2004.08.01(NO55)   オーケストラとの初共演

 ハーモニカとオーケストラの共演。そんな珍しい取り合わせのコンサートが厚木市文化会館大ホールで開かれたのは昭和58年7月30日の事だった。東京のプロのオーケストラ、新星日本交響楽団が主催する「新星日響夏休み親子コンサート」という企画で、埼玉や千葉、東京などを回って7番目となる公演先が厚木だった。
 黒柳徹子の「木にとまりたかった木の話」という創作童話をもとに、小森明宏があらたに作曲をした音楽物語、オーケストラをバックにキャロライン洋子が語る奇想天外でユーモアにあふれたそれが、この日の演目の目玉で、その第一部のステージでオーケストラと「厚木ハーモニカトリオ」の演奏が実現したのだった。
 ハーモニカとオーケストラの共演。そんな珍しい取り合わせのコンサートが厚木市文化会館大ホールで開かれたのは昭和58年7月30日の事だった。東京のプロのオーケストラ、新星日本交響楽団が主催する「新星日響夏休み親子コンサート」という企画で、埼玉や千葉、東京などを回って7番目となる公演先が厚木だった。
 黒柳徹子の「木にとまりたかった木の話」という創作童話をもとに、小森明宏があらたに作曲をした音楽物語、オーケストラをバックにキャロライン洋子が語る奇想天外でユーモアにあふれたそれが、この日の演目の目玉で、その第一部のステージでオーケストラと「厚木ハーモニカトリオ」の演奏が実現したのだった。
 当時、すでに厚木はハーモニカが盛んなまちと認知されはじめていた。重昭の門下生たちのコンテストでの上位入賞が話題に上ったり、150名近くの愛好者が重昭のもとでハーモニカを学んでいたりすることもその要因だった。オーケストラと地域の音楽家たちとが共演するコーナーへ、重昭率いる「厚木ハーモニカトリオ」に白羽の矢が立てられたのだった。
 真夏の暑い盛りの昼下がり、午後2時に開演するコンサートの会場は親子連れの客ですでにいっぱいだった。開演を知らせるベルが鳴り止むと、司会の村田芳彦がステージにあらわれて挨拶をする。プログラムの1曲目はまずオーケストラの演奏でシベリウスの「カレリア組曲より行進曲」、指揮は国分誠という若手の指揮者だ。その次が重昭のソロでの出番だった。
 演奏曲は重昭が得意とする「チゴイネルワイゼン」。とはいえ、オーケストラを相手の演奏は初めてのことでもあるし相当なプレッシャーだった。しかも本来ヴァイオリンで演奏される難曲中の難曲だ。
 司会に紹介されてステージに向かう。重昭の胸の鼓動の高鳴りは床を伝って背後に座る団員に届くかも知れないほどだった。衣装はオーケストラの団員とお揃いで、白のブレザーと黒いズボン、そして蝶ネクタイ。
 指揮者のタクトが振り下ろされると同時に、前奏の4小節が弦楽器で力強く奏される。緊張の極みだ。低音部の音域からすばやい動きでハーモニカを動かす。無我夢中という言葉がそのときの重昭には一番ふさわしかったかも知れない。気がつけば演奏も終わり観客の大きな拍手のなかで、重昭は額に汗をにじませて立っていた。ハーモニカを置き台に置くと、重昭は指揮者のもとに歩み寄り、握手をした。会場から花束が差し出される。ようやく緊張が解けたのか重昭の表情にも安堵がひろがる。
 次はハーモニカトリオにパーカッションだけが加わって「愛の讃歌」の演奏。そして次はオーケストラと「道化師のギャロップ」。にぎやかに演奏が終わると、やんやの喝采に沸いて拍手が鳴り止まない。二人、三人と花束を持ってステージに歩み寄る客もいる。
 重昭は眼鏡をとって額の汗をハンケチで拭う。アンコールに応えて再びオーケストラをバックに「峠の我が家」を演奏する。終わってなお拍手が鳴り止まず、今度はハーモニカトリオだけで「フォスター名曲メドレー」を演奏する。拍手が一段と大きくなって彼らの演奏を称える。大きな仕事を終えた重昭の胸に充実感がみなぎる。自然と表情も緩み、やっと重昭に笑顔が浮かぶのだった。

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