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荻野山中藩駿河・伊豆国領 飯田 孝 |
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愛甲郡中荻野村(現厚木市下荻野)に陣屋を構えた、一万三千石の大名大久保氏の領地は、相模国内では三千六百九十二石、中荻野村・下荻野村・三田村・妻田村(以上厚木市)、下溝村(相模原市)、山田村(足柄上郡大井町)の六か村であった。 これに対し、荻野山中藩駿河国・伊豆国両国領合計は約一万石。相模国領のほぼ三倍の大きさをもつ領地は、駿河組・伊豆組に編成して支配された。荻野山中藩駿州組・豆州組の村々を、天保十三年(一八四二)の高付帳ほかによって見ると左記の通りであった(『荻野山中藩』)。 |
駿州組 |
豆州組 熊坂村(静岡県修善寺町) 堀切村( 〃 修善寺町) 本立野村( 〃 修善寺町) 小立野村( 〃 修善寺町) 上修善寺村(〃 修善寺町) 下修善寺村(〃 修善寺町) 南条村(〃 韮山町) 寺家村( 〃 韮山町) 中条村( 〃 韮山町) 古奈村(〃伊豆長岡町) 長瀬村(〃伊豆長岡町) 墹之上村(〃伊豆長岡町) 本柿木村(〃天城湯ヶ島町) 松ヶ瀬村(〃天城湯ヶ島町) 下船原村(〃天城湯ヶ島町) 月ヶ瀬村(〃天城湯ヶ島町) 上白岩村(〃中伊豆町) 城 村( 〃 中伊豆町) 梅木村( 〃 中伊豆町) 菅引村( 〃 中伊豆町) 冷川村( 〃 中伊豆町) 大仁村( 〃 大仁町) 大場村( 〃 三島市) 北沢村( 〃 三島市) 多呂村( 〃 三島市) 畑毛村( 〃 函南町) 上沢村( 〃 函南町) |
荻野山中藩は駿河国組十四か村約五千石、伊豆国組二十七か村約五千石を支配するため、松長村(沼津市)と古奈村(伊豆長岡町)に役所を置いて年貢取立や訴訟の処理にあたった。 『荻野山中藩』によれば、寛保3年(1743)の修善寺山本家文書に「古奈村御陣屋」と見え、宝暦7年(1757)から文政八年(1825)の文書には「古奈御役所」とあることが紹介されている。 しかし、古奈役所は文政九年か十年に廃止、その役割は松長役所へ統合された。 荻野山中藩駿河国・伊豆国領は、宝永5年(1708)、享保三年(1718)、天保期(1830〜1843)に領地替があった。前にあげた四十一か村の村名は、幕末期の荻野山中藩領である。明治維新後、荻野山中藩伊豆国領は一時韮山県に属し、駿河国領は徳川家達の領となって廃藩置県をむかえるのである。 |
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