風見鶏

1995.1.1〜1995.12.15


  首長の資質(95・1・1)

 今から4年前に岩国哲人出雲市長が、「都知事になる人の資質とは?」の質問に答えて、次の3つを挙げていた。
▼1番目は国際社会の問題がわかる人。2番目は経済のわかる人。そして3番目は教育と環境の問題について熱心である人である。岩国市長はこの3つが都知事の最低条件だと発言していた。この4月の都知事選においても、この3つの条件は変わらないだろう▼最近の首長は、経済がわかるというのが常識になってきている。長洲知事の勇退後、各政党が指摘した神奈川県知事の一番の条件は、やはり「経済の分かる人」であった▼ひるがえって厚木市長になる人の資質は何だろうか。1つはやはり経済の分かる人であろう。これは財政に明るい人といってもいい。2つ目は教育と文化が分かる人。そして3つ目が環境に熱心な人である▼この3つに共通しているのが創造力である。つまりまちづくりのソフトにいろいろなアイディアを駆使して限られた財源を有効に使うことの出きる能力の備わっている人である▼地方の時代の提唱以来、金太郎飴のように同じようなものを張り合ってつくる自治体が全国に増えた。美術館、博物館、運動公園などどこにいっても似たようなまちづくりに遭遇する。地方の時代はやはり個性を生かす時代であろう。自分の自治体だけを見かけだけで繁栄させる時代は終わった。発想の転換が問われる時代でもある。

  分権と仕事の早さ(95・1・15)

 出雲市長の岩國哲人さんが、「道なくして分権なし」と面白いことを言っている。地方にとって道路は単なる交通手段ではなく、命のインフラというべきもので、立派な道路が建設されると市民生活や地域経済のみならず、過疎化や高齢化の解決にも結びつくという▼つまり、道路を立派に整備すれば、人と物の流れを短縮し時間コスト、物流コストを下げるから、地方活性化に弾みがつくというのだ。分権を生かすも殺すも道路次第というわけである▼厚木市の交通渋滞は誰でもが指摘している。岩國さんではないが、交通問題を解決できれば、厚木市の地方分権はそれだけで成功といってもさしつかえない▼市長選の立候補予定者も交通問題を筆頭に掲げているから、厚木市にとっては正に道路は命のインフラであろう。問題は早急に短い期間で集中的にやれるかということである▼246バイパスや相模縦貫道路のように、10年も20年もかかっていたのでは、地方分権の活性化にはつながらない。次世代のインフラにはなっても、目前の地方分権には間に合わないのである▼厚木市の道路行政はこれまで、あまりにも時間がかかりすぎた。地方分権の時代は時間との勝負でもある。仕事の早さもまた問われるのである。

  自民党の爆弾(95・2・1)

 厚木市長選に対する自民党厚木支部の動きが注目を集めている。というのは自民党に対して徳間和男陣営から推薦の依頼が再度出されたためで、これに反発する山口巌雄陣営が一度決めたことを覆すようなことは問題だと、党議決定を尊重する要望書を出しているからである▼厚木支部は昨年11月28日、役員会の席上で徳間氏と山口氏の推薦依頼を検討した結果、2人とも推薦しないという決定を下した。両氏とも自民党の役員であったことから、支援の輪が二分されているためで、同支部としては党を割らない方向で配慮したのであった▼ところが、1月に入って山口氏が新進党の推薦を受けると、新たな動きが出てきた。徳間氏を支援している自民党の役員は、新進党が山口氏を推薦したことは、いずれ衆院の小選挙区選挙に連動してくるから、徳間氏の推薦について再考して欲しいと求めてきたのである。これに対して山口陣営が怒り心頭なのは言うまでもない▼支部の対応次第では党に対する不信感がつのるばかりか、公認候補への足並みが乱れることにもなりかねない。厚木支部では2月1日に会議を開く。結果次第では自民党厚木支部が分裂の危機にもさらされよう▼自民党は大きな爆弾を抱えている。

   有権者の良識(95・2・15)

 厚木市長選は山口巖雄氏が、次点の徳間氏に2万票近い大差をつけて圧勝した▼徳間氏の敗因は出遅れたこと、全市的な選挙を戦った経験がないこと、宣伝ビラという形ばかりにこだわって地に足がついた運動が出来なかったこと、「日本一の都市あつぎを目指して」というスローガンが、傲岸不遜でおよそ厚木市の実体にそぐわない有権者を馬鹿にしたものであったことなどである▼足立原市長が徳間氏を後継者に指名したという行為も、普通の市民感覚とは相容れないものであった。昨年同市長が、院政あるいは二重権力と受け取られかねない「代表取締役会長」発言をしたことも多くの有権者の反発を招いた▼今回の市長選は新人同士の戦いだったとはいえ、山口陣営にとっては現職との戦いでもあった。その意味では16年前の選挙と極めて酷似している。選挙結果は16年間続いた足立原市政の継承は、もううんざりだという市民意識がなだれを打って表出したことの現れだといえよう▼有権者は足立原市政の継承に、はっきりとノーの審判を下した。新しい風を山口氏に求めたのである。われわれ有権者は時として絶妙なバランス感覚を発揮する。それは良識となって一気に吹き出してくるのだ。

  政治家の人格審査(95・3・1)

 市長選挙が終わってホッとする間もなく、今度は県議選の番だ。7月には市議選も控えているから、当分身近な選挙が続く▼厚木市の場合、組長選挙が最初にあるから、結果が後に及ぼす影響は大きい。つまり、市議、県議が市長選で誰を応援したかで、自分の選挙がプラスにもなり、マイナスにもなるというわけだ▼一般的には勝ち馬に乗った方がプラスといわれる。だが状況によっては必ずしもそうとは言い切れない。支持者が当選者を応援していたのに、自分は落選者を応援した場合、またその逆の場合もある。もちろん、誰でもが、大なり小なりそうしたねじれを持っている▼選挙応援の基準は党派や系列、政策、与野党の別などが一つの目やすとなるが、地方選挙になるとこれに地縁、血縁が複雑に絡み合ってくる。人によっては不利になろうとなるまいと、信念で動く人もいるし、単に自分の選挙の利害得失で動く人もいる。また、いずれにも関係があるため、旗色を鮮明に出来ない人もいる▼人みなそれぞれに選択の苦労があるだろうが、実はそうした選択を行なう場合、普段見えて来ないものが見えてくるから面白い。それは政治家の人間性や生き方である。選挙というのは政治家の人格審査でもあろう。

  福沢諭吉の分権論(95・3・15)

 日本で「分権論」を最初に著したのは明治10年の福沢諭吉である。そのころは新政府による維新草創の時期で、4年には廃藩置県が断行され、藩に代わる3府72県が誕生した▼府県には新政府によって任命された府知事や県令が派遣され、中央政府の厳重な監督下に置かれた。翌5年には府県の下に従来の町村区域を無視した形で大区小区制が敷かれ、官選の区長や戸長が置かれた。いわば官治一色の中央集権体制が敷かれた時期である▼諭吉は地方に事務を任せると、中央政府が一律に行なうのに比べて効率が悪いかも知れないが、それでも分権を進めるべきだと主張する。地方に権限を渡すと汚職などいろいろ問題が起きるから好ましくないという議論もある。だが、諭吉に言わせると国に政権がある以上、少しも心配する必要がないという▼当初、混乱は起きるが、中央の不信で分権しないということになると、永久に分権は出来ないと口説いている。しかし、諭吉は自分が生きている間に分権は出来ないとも予言している▼その予言のとおり、100年以上経った今日に至っても、地方分権はいまだに実現していない。統一地方選を前に分権論議が盛んである。だが、地方分権は明治以来の課題なのである。

  厚木市の行革(95・4・15)

 厚木市の第2次行政改革推進本部がスタートした。自治省通達により、行財政の効率化をめざして、庁内推進体制の整備をはかるもので、今年度中に行革大綱をまとめ、13におよぶ重点事項の見直しをはかるという▼行政改革は減量経営と効率的な行政運営が基本である。行政の減量は^守備範囲の見直し _行政の原価、コストを下げること `行政のムダの見直しの3本柱であろう▼厚木市はいま市民1人当たりの負債額は、平成4年度の決算数字によると約28万円である。山口市長は選挙戦で、厚木市は税収が多いのに負債額が増えるのは、政策に問題があるからで、財政面での見直しが必要だと指摘していた▼赤字経営が続く第3セクターをどうするのか、重複行政をどう統廃合し整理していくのか、無駄な投資を抑えるためどのような優先順位をつけていくのか、パーキンソンの法則に対抗して既得権となっている予算や補助金をどう縮減していくのか。5年たったら全部廃止するというサンセット法案のようなものをどう制度化していくのかなど、取り組むべき課題は多い▼ともすれば行革は総論賛成、各論反対に終わる場合が多い。山口市長が腰砕けにならず公約を実行に移すことを切望する。

  3セクの経営(95・5・1)

 自治省が第3セクターに期待されている機能や活用をまとめた報告書を出している▼行政側のメリットとしては、 ^行政が直接対応することが困難な分野をカバー出来る。 _受益者負担により選択的サービスの供給拡大が図られる。 `民間の効率的経営手法を活用出来る。 a民間資金、マンパワーを活用出来る▼一方、民間側のメリットは、 ^新たな事業分野を開拓出来る。_公的な事業に参画することによって企業のイメージアップにつながる。 `資金調達が容易になる。 a税法上の特別措置が受けられる一などである▼これまでに厚木市もいくつかの第3セクターを設立してきた。その中には守備範囲とする分野や提供するサービスそのものの是非が問われないまま設立されたものもあり、トップは公務員の天下り先になっている。このため採算性を無視した経営によって財政状態が悪化し、市からの支援に依存しているのが実状だ▼厚木市のアイネットは提供するサービスそのものに問題があるし、経営的にも民間企業的手法がまったく足りないように思える▼これから事業を軌道にのせる必要がある厚木テレコムパークは、単なる貸しビル業ということより、情報という資源の生産と分配の効率性を追求する経営手法が問われてくるだろう。どちらも大変な努力が必要だ。

  ポエムの街づくり(95・5・15)

 小田急通り商進会が提案したCIコンセプトのモチーフ「心と心をつなぐポエムの街」は、言葉の響きや中身にも夢があって商店街の将来像をさまざまな形で彷佛させる▼個性的な魅力をもった商店街とは、地域が築き上げた独自の生活文化を積極的に表現したところにある。今回提案した小田急通り商進会のCIコンセプトには、清潔さと美しさ、知的な満足感が感じられるし、厚木の玄関口としての北口商店街のイメージにもマッチしている▼コンセプトの具体的な実現には、これまで以上の知恵と時間と大きな金がかかることはいうまでもない。長期的な戦略にもとづいたプログラムを積み上げていくことも大事だが、出来ることから手をつけていくという発想も必要だ▼例えば街ぐるみで行う定期的なクリーン作戦や花いっぱい運動、小鳥のいる街、路上乱雑自転車の整理、市民トイレ設置など身近なものがいくつもある。お店のシャッターをキャンバスに、さまざまなポエムを描いて街の美術館に仕立てるのもいい。開館は閉店後と定休日だが商店街のユニークな試みとして人気を得るだろう▼商店街の意気込みが成功に向けた連帯と協力関係を生み出していくが、それにはまず会員自身がポエムに浸ることである。

  市民意識調査(95・6・1)

 厚木市は「山や川などに恵まれた自然環境を持つまち」「都市と田舎の二面性を持つまち」。昨年12月市が行なった市民意識調査で、市民の約半数がこんなイメージを持っていることが分かった。 また、厚木市の将来像を「自然環境の豊かな都市」と「居住環境と生活環境の整備された都市」を上げた人が70%で、「保健福祉都市」の45%がこれに続いている▼土地利用については「もっと開発すべき」「ある程度開発してもよい」という肯定派が約60%、反対に「これ以上開発すべきではない」は34%と前回より8%増えた▼今後必要な施策としては、ごみの資源化・再利用施設が31.9%、公園や子どもの遊び場が30%、病院診療所施設が26.8%となっている▼これまで厚木市が取り組んできた「教育の森」や「アイネット」、また、今秋完成する「テレコムタウン」は果して市民ニーズにマッチしたものであったろうか。市民意識の先取りも必要だが、行政や政治家の意識が市民意識とかけ離れてくると施策におごりが出て来る▼山口市長が公約に掲げた街づくりの基本方針は「健康福祉都市」「環境文化都市」「先端経済都市」の3つである。市民意識にマッチした市民のための施策の展開を期待したいところだ。

  議員の任期(95・6・15)

 厚木市議選が7月2日告示されるが、今期限りで引退する議員が何人かいる。無所属で7期生の佐藤徳次郎氏と甘利正行氏、2期生の長沢とよ氏、共産党で4期生の関原康夫氏の4人である▼議員の任期は何期が適当だろうか。3期つとめ、押されてもう1期というのがごく普通の市民感覚としてあるし、首長の多選も4選以上が1つの目安になっている。神奈川ネットワーク運動は議員の任期は8年という内規を設けている▼今回6期目に挑戦するのは村井正光氏と石塚敞氏、7期目の挑戦は脇嶋稔氏と落合一成氏である。また、7期で議員を辞職、市長選を出馬した徳間和男氏は8期目に挑戦する▼そんなに長くやる必要があるのかというのが有権者の率直な気持であろう。「支持者が辞めさせてくれない」「後継者がいない」などといくら恰好いい理由をつけても、結局はいつまでも自分がやりたいという体のいい理由づけをしているだけなのである▼これでは世代交代が進まないし、議会では年長議員が幅をきかせるだけで、政治に活力は生まれて来ない。長くやっていると理事者や職員との間に人間関係も出来て来るだろう。何事も情無用とはいかないのだ。当然感覚もマヒしてくる。だからこそ、キリのいいところで辞めるべきなのだ。

  続議員の任期(95・7・1)

 前号で、議員の多選(定年)の問題について書いたところ、大勢の方からさまざまなご意見をいただいた。10人のうち8人までがご指摘の通りというもので、2人は異論があった▼議員には年齢に関係なく健康の許すかぎり、病気になるか死ぬまでそれを続ける傾向がある。もちろん、定年はない。が、やはり自治運営の担い手は一定期間ののち交代することが望ましい。選挙技術や基盤の関係から世襲が見られるケースもあるが、これも議員の固定化につながり、歓迎すべきことではない▼確かに当選回数の多い議員は豊富な経験を議会審議に生かすことが出きよう。しかし、事なかれ主義や理事者とのなれあい、ボス的議員による統制などを考えると、プラス面よりマイナス面の方が多いのである▼議員の世代交代は議会に新風を吹き込み、審議を活性化させ理事者との間に緊張感を生み出す。また、古参議員に反省の機会をうながすことにもつながる。若手議員は、持前の行動力とエネルギーで住民の中に飛び込み、要望や意見を聞いて勉強を重ねるため、質問にも新鮮味が見られる▼議会と理事者は「車の両輪」だといわれるが、お互いに切磋琢磨されてこそ、地方自治が活性化されてくるのである。

  選挙速報(95・7・15)

 厚木市議選の開票結果が、即日開票であるにもかかわらず、翌日の日刊新聞が休刊日であったため、一般市民に情報が伝わるのが1日も遅れてしまった▼TV神奈川も速報を流していたが、普及率が低いため一部の人しか結果を知ることが出来なかった。キャプテンにしてもしかりである。選管に電話で問い合わせをすればもちろん教えてくれるのであるが、候補者すべての結果を聞くにはかなりの時間がかかるし、選管の職員も遅くまではやりきれない▼選挙事務所に行く人はまだいいが、大多数の市民はテレビやラジオ、新聞以外に情報手段を持たないのだから、イライラした人も多いだろう。こういう場合、何とかして早く市民に知らせる方法はないものだろうか▼例えばFAX通信を使って市民サービスをするとか、翌朝、本厚木駅と愛甲石田駅、市役所ロビーなどに選挙結果を掲示するとか、ちょっとした工夫が市民サービスの向上につながる。平塚市ではケーブルテレビやFM放送が開局しており、市民への情報メディアとして大きな役割を果している▼厚木市も防災と連携したFM局の開局が考えられないだろうか。若い人を活用できるし小コストで対応できる。多くの人が聴くことが出きるという意味では、キャプテンよりははるかにいい。

  21万人の個展(95・8・1)

 まちづくりとは知らない者同士を結びつけ、言葉を交わすきっかけをつくることで、それを深めるために相手を喜ばせてあげることである。人を喜ばせることが出来ない限り、コミュニケーションは始まらないし、コミュニティーも生まれない▼それには何が最適かというと、「祭り」である。祭りには「善意で人を喜ばせ、自分も喜ぼう」という大原則がある。神輿や花火、仮装行列、踊り、伝統芸、夜店など、そこに住む住民たちの遊びが、さまざまな祭りを生み出し今日に伝えている▼町田市にかつて30万人の個展というお祭りがあった。市民同士が得意な技や工夫をこらした遊び方、作品などを披露して交換しあうという「個展」と名付けたお祭りである▼厚木でも鮎まつりの期間、歩行者天国や厚木中央公園を、21万市民の個展会場にできないだろうか。竹細工や草鞋細工、伝統工芸、昔懐かしい玩具、無農薬野菜、果物、郷土料理、特産物、土産品、リサイクルショップ、バザー、お年寄りや障害者の手作り作品、伝統芸能や踊り、彫刻や美術品の展示、音楽、バンド演奏など何でもいい。市民一人ひとりが自分の遊びを持ち寄って、会場に繰り出すのである▼個展に参加した市民には、参加した人の数だけ個性がある。そこには知らない者同士が言葉を交わし、喜び合うというかつての縁日に似た光景が会場全体で再現されるだろう。21万人の個展は双方向、いやマルチ方向なのである。

  父が子に語る戦争(95・8・15)

 大橋祥宏さんが書いた『息子よ、アメリカは父さんの敵だった』を読んだ。昭和19年、軍港のまち横須賀から愛川町の半原へ疎開した児童たちの1年におよぶ体験記録である▼大橋さんは「少国民である私の参戦は、弾丸を撃ち合ったり、爆弾をかいくぐったりした烈しいものではなかった。しかし戦争は真剣に戦ったとの思いがある。大きな歴史に参加した意識をもっているのだ」という▼日本の敗戦から50年が経過した。「父さん、いまさら何をいいだすんだい」と娘や息子に笑っていわれかねない話だ。だが戦争体験は忘れるものではない▼大橋さんは「今となれば思いは複雑で、当時のことが滑稽にもなる。しかし、あの頃は子供じみていたにしてもまじめで真剣に生きた時間で、それをおろそかにしたり、軽率に見過ごせない残りかすが心に沈んでいるのだ」という。この気持ちが大橋さんに疎開体験を書かせた▼このほど『戦い済んで日が暮れて』を自費出版した、厚木市上依知の小林良三さんもそうした1人だろう。小林さんは死ぬまで語るまいと思っていた軍籍抹消という特異な体験を、50年の沈黙を破って書物にしたためた。悪魔の部隊と呼ばれた関東軍防疫給水部満州第731部隊の隊員も、50年の沈黙を破って語り始めた▼戦後50年、自身にとって終わることのない戦争、我々の知らなかった戦争体験を、大人はもっと子や孫に語って欲しい。

  防災訓練(95・9・1)

 防災の日が近づくと、全国どこでも防災訓練が行なわれる。厚木市も9月3日に自主防災隊と市職員を対象にした防災訓練が行なわれる▼日頃の訓練がいかに大事であるかは、阪神大震災の教訓からも学びとることが出来る。だが、いつ来るか分からない地震の訓練を、お役所式に形ばかり整えてやっても、なかなか身が入らないという指摘もある▼非常時に果たして訓練の成果をどこまで出せるだろうか。登庁訓練にしても地震で家が壊れ、道路が陥没している中を登庁するのと、平時の訓練では全く異なってくるのである▼焼津市では市民に何の前ぶれも出さず、ある日突然防災訓練を行なう予告なし訓練に取り組んでいる。訓練の合図と同時に防災頭巾をかぶり、非常持出し袋を持った市民が、自主防災組織の誘導に従って避難所に逃げるという段取りだ▼この訓練は夜も実施する。すると今まで見落とされた死角が見えてくるかも知れない。例えば夜間の避難所となる学校の照明が不十分で、入口がよくわからなかったり、焚き出しの薪が湿っていてなかなか燃えないかも知れないのだ▼予告なしの訓練の繰り返しは、市民が非常時に対応できる能力や知恵を生み出す。厚木市でも取り組んでみてはどうだろう。

  老人問題は婦人問題(1995・9・15)

 老人問題は婦人問題という指摘がある。これは男は安心して妻に面倒見てもらえるし、女は夫を看取ってから1人で後に残る。嫁に見てもらう立場はつらいということでも象徴されている▼いつまでも健康でいたい。糞尿にまみれて死にたくないという願いは、男女共通であろう。評論家の樋口恵子さんは、にもかかわらず老人問題は次の2つの意味で婦人問題であると指摘している▼1つは「日本はまだまだ老いを看取るのはほとんどが女性」という考え方が支配的であるということだ。これは、女の仕事イコール低賃金という日本の職場の慣習の中で、老人福祉にたずさわる人の待遇が不充分という結果になって現れている▼2つ目は老人の就床や病気は、それまで外で働き続けてきた妻や嫁の就労を決定的に中断させるということである。いくら夫自身の親であろうと「俺がやめて面倒を見る」とは夫は絶対に言わない。また、言われても家計上困るだろう▼女性の就労による自立は、 ^良い保育者(パートナー)に恵まれること。 _子どもが健康であること。 `そして老人が健康であることの3条件が揃って初めて成り立つ。このうちの1つが崩れただけでも、女性の就労は中断するのである▼女性の経済的自立と老いの看取りの関連を、どちらも矛盾することなく解決する方法が老人問題であろう。われわれ男性はもっと意識を改革せねばなるまい。

  目玉事業見直し(95・10・1)

 厚木市の山口市長は、このほど21世紀プランの大幅な見直しを発表した。財政難による緊縮財政を強いられるため、現行計画を推進するのは困難と判断したためで、21プランの目玉事業であった教育の森と荻野運動公園の両整備事業を事実上凍結する▼教育の森は平成2年に5.4ヘクタールを防災公園にも位置づけており、今後はこれを念頭においた見直しを進めていくというが、防災公園だけの整備になるのか、その場合起債との関係はどうなるのか、検討課題も多い▼一方、荻野運動公園は拡張予定地の近くに、環境庁が指定している絶減の恐れのある野生動物オオタカの巣が確認されたことから、自然環境の調和をはかりながらの見直しが必要だという。いずれにしろ両事業は当分の間は凍結だ▼厚木市はこうした見直しと合わせ、現在の財政構造を市民に数字できちんと知らせる必要があるだろう。借金がどのくらい残っていて、その返済がいつ終わるのか、また今後の税収をどの程度に見て行くのか。長期展望に立った財政プランも要求される▼また、交通渋滞の解消や防災対策、高齢者対策、市庁舎建設など市民ニーズの高い施策をどうプログラムしていくのか。この際である。厚木市の事業を総点検してはどうか。

 ゼロエミッション(95・10・15)

 「ゼロエミッション」という言葉がある。エミッションとは排出物、廃棄物のことで、企業活動の結果、吐き出される廃棄物のすべてをゼロにするという考えである▼1992年、国連大学の学長顧問であるグンター・パウリ氏が提唱した。評論家の内橋克人氏が『共生の大地―新しい経済が始まる』(岩波新書・1995)という自著の中でこれを紹介している。つまり、21世紀は廃棄物の量を削減するのではなく、ゼロにする生産システムの新たな構築をめざす「ゼロエミッション体制に向けて、全産業の製造工程をつくりなおし、既存の産業を再編して全く新しい産業集団を生み出そうというのである。94年7月、国連大学で第1回ゼロエミッション研究会が開かれ、初めて概念と構想が明らかにされた▼パウリ氏はその方法として「アウトプット=インプット・モデル」を提示している。たとえば、A社(産業)の廃棄物がB社(産業)の原材料になり、そのB社の廃棄物がC社(産業)の原材料になるという「廃棄物と原材料の産業連鎖」を形成する考えである。同氏はその一例として、ビール・醤油醸造業で排出される高蛋白物質の廃棄物を、水産養殖業の飼料として使うことを上げている▼このインプットとアウトプットの相互関係で深い連鎖性を持ち、同時にもっと経済性において高い効率を発揮できれば、異業種産業が集まって新産業集団を形成することが可能だ。内橋氏は「この循環を無限に回転させることができれば、産業は廃棄物ゼロの状態で永遠に生産活動を継続できるだろう」(前掲出書)と述べている▼国連大学はこの研究プロジェクトを発足させ、世界の企業に参加を呼びかけているから、厚木市内の企業も考えてみてはどうか。(2001.11.17日編集日記参照

  理想の教育(95・11・1)

 『せせらぎのうた』を著した清川村立緑小の原校長が、校長と子どもたちとのふれ合いについていくつかの体験を語っている▼校長が子どもと直接ふれ合うことができるのは、遠足のつき添いや朝会、朝の交通指導ぐらいである。そこで原校長は子どもたちと接するための方策をいくつか思いついた▼その1つは校長室の開放だ。子どもたちにいつでも遠慮なく遊びにおいでというのである。初めは躊躇していた子どもたちも花や絵を持って遊びに来るようになった。病気で担任の先生が欠勤すると校長自らが出向いて授業を行うというし、青空給食や清掃活動など折りを見ては子どもたちとのふれ合いを心掛けた▼このほか、朝の登校時には学校近くの県道に出て、交通指導をしながら子どもたちに声をかけたり、校長室の前にポストを設置して便りをもらうなど、さまざまな取り組みを行っている▼校長会などの出張が多く現場の指導は部下任せといった校長が多い昨今、原校長には学校経営の責任者として、子どもたちの教育に努力する熱意が伝わってくる▼学校は校長次第で良くもなるし悪くもなる。教員生活35年目にして出会った理想の教育現場には、原校長のこうした実践活動が息づいている。

  大変な時代 (95・12・15)

 今年は阪神大震災に始まり、オウム真理教による地下鉄サリン事件、金融不安など嫌な事件が相次いで起こった。政治の世界でも既成政党に飽き飽きした有権者が、無党派を標榜するタレント候補を知事に選ぶなど、我々の身の回りで予測出来ない出来事が起きている▼作家の堺屋太一氏はこうした時代を、「大変な時代」だと指摘している。なぜなら、これまでの知識や経験といった常識では考えられないことが次々と起こっているからである▼これは経済の世界でも同様だ。デフレが長期化し、土地や株などはバブル期のピークに比べて4割以下になっている。この3年間は御売り物価ばかりでなく、消費者物価も値下がりした▼にもかかわらず、行政は許認可料や使用料、固定資産税を引き上げている。厚木市でも下水道使用料の値上げを12月議会に上程した。このほか議会では、一般廃棄物の最終処分の委託契約をめぐって、コストの高い業者となぜ契約したのかという問題も指摘された▼いま、行政がやるべきことは、不況とデフレに対応した「財政改革」に取り組み、公共料金の値下げやリストラを断行することである。山口市長のいうリストラが、かけ声だけに終わるなら市民の共感と理解は得られまい。

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