2003.06.01(NO28)  いよいよコンクール本選へ

合宿で食事を作る金井先生
  「戦後は終わった」そんな言葉が人々のあいだで言われはじめたちょうどその頃のことだ。
 白い雲が綿菓子のようにふんわりと夏空に浮かぶ。高台にある麻溝小から浅間坂を下り、青々と稲の育った田んぼの中をまっすぐに行くと昭和橋のすぐ上流の相模川の堤防にぶつかる。ここを降りれば麻溝小の遊泳場だ。
 夏休みとはいえ、リード合奏団のメンバーはおよそ3分の1にあたる15日近くを練習会と称して学校に通い、その間1泊2日の合宿も3回ほど行われた。
 午前中の涼しい内の3時間ほどの練習を終えて、金井先生に付き添われた生徒たちは午後の川遊びに出かけるのだった。ギラギラと真夏の太陽が容赦なく子供たちの頭上に照りつける。浅間坂の途中両脇には林もあり、ジージー、ミンミンと蝉時雨がかまびすしかった。男の子も女の子も真っ黒に日焼けし、こぼれる笑顔に白い歯がまぶしい。
 「先生、女の子がハーモニカをやると口が大きくなって嫁にいかれないって、母ちゃんが言ってる」
 ソプラノを受け持つおかっぱのA子が振り向きざまに言う。
「君たちが大人になるこれからの時代は口の大きい女性の方がもてるんだよ」金井先生が答えると、「先生、それ本当?」目を丸くして、A子は不安と安堵の入り混じった表情をみせるとスカートを翻してあぜ道を走って行く。
 練習には神妙な面持ちで取り組む子どもたちではあるが、みな素直で可愛い。
 遊泳場でひとしきり川遊びをすると、思い思いに砂利の上に座ったり寝そべったりするものもいる。近くの昭和橋の橋上はたまにトラックやバイク、ボンネットバスなどが通る他は人の往来も少ない。その上には真っ白い雲もいっそう膨らんで、青空に映える。
 学校に戻ると応援の女の先生や小使いさんがおやつにと、時にはジャガイモ、時にはサツマイモなどを蒸かしておいてくれている。子どもたちはそれをほおばってお腹いっぱいにすると裁縫室で昼寝だ。そこは畳敷きの広い和室になっているのだった。
 夕方まで野球やピンポンなどに興じて時間を過ごし、子どもたちが持ち寄った米や玉ネギや人参、ジャガイモでカレーライスなどを作り、にぎやかな夕飯をとる。夜にはお話会や肝試しなどをやって遊び、たまにはお月さまにハーモニカを聞かせることもあった。
 合宿には重昭も参加して、編曲が仕上がったばかりのシューベルトの「ロザムンデ序曲」を細かく緻密に指導した。クラシック曲をものともせず、パート毎に別れての練習にも熱が入った。子どもたちの頭の中にも12月のコンクールがしっかりとあった。
 夏休みが終わると時の経つのは早かった。あっという間に秋が来て、冬がやって来た。
 昭和30年12月4日、いよいよ器楽コンクールの東日本の本選の日だ。明大記念講堂のある東京神田はその日、朝から曇っていた。父兄の何人かも手伝ってくれて、チャーターしたバスにアコーディオンやコントラバスを積み込む。コントラバスは運転席に近い前の方に大切に抱きかかえるようにして置いた。
 バスの中で子どもたちは遠足のようにはしゃいで元気だった。ひとり金井先生は「ロザムンデ序曲」の荘重なイントロの出だしを思い浮かべては、何度も頭の中でタクトを振った。

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