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この日、彼らにとっては「厚木市民音楽祭」に次いで2回目の檜舞台となる、厚木市市制20周年を記念する音楽会が県央労働福祉会館を会場に開かれたのだった。
当時厚木には文化会館もまだなく、コンサートのできるところは厚木北公民館のほかにこの労働福祉会館くらいしかなかった。 新聞には 「子どもたち約1万人にハーモニカを普及したこの道三十五年の名手」重昭と、大矢ら「岩崎門下の三羽ガラス」の中学時代のハーモニカコンクールでの受賞歴などが詳しく紹介されたあと、次のように結ばれている。 『岩崎さんは下火になったハーモニカを昔のように復活させようと後藤さんらと相談、昨年十二月中旬「厚木ハーモニカカルテット」を編成した。 同グループは岩崎さんがソプラノハーモニカ、後藤さんがアルトホルン、大矢さんがコードハーモニカ、平井さんがバスハーモニカを受け持ち、毎週一回それぞれの自宅を会場にあてて猛練習に励み、クラシック、歌謡曲などレパートリーが十曲になったので、初公演にこぎつけた。 演奏曲目は岩崎さんがアレンジしたロシア民謡「郷愁」や、歌謡曲「長崎ブルース」、ポピュラーソング「マイハピネス」など三曲。』 「マイハピネス」は早稲田大学のハーモニカソサエティ出身の後藤が、学生時代に使っていた譜面を持っていて、「これをやろう」ということで、重昭が手を加えて編曲したものだった。 この音楽会はハーモニカの他に主婦たちのコーラス、職場の軽音楽バンドなども出演した。新聞の記事の効果は絶大で、ハーモニカの演奏をあてにして来た人もたくさんいて、およそ370余の客席は満席だった。 独奏なら珍しくもないが、ハーモニカカルテットで演奏する音楽とはいったいどんなものか知らない客が多かった。かつて自己流でハーモニカを吹いていたという人や小学校でいくらかやったという人たちも会場のあちこちを埋めていた。 ハーモニカカルテットの演奏が始まると会場はシーンと静まり返った。ボン、ボンと低音を響かせるバスハーモニカやシャカ、シャカと小気味よいリズムを刻むコードハーモニカ、木管楽器のようなあたたかな音色を奏でるホルンハーモニカ、それに重昭の複音やクロマチックハーモニカのメロディがひとつの息になって、これがハーモニカかとびっくりするくらいの迫力で音が迫る。歌謡曲、ジャズと、ジャンルを問わないそのサウンドは初めて聴く者には驚嘆そのものだった。 その後もバンド名は「岩崎リードバンド」、「厚木ハーモニカカルテット」、「ジョイフルハーモニカ」などと定まらないまま、多少メンバーの入れ替えもあったが、重昭と大矢、平井の3人を中心とするハーモニカバンドはいよいよ本格始動するのだった。 |
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