風見鶏

1994.1.1〜1994.12.15

   ローカルにしてグローバル(94・1・1)

 昨年は戦後史を転換する歴史的な年であった。自民党の長期政権が終焉し、連立政権が誕生した。だがその行方はまだ分からない▼一方では大不況といわれる景気の低迷が、産業社会のリストラを進め国民生活を圧迫している。これに追い打ちをかけるように自然災害と凶作が続いた▼政治と経済が混迷している世紀末現象の中で、われわれは出口の見えない暗いトンネルを抜け出す最良の方策を見つけ出せずいるのかも知れない。しかも生産力の発展と社会的分業の拡大は、地域や国家を越えた地球規模の問題を提起している。環境や医療、ゴミ、人権、原発、労働力の国際化などはもはや地球規模でないと解決しえない問題を孕んでいる▼混迷の時代を切り開くキーワードは何か。われわれは、この美しくてかけがえのない地球という星に住んでいる「地球市民」である。厚木を、そして日本をどうするかという発想は、自ずから地球市民のサイドに立たねばならない。ローカルにしてグローバルな視点である▼21世紀に向けて「国際文化都市」を目ざす厚木を、真に内実のあるものにしていくには、参加と分権による都市の自治能力を高めることが必要だ。市民一人ひとりが「地球市民の自治体学」を創造しよう。

  和田傳文学賞(94・2・1)

 厚木の「和田傳文学賞」は、子どもたちの文学的資質の高揚を図る目的で設立された。毎年、たくさんの応募があり、受賞作のレベルの高さにはいまさらながら驚かされる▼地方自治体が創設する文学賞は、その土地にゆかりのある文学者や小説家にちなんだものが多い。これをもっと新たな地方文化の創造や、人づくりに活用できないだろうかという考えがある▼例えば和田傳文学賞をもっと拡大して、家の光協会や新潮社と一緒に、全国の農民作家を対象にしたコンクールにするのもいい。愛川町では、日本学術会議と共催して「茅誠司賞」なるものを創設し、学問や教育界への登竜門となる権威ある賞に仕立てる▼さらに、厚木市では童謡の丘にちなんで、全国民を対象にした創作童謡コンクールを開き、中村雨紅賞として表彰してはどうだろうか▼
大分県では「野上弥生子賞読書感想文コンクール」を岩波書店と一緒に行っている。始めは県内だけを対象にしていたが、その後、応募対象を全国に広げたら、アメリカからの応募もあったという。また坪井栄文学賞も 要はローカルでありながら、グローバルに通用する個性ある文化を創造することをねらいとしている▼地方の発信する情報が、日本や世界をもまきこんで、開花していくのは楽しい。和田傳文学賞を厚木市の子どもたちだけのものとして活用するのは、なんとも勿体ない気がする。

  老人会(94・2・15)

 厚木市の老人クラブ連合会が創立30周年を迎え、その記念式典が2月23日、市文化会館で行われる。同市の老人クラブは現在101クラブで6,240人のお年寄りが加入している。加入年齢は60歳以上、加入率は26.7%だ▼ところで、老人とは一体何歳以上を言うのだろうか。昔は還暦になるとお年寄りの仲間入りである。厚生年金も60歳から、国民年金も繰上げ請求だと60歳で受給権が発生する。しかし、還暦といっても今では10歳位は若く見える▼出雲市の岩国哲人市長は、現在のお年寄りは「八掛け人生」だという。つまり、60歳だと48歳、70歳だと56歳というわけである。行政上、老年人口といわれるのは65歳以上だ。だが、60や65歳で老人と呼ばれたくない人は多い。また老人会という名称が嫌で入らないという人もいる▼出雲市では老人会を「慶人会」という名称に改めたそうだ。加入年齢は60歳以上だが、慶人会の中に60歳から69歳までを対象にした全国でも初めての「青年部」という組織を設け、お年寄りがスポーツ大会の運営やボランティア活動の担い手として活躍している▼厚木市も30周年を機に名称を変えてみてはどうだろうか。

  分かりにくい行政用語(94・3・15)

 行政用語や行政独特の言い回しというのがあって、市民にはなかなか理解が出来ないケースがある。例えば「一般乗用旅客自動車運送事業」という言葉がある。簡単にいうとこれはハイヤーやタクシー業者のことである▼この程度はまだいい。厚木市が3月議会に上程した選挙運動の公費負担に関する条例案を読んでいると、分かりにくい行政用語や言い回しが多いことにあらためて驚いた▼「前条の規定の適用を受けようとするものは、道路運送法第3条第1号ハに規定する一般乗用旅客自動車運送事業を経営するもの、その他の者(次条第二号に掲げる契約を締結する場合には、当該適用を受けようとする者と生計を一にする親族のうち、当該契約に係わる業務を業として行う者以外の者を除く)との間において選挙運動用自動車の使用に関し有償契約…▼引用が長くなって恐縮だが、これは書いた人もわかっているのだろうかと疑いたくなるほどだ。当方は読んで理解出来にくいものは文章としてどうかと思っているものだから、戸惑うことが多い▼文章は分かりやすいというのが基本だ。条例だから形式や権威を重んじるのは分かるが、それなら文章としての権威や言葉の使い方も大事にしてもらいたい。

  学校へ行かなくても子どもは育つ(94・4・1)

 海老名市教育委員会が不登校の子を持つ親に「出席させないと法律の罰則規定が適用される」という、内容の督促状を送っていたことが明るみに出て問題となった▼登校拒否児童の対策は、親も学校も「子どもを学校に行かせるにはどうしたら良いか」という視点である。ところが現実にはこうした考えは意に反して裏目に出てしまうケースが多い▼厚木市戸室に住む島内知子さんは、5年前から登校拒否の子どもたちを考える「フリースペースおおきな木」を主宰している。おおきな木は子どもたちの相談に乗ったり、何か教えてあげたりする場所ではない。子どもたちが何でも話し合える、規則もマニュアルもない場所である▼島内さんの視点は「学校以外で子どもが育つ場所があってもいい」という発想だ▼「子どもは教育しないと育たないと誰もが思い込んでいるが、子どもの中に自分で育つ力がちゃんとあるのである。子どもの人生は子どものもの、好きなように生きていいよ」と思った時、島内さんは親面(づら)をやめたという▼「私は子どもの不登校をふっきれた時から新しい人生が始まった。子育てはまさに親の自分育てだともいえます」▼「親はなくても子は育つ」というが、「学校へ行かなくても子は育つ」という発想を持つには相当な勇気が必要だろう。島内さんに言わせると「登校拒否は病気でも怠けでもない。自分らしさを探している時期なのだ」そうだ。

  179位(94・4・15)

 東洋経済が全国656都市のまちの動きを伝える94年版「都市データパック」を刊行した。安心度、利便度、快適度、富裕度など15の社会経済指標を使って住み良い都市を格付け(AAAからEの7段階)している▼最上位のAA市には出雲、富山、駒ヶ根、豊橋、高山などの9市が入った。その中で出雲市は昨年に続き、連続日本一の栄誉に輝いている。ちなみに最下位のE都市には夕張、北茨城、富士見、上福岡、寝屋川など17市が入っている▼厚木市はといえば、住み良さの順位は総合で179位、7段階評価のBランクである。その中で安心度はBの246位、利便度はCの373位、快適度はBの254位、そして富裕度はAAの62位である▼富裕度は財政力指数3位、銀行預金高6,670億円の84位、納税者一人当たりの課税対象所得が444.2万円の54位などが評価されたものだ。利便度のCランクは、通勤時間といった日常生活に便利と思われる指標が低かった結果である▼ちなみに成長力は15位、市場力は13位にランクされた。日本一に上げられたのは七沢自然教室である。さて、この数量的な評価、あなたはどう思われますか?

  テーマパーク(94・5・1)

 テーマパークばやりである。長崎のハウステンボス、芦別のカナディアンワールド、日光の江戸村、最近では三重県志摩郡磯部町にスペイン村がオープンした▼このきっかけを作ったのはいうまでもなくディズニーランドである。テーマパークは「遊び都市」を人工的に集約して作り出したものだ。連休ともなると、こうしたテーマパークに人々がどっと繰り出す▼法政大学教授の田村明氏は「遊びのある都市は人間らしい生きがいを感ずる都市であり、人々が物質的な充足だけでは満足せず、精神的な充足を求めるものである」と指摘している▼だが、日本のテーマパークはどこへ行っても忙しく遊ぶ都市になっている。とても人間らしい生きがいを感ずるどころではない。コペンハーゲンのチボリは都市の中の便利なところにあって、市民に楽しい憩いと空間を提供しているという▼日本に出現したテーマパークはそこに住む市民に密着した形ではつくられてはいない。つまりその都市の市民の遊びというよりは、外の客を遊ばせることに主眼が置かれているのである。しかも事業主体は第3セクターである場合が多い。こうしたやり方はのちのちの経営に曇りが出てこないか心配だ▼21世紀のテーマパークは住民がゆとりと楽しみを持てるものを基軸にすべきだろう。忙しく遊ぶよりも、ゆとりを持って遊ぶ都市づくりである。

  ガン闘病記(94・5・15)

 ガンに体を蝕まれ、13年間も闘病を続ける愛川町の西村信子さんが、このほど入院中のガン病棟で出会った病友や医師とのふれあいをベッドの中でしたため自費出版した▼言葉の一つひとつに「最後まで前向きに」という西村さんの生き方が表れていて読者の胸を打つ。「私は再発の不安の日より、今日を、今を生きる事の方が人間として生まれて、より大きな価値だと心の眼が開いたように思った」尊厳死と向き合うことを決意した時の言葉である▼「自分の口を開けて自分なりに唄って、人生の幕を下ろして下さい。そのまま死なないで、息のある内に自分を語って、花ビラの一片なりとも人の心に落として行って。私は、その花ビラを拾いたい」92歳の老婆への励ましの言葉である▼「入院中は病友が危篤になると必ずつき添うようにした。死とはどういうものなのか。自分もこういうふうになるんだなと、それは自分の死への確認や準備にもなるんです」西村さんは死への準備、心構えはいつもしているという▼ガンは残酷、でも「人生に絶望しない」のが信条だ。西村さんは「ガンになったからこそ見えてくる人間の心の世界」を見事に書き上げた。ガンは「澄んだ心をくれる」。本の標題である。

  基金で育てる鮎 (94・6・15)

 鮎が解禁になった。太公望によると今年の鮎は大型が多いという。その相模川の鮎も、今日にいたるまで決して平坦な道を歩んで来た訳ではない▼戦後、相模川の鮎は、砂利採取や相模川の河水統制・高度利用事業によって、瀬死の状況に追い込まれた。自然の鮎が川に遡上しなくなったのである。この危機を救ったのが4,000人の組合員を有する相模川漁業協同組合連合会の漁師さんたちだ▼「これからの内水面漁業は、採る漁業から、造る、育てる漁業へと転換しなければ」組合員は一致団結して、鮎資源保護対策事業に乗り出した。親アユの育成、採卵受精、孵化プールの設置、産卵場の造成、海産稚鮎の採捕、そして成鮎の放流と鮎の生態を調べるための標識鮎放流など、こうした一連の取り組みが、今日の相模川の豊富な鮎を作りだしたのである▼特に宮ケ瀬ダムの漁業補償金の4割を増殖基金として残すという発想は、相模川の鮎を孫子の代まで残そうという、組合員の熱意から生まれたものだ。現在、相模川を守る基金は約11億円である。これを原資として取り崩さず利息で増殖事業を運用している▼この方法は全国内水面でも画期的な手法として注目された。しかし、こうした手法でもってしか相模川の鮎が守れないのは、やはり異常な事態である。

  EM菌(94・7・15)

 岐阜県の可児市が2年前から取り組んでいるEM菌を活用した生ゴミリサイクル運動が全国に広まりつつある。可児市の人口は約85,000人。人口増にともなってゴミの量も増え続け平成元年度以降は毎年7〜800トンずつ増え続けている▼ところが、一昨年3月EM活用の生ゴミリサイクルを本格的に展開したところ、平成4年度のゴミの量は前年度より1,246トン減ったという▼通常7〜800トン増える計算だから、2,000トン以上もの減量に成功したことになる。可児市の場合、ゴミ1トン当たりの処理費が20,000万円だから、この減量作戦で4,000万円の節約につながった▼
その後、可児市の運動は全国的な広がりを見せ、平成4年には9都道県から50を超える自治体の環境行政担当者が参加するシンポジウムが埼玉県上尾市で開かれた▼このEM菌を開発したのが琉球大学農学部の比嘉照夫教授である。比嘉教授は平成4年(92年)ブラジルで開かれた地球サミットでも基調講演を行った▼教授は「EMを正しく活用すれば、化学物資や放射線物質、環境汚染、水質汚染、酸性雨、炭酸ガス公害、オゾン層の破壊なども速やかに、しかも低コストで解決することが可能だ」という。EM菌は環境浄化の救世主といわれている。

  5選出馬断念(94・8・1)

 足立原市長が5選への出馬を断念した。多選問題や16年前の怨念の再来などいろいろと心に資するものがあり、そうした要因が一大決心を促したものだと思う▼権力の最高の座にあるにもかかわらず、闘わずして栄光の座を降りることは、出馬する以上に渾身の勇気と決断が必要だろう。醜い争いや恥を露呈してまでも権力の座にしがみつきたがる政治家が多い中で、不出馬発言はある意味では潔く涼風のような感じさえする▼人間、引き際が肝心であるとよく言われる。権力の座に恋々としている姿を見るのは、決して気持ちのいいものではない▼かつて長洲知事は、「やめるときは誰もがアッというようなやめ方をしたい」と語ったことがあるが、その声はいまだに聞こえてこない。足立原市長の場合、5選出馬への意欲を示していただけに、今回の不出馬発言は、まさに寝耳に水であった。案外、出馬出来ない理由があったのかも知れない▼この決断は、同市長の政治家としての力量より、教育者としての見識が優った結果によるものだろう。少なくとも筆者はそう思いたい。人間、惜しまれて去るうちが華なのである。ともあれ、われわれは足立原市長の勇気ある決断に拍手をおくるべきである。

  遊びの都市づくり (94・9・15) 

 都市には住む、働く、遊ぶ、交通という四つの機能がある。中でも遊びは人々を労働の束縛から解放し、ゆとりを与えるものであろう。従って遊びのない都市は人間性のない都市だといっても良い▼厚木市はこれまでに教育文化都市とハイテク都市のまちづくりを進めてきた。ところが、スポーツや遊びとなると、いま一つ自慢出来るものや誇れるものがない。野球場や陸上競技場にしても、中途半端でとても公式戦に使える代物ではない▼21世紀に向けての遊びの要素を持つ都市をどのようにつくり出すかは、今後の街づくりの大きな課題であろう▼法政大学教授の田村明氏によると遊びのある都市は、^その都市の住民にとっての遊びと _外の客を喜ばせることを目的にするものの2種類に大別されるという▼遊びの都市づくりといえば、10年前は地方博、そして今はテーマパークばやりだ。しかし、そのいずれもが住民にとっての遊びになっていないものが多い▼このほど厚木に市民によるJリーグをつくる会が発足した。Jリーグのチームを誘致して国際試合が可能なスタジアムをつくろうというものだ。つくる会のメンバーを見ると多分に選挙目当ての大風呂敷という気がしないでもないが、ねらいはスポーツによるまち起こしである。現実化するかはさておき、遊びやスポーツによるまちづくりは、夢があっていい。

  政治家の信義(94・10・1)

 選挙に勝つために議会人事を取り引きに使い、味方に組み入れるというやり方は、どこにでもあることでそれほど驚きもしないが、足立原市長までが露骨に動いたとなると、これはやはり問題であろう▼厚木市会では議長は短期交代が慣例になっており、毎年8月に最大会派である市民クラブとこれに対抗する自民クラブ・民社党などが、それぞれに交代要員を立てて選挙に臨んでいる。しかし、今回は当初のもくろみが市長選の影響ですべてて崩れてしまった▼有力候補として名前の上がった成田大信氏や太田洋氏はともに他の役職に追いやられ、代わって浮上してきたのが、当選回数5期の実力者・村井氏である。同氏はこれまで反村井シフトに阻まれ幾度となく苦汁をなめてきた。だが、今回は市長選が村井氏に有利に働いた▼村井議長の誕生は徳間氏と村井氏の利害が一致した結果であろう。徳間氏を後継者に指名した足立原市長が、村井氏を議長にさせないと選挙が不利になると、篠崎議長に交替を頼み込んだという話まである▼今回、徳間氏は同僚議員や他の会派との「信義」を断ってまでも、村井氏と手を結んだ。徳間氏は強い味方を手に入れたが、それと引き換えに「信義」という大きなものを失ったこともまた知らねばなるまい。それは保守系会派の足並がそろわず、バラバラになったことでもうなづける▼徳間氏に「政治家にとっての信義とは何なのか」を問うてみたい。

  日本一(94・10・15)

 最近、市長の後援会の集りで「日本一の都市づくり」という言葉を何回となく耳にした。それは足立原市長が「日本一の都市づくり」に向かって邁進しているという歯の浮くようなお世辞の言葉だったように思う▼はて、厚木に日本一といえるものがあるのかと探してみたが、どうにもピンと思い浮かばない。仙台や福岡などの百万都市と肩を並べ、官民あげて取り組んでいる「厚木テレコムタウン」を指しているのだろうか。東洋経済の94年版都市データーパックを見てみると、厚木市で日本一というのが一つだけあった。七沢自然教室である▼日本一というのは日本一高いとか、大きいとか、日本ではここしかないとか、あるいはギネスブックにのるようなモニュメントや施設を作ることをいうのだろうか。確かにそれは一つのやり方ではある。しかし、日本一の都市づくりは目的ではなくあくまでも手段である。手段と目標を混同すると本質を見失ってしまう。せっかく作った施設も利用価値がなく、維持費だけがかかるというのでは意味がない▼それにしても「日本一」という言葉を使うには相当な勇気がいる。「エッ、厚木のどこが」というのが市民の率直な反応ではないだろうか。言葉と実態があまりにもかけ離れていると、言葉の持つ意味とは逆に愚かさと空虚さだけが響く▼問題は日本一の都市づくりが地域の活性化にどう結びつくのか、そうしたエネルギーが市民の誇りと郷土愛に結びついて新しい活力源とならなければ、本当の意味での日本一にはならない。日本一は「自慢」ではなく「誇り」なのである。

  相模人気質(94・11・1)

 愛川町の大塚博夫さんが『お国風と村気質』という本を自費出版した。その中で大塚さんは、13世紀の中ごろに書かれた『人国記』という書物を引用して面白い解説を加えている▼『人国記』は相模の人を悪玉扱いにしているのだそうだ。すなわち相模人は栄達した人には理由をつけて近づくが、落ち目になった人にはいかに親しい間柄であっても見向きもしない薄情さを持っているという。相模ではこうした性格の人が10人中8、9人もいるという。そうした気質はどこでも見られるが、相模人がことさらそうした形容を受けるのは、その代表格であるからかも知れない▼これより後、江戸時代の中期に関祖衡という人が『新人国記』という本を著しており、相模の女性は尻軽女だというレッテルを貼っている▼川柳に「相模下女」ということばが出て来るのも、そうした風評を裏づけているようだが、相模の女性にとっては迷惑千万に違いない▼大塚さんによると、世間に知られている国や村の人々の気質の評判は、悪口ばかりで褒めことばはまず少ないという。裏を返せば妬みや嫉みから出たというわけである▼『人国記』から約400年、『新人国記』から約200年がたった現在、相模地方は文明が進み、都市を構成する人々の群れも多様化した。だが、『人国記』が指摘した相模人気質は四百年前も今も変わっていないような気がする。いま『新新人国記』を著すとしたら、相模人はどういう気質になるのだろうか。

  忘れかけていた贈り物(94・11・15)

 厚木市毛利台に住む村岡三太さんが著した『お年寄りとともに命と時をつむぐ児童書百選』を読んだ。何百とある児童書の中から、お年寄りにかかわりのあるもの、お年寄りが登場するもの百冊を選び出し、独自の論評を加えたものである▼村岡さんは児童書を読んでいくうちに、子どもとお年寄りの「命と時の関係」に遭遇した。無垢の世界で生きていこうとする子どもたち、そして複雑な世界のしがらみを四苦八苦して生き抜いてきたお年寄りが、もう一度単純で無垢の生き方を求めるというものだ▼
お年寄りが年を取ると、だんだん子どもになっていくというのは、この村岡さんの言葉が見事に言い当てている。村岡さんによると、子どもとお年寄りは命と時に関してものすごく敏感であるという▼それだけ心が純粋になっているわけで、両者の関係はまさに人間が持つ心の核であろう。人間の命とは実に不思議なもので、命の時間が限られているかと思えば、死んでも人の心の中に生きつづける命もある▼村岡さんは児童書を読み味わえば宝の山のような生きるヒントを見つけることが出きるという。児童書はまさに老後を楽しく生き、元気印のお年寄りを育てるエネルギーだ。村岡さんは言う。忘れかけていた貴重な贈りもの。

 家事労働は労働基準法違反(1994.12.1) 

 千葉経済大学の加藤富子教授が、「高齢社会をよくする女性の会・厚木いちごの会」の講演で、「高齢問題に対する男性の政治家と行政の関心は、極めて低調で、その負担を全て女性に押しつけている」と指摘していた▼夫の父母が寝たきりになると、その世話は嫁がやるのが当然。嫁が職業を持っていても、それを放棄してまでも義父母の世話に専念することを強いられるという。「介護は家族全員で」といかにも理解のあるそぶりを見せる夫でも、食事から下の世話の話になると、途端に尻込みをしてしまうのだ▼ところが、義父母がなくなっても、遺産の分け前は嫁には絶対に行かない。そういうときだけ夫がしゃしゃり出てくるのである。実は日本の民法には実子・養子は親の扶養義務者であり相続権者であるが、義子(嫁や婿)には義父母の扶養義務も相続権もないと定めている▼加藤教授は「相続権のない嫁が、労働基準法違反のサービス残業を強いられている」と指摘していた。しかも家事労働や介護労働によって、女性がこれまで続けていた仕事を通じての生きがいや所得、退職金、友達との交流、自分の人生設計の狂いなど失うものが非常に大きいという。これでは女性の反乱が起きるのは当たり前だ▼男女共同社会といっても、中身はまだまだ男性優位である。そうした社会システムを変えるのはやはり女性でしかない。

  違いの分かる政策(94・12・15)

 厚木市長選に立候補を予定している山口巖雄氏と徳間和男氏は、師走に入って本厚木駅前の朝立ち、クリスマスパーティー、総決起大会を開くなど活発な後援会活動を見せている▼総決起大会に何人集まったかパーティーには何人というように、当事者にとっては相手陣営の動きや動員力が気になるところだ▼石井忠重元市長と足立原茂徳現市長が戦った16年前の怨念選挙の再来とか、現職市長の院政を思わせる代表取締役会長発言などが話題にのぼるなど、来年2月の本番を前にした動きが過熱している▼今回の選挙は足立原市政の「継承か改革か」が大きな争点となりそうだ。日本一の都市あつぎを目指して「確かな継続、新たな前進」を掲げる徳間氏は、足立原市政を継承する一方で、自分のカラーをどう打ち出していくのか、肝心なところが今一つ見えて来ない▼一方、山口氏は、あつぎ未来都市の創造として「ネットワーキング都市あつぎ」を掲げている。改革を掲げるならば何をどう改革し、市政をどういう方向に導いていくのか、そしてネットワーキング都市の中身を有権者にはっきりと示す必要があろう▼そこからお互いの政策の違いが浮き堀りになって来る。違いのわかる政策を期待したい。

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