議会改革は議員の質を高めることから(2011・7・1)
議員は真面目に議会に出ているのだろうか。遅刻や早退、居眠りなどはしていないか。ふだん議会報告をしている議員を見たことがない。選挙の時だけビラをつくって駅頭に立っている。自分を目立たせるパフォーマンスには熱心だ――有権者の議員に対する評価はなかなか手厳しい▼一方、議会に対しては、理事者の提出議案をいつも丸飲みで無修正。議案を修正したり否決したことなどは一度もない。議員の任期は4年なのに、正副議長などの議会人事を一年交代でたらい回しにしている。政策条例の提案がまったくなく出てくるのはいつも意見書だけ。定数や報酬の削減、委員会のインターネット中継、慣例や申し合わせの打破など議会改革については極めて消極的だ▼今日、二元代表制の一翼を担う議会の存在意義が薄れてきていると同時に議員個人の評価や信頼が驚くほど低くなっている。行政の市民参加や情報公開、説明責任などの改革が進む中で、分権改革が遅れているのが議会と公務員であろう。理事者提案を無修正で可決するという多数決は衆偶政治を招く危険がある。議員一人ひとりや議会を見ても、何を主張しどのような政治活動をしているのかというのが残念ながら殆ど見えてこないというのが議会の現状だろう▼先頃、厚木市議会が「議会の在り方に関する検討についての議長諮問事項」を議会運営委員会が答申したが、「請願者に意見を述べる機会を設ける」(陳情者にはなし)以外は、議会改革と呼ぶにはおよそほど遠いものであった。議会には監視機能ばかりでなく政策立案や論点開示能力、議会報告会、参考人や公聴会制度、請願・陳情者の意見を聞く住民参加の導入も求められている。そうした議会改革がなぜ進まないのだろうか▼議員自身に問題意識や問題発見能力がなければ、議会は極めて退屈なセレモニーと化し、理事者の「追認機関」になってしまう。こうした中で、ビラを印刷して駅頭で配布したりインターネットのブログを活用して有権者に議会の動きや自身の政治活動を発信している議員もいるが、一部の支援者としか向き合わない現状では、政治活動が一面的で惰性化の方向に向かうばかりだ▼インターネットが市民生活に入り込んで以降、目につくのがブログである。中身を見ると、単なるつぶやきや情報の発信にとどまっているだけのブログもある。もちろん、何もしないのは論外だし、それよりははるかにいいのだが、重要なのはお知らせよりは、議員個人としての発言、行動・結果・責任というプロセスを常に明確にすることであろう▼発言が必ずしも改革や制度の改正を生むわけではないし、ブログに書いたりビラ配りをしていることだけが政治活動の評価につながるわけではない。その意味では地方議会全体に住民への議会報告を義務づけるべきであろう。自分の支持者や支持基盤以外で議会報告を行うことは、実質的な意志決定の場となる委員会をネット中継するのと同様、議員活動に多大な緊張感を与える▼議員の質と制度の両方が問われるのが議会改革だ。議員も有権者もまず議員の質を高める行動から始めなければならない。なぜなら、有権者のレベルに合った議員しか生まれてこないからである。議員は常に有権者のレベルを写す鏡である。それを念頭に選挙にのぞみたい。7月10日は厚木市議選の投票日。
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