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昭和60年6月のNHKFM横浜の開局15周年の記念番組に出演した「熊沢ファミリートリオ」と「すみれジュニア」、それに「厚木リトルフラワーズ」や「厚木ハーモニカトリオ」の面々は、7月27日から29日までの2泊3日の日程で、秋田県の能代で開催される「東北ハーモニカ祭」に遠征することになった。 「リトルフラワーズ」のメンバー、小学4年生の竹内直子は母の陽子と、同じ4年生の浜田令子は母の良枝と、やはり同じ4年生の岩間史恵は一級上の姉の朱美と参加した。もちろん重昭たち「厚木ハーモニカトリオ」も一緒だ。 |
上野駅から寝台特急「あけぼの」に乗り込む。汽車旅は直子たちにとってはさながら修学旅行のようだった。上野を発って数時間もすると車窓からは次第に街の明かりが消えて、鉛色の闇の中を長く黒い体躯が疾駆する。レールの継ぎ目のガタン、ゴトンという規則的なリズムを刻む震えが小さな体に共振して直子にはなんとも心地よかった。 翌朝到着した能代での宿は海に近いバンガローだった。さほど手入れが行き届いてはいない風の殺風景な小屋だ。既に賞味期限の切れたカップラーメンが部屋には用意されていた。 直子たちは本番に備えて皆で海に向かってハーモニカを吹いた。潮風が優しく頬を撫ぜる。風に乗って、ハーモニカの音が天高くどこまでも飛んでゆくように思われた。夕方ともなると海辺は波の音だけが耳に届き、あたりの空気は寂しさを湛えていた。波頭のしぶきも色を失って夕闇に呑み込まれつつあった。 直子はこの演奏旅行に備えて買ってもらった花柄のワンピースを、荷造りの時にうっかり入れ忘れて、持ってこなかった。バッグの荷物を解いて初めてそれを知ったときには無性に口惜しかった。 一行は「東北ハーモニカ祭」への出演のほか現地の小学校にも招かれて演奏した。「すみれジュニア」は「浪路はるかに」を、「厚木リトルフラワーズ」は「花かげ」を、岩間朱美は「ドナドナ」を、さつきたち「熊沢ファミリートリオ」は「おお牧場はみどり」などを演奏した。 「自分たちと同じくらいの子たちが聴いてくれるんだ。いい演奏をしなくちゃ」 直子は気持ちに張りがでた。母、陽子との二重奏では「旅愁」を吹いた。会場となった体育館には大きな拍手が響き渡った。小学校での演奏を終えると一行は浜辺に出た。 「これからスイカ割りをするぞ。その前に予行演習!」 大矢博文が手にしたかぼちゃを砂浜に置く。ひとりづつ目隠しをして棒切れを持った。 「いいか、力を入れすぎてぐしゃぐしゃにするなよ」 「ええい!」竹内直子の振るった棒はみごとに空を切ったかと思うと、砂をしたたか叩く。周りで一斉に喚声があがる。直子は目隠しを取り、傷ひとつ付かなかったかぼちゃを恨めしく見つめるのだった。 ひととおり予行演習が終わると、直子の頭よりも余程大きいスイカが砂浜に置かれた。直子の番になって、目隠しをしてぐるぐると2、3回体を廻され棒切れを振りかざす。思い切った一振りが見事にスイカに命中すると、真っ赤な果肉を見せてスイカは真っ二つに割れた。仲のいい姉妹みたいに直子やさつきたちははしゃぎながら、スイカを頬張った。重昭はにこやかにそんな子どもたちの様子を見つめるのだった。 やがて後に竹内直子はクロマチックハーモニカ、岩間朱美は複音ハーモニカ、浜田令子や熊沢さつきは「厚木チェリーズ」、それぞれが世界的な評価を得るまでに成長する、ハーモニカ奏者の卵たちの夏休みのひとコマだった。 |
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