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「岩崎先生、新潟とハバロフスクとの航空路の開設から1周年を迎えましてね、その記念にこの5月にソビエトに日ソ親善文化使節団としてわれわれが行くのですが、先生もご一緒に音楽交流に参加していただけませんか」
仲村洋太郎が団長、重昭を副団長として、琴や尺八の仲間たちと総勢16名でのソビエト訪問演奏の計画だった。 重昭はソ連には大いに興味があった。心のどこかで憧れてもいた。ロシア民謡を生んだソ連とはいったいどんな国なのだろう、社会主義国の暮らしぶりはどんなものかな、シベリアのツンドラも見てみたいな。瞬時にいろんな想念が頭の中を駆け巡った。 「わかりました。同行させていただきます」 新緑のやわらかな緑が日毎にその濃さを増して、初夏の風が心地いい5月9日の午前11時30分、重昭たち一行を乗せたボーイング727型機は新潟空港をハバロフスクへ向けて飛びたった。8日間の旅程だった。 2時間もかからずに目的地上空にさしかかる。窓の外を翼越しに見やると、カラマツやエゾマツ、モミなどの木々に覆われた雄大な大自然が展がって、野も山も真っ白だった。一年の平均気温が4度C、しかも30度を優に越す夏との気温差は60度という典型的な大陸性気候のハバロフスクはマイナス25度のまだ長い冬のなかにあった。 飛行機は旋回をしてだだっ広い空港に着陸する。 「いよいよロシアの地を踏むんだ」重昭の胸は高鳴った。 飛行機を降りての入国審査は厳しかった。端正な顔をしたロシア人の審査官は、12本入りのハーモニカケースを目ざとく見つけると、「こんなにたくさん、なんだ、これは?」と聞く。1本でも売ったとなれば200%の罰金が科せられるのだという。仕方なし、審査官の前で、重昭はケースから3本のハーモニカを取り出して「ポッケリーニのメヌエット」を吹く。目を丸くして感心しながら審査官は納得するのだった。 外は頬を刺すような寒さだが、ホテルに入るとお湯が鉄の管をめぐる方式の暖房で、ポカポカとあたたかい。オーバーを脱いでワイシャツ1枚でも大丈夫なくらいだった。 ホテルの部屋の、余計な物がない質素なたたずまいがいかにも社会主義国のお国振りを感じさせた。電気製品もみな古めかしかった。一般の家庭でも古めかしい洗濯機はあったが冷蔵庫はなかった。短い夏に冷蔵庫はなくてもよいものなのかも知れない。 重昭がことに感心したのは若い女性の美しさだった。背が高くすらりとして、目鼻立ちもはっきりして彫りが深い。軍服姿の女性も見かけたがみなスマートだ。 「綺麗だな」と嘆息をもらすと、通訳のロシア人は、「結婚して所帯を持てば、3ヶ月もすれば太るんですよ」と苦笑する。確かに太った女性は所帯持ちのようだった。男女を問わずどの人たちもみな温かかった。そして正直で礼儀正しい人たちだった。重昭は心が洗われる思いだった。 |
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