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昭和30年12月4日、麻溝小リード合奏団の一行を乗せたバスが器楽コンクール会場の、神田駿河台の明大記念講堂に着く。どんよりとした曇天の冬の冷気に気圧されるように、いまの今まではしゃいでいた子どもたちも、バスを降りると面持ちはにわかに硬い。付き添いの父兄たちはコントラバスやアコーディオンを、宝物にでもさわるように慎重に持ってステップを降りる。世界の一流オーケストラが使っているジルジャンのシンバルも中古品とはいえ高価で、たった1枚しか買えなかったのだが、父兄の一人はそれを神仏への捧げ物のように丁重に持ってバスを降りるのだった。 |
重昭はコンクールの役員として既に会場にいた。麻溝小の子どもたちを見つけると優しい笑顔で「きょうは頑張ろうな」と声をかける。団員は控え室で早速練習を始める。金井先生の指揮で何回となく「ロザムンデ序曲」を練習するうちに少しずつ硬さもとれてきた。 コンクールは小、中、高校の順で進められ、麻溝小は午前の出番だ。「もう充分練習はやってきた。本番ではこれまでやってきた練習の通りにやろう」金井先生は子どもたちに声をかける。 振り返ればこの春は毎週土曜日の晩、宿直室に子どもたちを5、6人づつ泊めて重昭が個別指導をした。日曜日には他のメンバーも合流して全員で夕方まで練習。毎日始業前の20分、そして放課後も必ず20分は欠かさず練習をしてきた。 「アコーディオンは手を見るなよ。ハーモニカも目を上にあげて指揮者をよく見るんだ」重昭の細かな注意が飛ぶ。夏の熱い盛りには窓を全部開け放し、ランニング1枚になって念入りな練習が続いた。そして夏休みの練習会と合宿。 お盆の頃には「納涼音楽会」と称して父兄や一般の児童を講堂に集めてハーモニカ演奏を聴かせることもした。ここではクラシックではなくラジオ歌謡や「青い山脈」などの歌謡曲、「会津磐梯山」などの民謡、童謡を織り交ぜた。また市に昇格したばかりの相模原市当局からの要請で市民歌を演奏して録音もした。そうした活動が効を奏して父兄や学校の職員たちがリード合奏に対する興味と理解を深め、次第に応援をしてくれるようになった。コンクールへの出場はリード合奏団だけではなく、学校や地域ぐるみの取り組みでもあったのだ。 「次は神奈川県相模原市立麻溝小学校のみなさんの演奏でシューベルト作曲「ロザムンデ序曲」です」 子どもたちの目は金井先生のタクトに集中する。ゆっくりと振り下ろされるタクトにあわせて静かに厳かに導入部がはじまる。張りつめた空気が漲る。次第に音が重なって展開部へ、そしてクライマックスの盛り上がりをみせて一気に終章へ。数分間の演奏が終わると大きな拍手が会場いっぱいに響きわたる。金井先生の表情にようやく笑みがこぼれ、客席に向き直って一礼すると一層拍手が高鳴った。 小学校の部が終わると審査結果が内密に金井先生に伝えられた。公式の結果発表と表彰式は中学、高校が終了したあとで行われるのだ。一位を知らされた金井先生は信じられないという思い半ばで、子どもたちにそれを知らせた。喜びを噛み締める間もなく午後の表彰式までに内幸町のNHKに出向き、放送される全国コンクールに向けて録音を済ませて帰って来なければならない。重昭も金井先生も団員とともにあわただ しくバスに乗り込んだ。 |
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