|
|
重昭の初のリサイタルのプログラムに、佐藤秀廊は「岩崎重昭君のこと」と題してこう書く。 「彼が、私の主宰する佐秀会に入会したのは、まだ敗戦の色濃い昭和24、5年頃だったと思います。佐秀会のうぶ声を上げた第1回の演奏会で得意のチゴイネルワイゼンを演奏し、すっかり有名になりました。それから今日に至るまでの活躍は、国内はもとより海外にまで及び、誠に顕著たるものがあります。彼は、私の編曲のほとんどを演奏する卓絶した技能を持ち、昨年同行した台湾演奏旅行では満場の聴衆を魅了したもので、彼の演奏はそのスケールの大きさを感じさせます」 ハーモニカ歴43年、円熟して初めて、その音楽を世に問おうとする重昭を、“尊敬すべき芸術家の態度”と褒めちぎる。 |
そのように評する佐藤はこの年すでに83歳、ハーモニカ現役生活3万日といわれた。しかしそんな高齢とは思えない若々しさと生気に溢れている。その演奏、その話術すべてが、長い時間をかけてひとつのことに打ち込んできた者だけに醸し出される気品ともいうべきものを湛えている。 「汽車」を吹き終えて退場する佐藤のもとへ、会場から2、3人の女性が駆け上がり、花束が手渡される。その一人ひとりに彼は握手する。眼鏡の奥の瞳は優しいやわらかな光に満ちている。 のちに世界的なクロマチック奏者となるまだ5歳の竹内直子も、この日両親に連れられて会場にいた。おかっぱ頭でワンピースを着たさながら人形のような竹内も、その小さなからだに不釣合いなほどの花束を手に、佐藤のもとへ駆け寄る。佐藤は思わずかがみ込んで竹内の背に腕を回し、小さな頬にそっと口づけをする。はにかむように竹内は小走りにステージを降りる。一瞬の出来事とはいえ自然なほほえましい光景に会場も和むのだった。 第3部は司会の斎藤寿孝と斎藤操子に紹介されて、女性だけで編成された「トリオリリーズ」が登場する。一番下の娘を背負い、3人のちいさな子供を歩かせて練習に通うクロマチックの二見則子、そして小学生の岩間朱美をはじめ、近所の子供たちにハーモニカを教えるバスの岡田由美子、海老名の農家の主婦、コードの西海礼子。当時、女性だけのトリオは世界的にも珍しく、重昭はこの3人をたいそう可愛がった。 グループ名の由来は、神奈川の県花の百合からで、昨年、昭和55年の暮れに重昭が命名したのだった。 昭和54年の10月に結成されて2年目、初めての晴れ舞台だった。二見や岡田は 家族の理解が得られてはいたが、西海の家は違った。家でハーモニカを吹こうものなら「この後生楽!」と罵声を浴びせられるのが常だった。仕方なく西海は、畑にハーモニカを持って出かけ、暇をみつけては軽トラックの運転席で練習した。 月に2回の重昭宅での練習の他に、西海の運転で子連れの二見を乗せて、横浜の本郷台の岡田の家まで週に何回か自主練習に通った。もちろん西海は家の者にはどこへ行くとも告げなかった。往復およそ2時間、二見は一番下の娘を抱いて軽トラの助手席に乗る。他の3人はおばあちゃんに預けてきた。ごつごつした乗り心地にもすっかり慣れた。 練習に精出してちょっと帰りが遅くなると、原宿の交差点が渋滞して、夕飯の支度に間に合うように帰るのに一苦労した。衣装も3人で相談して生地を買いに行き、知り合いに仕立ててもらった。赤、オレンジ、グリーン、三人三様のサテンの生地でロングスカートを作ったのはよかったが、この生地が皺になりやすいことまでは思いが及ばなかった。上は白のブラウスでそろえた。 ステージに颯爽と登場する30代前半の若い主婦たちに、場内からは熱い視線が注がれた。「雨」「星の世界」と2曲演奏をする。客席には東京で活躍する林叔子がいた。彼女は3人の演奏に触発されて女性だけが出演するハーモニカコンサートを夢想する。この日の体験がのちのレディースコンサートへと結実するのだった。 |
|
. |
|