連載「今昔あつぎの花街」
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飯田 孝著(厚木市文化財保護審議委員会委員)
明治から大正時代頃、厚木地方の宴席などで唄われた甚句には次のような文句がある。
「こうぶし」はむしっても塊根が土中に残ってしまい、「じしばり」は茎が地上を這って延びる雑草であり、容易には取り去ることができなかった。また、「ひるも」はひるむしろの俗称で、根茎が地中に長くのびて浮上し、葉は長楕円形の植物のことであり、やはり除去するのは大変だった。 つまり、才戸の「親分」と「お花・お絹(茶屋や料亭でお酌をする女性の総称であろう)」は、畑のこうぶしやじしばり、また田のひるもと同じように、「なけりゃよい」ほどはやった存在だったのである。 厚木市林の柏木喜重郎氏(明治44年生)によれば、才戸には川口屋、みよし屋のほかにも山際屋、おおかね(大金子・金子屋)などの茶屋もあり、これらの茶屋でははたらく茶屋女を縁あって妻にむかえる人もあったという。 また、明治16年(1882)の『小宮保次郎日誌』には、「総理板垣君帰朝ニ付(中略)三田大金子ニ集会ヲ催スニ決シ」(6月30日)とか、「総理板垣君帰朝宴会出席惣代撰托ノコトニ付、才戸金子屋ヘ集会アリ」(6月22日)等とあるように、会合の場所としても利用されていたことがわかる。 厚木市域北部から愛川町中津方面にかけての農村では、酒食をともなう遊び場として、才戸は田名(相模原市)とともにかなりの人たちから利用されていたのであろう。 はじめにあげた甚句からは、二階の手すりにもたれかかり、手にしたさかずきを投げ渡すようにして客を呼び込む茶屋女の姿が目に浮かんでくる。 畑のこうぶしや田のひるも同様、「なけりゃ良い」才戸のお花も、あるが故についついさそわれてしまうのが男心である。 |
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