2002.01.01(NO1) 若鮎ハーモニカバンド |
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昭和12年厚盛館で若鮎座と一緒に公演 大正から昭和の初期にかけてはハーモニカの黄金時代といわれている。 川口章吾や宮田東峰、佐藤秀廊といった傑出したハーモニカ奏者の活躍もさることながら、宮田東峰が中心となって大正7年に結成された「東京ハーモニカ・ソサィアティ」(後に「ミヤタ・ハーモニカ・バンド」と改称)や大正14年に結成された「川口章吾ハーモニカ合奏団」など全国に300を超えるハーモニカバンドが誕生した。 |
厚木町にもアスファルト舗装が施された頃、兵役に招集される前の高橋省二、小川菊太郎、村治正治、秋間健之助、成瀬吉造、八木光治といった20歳前後の若者によって「若鮎ハーモニカバンド」が結成された。 当時の日本は昭和恐慌からようやく立ち直りつつあったとはいえ、国際連盟からの脱退を契機に、国際的孤立の道を歩みはじめ、軍部も一層の力を増して日中戦争へと突き進む暗い空気が漂っていた。 そんな時代のなか、人々はラジオから流れてくる東海林太郎や渡辺はま子の歌声に心震わせ、ベルリンオリンピックでの前畑秀子の200m平泳ぎ金メダルに憂さを晴らしていた。 講談社の『昭和―2万日の全記録』によると、昭和12年4月6日・7日は快晴だった。ことに7日は暑いくらいの陽気で、「若鮎ハーモニカバンド」にとって晴れがましい舞台が待ち受けていた。当時厚木に2軒あった映画館のうちのひとつ、仲町の厚盛館で行なわれる映画の上映と、地元の青年たちで旗揚げされた「若鮎座」の芝居の合間に、ハーモニカ演奏を依頼されたのである。『写真集 厚木市の昭和史』(飯田孝ほか編・千秋社)に、2曲づつ2回に分けて演奏した当時のプログラムが載っている。 1曲目は久保田宵二作詞、江口夜詩作曲の「夕日は落ちて」、2曲目はサトウハチロー作詞、古賀政男作曲の「二人は若い」。江口、古賀と言えば当時のヒットメーカーである。 「夕日は落ちて」は昭和11年に売り出されたばかりの流行歌、「二人は若い」も日活映画「のぞかれた花嫁」の主題歌で、星玲子とディック・ミネの掛け合い調が受け、小学生までが口ずさむ人気曲だった。流行歌をいちはやく自分たちのレパートリーに加えたところをみるとメンバーの歌好きが察せらて興味深い。「若鮎座」の1幕物をはさんで3曲目は、島田芳文作詞・江口夜詩作曲の昭和9年のヒット曲「急げ幌馬車」、四曲目は島田芳文作詞、古賀政男作曲の昭和6年のヒット曲「丘を越えて」。「夕日は落ちて」の一節、『荒野の涯に日は落ちて 遥かまたたく一つ星 故郷すてた 旅ゆえに いとしの黒馬はさみしかろ』、そして「急げ幌馬車」の「日暮れかなしや荒野ははるか 急げ幌馬車鈴の音だより』の歌詞にみられる通り、二曲とも“放浪”がテーマになっており、「丘を越えて」ともども現実逃避の心情がにじみ出ているように感じられる。 「若鮎ハーモニカバンド」は複音ハーモニカだけの編成だったようで、二部か三部くらいにパートを分けてのいたってシンプルな演奏だったようだ。自分たちが演奏する歌に、若い「若鮎バンド」のメンバーたちは時代への思いを託したのだろう。 やがてこのバンドのメンバーたちは、3ヶ月後の7月7日に起きた盧溝橋事件をきっかけとして日中戦争へとなだれ込む状況のなかで、召集令状を受け取り戦地へと赴いて行った。 |
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