や空気を提供するという小早川町長のやり方に敬意を表したい。
土地所有者の倫理(89・6・1)
神奈川県中井町の「砂利採取指導要網」は、業者と地権者、行政で話し合い、骨子をまとめたという。特に採取地域の線引きという方法は、福岡県粕屋郡久山町が今年度の8月までに町内にある全ての採石場を閉山するという措置と同じぐらい、画期的な手法である。
法律に先がけて規制のない開発や建築行為に対して独自に条例を定め、計画的なまちづくりを行っている自治体は少なくない。また、法律の不備を独自の条例や指導要網で補っている市町村もある。昭和45年のモーテル規制条例(大宮市)や43年の砂利採取税(大阪府城陽市)などは最も先進的な例として指摘されよう。
資本主義社会は市場メカニズムによる自由主義経済が原則だ。土地であっても私権の行使は憲法の定めるところである。しかし、市場経済に委ねた結果、地価高騰を招いたり乱開発によって国土が荒れたりしたこともまた事実である。まちづくりは無秩序な開発を計画的に規制誘導することにほかならない。
付け加えるなら、政治家に倫理が求められるのと同様に大規模な土地所有者に対しても倫理が求められてしかるべきだろう。何故なら開発はそれ自体が社会的影響を及ぼす行為であり、住みよい街づくりは、土地所有者の倫理なしには進まないからである。
ニュースペイパー(89・6・15)
東京で久し振りに面白いコントを見た。その名も「ザ・ニュースペイパー」「新聞」というだけあって国会質疑、消費税、我が家の博覧会、いっぱいのかけそばなどハードからソフトまでまとめて90分、たっぷりお笑いを振りまいてくれた。
見所は竹下さんの辞任騒動劇。政界を競馬界に、政治家を馬主にパロディ設定、総裁選記念カモメレースで八百長が発覚して竹下会長が責任を追求されるという筋書き。言語明瞭、意味不明、責任逃れの答弁で交わそうとする竹下会長に、土井廐舎が噛みつき、好きな花は何か」と問われ、思わず 「コスモス」と答えるくだりには場内も爆笑。
機を見るに敏なりで池田廐舎はソウホンザン、赤旗廐舎はフワノトロイカを擁して乗り込んで来るが、ギャンブル狂の野次馬ハマコーなる人物まで粉れ込んで競馬界は目茶苦茶。暗転の後竹下さんが辞任、宇野ソックリさんがハーモニカを吹きながら登場してはしゃぎ回るが、傑作なのは出演者が、登場するソックリさんのキャラクターを真似て演じてくれること。
中国の民主化運動など時流満載のコントも飛び出し、会場を笑いの渦に巻き込んでくれる。秋には続編を予定しているというが、久し振りに知的パロディへの回帰を見た。世の中を知的風刺で笑い飛ばそう。
祭りの1本化(89・8・1)
厚木鮎まつりの最大のイベントは、相模川河畔で繰り広げられる「大花火大会」だ。この花火には46万人の見物客が押し寄せるというから、関東でも名高いお祭りになった。
だが花火以外のイベントは、盛り上がりに欠けるのが実情だ。中央通り、小田急通り、一番街通りを歩行者天国にしてのイベントはぐっと人出が少なくなる。プランを立てて実行するのは大変だが、企画や運営面にもっと知恵を絞る点があるように思える。
昔からお祭りは庶民のものとして行われてきた。厚木の鮎祭りも行政や商工会議所、商連などが参加して「市民祭」として盛り上げようということになっているのだが、予算や運営面から見るとまだまだ行政主導という感じが拭いきれない。問題はこれをどういう形で、市民主体の祭りにするかという点であろう。
厚木は祭りが多いと言われる。例えば商業祭り、さつき祭り、ふるさと祭り、若人の祭典など1年間に祭りが目白押しに出て来る。しかし、実体は祭りとは名ばかりのようである。これらの祭りを鮎まつりと一緒に出来ないかという考えがあるが、これは一考に値する。予算や企画、エネルギーなども1点に集中出来るし、迫力も異なってくる。祭りで儲かるという発想も大切だ。市民の知恵を生かす祭りを期待したい。
よりましな選択 (89・8・15)
議会人事を決める厚木市会で異例な事態が起きた。異例というよりは初のケースと言ったほうが適切かも知れない。すなわち、共産党が自民系保守会派、社会党、ネットと組んで、議会人事に一石を投じたのである。
石塚議長の誕生は共産党が乗らなかったら、実現は危うかったかも知れない。政友クラブ内には副議長ポストを共産党に譲っても、何とかして「村井―小泉案」を阻止しなければという意見もあったほどで、共産党が市民不在のたらいまわし人事にクサビを打ち込むには、絶好の機会だったといえるだろう。
今回の村井、石塚両候補の綱引きは、当初からどちらの陣営とも安全パイを握ってはいなかったため、少数会派の出方によっては、議長ポストがどちらに転がり込むか予断を許さなかった。いつもなら烏合の衆をただ冷やかに見ている共産党も今回だけは違った。
同党は議長人事に関して、理事者との関係、公正で民主的な議会運営、そして人物の3点を上げた。その結果、厚木市会にとって「よりましな選択」をしたという。「よりましな」という点に深い意味がある。
これを機会に人事をタライ回しするというやり方は、やめにしてはどうか。たらい回しは人材不足を招くし議会の権威を低下させる。無理な人事はどこかで破綻するのである。
政治の話題 (89・9・1)
今年は何かと話題の多い年である。この数ケ月を見ても、美空ひばりの死、宇野前総理の女性スキャンダル、参院選での自民党の大敗北、中国天安門の血の日曜日事件、そして狂気じみた幼児誘拐殺人犯の逮捕である。最近は海部内閣の番頭頭だった山下前官房長官の女性スキャンダルもマスコミの話題を独占した。
これから先、どのような事件が起こるか予測できないのが今日的話題のような気もするが、リクルート、消費税以降、国民の間に明らかに意識の変革が現れてきている。それは国民が政治に対して関心を持つ、政治を話題にするようになったということだろう。
厚木在住の作家森村誠一氏によると「人が集まると会話が生じ、それによってコミュニケーションが成立する。30代の男性は仕事、女性は夫と子供、40代は病気と薬の話、50代になると定年後の余生と孫、そして自慢話が加わり、60代以降は思い出話が増える」というのが、各世代の共通した話題だという。
これに政治が加わっているのが今日的であるのだ。政治家のスキャンダルへの反応やテレビのニュース番組が高視聴率を上げているのはそうした現象の一つであろう。政治が日常的話題として定着することを期待したい。それにはまず選挙で政治を面白くせねばなるまい。
ニューメディア・アセスメント(9・9・15)
「情報化地域社会」という言葉がある。ニューメディアを地域社会に導入することは、地域社会を大きく変えていくことにつながるわけで、情報化社会は地域の情報化だという考えである。
厚木市はテレトピア・インテリジェント・ハイジョンなど国の4全総(第4次全国総合開発計画)がらみで、高度情報化の施策が目白押しに出てきている。施策はまだ始まったばかりで市民にとっては、その概念すら覚束ない人もいるだろう。
もちろん、地域の情報化は市民生活に利便性をもたらし、新たな地域文化を創造するに違いない。しかし、情報化の進展は、プライバシー問題や新しい情報犯罪、メディアクラシー、人間阻害を生みはしないかという危惧感さえある。
厚木市が情報化の政策を進めるに当たって、情報のインフラストラクチュアーをどう整備するのか、市民のためにメディア資源をどのように配分するのか、また、プライバシー問題に対応出来る情報公開法をどう整備するのか、さらには情報化による地域間格差にどう対応していくのか、多くの課題が山積みされている。
東京経済大学の田村紀雄教授は、地域の情報化にはニューメディア・アセスメント(環境事前評価)が不可欠である」(『町おこしと等身大のメディア』お茶の水書房・1989)といっている。厚木市はこの点については全くと言っていいほど手をつけていない。
運動公園の未買収地(89・10・1)
厚木市が荻野に建設していた総合運動公園の一部が完成、10月15日から供用開始されることになった。同市はこの運動公園の完成までに約10年の歳月を費やしている。
事業が遅れたのは、用地取得がスムースに進まなかったというのが、大きな要因として上げられよう。同運動公園の面積は14万7,000平方メートル。民有地である田畑や山林を買収して建設を進めてきたが、1部には借地の部分もあり、陸上競技場とテニスコートの完成を見た今日でさえ、まだ若干の未買収地が残っている。
契約のメドがたつまで、この未買収地をどう扱うのか判然としないが、事業の進行からすると極めて不自然な感じを与える。なぜなら、施設は出来たが土地の所有が曖昧では、建物も座り心地が悪いに違いないからである。代替地難もあって地権者との間でなかなか合意できないというのが実情だろうが、一刻も早い解決に向けての早急な対応を望みたい。
近年、公共用地の取得は土地の高騰によって取得金額が膨大になるということと、地主が積極的に土地を売らなくなったことで困難になりつつある。最近では、相当数の代替地を確保しておくことが、交渉する上での必須条件にさえなっている。厚木市はこうした点をもっと積極的に考える必要があるだろう。
自治会(89・10・15)
かねてから疑問に思っていることの1つに自治会がある。自治会の存在そのものを問うているのではないが、自治会がどれだけ市民の意見を代表する機関なのであろうかという疑問である。
自治会は地域住民が日常の社会生活を運営するための自主的な組織で、どこでも組織されている。ところが、この自治会の構成や運営そのものが変わってきた。新住民の多いところ、旧住民主体のところでは、自治会の人事や運営などにかなりの差異がある。
問題は行政機関との関わりである。市民参加と公聴というと、まず出てくるのが自治会だ。市の諮問機関や外郭団体の委員を決める時には必ずといっていいほど自治会役員が入る。市が重要な問題を住民に説明する場合も自治会であるし、住民が市役所に何かお願いごとに行く場合、「自治会を通して来なさい」とはよく聞く言葉でもある。
行政は自治会を通せば、市民の意見が反映されるし安心だという気持ちがありはしまいか。もちろん自治会は市民の意見を代表する1つの機関であるには違いない。しかし、自治会にはその地域の住民の意見が全て集約されているとは限らないのだ。
キャプテンやCATV、パソコン通信など情報化によって市民意識がますます多様化している今日、自治会だけを頼りに行政運営をしていると、市民意識との間に大きなギャップが生まれて来よう。
民間資本のコントロール(89・11・1)
県央の中核都市として発展を遂げる厚木市では、数年前から再開発事業が目白押しだ。現在行政が取り組んでいる中町中央公園、総合福祉センターのほかに、民間ではパルコが進出する中町2丁目、東部第2地区では高層ビルの建設が計画されている。
このほか地元に再開発促進協議会などが組織され、行政との話し合いに入っている地域もあり、中町の病院跡などには商業系業務ビルの建設が計画されている。こうした再開発は、今後も市街地のいたるところで促進されよう。
しかし、市では再開発を含めた市街地全体の整備構想を必ずしも明確に描き切っているわけではない。無視できないのは行政と地元との構想協議が進むはるか以前に、厚木市の発展を予測した民間大資本による先行投資が、各地で進められているという事実である。
このことは、地元の零細資本や住民との間で、充分な話し合いとの合意が得られず、大資本優位の再開発が進められ、市街地の土地高騰を招くことにつながりやすい。もちろん大資本による再開発を否定するものではないし、民間活力を積極的に利用することなしには、今後の再開発は進まないであろう。
問題は民間大資本を公共的にどうコントロールしていくかである。行政にその能力が問われているのである。
学校用地に県道(89・11・15)
学校用地の中に県道が通るという前代未聞の建設計画が持ち上がっている。計画が実現すると学校用地が真っ二つに割られ、道路付きの小学校が出来上がる。
問題となっているのは仮称相川北部小学校の建設計画だ。厚木市では現在の相川小の用地を新設の相川中に譲り、東名高速道路より下流の地域に相川北部小を建設する計画を立てた。
ところがこの用地に県が計画している「相模新橋」の取り付け道路がぶつかることが分かり、市では相川小の移転を1年遅らせ対応策を検討してきた。
しかし、移転用地を他に求めることは困難である。かかる事情もやむを得ないとして、市では建設計画案を作成、地元説明に入った。取り付け道路の計画が実行されると騒音、振動、排気ガスそして校舎の分断などにより教育環境への悪影響が心配される。
近くのリバーサイドに住む住民の間では、計画案の見直しを求めるための反対陳情を市に提出するため、主婦たちが、「相川の教育を考える会」を結成、署名活動を始めた。
いずれも市民にとっては不可欠な事業であろう。他に代替地がないのか、また、道路の位置変更は出来ないのか。高架にしたらどうだろうか。可能な点から手をつけていかない限り打開策は生まれない。共に新規事業である。新規は変更が充分に可能であるということを忘れないでもらいたい。
自治会の機能(89・12・1)
厚木市は市民参加の1形態として行政上の施策や事業を、自治会連絡協議会を通して各単位自治会におろし、意見を聞くというやり方を取っている。
この場合の情報伝達先が自治会長であることは言うまでもない。「自治会を通して」ということは、「自治会長を通して」ということであって、行政は自治会長を1本化することによって、市民参加というスタイルをレベル的に、しかも効率的にクリアしているのである。
中京大学社会学部教授の松田昇氏は、行政が自治会長に期待するのは「地域代表機能」「総合・調整機能」「地域管理機能」の3点であると指摘している(『ハイテク化と東京圏』北川隆吉編・青木書店)。自治会長の発言が行政の代弁者となる場合は、まさにこれの現れであろう。
従って自治会長1本化のラインから外れる要求や要望は、行政にとっては好ましくないということになる。住民運動を、特定政党の政治運動としてレッテルを張り、行政運営になじまないとして遠ざけるのも実はこうした意識が働いているからである。
これは議会についても同様なことが言えるわけで、住民から出た陳情や請願が、そうした考え方でいとも簡単に不採択にされる場合が少なくない。
住民運動は「自治会では頼りにならない」というところから発生してきていることをもっと知るべきだろう。
監査請求(89・12・25)
地方自治法第242条。自治体の役職員の違法または不当な財務会計上の行為を防止、是正することを目的としたいわゆる住民監査請求で、納税義務者にその権利が与えられている。
昭和46年、厚木市の監査委員は「市長や3役に勤勉手当てを支給したのはきわめて不適当なので、総額68万円余の返還を求める措置をとれ」という勧告を当時の石井市長に提出した。これは住民監査請求の結果で、今でも語り草になっている。
監査請求は日常そんなに出るものではない。神奈川県市町村課によると、昭和59年4月から62年3月までのあいだに県で6件、市町村で18件だという。厚木市でも昭和56年以降措置請求がなかった。もっとも監査請求のかなりの部分は却下されるケースが多い。
12月11日、厚木市で荻野運動公園内の1部の土地に関して、地権者と市が交わした土地の使用貸借と土地売買に関する協定書に問題があるとして、市民から住民監査請求が出された。今後内容の検討が行われるが、土地の使用貸借と協定書の取り扱いをめぐって法的解釈が論点となりそうだ。
請求理由が認められるか否かは今後の監査の結果を待たざるを得ないが、結果によっては住民訴訟という経過に発展する場合もある。注意深く見守りたい。
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