2003.09.15(NO35)  ハーモニカで結ぶ友情

交流演奏を報ずる読売新聞
 新潟での第一夜を過ごした麻溝小リード合奏団の子どもたちは、翌朝、分宿先の豊照小の子どもたちと連れ立って、豊照小に集合することになっていた。 
その日の朝は冬の新潟にしては珍しく青空だった。朝食もそこそこにタクシーを駆って向かう金井先生たちの心配をよそに、井上君代や清水美恵子、小山勝男ら(彼らは後年「麻溝カルテットオブドリーム」を結成する)麻溝の子どもたちはみな元気で豊照小の子どもたちと仲良く楽しそうに遊んでいる。金井先生の姿を見つけるなり駆け寄って、昨夜遅くまで遊んだことや朝食が美味しかったこと、親切にしてもらったことなどを嬉々として報告におよぶのだった。金井先生も重昭もほっと胸をなでおろした。
 その日、午前中は豊照小の講堂で双方ともに30名を越すリード合奏団の交歓演奏会が開かれた。麻溝小は6年生の小山和彦の独奏をはじめ「佐渡おけさ」や「会津磐梯山」などの民謡もいれて喝采を浴びた。午後は夕方からの「新潟県代表優入賞祝賀演奏会」に備えて「ロザムンデ序曲」の猛練習、それを市内の桃山、湊、新潟小の子どもたち200人あまりが見学に来ていた。
 演奏会の会場となる市の公会堂は豊照小からバスで15分くらいのところにあり、東京の神田共立講堂に匹敵する、およそ1,200人を収容する立派な公会堂だった。重昭が新潟赴任時代に成人式で演奏したのもこの公会堂だった。
 会場に乗りつけると既に長蛇の列ができていた。
「先生、こんなにたくさんの人が聴くの」と子どもたちが目をくりくりさせて聞く。
 祝賀演奏会は新潟商業高校と麻溝小の合同で、「コーカサスの風景」の「村にて」の演奏で幕が上がった。ソロのパートは小山和彦が吹いて、その出来栄えは満員の会場から溜め息が洩れるほど素晴らしかった。演奏が終わると万雷の拍手が起こった。
 ざわめきのなかを北村新潟県知事が登壇し、ユーモアに富んだ音楽を讃えるスピーチ、次いで市長や教育長ら来賓の祝辞が続いた。
 その後は高校の部で全国優勝した長岡商業高校がボロディンの「ダッタン人の踊り」を演奏、そして3位の新潟工業高校はポンキエルリのジョコンダから「時の踊り」を、4位の新潟商業高校はスッペの「軽騎兵序曲」、同じく4位の新潟中央高校はシュトラウスの「悲しきワルツ」、同4位の柏崎農業高校はケテルビーの「ペルシャの市場にて」を、小学校の部2位の豊照小はザメクニックの「砂漠の隊商」とビゼーのアルルの女から「ファランドール」を演奏した。
 どの演奏も新潟県の器楽教育の実力をみせつけるに充分な素晴らしいものだった。
 かつて指導に赴いた学校の演奏を、客席に静かに腰を下ろして聴く重昭は万感胸に迫る思いだった。そしていよいよこの演奏会の最後を飾る麻溝小リード合奏団の「ロザムンデ序曲」の番だ。誇らしさと重圧が指揮をする金井先生の心を領した。最初の一振りで音楽が立ち上がる。子どもたちは冷静だった。ゆっくりとタクトを振り終えると会場一杯響き渡る拍手がいつまでも鳴り止まなかった。今度は安堵と満足感が金井先生の心を満たした。子どもたちの表情にも笑顔が浮かんだ。
 演奏会を終えて2日目の晩も分宿で過ごし、翌1月22日、麻溝小の面々は昼の12時15分、上野行き急行「越路」に乗った。豊照小の子どもたちや先生方、PTAの人たちがホームまで見送りに出てくれた。再会を約して握手をする子どもたち、紙テープのかわりにマフラーをつないでその端と端を持つ子どももいた。
 この春卒業する子にとっては「ロザムンデ序曲」はわずか1年の取り組みでしかなかったが、その思い出は永遠に子どもたちの心から離れることはないだろう。金井先生は目頭が熱くなるのを感じた。

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