2003.01.15(NO19)  全日本学生ハーモニカ競演で大量入選

相模川河原で指導する重昭
 博文たちの教室でもある重昭の家の2階の8畳間の畳はいつの間にかインクのしみだらけ、その上ささくれたところもある。コピー機などない時代、譜面はおのおのが手で書き写す。インクをこぼす者もいた。重昭がいないとなるとすぐに取っ組み合いの相撲が始まった。
 昭和24年、ハーモニカも登場する美空ひばり主演の映画「悲しき口笛」が封切られたこの秋、厚木中学2年生の博文は全日本学生ハーモニカ競演東日本大会の本選に出場。複音ハーモニカ3本を持って「ラスパニョーラ」に挑戦した。
 初めて挑んだ大きな舞台だった。曲の中盤、上下のハーモニカを取り違えて演奏が続かなかった。いっそう胸の鼓動が高鳴った。最後まで吹き終わって拍手など耳に入るゆとりもなかった。ぺこりと頭を下げてステージを退いた。結果は落選だった。
 いつまでも口惜しさが尾を引いた。この時同じ舞台に上った親友の後藤邦彦は「ハンガリア舞曲第5番」で優勝、アンサンブル部門では竹内や甲賀たちの寒川小ハーモニカバンドが「童謡組曲」で優勝した。
 翌昭和25年11月23日、博文は2回目の挑戦に臨んだ。
 前日の22日には神宮球場でプロ野球の第1回日本シリーズが始まり、セリーグは松竹ロビンス、パリーグは毎日オリオンズで熱戦の火ぶたが切られたばかりだった。ハーモニカの競演会もそれに劣らず熱かった。
 勤労感謝の日にあたるこの日、天気は上々で11月にしては比較的あたたかく穏やかな1日だった。
 早朝、本厚木駅に集合した博文たちは、重昭に付き添われて小田急の4両編成の錆び色の車両に乗る。後藤や竹内、甲賀などの面々とさながら遠足気分でもあったが、博文は心中熱かった。
 電車を乗り継いで神田の共立講堂に向かう。建てられて10年ほどの共立講堂は、日比谷公会堂と並ぶ東京の代表的なホールでもあった。
 学生時代最後となるコンテストに臨む博文の演奏曲は「トルコ・マーチ」だった。舞台袖で順番を待つ間昨年の失敗が脳裏をかすめる。同時に、インクの匂いとともに重昭の家の8畳間での練習風景が走馬灯のように頭を巡る。順番がきて吹き終えると、客席の拍手もしっかり聞こえた。
 エントリーされた演奏がすべて終わり、審査結果の発表が全日本学生ハーモニカ連盟会長の前坂重太郎からなされた。
 「それでは独奏部門の結果を発表します……。第4位、甲賀一宏君。第3位、後藤邦彦君」
 寒川中1年の甲賀、親友の後藤、仲間たちが次々に入賞を果す。自分の名前がなかなか呼ばれない。最初は期待を膨らます博文だったが、次第に不安だけが募る。待たされる時間、頭のなかで自分の演奏を反芻した。
 「第2位……」
 間が長く感じられた。 
 「大矢博文君」
 喜びがこみあげた、そして安堵した。傍にいた重昭も嬉しさを満面に湛えて博文を見やった。
 上位入賞者を輩出した昨年に引き続いて、この年も重昭の弟子たちで上位を占めることになった。
 11月25日の読売新聞は神奈川版で「ハーモニカ競技に大量入選」という見出しで博文たちの写真も添えてコンテストの結果を報じた。

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